さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

市立函館博物館

2024年03月31日 | 北海道シリーズ


ここは函館公園の展望台。天気がいいので散歩にやってきました。しばらく住んで
いると、もう観光でもないのでこうやってブラブラしているのです。少し歩かないと、
ベルトの穴がひとつずれて、割れてた腹筋がなめらかになってきたからな。。。


湯の川方面。後日あちらの海岸線をたっぷり歩く予定です。


対岸には青森が見えています。手前の「こどものくに」、冬は雪に埋もれている
感じですが、さすがにもうやっている。週末なので子供たちの歓声が聞こえるぞ。


あ~、小さい子供たちが楽しそう。子供らはキャアキャア喜んでいますが、それを
見ている親たちのほうが幸せなのかなー。


さてすぐ裏にある博物館に向かいます。久しぶりだな。この小さい建物はかつて
使われていたものです。こんなところに住みたいなー。


いまのはこんなにでっかいやつです。入館料は100円。


むかしの甕がありました。いま地震で壊滅的な状況にある珠洲からもたらされたもの。


かつて賑わったのは、いまは西部地区と呼ばれる函館どっくのエリア。そして
函館山の麓、いま俺が住んでいる十字街のあたりが一番の繁華街でした。


それが90年ほど前の大火で、一面焼け野原になってしまったのでした。右上はやかん
だとわかりますが、左はレコードです。溶けて固まったのですね。右下は金属製の
おもちゃ。左下は何だ?


もはや骨董品のガスストーブ。素敵なデザインですねえ。


それに例によって旧幕府軍、新選組の遺品。「正義」って言葉がなあ。。。


当時の軍服、本物です。小さい。背丈は150cmなかったのかな。この時代なら
俺だって「背が高~い!」となったことでしょう。大谷君なんて化け物か?


右は徳川慶喜、左は榎本武揚、どちらも直筆です。敗軍の将だけに感慨深いものあり。
函館にワサワサ来ている観光客はこの少し街はずれにある博物館には全く来ません。
静かで贅沢な時間を過ごせますぜ。


江差から函館に戻る

2024年03月30日 | 北海道シリーズ


さて江差観光も終わり、3時間に1本のバスに乗って函館に帰ります。江差のコンビニは
2重ドア。たしかに冬の吹雪のときに、1枚の自動ドアが開いたら中に寒気が吹き込む
からなあ。


バス停の向こうには、段々お屋敷。ひとつずつ書庫やオーディオ視聴室なんてのに
したら理想だなあ^^


朝に到着したバス停を通過。一日歩き回って、最初に着いたところがもう懐かしい。


バスはいつものように空いていて、一番前に座れました。


最初は少し海岸線を走ります。


日本海に面しているから迫力あるぞー。


そして内陸部に入ります。




素敵な景色ですよ。


これから山越え。高い所は真冬の景色だぞ。


しかし!朝早く起きて1日歩いたので、たっぷり寝てしまい、起きたらもう山越えは
終わっていました^^;


見てこの料金。270円から山を越えた途端に1150円!山越えに千円ですが、歩くのは
無理ですから。しかし乗客は数人。赤字でしょう。。。


夜は弁天寿司で贅沢に♪ インバウンド価格と地元価格がだんだん開いています。
弁天寿司は安くて旨いぞ(^益^)b


しかし毎日そんな奮発をできるわけもなく、こんなので済ます日もあります。
ご当地物を試してみましたが、ペヤングのほうが旨いなw


開陽丸記念館

2024年03月29日 | 北海道シリーズ


鴎島にあるのが開陽丸記念館。実物大で復元したものです。開陽丸は、幕末に幕府が
オランダに注文して造らせた軍艦。ペリーの黒船に仰天した幕府が、海上防衛のために
準備した鳴り物入りの主力最新艦でした。

幕府が倒れたあと、もちろんすべての戦艦は新政府軍に譲渡する話になったが、
榎本武揚はそれを拒否して品川を脱走、旧幕府軍は北海道で独立の道を探ります。
これで大変な海戦が繰り広げられるのかな~と思いきや、咸臨丸もボロボロで役に
立たずに函館の沖で沈没、この開陽丸も、ここ江差で暴風に遇って座礁・沈没したの
でした。

バーのマスターが言っていましたが、開陽丸が沈没するのを見ていた土方歳三が
悔しがって松の木を拳固で殴ったそうですが、「その松がコレだ」という木が残って
いるそうで(ホントかい)、マスターもそこで木を殴っている写真を撮ったそうです^^


さて船内の資料館に入ってみませう。老朽化のため、甲板には出られなくなって
いるそうです。石巻のサン・ファン号には近づくこともできなかったから、まだ
ましか?


開陽丸は1975年になって引き揚げられました。実に100年以上経っていたわけですが、
様々な遺物が出てきました。手前の大砲はそのひとつ。奥にずらりと並んでいる
ものは偽物です^^;


引き揚げられたときには海藻などがゴテゴテついて芋虫みたいになっていましたが、
ごしごしやって復活したと~^^


ひひひ。ピカピカのレプリカ大砲よりも、人形の顔を楽しもう^^


幕府は葵の紋を発注しましたが、オランダの造船所は右のようなハート形にして
しまったそうです(^益^)w 職人が日本人なら切腹ものでしょうが、ガイコツ人だから
しょうがないな、となったのかな。


船内ではハンモックで寝ていたそうです。これ、ゆっくりできなくて腰が痛く
なるんだよな。。。


大砲の弾薬の多いこと! ま、そういう仕事する船だからな。


海軍の船内勤務が一番嫌な所属だなあ。ま、軍隊なるものどこだろうが全く役に
立たないタイプの人間なんですがw


江戸時代とはいえ、西洋式軍艦だからスプーン、ナイフ、フォークなんて使って
たんですねー。もちろんお偉方だけなんでしょうが。私は船を引き揚げたとき、
100年以上海の底にあった遺物をひとつひとつ丁寧に磨いて整理した作業のほうに
思いをはせました。


金属製品だけでなく、革製品も残ってたんだなあ。ところでベルトのバックルが
たくさんありましたが、こんなのがたくさん準備されていたわけもなし、もしかすると
ガイコツからはずしたの?


軍人ですからコレ系統ねw


そしてこういうやつもたくさんあったと。


ふむふむ、鉄だと錆びちゃうけれど、こういうのは残ったわけだ。


コレ系はこれでもかってほどにありました。実際に激しい戦闘があったら減ってた
んでしょうけれど、函館も江差もほとんど戦闘がなく旧幕府軍は占領したのですよね。
だから大量に残ってたと。


うへー。


出るわ出るわ、いろんな種類のがあったんですね。


鴎島(かもめじま)2

2024年03月28日 | 北海道シリーズ


日本海側の北方面の山は秘境エリアです。


風が強いぞ。


さっきのカポーはあっちの先に向かっていった。どうぞごゆっくり!






なかなかの迫力です。


こういうところでよせばいいのに、昼にビールを1本飲んだもんだから降りてきたw
まだ緊急事態ではないが、公衆トイレは例によって冬季閉鎖中だった。。。




あれっ、出口に向かう道がこうだ。またぐるりと回って戻る気になれないので頑張るw


ふう、なんとか乗り越えて道に出たぞ。あの観光案内所まで戻らねば。


無事帰還!


鴎島(かもめじま)1

2024年03月27日 | 北海道シリーズ


少し丘に登ると鴎島が見えました。むかしは「島」だったのですが、今は埋め立てて
陸続き。


旧幕府軍の戦艦開陽丸がこの地で沈没、いまは実物大の復元が資料館になっています。
その右にあるのが観光案内所。あとで行きます。


その前に食堂で昼飯だ。


鶏の塩にんにく炒め定食。小鉢がいろいろついて嬉しいぞ。


さて大きな観光案内所ですが、飲食店はあまり充実していない。まあ人も少ない
からなあ。


さて鴎島に行ってみますよ。さっそく瓶子岩があります。折居バーサンが神様に
もらった水を注いだ瓶が岩になったと。


鳥居まで建ちましたか^^


上に登ってから街を見返すとこうだ。


人は全然いない。島の真ん中に上陸して、左半分と右半分をそれぞれ歩こうと思って
左のほうに行ってみると、カポーがペッタリくっついて座っていて、50mくらい手前で
歩いてくる俺に気がついてイチャイチャするのを中断、左の岬のほうに歩いて行きました。
こうなるとそっちは行けないではないか。まるで追いかけていくみたいでさ。。。


というわけで左半分は散策中止。右のほうだけ見ればいいやw


こっちのほうが景色がいいから(^益^)w