日本100名城 №77 高松城。
瀬戸内海の海水を取り入れた水城です。
現在は海岸線が埋め立てられ、四国の玄関口として岡山に向かう
宇高連絡船の港で栄えたのだが、瀬戸大橋開通により、人の流れが変わって来ているようです。
高松城は、豊臣秀吉より讃岐(香川県)を与えられた、生駒親正の築城に始まりますが、
江戸時代に入り、松平氏に移ります。
初代の松平頼重は、徳川御三家の水戸藩初代、徳川頼房の長男でありながら水戸藩ではなく、
高松に来る事になり、水戸藩は次男の徳川光圀(水戸黄門)が継ぐことになった。
このような運命のいたずらを、徳川光圀は悔やみ、自分の跡取りに松平頼重の子を向かえて、
水戸藩を継がせ、松平頼重も徳川光圀の子を高松に向かえて藩主とするような、
間柄が、幕末まで続いたのは有名です。
高松城には以前、訪れたことがあったのだが、今回来てみると、
天守台の工事が行われていて、見られないのが残念だった。
工事中の天守台
太鼓櫓跡に移築された艮櫓(うしとら)
月見櫓と水手御門、渡櫓
以前より思っていたんだけど、高松城月見櫓の黒のラインを、
高校野球の名門、高松商業のユニホームはイメージしてるんじゃないだろうか??