さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

デカブリスト、トルベツコイの家

2018年09月11日 | ロシア



歴史博物館からすぐのところに、「トルベツコイの家」があります。「デカブリスト」
と呼ばれる貴族が住んでいた家です。ロシアの女性には驚くほど胸と尻がデカい人が
あっちにもこっちにもいますが、その「デカブリちゃん」ではありません。
フランス革命の精神に触発されて、皇帝の専制や農奴制の廃止を掲げて、ロシアの
改革を目指し武装ほう起した青年将校たちのことです。そのひとりがトルベツコイ。

ナポレオン戦争時代のロシア皇帝アレクサンドル1世は、ヨーロッパに吹き荒れていた
フランス革命の背景にあった啓蒙思想に揺れていましたが、自由主義的立憲制を実現
するほどの力量は持っていませんでした(だって保守派の抵抗もすごいからなあ)。
立憲制に向けて憲法を準備すると言いながら、ウィーン体制に同調してしまうような
中途半端野郎だったのです。

そのアレクサンドル1世、子供がいないもんだから死ぬと次の弟コンスタンチン大公が
継ぐことになる。だがそいつはポーランドの身分の低い女性と内緒で結婚しちゃってて、
帝位継承権は放棄していた(おもしろいやつだ)。だからその次の弟ニコライ大公が
皇帝になるということになるんだが、まわりも当のご本人も「聞いちゃいねーよ!」と
大騒ぎ。押し付け合いが続いて空位が続いたとき、保守派と改革派がそれぞれの候補を
かついで利用し、自分たちの主張を通そうとしてドンパチが始まった。

結局改革派は鎮圧されて、死刑やシベリアに流刑になったりして、そのひとりトルベツコイ
公爵が、追放になってやってきたここイルクーツクの家で暮らしたというわけなのです。



余計な装飾展示はやめたほうがいいのにな。





わりと優雅な流刑生活だったようですね。シベリアの片田舎に何人も貴族がやってきて、
その地には文化と教養がもたらされたのです。教育に熱心だったり、その地方の民族
研究にも貢献したそうです。









なんか贅沢な印象でした。これで追放刑だったのかぁ。



もちろん写ってはいませんが、例のおばーさん係員が俺についてきています^^;



教養があって民衆のために熱心に働き、戦争では大活躍した青年将校。
立派な奥さんをもらって、何人も子供を育てたというイケメン。
ちょっと負けたかな(^益^)wチョットダケヨ