桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

左手と桃の実

2012年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム
6月29日(金)

雨は降らなかった。降らなくて良かったと思う一方、雨降りを期待していた場合は気の毒だ。
今日は気温が高くて、早くも夏の訪れを感じる。いよいよ、海開きの季節になったが、海岸に異変が起こって、砂地が異常に減ったり、台風の為に折角の海の家が壊れてしまい修復を急いでいると言う。海開きには間に合うだろうか?

昨夜は、と言うより、今朝未明に掛けてイラスト描きに夢中になり、大変な夜更かしをしてしまった。ついでにウインブルドンの二人の日本人のテニスの試合を見ながら、作業を進めた。
以前に(約一年前)習ったペンツールで描くイラストの操作を殆ど忘れているので時間がかかってしまった。

何とか仕上げた後は、時計を見るのが怖くなった。二度と、こんな事はやらないぞと思う一方、いや、自分を信じられないと思ったりする。死ぬぞー!!

最近、肩から腕に掛けて腱鞘炎になったらしい。一番いけないのは、パソコンだ。止めた方がいいのは勿論だが、どうしても止められない。

そこで思った。右手だけで無く、左手を使う練習をしなくてはと気付いた。箸を持つ事さえ、とても難しいと実感する。かえって、この無理が左手にも影響するかも知れない。
イイ歳をして、バカなことを考えない方が良いかしら?ネ。

ムカシ、甥が盛んに左手を動かす練習をしていた。なぜ、そんな事をするのかと尋ねたら「右手と左手が同じ様に動かせたら、なにかの時に役に立つ」と言う返事だった。当時の大学生達に流行っていたらしい。

おかしな事を考えるものだと思ったが、彼の計算機操作の速い事には驚いた。今、思うに、何か事があれば、こんなに助かる事は無い。

ムカシ、母が包丁を持つ時には左手だった。昔の人は左手を使う事を嫌がった。だから、子供に厳しく右手を使う事を要求したと言う。母は、縫い物をする時に右と左両方から縫い針を進めて見せて、他人より素早く仕上げられると話していた。

今、考えると、納得出来る事が多い。私も、以前から両手を同じ様に使って、箸や筆記具を扱える様に練習しておけば良かったのにと思うが、もう遅いかな?

ガラス戸越しに桃の木の茂みの中に丸い物が見えた。今年は全滅かと諦めていた桃の実が一個だけ見えている。まあ。立派な桃の実になるのは期待出来ないが、庭を思いっ切り賑わせてくれた満開の桃の花の成果が一つだけ残ったのだから嬉しい。
鳥や虫にやられない様に気をつけよう。

この後、七月のカレンダーをつくるつもりだ。忙しい!




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会費はキツイ!

2012年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム
6月28日(木)

天気予報によると。夜になってから、雨が降り始めると言う。午後遅くなると、何となく曇って来た。間違いなく雨になるらしい。

午後、早くに電話あり。随分久し振りの後輩から『区の退職K会』など二つの会費を集金に来ると言う。

住所がO区だから、関係が無くてもこの区の正会員だと言う事で、四千五百円の徴収だと言う。

久し振りなので、家へ上がってもらった。かつての思い出や、現在の関係ある人々の近況を聞いた。
もう、どうでも良い様に思う。昔の思い出を、何時までも引きずってはおられない様に感じた。
残念ながら?私は余り過去の人達との付き合いは少ない方だ。
きっぱりと「今あるのみ!」と思おうとする。しかし、一方では、少しばかり気にしたくなる人もいる。


今、私が一番、気になっているのは、来月のカレンダーの為のイラストである。

SBPでは、墨絵が表現出来ない。墨の濃淡やかすれが出ないので苦労している。
先日、銀座Appleへ行った帰りに駅前の電気店へ寄った。
ありそうで無いソフトは、店員に調べてもらったが、結局、見付からなかった。

仕方が無いから『無手勝流』でイラスト開発といこうか!

何と、真っ赤な甘ーい西瓜でした。皮の薄い事!!緑と白の皮を合わせて5ミリメートルぐらいでした。



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庭の緑に思うこと

2012年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム
6月27日(水)

暫く庭の整理をしないうちに、もう『草ぼうぼう』になってしまった。狭い道も雑草で覆われた様になって通り難い。

ゴミを出す前に草や樹木の枝を切った。レジ袋に分けて入れる。
食事を済ませて、もう一回、草木を整理をした袋を表へ出そうとしたら、エンジンの音がする。ゴミ蒐集車が来てキビキビと袋を集めて行ってしまった。

結局、後の袋は間に合わず土曜日まで待つ事になる。何時もなら、もう少しノンビリと集めに来るのに早かった。

窓から見える庭の草木の緑は奇麗だが、ちょっと、眼を離していると、雑草類がはびこって始末に困る。
だんだん、体の動きが落ちて来ると、整理をするのも大変だ。特に、作業を終えた後に来る腰の痛みがキツイ。だから、やめれば良いと人に言われそう。

一斉に伸び始めた、草木の鮮やかな緑から目が離せない。邪魔な草木を切り取りながら、内心、ゴメンネと言うのが、私のクセである。どうも、生命を断つと言う事に戸惑いを感じる。

一昨日は、隣から美味しい佐藤錦のお裾分けを貰った。矢張り美味しい。まさにルビーの様な見事さだった。

桃を食べ、西瓜を食べる。季節のものや少し早目の果物をいただけると言う幸せを有難いと思う。
昔の人はもっと、質素だった。特に戦時下や終戦後は…ひどいものだった。

『梅子せんせい』のドラマを見ると、戦後から復興期に至る日本人の窮乏を乗り越えて活力のある社会を築いて行く姿を見る思いがして、一つ一つに共感を感じる。

あの時には未来への夢が大きかった。僅かな物や出来事に喜びを感じ、未来への可能性を思ったものだ。


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銀座は晴れ

2012年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
6月26日(火)

朝のうちは涼しかったが、昼近くになると、暖かくなった。陽射しは初夏の様相を示している。
天気予報では雨が降ると言うニュースがあり、夏日だと言う事だ。

私の銀座行きが晴れていると言うのは珍しい。何故なら、私は『雨女』と言われて、必ずと言って良い程、Appleの日には雨が降るのである。

家を出るのが早かった所為もあるが、更に、珍しくバスが直ぐに到着。田町で乗り換えて、新橋に着いた時には一時半だった。ヨーシ、今日こそ試して見よう!

新橋で降りた後、地下鉄銀座線に乗り変えた。銀座迄は一駅、その後、MATSUYAへ出れば良い。ところが、勘違いをして後部車両に乗ってしまったので、銀座四丁目方面から、MATSUYA入り口まで歩く羽目になった。

銀座線は駅の長さが短いので、さ程、気にならなかったが、ちょっと失敗。
MATSUYAの前はAppleである。雨の日だと、濡れずに目的の建物まで行ける。

しかし、考えれば、JR有楽町から歩くのと、それ程の違いは無いとわかった。

昨晩は、二枚の写真がおかしなもの(悪魔の様な黒いマーク)になったので、復活させる方法を教えてもらった。
昨夜はAperture のマニュアル本を見たが、困った場合の対応法は何も出ていず、迷ってしまった。

J子さんに話すと、消えた写真が、まだ残っているのを見つけ出して下さった。ここまでくると、もうApertureの域ではなく、Macそのものの仕事になると気付いた。 

パソコンに対する今までの安易な扱い方を反省する。更に、少しでも良いから、器機そのものの理解を深めなければいけないと思った。
J子さんに感謝!


ベランダへ出たら蜻蛉が…青い体をしたシオカラトンボを見た。もう、夏?



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六本木駅の階段

2012年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム
6月25日(月)

今日も六本木へ行った。今朝は寒かったので、ピンクの木綿の上着を羽織って出掛けたが、丁度良かった。皆、寒さ対策はしている感じだ。

相変わらず、と言うより、益々、つらさを感じる地下鉄の階段を、今朝も呪いたくなる様な気持で登った。
あとは、俳優座の前の坂道を下るのだが、以前は弾みがついて歩きやすかった道も、今は苦しい道になってしまった。

鍼が終わって、姉と待ち合わせをする事にした。
最近は、ハリの後、直ぐに歩くのはフラフラする。帰りに六本木駅へ出るには、坂道を上る事になるから、もっと、辛い。
しかし、元気な人にとっては、この坂道が辛いなんて言うと笑われてしまう程度の緩やかな道だから、大げさの様に聞こえるかも知れない。

なぜ、この地下鉄の階段は異常に長く続くのだろう?
都営地下鉄関係者は、これでもか、これでもかと続く階段を呪う様な気持で下るトシヨリの嘆きを分かって欲しいものだ。
しかし、これは若しかすると、地上の水位が上がった時の防災対策に関わりがあるのかも知れないと考えると、我慢するしかない。

只、ミッドタウンの方の出入り口にはエレベーターやエスカレーターが設置されているのだ。
ホテルや美術館があるからだろうか?これは可成りの片手落ちとも思われるのだ。

しかし、わざわざ、ミッドタウン口まで、回り道をするのもキツイから、仕方なく、俳優座口を使う事にしている。

いやぁ、全く不便である。帰りは坂道を下って、都バスで新橋まで行った方がずっと楽だと、今日も実感した。しかし、地下鉄なら大門まで170円、都バスは新橋まで200円である。今は高いバス券を持っているから関係無いけれど…

駅ビルで待ち合わせて、鮨屋へ行った。今朝は『おぼろ豆腐』を半分だけ食べて出たので、結構、空腹の筈だったが、結局は何時もと変わらなかった。

鮨を握る前に「シャリは多め?少なめ?)と聞かれたので「少なめで、山葵はひっくり返る程多く」と頼むと、皿の端に団子の様なワサビが付いて来た。

鮨屋さんとは、すっかり顔馴染みになって、帰る時にはガラス戸越しに手を振っていた。

近所のスーパーで買い物を済ませて帰宅。
買って来た枝豆を枝から切り取って茹でた。結構食べた後は、昼寝?になってしまった。
また、太る元になってしまった様である。



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ごろごろの日曜日

2012年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム
6月24日(日)

日曜日、まあ、ゆっくり寝ようか!万年床って言うものにしたら、どんなに楽だろうなぁ?
イヤ、やめた!汚いものね!それに、だらしなくなる。

そんなことを考えた。どうも、足の具合が悪い。足腰の具合が悪くなるのは、梅雨から夏に掛けて毎年の事である。こんな時には富士山へ行けば、加減が良いのだがー

と、言っても、今年は、何時もより具合が良くないような気がする。膝までどころか、腿まで痺れが来ている様な気がする。
いよいよ駄目か!全く、情け無い話と言うより、私にとっては、至極、恐ろしい話だ。なぜって、人の世話にはなりたくないからだ。

そこまで考えたら、グズグズ寝ている訳にはいかなくなった。
痛くて痺れる足でよろめきながら動き回った。薄い布団を持ち上げるのさえ、苦労する。エエイ!何とかしろ!負けるな!と、心で叫ぶ。

何時も、むくんだ様になる足が、珍しくスマートになっているが、足の痺れは一層、酷い。こんな時には、足を気にし過ぎるのは良い事ではない。

久し振りに、本当に久し振りに読書を始めた。ごろりとなって、お菓子をムシャムシャ、網戸から吹いて来る風が涼しかった。居眠りもせずに、少し薄暗くなるまで、本を読み続けた。読み出すと、本の魅力は大きい。テレビの比では無い。

これ以上、二階で寝転んでいては叱られそうだ。それに痺れる足は一向に良くならない。何時も楽しみにしている『笑点』の時間も、とうのムカシに済んでいた。
おこられないように、そっと下へ降りて、何とか、食事の手伝いを済ませた。

朝から準備をしていたパソコンを、食後になって本格的に開いた。
日曜日の生活にこんな事は珍しい。今日は、何時もと違って時間に制約が無い。『トンイ』が終わってしまったからだ。先週は『トンイ』の最終回だった。しかし、最終回にしては何ともお粗末な終わり方をしたので、本当に終わった気がしなかった。

お陰で、久し振りに読書の面白さを再発見して、改めて、本に親しもうかと思い始めている。


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ジュウヤクの花も新鮮なものです。匂いは独特なものですが…





久し振りのRとU

2012年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム
6月23日(土)

天気が良くなると聞いていたが、それ程でもなかった。
網戸にして、ゴロゴロしていると、涼しくて、やや、肌寒ささえも感じる。

今日は甥の子供達が来る事になっていた。ベランダへ出ていると、下の方から私の名前を呼ぶ声がした。甥夫婦である。後で、寄るからと言う。

妹のRは幼稚園児。元気で、先日買って置いたワンピースをあげると、早速、着てみせた。少し、地味な感じだが、良く似合う。カメラを向けると、格好をつける。

お兄ちゃんのUは、ついこの前、八歳になったと言う。誕生祝いとTシャツを上げた。一緒に来たが、具合が悪くて寝ていると言う事で、急いで病院へ行った。子供の病気も気になる事である。何ともなければ良いが…。ここのところの天候不順では、誰でも体が持たない。

朝から掃除機掛けで疲れてしまった。もう、重い掃除機は私の体に合わず、荷が重過ぎる感じだ。なかなか、適当な電気器具と言うのは見付からないものだ。

今日は、マイナスに感じる事ばかりになった。殆ど『ものぐさ太郎』状態で、寝転んでいたが、体が痛くなるばかりだ。
『ものぐさ太郎』は、一日中寝ている間に何を考えていたのだろう。彼の事だから、私の様に全く無為に過ごした訳でもあるまい。

久し振りに片付いた部屋を眺めながら「ああ、何時もこう言う生活をしなくてはいけないなぁ」と思うばかり。

それ程、私の部屋は乱れている。何とかしなくては…と、焦る。
体の言う事がきけるうちに。



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お祭り

2012年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム
6月22日(金)

先日、近所のお祭りに参加している子供の様子を写真に撮ってみた。
小さな男の子のハッピや、祭りのいなせな着物姿が良く似合っていて、微笑ましく感じた。
六月にしては暑い日だったので、顔を赤くして頑張った男の子は、もう十分に日焼けしたみたいに輝いていて可愛らしかった。

疲れて道端に腰を下ろしている姿が、あまりに可愛くて写真を撮ったら、お母さんがニッコリと笑ってお辞儀をした。

休憩中もパパの側を慣れず、確りと手をつないでいる男の子は、まるで大人に負けない、いなせな格好で、すっかり様になっていた。


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休憩時間になると、世話役の小父さんが配るお菓子を貰ったり、町会の女性達の接待を受けている小学生の一団がどっかりと道に座り込んでいる。

これは慣れたもので、彼等の好物のお菓子やジュース、アイスを楽しんでいる。すっかり疲れて、道路に腰を下ろすが、おやつには目が無い男の子たちは、日頃のままの姿だ。
多分、祭りの衣装などには興味が無いのだろうか?
山車を引っ張るのも面白いが、その後には休憩時間のおやつが待っているのが目当てか?




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女の子も負けずにお祭りの衣装を考えている。そこは男の子以上だ。ところで……
浴衣姿?イヤ、奇抜な浴衣姿が目についた。

写真では余りはっきりしないので、分かり難いが、上は普通の浴衣姿、下は何と、フレヤーがたっぷり入った浴衣で、兵児帯も太く華やかである。ついでに、髪飾りも派手派手なリボンで、全体としては何とも奇妙な感じだ。

折角、お洒落をしている子供に対しては酷な批評だが、男の子のいなせな姿と比べると、随分、差がある。

どうしてこんなスタイルを考え出したのだろう?
ところで、この町だけのスタイルかと思ったら、あちこちの映像などに出ていた。
こんなスタイルを考案した人間に、日本独特の粋な浴衣姿を壊してくれるな!と言いたくなる。

折角、お洒落をして参加した女の子に対しては済まないけれど、気になる『祭りファッション』だった。

矢張り、今までの浴衣姿が良い。そうでなければ、女の子もいなせなハッピ姿などが良いのではと思った。子供の時から、美しさへの感覚を育ててあげたいものだ。

これで、今年の町の大きな行事も一つ終わってしまった。





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ハリ!ハリ!ハリ!ハリ!六本木三回目

2012年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム
6月21日(木)

駅に着いた頃になって、雨が降り出した。洗濯物は干したまま、傘も持たずに出掛けたのだが、まあ、大丈夫かと、そのまま、電車に乗った。

地下鉄六本木の階段はきつい。それに坂道を下るのも、以前とは全く様変わりになった私の足。まあ、これも致し方なしとするか?

三回目になって、ハリが部分的には響く様になった。痛さがビーンと来なければ、ハリの効果は薄れる。酷くなると、何も感じないから、これは『我慢の子』だ。
しかし、これがコワイのだ。電流が走ったみたいだから、つい、先生の膝を叩いてしまう。

かつてのの先生の話では、膝に爪や指の跡が残ると聞いて、笑ったものだ。皆さん、我慢強くて「イターイ!」と素直に口に出せる人は少ない様だ。
私は「すみません」と素直に謝って終わり。施術する人も大変だ。

帰りは新宿まで都バスに乗る。のんびりと官庁街やビジネス街を通って、新橋駅北口で降りた。
久し振りに関西の有名な蕎麦店へ寄る。何時も通りの『鰊蕎麦』を食べたが、何時もの銀座の蕎麦店と、全くと言って良い程、違う。
店のムードやサービスは良いが、何となく、鰊の味や蕎麦の茹で方が違う様に思える。値段は相当安いが、値段の比ではない様に思えた。若しかすると関東と関西の違いか?

洗濯物は幸いと余り濡れていなかった。この様な日に洗濯をした自分が悪いと思うが、まだ、大丈夫と思ったのだ。結局、傘も買わずに済んだ。

買って来た草餅を食べた後は、すっかり疲れて、つい、ごろりとなる。そのまま、眠ってしまった。最近の私は、益々、『眠り姫』?になったみたいだ。

起きたら、何と、夜。酷いものだ!姉も寝ているらしい。二人共、慣れない場所へ行くと、疲れも酷いらしい。

今日は、ブログも駄目。明日にしよう。


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翌日は…

2012年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム
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6月20日(水)

昨夜の雨はすっかりやんで、朝から晴れやかな空になった。雲の雰囲気がなかなかしゃれている。手近にあった携帯電話のカメラでパチリ。どのカメラを使おうなどとは考えずに、だんだん無精になった。

吹く風は相変わらず台風の様相をして強い。それに風の中に生暖かい空気が込められていて、余りいい気分にはなれない。
やはり台風は去ってはいないのだ。まだ、台風の影響を受けている東北の人達を始め、昨日の台風に大きな被害を受けた人々のご苦労が偲ばれる。

不思議と、東京はこれらの台風の影響が少ないのは地形の所為だろうか?

ところで、直下型の地震では、東京の中で大田区がワースト1に入ると聞いた。
エーッ!そうなの?知らなかった!大田区には海岸も埋立地も川も、そして多摩川もあり、平地に近い。

日頃から、地震災害があったら、どこへ避難するのか?と二人の話題に出てくる。
しかし、よく分からない。第一、学校へ避難と言ったって、近所の学校は殆ど川に面しているから、動き回るより家にいた方が余程良さそうだと、結論づける。

残念ながら、町会からの知らせや自主的な活動は何も無いと言った、至極、ノンビリした状態である。
区の方も積極的にやっているとは思えない(と、言ったら怒られるかな?)し、どうしたら良いのか分からない。

結局、自分の身は自分で守るしか無いのだと思う。可成り、身動きが遅くなったけれど……

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美味しかった!久し振りに鰹のたたきを食べた。何時も、気になる魚である。
「食べたいんでしょう?買えばいいじゃない?」と、姉に言われても、少しばかり遠慮する私。彼女はそれ程、刺身は好きでは無い。

しかし、鰹の時期になると、私はついつい売り場を覗いてじっとしている。

これで、キュッとやれば美味しさは、益々のものだ。しかし、今の私は酒類を飲みたいとは思わないし、弱くなってしまった。
何よりも、暖かい白いご飯で食べるのが一番と思っている。

美味しかった!これで、当分、言う事無し。





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枇杷/雨女/Apple

2012年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム
6月19日(火)

朝から台風のニュースが盛んに出て来た。
それでも、午前中は台風の余波を思わせるものは無い。多分、大丈夫と洗濯機を稼働させる。十一時頃には、大体、乾いた。

今日はクルマが帰って来る。電話があって暫くすると、もう、クルマは入っていた。車庫入れ、上手い!さすが、玄人だ!と、変なところに感心する。
ピカピカになったクルマ、その美しさも、今日の午後は怪しいぞ!台風だもの。

庭の掃除をした後、枇杷を取る事にした。新しい高枝鋏を延ばして、下から取ろうとしても無理。それどころか、薮蚊らしきものにあちこち刺されて痒い。
上にいた、弟が取ってくれると言うので、枝切り鋏を渡した。さすが、男だ!と感心する。

枇杷の実を奇麗にしようとすると、直ぐに嗅ぎ付けた蟻が沢山集まって来る。もう十分に熟した枇杷は小振りながら甘い汁が出て美味しかった。


昨日のブログを仕上げているうちに、雨が降って来た。自分のはもう取り込んでいたが、姉の洗濯物を取り入れた。買い物に行っている姉に傘を持って迎えに行く。
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さて、ここから『雨女』の本領を発揮する事になる。今日も又『銀座は雨』のパート○○となるのだ。
Appleへ行く度に雨に遭うのだから、自他共に私は『雨女』と呼ぶ。Appleでも笑われた。
今日はApertureの機能について教えてもらった。

Appleの後はMATSUYA。ここでも『雨女』と笑われる。「私も雨女なんですよ」と慰めてくれた店員さんもいた。

相変わらず、重ーい荷物をリュックに入れたり、手荷物にして帰る。
電車の中では親切な年配の女性が席を譲って下さった。大きな荷物と傘で申し訳ないから「持ちましょう」と言ったが「大丈夫です」と言われた。
降りる時に「ご親切に有難うございました。大変、助かりました」と、ご挨拶をしたが、長い区間を立っていただいて申し訳なかった。

この様な優しい方が、今でもおられるのだなと感じ入ると共に、自分でも出来る範囲の事は実践しなくてはと、改めて思った。

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マニラのこども

2012年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム
6月18日(月)

昨日に続いて、今日は更に良い天気になった。

今日は三十年以上ぶりに会う約束が出来ている。場所は三越本店のライオン像。地下鉄からモグラの様に上がって来ると、場所が分からなくなる。二度尋ねた。
このデパートも随分、訪れていない。成る程、有名な正面玄関には、待ち合わせの人が何人もいる。

さて、R子さんとN子さんはいるかな?珍しく早めに着いた私は心配になった。少女の頃の顔しか覚えていない彼女たちを、どうやって確認するかである。

そうだ!電話をかけよう!携帯をいじっていると、声がかかって来た。N子さんである。私の事を直ぐ分かったのには驚いたが、すんなりと出会えて良かった。
早速、アルバムを開いて思い出話が弾み始めた。R子さんも間もなく到着。
二人共、面影あり。今の彼女たちは当時のお母様方を思い出す程、良く似ている。

隣のホテルへ行った。ここは最近出来た有名なホテルで、玄関から変わった造りになっていて、ちょっと入り難い雰囲気になっている。しかし、ホテルの人は直ぐ近付いて来て、世話をしてくれる。『いたれりつくせり』がモットーかな?

37階にあるレストランヘ入ると、スカイツリーが遥かに見えた。私は完成したスカイツリーを初めて見た。それ程、感激も湧かない。と、何時もの皮肉な私の感想。

広東料理のレストランで『飲茶』をいただく。「このホテルはマニラにもあったわね」と思い出話が出るが、もう、随分ムカシの事で、三人共、一体どの辺にあったかと言うと思い出せない。
あの頃は、ホテルぐらいしか安心して行ける場所が無かったから、マニラ中のホテルへは殆ど出掛けたものだ。

次から次へと、可愛いらしい器に盛りつけられた、ままごとの様な飲茶料理が運ばれて来た。だんだんお腹が一杯になる。

三十年ぶりの大人になった二人の女性と、過去の思い出を引き出そうとする私は、食べる事より以上に話は弾んだ。

五年生の時、たった、一年間のお付き合いだったけれど、思い出はあの教室を通して鮮明に残っている。
毎日、何かを企んでひっそりと待機している子供達、教室へ近付く程に笑いがこみ上げて来る私。
どんないたずらが待っているか、彼等の企みを、どう見破るかが一日の始めのタノシミだった。

今でも、よく覚えている。不思議なもので、最近あった事は直ぐ忘れてしまうのに、三十年以上も前の事は忘れていない。
異国で一人暮らしの私にとって、彼等は大事な大事な可愛い家族に等しかった。コワイと思われた事もあるが、私の方が彼等に慰められていたのだ。

三時間余りの楽しい会食は、最近、殆ど、外出をしない私にとって嬉しいひとときだった。ホテルの地下でN子さんとお別れ。

電車に乗れば、親切に席を譲られる。最近は、その厚情を素直に受け入れられる様になった。「どう頑張ったところで、私は弱々しく見えるらしいバアちゃんなのだもの」と諦める。もっと素直にならなくては…と思うが、イヤ、待てよ!と言う気持もまだまだある。(そうでなくっちゃ!!)

帰りはR子さんと田町まで、ご一緒した。新橋駅の階段をフーフー言って上る私の後を、ゆっくりゆっくり付いて来て下さったR子さんの優しい思いやりの深さを、しみじみと背中に感じた。

あぁ、やっぱり、良いものだなぁ!今まで我が道を行く!と意地を張っていた私。お二人を始めとして、人の優しさをつくづく感じた一日だった。

N子さん、あなたが重いアルバムを二冊も抱えて来て下さったので、一層、思い出話が弾んで、更にさらに弾み過ぎて、とんでもない話題まで出てしまったわ!
でも、楽しかった!誰か、クシャミでもしなかったかしら?ね。
写真を見て、あの頃の私って、健康そのもので「バンザーイ」って言いたくなる。

素敵な女性になられたR子さんとN子さんにお会い出来て、本当に嬉しかった。有難うございました。

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ステーキですよ!

2012年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム
6月17日(日)

正午近くになると、予報通りに晴れ始めた。

今朝は、早くからステーキを焼いた。「明日にしよう明日にしよう」と延ばしていた姉との約束だ。
「たまには、ステーキも食べたい」と言う私のために、姉が買って来てくれた牛肉(姉の肉は小さいの、私の肉は大きいのを選んだそうだ。そんな事をしなくても良いのに…でも、余り食べたくないらしい)である。
人が買って来ると、なかなか腰の上がらない時もある。(生意気か?意地っ張りか?イヤ、バチ当たり!!)

今朝は豪華なステーキ料理になった。一度に色々な食材を使ったので「これでは、太るね!」と言うと「一回ぐらいでは大丈夫よ」と、姉が言う。
そんなものかな?と、多少、納得しながら、日頃、食べない様な物まで食卓に並べた。

私は、珍しい食品が気になる方で、よく試したものだが、姉は、食べず嫌いの消極的な好みが多い。
彼女は、絶対に漬け物類と白いご飯とお茶は欠かさない。漬け物に至っては、何種類もの小鉢が集まる。それにタラコや塩シャケ等々である。
私も、それ等を嫌いでは無いが、その他に酒の肴になる様なものが好きで、買い物に行っても「全部、あなたが食べてよ!」と、念を押されるので、小さい入れ物を選ぶ。

南方の果物や変わった食物は、私が買って来て、食卓に並べた。
消極的だった姉も、そうした食べ物を今は進んで食べる様になった。「あなたが買って来るから、仕方が無く食べたのよ」と、時々、聞かされるが、大分、気に入ってくれた様だ。

その様な二人だけど、たまにはステーキも食べたくなるし、スキヤキも良いね!となる。そんな時は、私が台所に立つ訳だ。

だんだん、歳をとると、好きなモノを調理する事さえ、面倒になる。と、言うよりも、体がきつくなるのだ。
スーパーやデパートの総菜売り場を覗いて、買ってみようかと言う相談になるが、長続きはしない。味に飽きてしまうのだ。やはり、自分で作らないと、気に入った料理は出来ないと納得する。

弁当も同じ事だ。一回、買ったからと言って、二度も続けて同じ店で買うと、何か、つまらない買い物をしたと、二人の意見は一致する。
そして、やはり、面倒でも自分で調理した物が美味しいと、食卓に並ぶ品数の多少に関係無く思う。

今日は、もう、ステーキで満足し過ぎた。後はさらさらとお茶漬けでも…と言うところか!


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たまにはキレイに

2012年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム
6月16日(土)

今日は、本格的な梅雨と言える日になった。
何となくしっとりと降る雨の中を駅まで行った。駅ビルにある美容院へ髪のお洒落をしに、何時も二人連れで行く。

二人共、馴染みの美容師さんを指名して予約済みだから、直ぐに取りかかって貰えた。
今日はパーマをかけてもらった。少しはマシになったかな?二時間程で終了。

美容院の後は、何時も、写真を撮る事にしている。
姉に撮ってもらって出来栄えを見たら、何と酷い事!私の首はまるで首を曲げた鳥みたい。いや、歩く姿はサルと似ている(これは私の独り言)
情け無いけれど、現実は消せない。兎に角、首を確り立てる様にして、何回も撮ってもらった。
アアアアー!!である。

一階上のレストラン街へ行って天丼を食べた。今日は、殆どの席が一杯で、天ぷらを揚げては、客の席まで運ぶ料理人は大忙しである。
日頃、天婦羅を余り好まない私でも、美味しいと思った。

バスの運転士が運転をしている姿が良く見える席に着いた所為か、その動きが気になり始めた。
気になったのは、ハンンドルの持ち方である。ステアリングの輪を持つのでは無く、中の支え棒?を持ち、片手で操作をしている。
とうとう、急ブレーキを踏んだ。乗客はびっくり。

私は見ているうちに、速くこのバスから降りたいと思った。途中で、指令室?と連絡をする声が、降りる案内の様に聞こえてきたので、急いで席を立った。
直ぐ、聞き間違えと気付いたが、兎に角、速く降りたいと言う気持で一杯だった。

傘は殆ど濡れなかった。寒いと言われた予報も、重ね着には暑く感じる日だった。九州は大雨で大変と聞いた。

今日は土曜日。一週間が速く過ぎて驚く程だ。



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いろいろな草が生えています。大事に育てられた?草花よりずっと強いミズヒキソウです。





カマタ

2012年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム
6月15日(金)

快晴。11時頃、臨時ニュースがあった。それからは、最後のオウム信者『高橋』の逮捕で持ち切り。それを報道するアナウンサーも高橋さんでは気の毒みたい。何と、同姓の多い事よ!

そう言えば、我が家の苗字は少ない方だと思ったら、結構ある。最近見ていると、野球の選手にも結構いるので、つい、同姓のよしみで応援したくなる。

京王線の新宿駅ホームに立つと、一枚の看板に同姓のピッチャーが格好良く投球しているのを見るのが楽しみだった。しかし、最近になって見られなくなったが、彼は、確か大リーグへ行った筈だ。

まあ、どうでも良いが、テレビはずーっと高橋容疑者の逮捕の話題で持ち切りだ。
西蒲田のマンガ喫茶で捕まったと聞く。あの辺りかな?あんな場所では直ぐ捕まる。川崎から蒲田方面へ出るのかな?などと、昨日も推理していたが、蒲田と川崎では4㎞だから歩いても近い。

ベランダへ出たら、バカに騒々しい。何と、ヘリコプターが六機も飛び回っている。ねらいは蒲田辺りの様だ。マスコミのヘリコプターだと思うが、随分、金を使っての取材だな。

あのサリン事件の頃には、鍼治療の為に、度々、地下鉄を使っていた。事件当日で無かったので、救われた思いだったが、本当に嫌な事件だった。
犠牲になった人々と、その家族の方々は本当にお気の毒だった。

この様な悲惨でアブノーマルな事件が二度と起こらない社会であって欲しい。
その為に、自分自分が確りとした考え方と行動を持ち続けたいものだと、改めて思う。

朝は『梅ちゃん先生』の話題……と、何と、今日はカマタが多いのだろう!



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* この空の左の方が蒲田辺りです。