さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ファーム富田の花々 ランドーの冒険記36

2022年10月31日 | 北海道シリーズ


トンボが目の前にとまりました。動かないうちに撮影!


前回は花畑の全景をお見せしたので、今回はひとつひとつをアップに。


花ってきれいな色をしてミツバチなどの昆虫を集めるわけですが、そいつらは
この色の鮮やかさが識別できるのかぁ。






色別にしないで、こうやって様々な色が混在しているエリアもありました。




こういう花びらも可憐ですねェ。


四季折々の写真を展示してあるところもありました。冬にはこんな。


さすがに写真家が撮ったのはちといいですなw


ラベンダーの咲く頃はこんな紫一色。


ファーム富田を出たところに、「とみたメロンハウス」があります。ファーム富田
では「うちとは関係ない施設です」と掲示がありました。。。一種の便乗?


みなさんメロンを食べています^^


俺もソフトクリームを食べました♪


ランドーの冒険記36 大怪我をおして出発する

住民たちが止めるのにもかかわらず無理して急流の川を渡り、ランドーは足に大怪我
をして
しまいました。当然すぐに動くことはできないが、しかし回復するまでここに
いることはできない。だんだんと冬が近づいており、まもなく雪と氷に閉ざされる
だろう。こんなところにいたら死んでしまう。しかたなくランドーは少し休んだだけ
で、二人の男を雇って増毛の山(暑寒別岳)を越えることにした。そこは木が鬱蒼と
しており、道のりは険しく危険である。こんな状態で進むのは、自分の葬式に向かう
ようなものだった。大変な登山だったが、ついに1000mを超える山の頂にやって
きた。なんと美しい景色だったことだろう。北には通ってきた天塩の海岸線が続き、
南には石狩方面、南西にはもやのなかに積丹半島が見えるではないか。

山を下り、徒歩では行けないところでは船にも乗せてもらい、再び馬に乗って南に
進んだ。足をひどく怪我しているので、ひとりでは馬の乗り降りが出来ない状態で、
この痛みと苦しみを思い出すと、とてももう一度はできないことである。


ファーム富田の花畑 ランドーの冒険記35

2022年10月30日 | 北海道シリーズ


ううむ、やはりこういうところは美しい女性と来るといい。




よなあー!!!





ま、今回の記事は美しい花畑をご覧ください。


もちろん観光客がうじゃうじゃいるんですが、それが写らないように撮っていますw




向こう側はラベンダー畑で、咲いているときは紫が見事なんでしょう。


ラベンダーのないところは避けて撮影しているわけです。。。










ランドーの冒険記35 ランドー大怪我をして大ピンチ

留萌を過ぎて増毛に来たとき、続いていた雨によって川が増水しており、とても渡る
ことが出来なかった。3日目になり、夜に雨が止んで川の水が少し少なくなったと
見て、少々無理でも朝の5時に出発することにした。住民たちは、こんな流れを
渡ろうとしたら、きっと死んでしまうと言った。それでも荷物は2つに分けてヒモで
しっかりと頭に縛り付け、馬は疲れ切っているのでとても渡れなさそうだから置いて
いくことにし、冷たく激しい流れの中に入って行った。流れは強く、川の中ほどでは
水が口までくるほどだった。そのとき、住民たちが「Abunai!abunai!」と叫んでいる
のが聞こえた。驚いて振り向くと、すぐ先に大きな木が流れてきていた。ドン!
あとは何も見えなくなり、気が付くと反対側の岸に近づいていた。浅い流れの中で
立ち上がろうとしたとき、石に足をとられてかかとの骨を折ってしまった。向こうに
いた住民が助けに来た。動けずに溺れかかっていたが、荷物は離さなかった。
すっかり凍えていた。立ち上がろうとして状況がわかってきた。足はひどく腫れ
あがり、血の海となっていた。折れた骨が皮膚から飛び出していた。


ファーム富田で花を観る ランドーの冒険記34

2022年10月30日 | 北海道シリーズ


富良野とくればラベンダー畑。ラベンダーというのは6~7月。つまり秋は見られない。
まあ何かは咲いてるというので行ってみました。駅から歩いて最初にあるのは
「なかふらの北星山ラベンダー園」。ここは冬にはスキー場になるようです。雪解けに
なったら花を植えるのか? 花が咲いてないところはラベンダーなのでしょう。。。


咲いているところだけを撮ってみるとこんな感じです。


頑張って手入れをなさっているのでしょうね。


近くで見てもきれいですよ。


酒の名前はだいぶ覚えたけれど、花はわかりませんなあ。


さてしばらく歩くと、有名な「ファーム富田」があります。


おお~。広いけれど、ラベンダーが咲いてないときは半分くらいが鑑賞エリア。
ここまで来るのに歩いている人は全然いなかったけれど、人がワンサカ。裏手に
広い駐車場がありました。


いろんな色があるものです。「ドローン禁止」と貼り紙がありました。たしかに
上から見たらきれいでしょうけれどねェ。


富良野エリアにラベンダーが咲きまくっているときに見てみたいけれど、そんときゃ
すごく混雑するとか。それはちとやだな。。。


じゃがいものカレー、おいしかったよ♪ 飲み物は「彩りの畑」という、ラベンダー
ジュレといちごのジュースが3層になったものです。ミシュランで星をとってる
オーナーシェフ監修なんだとか。おっさんがひとりでオサレーwww


ドライフラワーの舎。


木造の別荘でふきぬけのリビングがあったらいいかも。ま、縁がないな。。。


ランドーの冒険記34 稚内から西海岸を南下する

稚内を回って利尻、礼文島を見て、ランドーは西の海岸を南下する。そこは東の海岸
よりもさらに殺伐としたところで、難破船の残骸をいくつも見た。風は強く冷たく、
ぞっとするような天候が続いた。今まで着ていた服はいよいよボロボロになり、
ズボンはひざ下がなくなったので、しかたなく残った布切れはスケッチブックと日記
を包むのに使った。ブーツは「過去の夢」と化し、裸足になった。残ったボロだけを
まとい、半ば凍った海岸をくじけることなく進んだ。馬は砂に埋まったり川を泳いで
渡ったりとしているうちにすっかり疲れ切り、ついにはランドーを乗せる力もなく
なって、彼は歩くしかなかった。食べ物もなく飢えて凍えた。

そんなとき、夜に草を食べるためと馬を離したら、いなくなってしまったのだ。
近くにいたアイヌ人は、それはもう見つけることは無理だろうという。何か月も
かかって書いたスケッチや日記などの荷物を、この傷だらけの足と疲れ切った体で
運ぶのは難しい。馬を手に入れるのは不可能だ。しかし荷物を諦める気にはなれ
ない。凍りつく冬は近づいている。途方に暮れて、どうしたことか、自分で馬を
探そうと歩き出したら、すぐ近くのアイヌ人の小屋の裏、砂の山に囲まれたくぼ地に
馬は疲れ切ってへたりこんでいたのだった。残酷と思われるかもしれないが、
その馬を引き、できるだけ荷物は自分で持って、再び歩き出したのだった。


中富良野町 郷土館 ランドーの冒険記33

2022年10月29日 | 北海道シリーズ


富良野2日目の朝を迎えました。昨夜の酒場「スエコの店」で「明日の朝に食べなさい」
と頂いた炊き込みご飯と漬物を食べました。次回は土産を持っていかないとw


昨日と同じ時刻の列車に乗って、今日は中富良野に向かいます。


またもや降りるのは俺ひとり。でも観光スポットには車で来た人がいるんだよなー。
これだから電車もバスも、公共交通機関は廃れるんだよ。。。


郷土館にやってきました。何やら子供たちの集う施設でしたが、それに付属していて、
「おっ見学客だ」という感じでした。


まずはアイヌ関係の展示。


むかしの絵画だとアイヌがひどくデフォルメされてたりしますが、これはそうでもない。


松浦武四郎の紹介。「アイヌを虐待するな」と幕府に粘り強く訴えましたが結局聞き入れ
られず、最後には涙を吞んで手を引いたということはもちろん書かれていません。
まあどこでもそうですが。


武四郎はアイヌを差別せず、協力を得て北海道の探検を徹底的にやりました。
「ロシアが来てるから、アイヌを虐待せずにむしろきちんと管理・対応して蝦夷地を
日本の領土にせよ」と訴えたのですが、まあ幕府はコストがかかるのを嫌がって
そういう意見をないがしろにしたのです。これはその後の琉球、台湾、朝鮮半島に
対する日本政府の姿勢と全く同じです。そりゃまあ予算の問題ですからね。。。


こういう機械化が進んで北海道は急速に開発されたのです。原住民のアイヌにとっては
悪夢でしょうが。。。


「ナショナル」ってロゴが郷愁を誘うような時代になりましたねー。しばらく前までは
世界中にHITACHIやPANASONICなんてのがあふれていましたが、そういうのってみんな
一世代で入れ替わっていくのかしら。するといずれAmazonやGoogleなんてのも
「懐かしい過去」になるのでしょうね。


いいねえ。おかあちゃんを思い出します。


出た、俺の好きな昔の写真シリーズ。


お~、昭和33年に小学校入学なら、この人たちはいま70歳くらいで生きてるよねえ。


こういうのを見てると、なぜかひとりひとりをじっくり見てしまいます^^;


お~~~、いい写真だよねー。いいなあ。


「昭和40年頃の富良野」で、「農業」やら「教育」やらだったか、全種類観る♪


こういうのが見られると「旅してきてよかったな」としみじみ思ったり。


ランドーの冒険記33 稚内に到着

いよいよ蝦夷地の北端、稚内の岬を回った。宗谷岬付近は海の難所である。進んで
いくとあちこちに難破した船の残骸を目撃する。そしてまた帆船が座礁しているのを
見つけた。4つ目だ。その船にはトルコの名前が印されていた。どうして宗谷岬に
トルコ船がいるのだろう?何か月も後に横浜に戻ったとき、その残った水夫たちの
憐れな話を聞いた。その船の任務は謎だった。何が目的で、どこに行くつもりだった
のだろう?シナ海で台風にあって、ここまで流されて来たのか?それとも誤ってこんな
ところまで来てしまったのか?4人だけが生き残り、この荒れ果てた地に放り出された。
服も食べ物も金もなく。いくらかの原住民が親切にしてやったらしい。あとで話を
聞いたら、何も言葉がわからず、彼らはただ”Sekhara”と言ってたらしい。セクハラ?
どうやらトルコ語で「煙草」という意味だったと思われる。稚内から何か月もかかって、
飢えて疲れ切って函館に到着したが、パスポートはないし、言葉も通じず、囚われの
身となって横浜に連れていかれたそうだ。


富良野2日目の夜 ランドーの冒険記32

2022年10月28日 | 北海道シリーズ


富良野の「へそ歓楽街」、昨日は日曜だったからほとんど閉まっていたが、月曜なら
少しは賑やかになっているかと思いきや、ほとんど昨夜と変わらない。


こういう感じです。これはもう「定休日」じゃないでしょう。。。


裏通りにぽつんと灯りが。「スエコの店」に入ってみませう^^;


予想通りヲヴァ~サンのワンオペ。先客にひとりヲヴァ~サンがビールを飲んで
いました。この農家で働くお友達とは仲良しのようです。スエコさんは12人兄弟の
末娘で、スナックを26年やっていましたが、還暦を迎えてからは念願の居酒屋を
始めたそうです。


お勧めのイカを出してくれました。最初はカチンコチンでしたが、まあゆっくり
飲んでいればだんだん解凍してきます(^益^;


期待通り、富良野の歴史と御自身の一代記を聞かせてくれました。お友達の
ヲヴァ~サンも打ち解けてくるといろいろ話してくれて、楽しい3Pとなる。
お友達は手土産に玉葱をたくさん持ってきました。ママさんは「お礼」と言って
ビールをご馳走する。お金いらずの物々交換が成り立つところがローカル♪


盛り上がってついつい長居となりましたが、途中であれこれ「食べる?」と出して
くれる。「これ全部サービスだからね」と、お通し以外は全部タダのお会計でした。
次回来るときには何か手土産を持って来なくちゃな。。。何か北海道に限って
そういう店が増えていきますw


ランドーの冒険記32 ワシの翼に驚いたアイヌたち

ランドーが大きな翼を背中に広げて馬に乗っている姿を見てびっくり仰天したアイヌ
たちは、ある者は小屋の中に逃げ込み、ある者は急いで船を出して海に逃げ、また
ある者は鮭を放り出した。とても貧しい生活をしているというのに、「こちらのほうを
食べて下さい」というわけだ。おかげで食料がなかったものだから助かり、頂いた鮭は
馬にしばりつけた。あるときは4歳くらいの子供が飛び出してきたので、その子を抱き
かかえてやると激しく泣き出してしまった。その声をききつけると、そこらの人々は
絶望の叫び声をあげた。母の愛はときに強いもの。アイヌの女性は出てきて、真っ青な
顔をして大きな鮭を「食べるならこちらのほうがいいですよ」と差し出した。もちろん
私は寛大さを示して、その申し出を受け入れた。子供を母親に返してやると、一目散に
小屋に逃げ込んだ。ランドーは翼(ワシの死体)を背中から降ろして小屋に入っていき、
怯えた住民に説明した。少し時間がかかって状況がわかってくると、男たちは女に
対して、鮭をみんなあげてしまったことに怒った。自分たちは先に逃げたくせにさ!