桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

三日分ブログ(台風/銀座/プリント)

2012年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム
8月26日(日)

沖縄に最大級の台風が迫ってると言う。毎年、沖縄には台風が来るが、進路に当たっているのだからと言うわけにはいかない。折角、楽しみにしている観光客だって、その度に足を奪われるのだから堪ったものでは無い。
今日も、沖縄の空の便は中止になった。被害が無い様に祈るのみ。

昨夜は何とはなしに回したテレビで、大曲の花火大会の実況放送をしていた。それ程、花火に夢中になれないが、テレビに映る花火の様子は見事だった。

何時もは、花火なんか、見るテレビの番組が無いから見る!ぐらいなんだったが、今日の花火は圧巻だった。

私は「ワオー!」と叫んだり、「アアアー」と日頃に無い慎み深さ?を忘れて、叫んだ。
変だなと、何時もと違う自分を考えたが、テレビに映し出された花火は、それ程、実に見事だった。
第一、コマーシャルが無いから気に入ったのだ。芸能人が浴衣を着てお喋りをするのも、もう、飽きた。

大曲と言う所へ行ってみたいなぁ!と、思わず口に出した。
確か、去年も大会があったのだね。大変な災害で、皆が自粛していたけれど、花火大会は実施された。

今年は、落ち着いてみる事が出来て良かった。何時も、こうだと良いわね!

沖縄は大変な大風に見舞われている。速く、立ち去って欲しいものだ。




Img_0189_2



8月27日(月)

銀座へ行く。相変わらずパソコンの入ったリュックを背負って、暑い中をグラグラしながらAppleへ向かった。
今日は月曜日の所為か、店内は歩きやすい。マイコさんに『スケッチブックプロ』の使い方を習う。

結構高いものだったけれど、どうも、このアプリケーションは扱い難い。大体、私向きではないものを衝動買いした様なものだ。(身分不相応!)
しかし、勿体無いから、自分流に使いこなしたい?と考えている。

9月分のカレンダーをKさんとマイコさんにも上げた。今回は大人の心境で作ったと笑う。

帰りに小鮎の佃煮(大好き!)と鰊のしょうゆ煮と言うのを買った。鰊を見掛けた途端、急に後ずさりをしてその店の前まで移動して、買ったものだ。

私は鰊蕎麦が大好きだ。これを食べられる店では、必ず食べる。だから、何処の店が美味しいか、よく分かる。
今、一番、気に入っているのは田中屋だ。真夏だって鰊蕎麦だから変わっているかも知れない。田中屋の鰊は京都の松葉屋のものだ。
こうやって、パソコンで書いている時もよだれが出そうだ。

家へ帰って、姉に報告すると「蕎麦を食べて来たら良かったのに」と、言われた。一人で食べるのも淋しい。

Macが終わったら、必ずMATSUYAの地下へ行く。お目当てはジューススタンド。たいていはメロンジュースだ。美味しいよ!目の前でジューサーにかけてくれるから、フレッシュだ。最近は訪れる人が多い。

帰りに有楽町駅前の電気店へ寄った。今日は、買い物を少なくしたから、プリント用紙やインクを買った。商品が多過ぎて、かえって分かり難い。この店へ来ると、疲れる。
支払いは堪ったポイントで済ませた。驚いたね!沢山あったよ!そう言えば、この店ばかりで買い物をしているのだから当たり前と言うもの。
リュックに重いものを皆詰め込んだ。

ああ、疲れた!寝た!
パソコンはもう、止めた!居眠りがひど過ぎる。明日にしよう。
このブログも26、27、28日と溜めてしまった。


Img_0208













8月28日(火)
何だか、今日は休みの日みたいに感じる。昨日、出掛けたからかな?
印刷を始めた。大変!インクの色がおかしい。i色めいた色がピンクに変わった。まさに赤富士になったと思ったが、許せない。

印刷機に問題あり!と思ったが、どうもそうでは無い。プリンターの蓋を開けて調べた。分かった!青インクのカートリッジが浮き上がっている。
先程取り替えたばかりだから、見事なミスである。

私は時々、こうした失敗をする。慎重そうに見えて、オッチョコチョイなのだ。こう言う事は、私の人生によくある。
確り青インクを押し込んで、異常事態は解消した。何の事は無い!

やっと、9月のカレンダーの印刷は終わった。
印刷機でエライ時間をロスしてしまった。『失敗は成功の元』なんて、のんきな事は言っていられない。いいトシをして慎重に慎重に!である。

又、台風が襲っている。困ったものだ。毎日、入道雲が一杯だ。

明日から、富士山へ行く。今度は4日までのつもり。
今度こそ、富士山にお目にかかりたいものだ。天気になーれ!!







Img_0210_1








卷き寿司

2012年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム
8月25日(土)

昨日は姉が卷き寿司を作り始めた。姉が具を作り、すし飯を作る間に、私も手伝う。
先ず卵焼き。自慢じゃ無いが、卵をひっくり返すのはすごく下手。何時も、卵焼きをかって出るが、ろくな薄焼きは出来たためしが無い。それでも、最近は修行の成果は…?である。
今日は、薄焼きより厚めのものが、まあ、出来た。

姉の卷き寿司は豪快だ。具が一杯入るので、もう少しでパンク寸前。
「隣にあげようと思ったけれど足りなくなった。内だけで良いね」と言う。

「パンクした寿司は私達が食べよう。中味が沢山入っていて美味しいよ」と言う。
結局、形の良い寿司を隣にあげた。何と、お礼に緑色のミカンをもらった。悪いなぁ!しかし、ミカンが好きな私はホクホク。

何時も、卷き寿司は私が切る。先日買ったばかりの我が家の宝刀『ZWILLING』のナイフで切った。切れ味、抜群!
この包丁、MATSUYAの家庭用品売り場へ行って、姉に相談無しに買って来たものだ。
「包丁、買って来た1」姉は黙って見るだけだった。値段は内緒、急いで立派な箱にしまい込んだ。

千切りには効果をてきめんに発揮する。トマトもキュウリもそして卷き寿司も、以下同文…。
遂に、ナイフの存在を認められる。さて、お買い上げは?
隠していたつもりが、調べてみると、ちゃんと戴いていた。(アー、良かった!)
と、言う訳。

ZWILLINGのナイフと言えば、我が家にはパン切りナイフがある。
これはドイツへ行った時、ベルリンの繁華街で買った物だ。他に何も買いたい物は無い。
直ぐ近くに家庭用品の店があった。
外国の家庭用品は興味深い物がある。今は、日本でも専門店等で売っているが、自由行動時間を上手く使うのにはもってこいである。

私は真っ直ぐに、奥にあるナイフを見に行った。パンを奇麗に切るには専用のナイフが欲しい。良い買い物をしたと、今でも思う。

何にしても、切れ味の良い刃物を使用した料理は美味しいと思う。
今までの包丁類も、時々、研いだりしたが、切れ味はまぁまぁといったところだった。
腕の悪い人間の研ぎ方では無理だったと思うが、卷き寿司を切る為に、よく砥石を持ち出したものだ。
我が家の宝刀/ほうちょう、大事に使おう。(現在、岐阜県関市に会社がある)

卷き寿司の思い出と言うか、失敗談。
田舎に住んでいた高校生の頃、私は無精をして、こたつに入りながら撒いた。
巻いた途端、寿司はころころと、こたつの中へ落ちて行った。掘りこたつだから、拾い上げた時には、白く灰にまぶされていた。
勿論、母のお目玉と「捨てなさい」の一言。
食糧難の時代、とんでもない事をした失敗談が、今も思い出される。



Img_0198


Img_0196





今、望むこと

2012年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム
8月24日(金)

竹島問題、いよいよ、難しくなったぞ!
天皇陛下に無礼な発言があった事には驚く。

私は、それ程、真面目な人間ではない。京城で生まれ、仁川で育った少女時代を経て、終戦のため、リュックサック一つで帰国した。
私には故郷が無い。若しあるとすれば、それはここ東京の大森と言う事になる。だから、小学校の同窓会も無いし、友達も僅かである。それを淋しくも思わないし、無理をして友人を求めようとも思わない。

最近、急に戦時中や戦後の話題や見た事も無い秘蔵のドキュメンタリーフイルムを見る機会が多くなった。
今まで、口を固く閉ざしていた人が戦時中や戦後の厳しい事情を、現代の何も知らない若者たちへ真剣に伝えようとする様になった。

良い事だと思う。でも、我々にとっては苦しく辛い思い出でもある。誰もが嫌な思いがする事柄が必ず出て来るからだ。
辛い話題が出て来ても、やはり美化したくなる事もある。人間、真実を他人へ伝える事は、兎角、自己嫌悪に陥るからだ。

朝のテレビ小説『梅ちゃん先生』は、終戦で荒れ果てた蒲田を舞台に時代の流れを人々の暮らしを通じて、当時の家族関係や徐々に生活が向上して行く様子を、短く多量にとらえている。
「ああ、そう言う事もあった!」自分の家でテレビが入った時の家族の喜びも、電気洗濯機や炊飯器、電子レンジ…等々が初めてお目見えした時の女性たちの関心ぶりも如実に覚えている。

しかし、それ等の無い時代の経験もしている私達には、生活の変化をよく把握出来る。そして若し、文明の利器が何も無くても、対応出来る力も失っていない。

子供時代に過ごした朝鮮は、私にとっては懐かしい。しかし、昭和二十年八月十五日を境にして、日本人の生活は変わった。今でも鮮明に心の中に残っている。

引き揚げてから転入学した女学校は彦根に有り、一里の道を歩いて汽車通学をした。
折角、私達が担いで帰国した反物類も米や金にかわってしまったが、それを父に頼らず、母は一人でやってのけた。母がどの様な思いで見知らぬ農家を回ったか、その苦労と意志の強さを、未だに私はよく知らない。本当に申し訳なかったと思う。

今も、仁川の事を思い出す。(この町はインチョン空港とは離れている)
親達がたゆまぬ努力をして生活の基盤を造り上げたものや夢が、一瞬にして失われたのである。
空襲こそ無かったが、もう数日終戦が遅れたら、インチョンも原爆に遭ったかも知れないと後で聞いた。
仁川には陸軍工廠があったので、偵察にB29が来た。また、軍港でもあった。

そんな思い出が、まだ、鮮明に思い出される。

竹島、天応陛下に不敬な発言、今もテレビで、野田総理大臣が発言していたが、当然な事である。
しかし、平和なうちに解決出来れば良いが…前の政権は何をやっていたのだろう?
相手の国は余りにも感情的で、これにも国民性の違いを感じるのだ。

与野党もいい加減にして、国の大事や国民の幸福へ目を向ける様にして欲しい。
日本の将来が不安だ。





Img_2565





イタイヨ!六本木

2012年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
8月23日(木)

今日は『処暑』と言うんだそうだ。少しも涼しくならない。それどころか『大江戸線六本木』の地上への長い階段を上がると、ハアハア言う程暑い。
(それでも、昨夜は涼しい風が吹いていて、気持が良かった。風鈴が鳴っていた。見えない秋が近付いている)

今日は、随分、時間をかけて鍼をして下さった。大サービスだ。思わぬところをさせば、とんでもない箇所までズーンと響くと言うことを、身に沁みて分かる。

「痛い!」と叫んでも、容赦なく鍼が続く。「随分、過敏だね」と言われる。「そうです。私は鍼が大嫌い!でも、やらなければ仕方が無いもの」と、不遜な答えをする。

鍼が終わると、よろよろしてしまった。日傘をさしながら腰をまげて歩く姿はオバアサン。どうだっていいや!と、もう、格好を気にしない。いや、気にするどころか、そうするしか仕方が無いんだ。
いやぁ!今日は、鍼の大サービスだった。転がる様にして家路に着く。

姉が「良いねぇ!面白かったわ」と言う。しまった!今日の『赤毛のアン/4』を見損なってしまった。残念。今日はギルバートと結婚するところだった。
冷たく、終わりの文字が流れる。あーあ!!

一時までには帰れるかなと思っていたら、元々、家を出る時間が遅かった。それに長ーい治療だったので、映画のことはすっかり忘れていた。残念!

久し振りにバゲットをトーストにして食べた。その後は、もう眠い。生活にけじめ無し。

目が覚めたらもう真っ暗?テレビで市川亀二郎の『猿之助襲名』が出ていた。面白かった。

まだ、痛いが、昨日よりはましだ。やっぱり、真面目に治療に行こう!




Img_0525





長い映画

2012年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム
8月22日(水)

我が家の庭では蝉が賑やかに鳴いている。多分,数匹の蝉では無いかと思う。
一昨日,ゴミを捨てようとして裏へ行った時,蝉が一匹死んでいた。
この世に出て僅かな日数で、もう,死んでしまうなんて可哀想だと思う。しかし、それが蝉の決められた生き方なのだから仕方が無い。無情!

昨日、シリアのアレッポで、日本人女性ジャーナリストの山本美香さんが銃撃をうけて亡くなった。使命感を持った勇気あるすごい女性だと思う。彼女は戦乱の中に生きる子供達に思いを深く寄せていたと言う。
偉いなぁと思うが,私には到底出来ないだろう。ご両親の嘆きが悲しい。お父様の気丈な言葉が身に沁みた。

ここのところ、映画に夢中になっている。BS3のプレミアムシネマ『赤毛のアン』シリーズである。
今日で三日目、一時から三時前ぐらいまで、休む間も無く見続ける。

ルーシー・モード・モンゴメリー原作のこの話は姉が好きで,よく聞かされていたし,読む様に勧められていた。怠け者の私は殆ど眼を通さなかったが,あらすじは覚えている。
何時か出来れば,話の舞台プリンス・エドワード島へ旅をして見たいと、姉と話し合っていたものだ。

月曜日の午後、回したチャンネルで『赤毛のアン』の映画が出て来た。夏休みだからだろうか?この映画の完全版だと言う。全7巻になる長ーい映画だ。

毎日、一時になるとチャンネルを切り替える。私は、すっかり、話のとりこになってしまった。
物語を通して、古き良き時代の習慣や生活、道徳観、服装、農園風景の美しさ…などなど、現代とは異なる魅力を大いに感じる。

これから、木…金…月…火…と見続ける事になる。一寸、大変だが、話にひかれて見続けることになるだろう。

僅かながらも、英語の勉強になって良いと思うが、まあ、効果は???





Img_0532





かみなり

2012年08月21日 | 日記・エッセイ・コラム
8月21日(火)

東京でも35℃を越えたと言う。
真っ青な空を見ながら,何故,こんなに猛暑が続くのだろうと思う。
大体,この頃,地球の変化が激しくなった様である。これから何年後,人間の暮らしは、どう変わっていくか心配になる。

『落雷事故』の話題が出ている。
先日は東京でも,雷鳴が轟き,大粒の雨が降った。
雷は恐い。稲光がすると、思わず、すくんでしまうが,最近は余りこの様な騒ぎに遭っていない。
幸いと、東京では何かの自然現象が起こっても,余りひどくならないうちに避けている。しかし、何時なん時、怖い目に遭うかは分からないのだから安心出来ない。

凄い雷と言えば,マニラにいた頃,春先から夏にかけて雨期が迫って来ると、遠くすすき野原の見える地平線近くで雷鳴が轟く。
窓を閉めているので,地響きのする様な音が聞こえて来るが,思わずガバッと身を伏せる様な激しさでは無かった。
しかし,目に入って来る稲光の凄いこと!!
あの『く』の字を幾つも重ねた様な光の屈折がパチパチと光っておそろしかった。丁度,マニラ空港辺りだったと思われる。
続いて降り出すスコールと言い,轟く雷鳴と言い,さすが南国と思う光景だった。

同じ経験でも,日光へドライブした時に遭った雷の音は大きかった。
私は『安全』だと言われるクルマの中でさえ安心出来ずに、雷鳴のする度に首をすくめる様にして運転をした。

途中,牧場の牛達が頭を中にして輪を作っているのを見て、自然の中で生活している動物達の智恵に感心したものだった。雷鳴を聞く度に、このいじらしい光景を思い出すから不思議である。
一体,牛達はどの様な会話をしていたのだろう?
牛ってオリコウサンね!と、つい,言いたくなるのだ。

昔から言い伝えられた生活の知恵,自然界の生物の動き,どれにも学ぶべき事が多くて、おろそかに出来ないことだと思う。


Img_1648





盛り上がるパレード

2012年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム
8月20日(火)

今日は銀座通りでロンドンオリンピックのメダル受賞選手達のパレードがあった。
沿道は大勢の観客で、後の人達は見えなかったのでは無いかと思う程だった。
約五十万人の人が祝福に集まったと言う。

ここ毎日の様に余り良くないニュースがある中で、明るい話であった。
30℃を越す暑さの中で大変だったと思うが、選手達も心が躍る晴れやかな行事だったと思う。
迎える人達も選手達もお互いに感謝しあう心の籠った一時でもあった。

しかし、一方、Olympic選手として競技会に意気盛んに参加したが、その力を十分に発揮出来なかった人のことを考えると、気の毒な様な感じがする。
この悔しさをバネにして次の機会に頑張って欲しいものだ。

クルマが戻って来た。車庫入れに悩むと言うと、ここは大変だとお墨付き。クルマが大き過ぎるんですよと言われた。全く閉口する。
前のローレルの時はスイスイ入ったのになぁ!と、ついつい…愚痴の一つも……

それ程、不器用になってしまった自分に閉口する。そして、最近、愚痴ばっかり言っている自分に気が付く。
歳を重ねれば不都合や不器用さが目立つのは当たり前。しかし、同じ年頃の人が、まだまだ、活躍をしているのに情け無い。

思えば、年齢に関係無く、若い人達も、それなりの厳しい努力をして、自分の目標を達成しようとしている。
その結果が、今日のパレードの様な晴れやかな行事となったのである。

歳をとっているから、もう関係はないと言う事は無い。どれ程、年齢を重ねても、意欲や努力にはかわりが無いと気がついた!



Img_0013





銀座でススキを描く

2012年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム
8月19日(日)

二時の予約。今日は到着時刻に多少の余裕有り。しかし、暑い道を歩くのはきつい。
日曜日の銀座は歩行者天国で、相変わらず大勢の人出だった。よくまあ!この暑い日中に銀ブラとは!と思うが、これが当たり前なのだろう。

銀座は何時もにぎやかだ。観光客も多いが、家族揃ってブラブラするには気楽で楽しいのだと思う。
そう言う私だって、以前は何となくブラブラしたものだ。
今では、Appleへ行くのさえ義務の様に感じ、僅か、有楽町から銀座通りまでの道のりが遠く感じるのだから情け無い。

まあ、そんな事をブツブツ言うよりも、Appleの店内を見てみよう。
エレベーターのある奥まで辿り着くのに、大勢の人達をかき分けて行かなければならない。
休みの日は子供連れが多く、ベビーカーで来る人も見られる。
勿論、四階もお子様の泣き声が聞こえてくるが、Macに夢中になっている人には泣き声も気にならないようだ。若しかすると、私と違って我慢強いのかな?

今日は九月のカレンダー用にススキのデザインを描くことにした。SketchBookProを使ってみる。これは以前に購入したものだが、なかなか扱い方が面倒で苦心している。
今日は Maikoさんと一緒に描いてみて、何とかススキらしいものに仕上げる事が出来た。

お陰で、九月用のカレンダーのデザインが出来上がって助かった。富士山と月の写真は以前に撮った自慢のものである。印刷したら、彼女にもあげる約束をする。

寿司を四人分買って帰る。荷物が重くて、もう、これ以上の荷物を持って帰るのも厳しくなった。
皆が喜ぶのは嬉しいけれど……

兎に角、暑い日だった。地平線近く一面に、入道雲が広がっている。こんな凄い光景は珍しいと感心する。
写真に撮りたいと思ったが、こう言う時のチャンスと言うはなかなか無いものだ。残念!




Img_0188





夏休みもあと少し

2012年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム
8月18日(土)

激しい雷鳴と共に雨が降り出した。庭を見ると、日頃の雨とは違って雨しぶきが立っている。やっと、夏らしい感じの雨だと思った。
そのように思うのは、日頃、のんびりとした日々を過ごしている所為だろう。
テレビに早速、テロップが流れた。天候の変化が激しい地方では、度々の事であろうが、東京は有難い事に、日頃は平穏と言える日々が続いている。

丁度、洗濯物が洗い終えた時だった。「しまった!」天気予報を確かめずに洗濯機を回してしまったのだ。太陽がさすのを待つしか無い。

ベランダの太陽はやはり暑かった。それでも、もう秋は直ぐそこに迫っている様に感じる。

速いものだ。子供達の楽しい夏休みも、後、十日余りになってしまった。そろそろ憂鬱な月末になる。
そう、思うのは自分の時代だったのだろうか?ノンビリ、遊び疲れた様な子供の姿を見かけるにつけて、付き添う親も大変だなと思う。

いっその事、課題も絵日記も無い夏休みってどうだろう?思い切ってやりたい事をやる、夢中になれる事を経験してみるなど、その子供に合った経験を積むのも良いかななんて、今は、無責任にも似たことを考える。

以前の学校は『夏休み帳』とか『日記』とか、更に自由研究とか、何かしら課題を出した。それが、長い夏休みに対する学校側の対策であり、又、親側の要望でもあった。

日頃の宿題に付いても言える。一人の指導者から課された宿題なら何とかなるが、複数の指導者からとなると、課される方は大変だ。子供が頼んでも断られたとなると、大人同士の意固地さを批判したくなる。(事実、そう訴えた子供がいた)

宿題は出さないが、自主的に勉強を勧めた事がある。これは子供自身が主体になるから、彼等に選択の自由と意欲がある。しかし、これは宿題以上に厳しいものになる事がある。指導する側も、それぞれの子供の傾向を把握して細かな指導をしなくてはならないからだ。

正直なところ、もう、何も責任の無い身分が気楽だ。全く、無責任な話だ。
明るい顔をして夏休みを楽しんでいる子供を見ると「ああ、もっと、自由に過ごせると良いなぁ!」と、無責任に考えてしまうのは、歳の所為かな?

一方では、夏休みを厳しく有意義に過ごしている子供もいると言うのに…





Img_0116_1





ごろごろ

2012年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム
8月17日(金)

今日は更に暑い。外へ出れば、ムッとする程の陽射しだ。
この頃は話題が少ない。だから天気の事ばかりが気になる。つまり、非生産的な生活が続くからだ。
(何故だろう?と考えた。そう!オリンピックが終わったからだ)

ゴロゴロしていて、そろそろパソコンを開こうかな?と思っていたら、身体がグラグラして来た。あ、熱中症だと、自己診断する。
二階へ上がって、布団も敷かずに枕だけで、ごろりとなった。なんとまあ、だらしのない事!
姉が買い物から帰って来たのも夢の中、ボケている。塩辛い飴を買って来た。凄ーく辛い。これでは目が覚める。と、思ったが、そのままごろごろ。

話題無し!もう、ブログも終わりかな?
こう、暑くては思考力も、出来の悪い発想力も湧いて来ない。

話によると、オリンピック選手のパレードが銀座で行われるそうだ。どうも、銀座へ私が行く日とは違うらしい。

違う日で良かった。少しは選手達を見たいと思うけれど、きっと、銀座通りは大変な人出になると思う。
以前、東京マラソンの日にも大勢の人が出ていたから、もっと、凄いかも知れない。もう、情熱を燃やす気も起こらない。

ここのところ、Olympicでメダルを受賞した選手があちこちのテレビで出演している。
しかし、早朝から夜遅くまでインタビューされているのを見ると、休む暇が無いだろうなと気の毒になる。

最近のテレビは何か事があると、どの局も競い合う様にして似た様な事を取り上げる。もっと、それぞれが個性のある放送をしても良いのでは無いかと思う。

と言っても、ここのところ問題になっている魚釣島や竹島については別である。大いに論を闘うべし!



Img_0178





水撒き

2012年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム
8月16日(木)

今日も猛暑が続く。
ふと、外を覗いて見ると、大きな桃の木の枝が異様に垂れている。あ、水が欲しいんだなと気がつく。

何と言う無精で、思いやりの無い私なんだと気がついた。
暑いけれど、仕方が無い。水を撒こうか?この時間帯に水を撒いたって、効果は無いと分かっていても、やはり撒こうと思った。善は急げ!

外はかっかと暑い。桃の葉だけで無く、プランターや植木鉢の土もカラカラに近く水を求めている。じょうろの水を撒いたって効果は無いだろうが、少しは役に立つだろう。
無精者だから、ホースで水撒きなどはやらない。蚊の餌食になるからだ。
それに私の足元が悪いから、これ以上の無理はゴメンと言うものだ。
ついでに、つもった枯れ葉などの掃除もした。どうも、放って置けないから困ってしまう。

結局、蚊にやられた。何と、唇に近い所まで刺されて酷い目に遭う。顔用の薬用クリームを持っているが、二階まで取りに行くのが面倒だから、水洗いをした後、手元にある薬を付けた。効果有り。

やる事全てが、いい加減になったけれど、今日は葉書の印刷も終えた。葉書の印刷と言っても、たった四枚だけである。その為にプリンターを開き放しにしていた。

ここのところ、空が美しいと感心する。出来るだけカメラに収めようと思うが、雲の動きが変わり易く、気に入った被写体は、なかなか撮れない。

その内に『空』をテーマにして、写真を撮ってみようと思う。きっと面白いと思う。

ベランダから下を見ると、桃の樹の葉がシャンとしていた。


Img_0180


Img_0183





謝れ!!とは……

2012年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
8月15日(水)

今日は絶対に忘れてはならない日である。そう言いながらも、今年の私は変わっていた。
先ず、8月6日、8月9日の悲惨な出来事を忘れかけていた。申し訳ない。決して忘れてはいけない日だと言うのに、私の頭は相当にボケて来たのだろうか?

そして8月15日、天皇陛下(昭和天皇)のお言葉がラジオで流されたが、父の話によると、なかなか聴き取れない放送だったようである。

私は高等女学校二年生だった。校舎の前の植え込みに蛸壺と言う防空壕を掘っている最中だった。教室へ集まり、直ぐ帰宅する様に指示を受けた。
蛸壺にはシャベルが放り出されたままだった事を未だに忘れない。(女学校の校舎は進駐軍の宿舎となる)

それからは長い長い休みになる。それも、外出禁止の夏休みだから、毎日が不安そのものだった。(夏休みが終わっても、学校はそのまま開かれなかった)

家から外を見れば、朝鮮人のデモ行進が続き、日の丸に青い模様を書いた様な国旗を担いで、つい先日まで一緒だった、朝鮮の友達も行進をしていた。

色々なデマも流れた。一番ホッとしたのは、開城(北朝鮮と直ぐ近くの町)に学童集団疎開をしていた弟が、逸早く保護者達の迎えで無事帰って来た事である。
子供達は、終戦直後に直ぐさま引き払って来たので、孤児にならなくて良かったと話したものである。

沖縄で激しい戦闘をして来た進駐軍が仁川港に上陸した。私達日本人は家の中から、そっと、彼等の様子をうかがっていた。
警戒心が強いのは彼等の方も同じだった。歓迎するのは朝鮮人。日本人は皆、家に籠ったままだから、気持が悪かったらしい。何しろ沖縄で、多くの人が玉砕する姿を見て来たのだから、日本人は恐ろしく無気味だったようだ。

暫くすると、昼間の外出を許される様になった。進駐軍側から申し入れがあったと聞く。

その後、日本内地に引き揚げる為の準備が始まった。
最初は荷物は7個持ち帰る事が出来ると聞いていたが、高級役人一家の荷物から持ち帰り禁止の筈の宝石類や刀剣が見付かり、一切、荷物は手で持てるだけとなったのである。
ひどい話である。毎日の様に荷作りをしていた母のがっかりした姿を思い出す。

結局、リュックを担いでの引き揚げとなったが、家の中は住んでいたままの状態で帰国の途についたのである。時計の針が正確に時を刻み、大事な大事な品物はみーんな居ぬきのままで引き揚げた。今でも、あの室内の様子が目に浮かぶ。

戦争による被害者は様々な形でいるが、私達も同じ立場にある。『謝罪を求める』と言う話は私達の様な引揚者にも通じる事だ。でも「謝れ」とはもう言わないだけの許容心はある。

思えば苦しい引き揚げだったが、何とか父母のお陰で家族揃って生きて来た事を、ただただ、感謝するのみである。

引き揚げ列車から見た、ドームの骨組みと草だけが生えていた焼け野原の広島。
あの川の水を求めてどれだけの人が辿り着けたか、今、わざわざ、ヒロシマを訪れなくても、私の目の奥には強く焼き付けられている。

8月15日は、やっぱり忘れてはならない日である。


Img_1993





大雨がまた……

2012年08月14日 | 日記・エッセイ・コラム
8月14日(火)

朝から雨が降っている。
ニュースによると、近畿地方では大雨が降って浸水したと言う。交通機関にも大きな影響をもたらしているそうだ。
今年は日本に限らず外国でも様々な災害を被っているが、自然による災害の多さには驚く。地球が異変を起こしているのでは無いかと気になる。

今日はゆっくり休めた。昨日作っておいたサンドイッチは、我ながら美味しいと満足する。

交通機関も大変らしい。新幹線はどうだろうか?
かつて、近畿地方に台風が近付いたとき、京都に滞在していた。
その日は東京へ帰る日だったので、早めに京都駅へ行ったが、新幹線のタイムテーブルはめちゃめちゃ。
仕方が無いから、ホームへ入って来た『こだま』に乗る事にした。
有難い事に、この判断が的中していた。多少の遅れはあったが、品川に着いた時には、後続の新幹線は熱海止まりになっていた。

何と、この列車は空席が目立っていた。利用者は。皆、新幹線だから『こだま』より格の高いものしか選ばなかったからだろう。
レールは一本、列車の格が高かろうと、進めないし、満員では席も無い。
こうした非常時には、危機から逸早く避ける判断力が大事だと、しみじみ思ったものだ。

近畿地方には土砂災害警報のテロップが流された。
平等院はどうだろうか?
宇治市に住む友達の安否や彦根の友人がどうしているかと気になる。



Img_2007





鍼へ行くと決心をする

2012年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム
8月13日(月)

鍼に出掛ける時は、何時も『思い切り…』をする。
本当は面倒だし、痛いのを我慢しなければならないから、行くのを躊躇するのだ。

今日も又、そんな気持で朝を迎えた。
と、言っても、昨夜から明日は行くつもりで、枕元に持ち物を置いて寝た。

外は燃える様な暑さである。昨年買った日傘が結構役に立つ。
都営地下鉄の長ーい長いエスカレーターを上って、地上に向かう階段は三区切り。やっと、登って地上へ。
俳優座の前のゆるい坂道でさえ、私には重荷だ。

治療が終わって、今日は地下鉄で帰る事にした。
今度は上り坂。東京は坂道が多いネ。特に港区は。

帰りの地下鉄入り口にはエスカレーターは無い。階段の数は更に増える。
呪いたくなる気持を、駅員へぶつけたくなるが、仕方が無い。駅員の所為じゃないもの……

暑い!あつーい!かっとする様な陽射し。今日の空も雲が面白く美しい。
バスの冷房は急速の風が吹き付ける。サービスは有難いが、少しばかり調整をした。

帰宅して直ぐにサンドイッチを作った。(エライでしょう?)
食べる事には熱心と言いたいところだが、材料を買って来たから仕方が無い。


昼食後、又眠くなった。「この頃、あなたはよく昼寝をするね」と、言われた。
そう、もう、我慢が出来ないの。

よく、眠った。でも、何時も程、ひどくは無い。


Img_0344





気持をしゃんと!

2012年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム
8月12日(日)

あら?今日は日曜日?盆の前の休日は、交通機関が混雑しているとニュースあり。

土曜か日曜か、区別がつかなくなった。まだ、それ程ひどくは無いが、一瞬、テレビを見て驚く。しかし、それはオリンピックの所為かも知れない。

日本と英国では時差があるから、どうしても生放送は夜中になる。私はそれ程、関心が無いのに、それでも、つい、好奇心が走って、遅くまで見てしまった。

お陰で、時間の感覚がずれてしまった。その結果、日中の生活の感覚が狂ってしまった様な気がする。
自分の立場が反対だったら「いい加減にしなさい!」と叱りかねないのに、ザンネンながら、注意してくれる人は誰もいない。

食生活もひどくなった様な気がする。あー、もうだめだー
時間も食も感覚がずれたら、大変ですよー。それがボケの始まりになる!

ブログを書くのも、面倒になって来た。いや、パソコンそのものが面倒になったみたいだ。

生活習慣の建て直しをしなければいけませんねぇ。

東京の庭でも、ススキが揺れ始めた。秋の支度をしないと…
Img_1257

 *2010年の庭のススキです。