海岸沿いに走るバスを降りた街道から、内陸部へ向かって前田家別邸に立ち寄り、
草枕の舞台となった温泉の跡を見て、それからまた登って草枕交流館を訪れ、
そこからまた登ってゆくと、小高い丘の上に「草枕温泉てんすい」があります。
なかに入るとまず地元の名産品が並ぶお土産屋さん。
おぉ、笠智衆はこちらの出身でしたか。「男はつらいよ」シリーズが長かったですが、
「東京物語」を見たときに、こんな白黒映画の昔からおじいさんの役?と思って調べて
みましたら、あの老けた役をやったときには当時49歳!娘役の杉村春子はなんと1歳
年下で(同世代じゃねーかっ!)、息子の山村聡は5歳下、死んでしまう奥さん役の
東山千栄子は15歳も上だったとか。
出演作の一覧が出ておりました。森田健作の「おれは男だ!」や「すし屋のケンちゃん」
のおじいさん役、なつかしいなあ。それと映画版「男一匹ガキ大将」の住職さん。
あまりにもはまり役すぎる!これを読んで「ウム!」と思った人は、「東京物語」で
ヨレヨレのおじいさん役をやっていた当時の笠智衆より年上ですね?!
こんななつかしいものが展示されていました。私のお父つぁんは、これに乗って
配達をしていたのです。あるとき運転中に、一本しかない前輪がとれて電柱に
激突したとか。
いま見ると、ほとんどオモチャみたいですよね。
さてお風呂ですが、もちろん内部の撮影はできません(^益^;A
少し大きな内風呂があり、外には有明海を見渡せる露天風呂があり(そんときゃ
雨で遠くは霞んでいましたが)、俺の好きなサウナと水風呂があり、さらに
なかなか笑えたのが、前田家別邸を模した風呂があったのです。
ドアを開けると薄暗いなかに階段を下りてゆき、半地下のようなところに湯舟が
ある。壁に描かれているのがお決まりの富士山ではなく、例のミレーのオフィーリア
でした。草枕はもじったのはわかるけど、水死体を見ながらの入浴ですぜ。。。
ビデオでさ、裸の那美さんが入ってくるところを上映すればいいのにーw
というわけで、小天をたっぷりと楽しんで熊本の街へ帰りましたー^^
「草枕」の舞台となった小天にある前田案山子の家を見ました。案山子は熊本藩の
名士であり、自由民権運動の創始者のひとりで、その家には中江兆民や植木枝盛、
また中国から孫文をはじめとする、多くの活動家たちが訪れたことは前述しました。
前田家にまつわる自由民権運動の活動家のひとり、宮崎滔天は、アジアがヨーロッパ
の列強国に侵略されつつある当時の状況を憂慮し、その危機を脱するには東アジア
文明の中心である中国が、自由民権を保証されたしっかりした近代国家として独立
することが必要であると考え、何度も中国に渡って革命運動を支援しました。また
東京でも亡命してきた孫文や蒋介石という大物を援助したのです。孫文は「中国革命
の父」と呼ばれる中華民国臨時大統領、蒋介石は孫文の後継者で、中華民国の
統一を果たした初代中華民国総統です。
その滔天が、前田家の3女、槌(ツチ)さんと結婚しました。上の画像の中央に立つ
女性です。「草枕」のヒロイン・那美さんのモデルとなった、豪傑才女・卓(ツナ)
さんの妹です。生まれた息子が宮崎龍介、上の画像の一番左です。
その龍介が、炭鉱王である伊藤伝右衛門の奥さん、7歳年上の燁子(白蓮のことで、
「あきこ」と読みます)を奪ってしまうのです。(上の画像で龍介と槌さんの間に
立つ美女が白蓮さんです。前に立つふたりの子供が、龍介と白蓮の長男、長女)
大正天皇の従妹にあたる白蓮が、旦那さんへの絶縁状を新聞に出したりするもの
だから、当時最大のスキャンダルとなりました。。。そのときは「姦通罪」、
すなわち人の旦那さんや奥さんと関係を結ぶと罪になる法律があったのですw
親父の滔天は画像に入っていませんね。まあほとんど家には寄りつかない国際的
活動家で、子供のことなど一切関知しなかったようです。お嬢様育ちの槌さんは、
生計を立てるのと子育てで苦労したとか。家族には無責任だった親父さん、新聞に
白蓮さんの絶縁状が出ているのを見て、息子の龍介には「いいのか、お前、こんな
ことをして…」と言ったらしいです^^;
そんな波乱の人生を送った龍介・白蓮夫妻ですが、中華民国の成立に力を貸した
宮崎家の家族ですから、何度も国賓として招待されているのです。1956年には、
孫文誕生90年の祝典があり、このご夫妻は招待されて、毛沢東や周恩来と同席した
んですよ。
「草枕」の温泉の舞台となった前田家別邸を出て、山の上にある小天温泉に向かい
ますが、その途中に「草枕交流館」がありますので、そこに立ち寄ります。
向こうに島原湾が見えておりますが、雨で霞んでいますね。
ここはみかんの里。下を見ると、ご覧の通りたくさん落ちています。捨ててある?
なんかすごくもったいないような。たくさんの小鳥が集まって食べていました。
さて交流館に到着。予想通り訪問客は私ひとりだけで、入っていくと二人の職員さんに
歓迎されました。私ひとりのためにビデオを上映してくれて、展示品についていろいろと
説明をしてくれます。漱石の作品についてや、明治時代の小天について、話に花が
咲きました^^
ちょっと写真がボケちゃいましたが、草枕を描いた日本画です。一番有名な
場面ですよね。ボケてちょうどいいってか(^益^;
描いたのは松岡映丘。柳田国男の弟なんだってさw
さて今回私にとって一番の発見は、ここ小天と白蓮がつながっていたということ。
「白蓮」こと柳原 子(やなぎわら あきこ)さんは、NHK連ドラの「花子とアン」で、
「赤毛のアン」を翻訳した村岡花子さんの女学校時代の親友ということで話題になり
ましたね。
あまりにもドラマティックな人生なので、簡単にふりかえりましょう。
彼女の父親は柳原前光伯爵。そのお妾さんの娘として生まれました。大正天皇の
生母の姪ということになりますので、大正天皇の従妹という血筋にあたります。
9歳で遠縁の子爵の養子に出されます。その家で、養父が女中に産ませた子供が知的
障害で、なんと14歳のときに、そいつと結婚させられます。「お前も妾の子だから」
と言われたそうです。15歳で出産。20歳になったときに、子供を置いて離婚する。
出戻っても柳原家には入れず、3年間幽閉生活。その後女学校に編入し、村岡花子
さんと親交を深めたと。卒業してから、九州の炭鉱王、伊藤伝右衛門(50歳!)と
結婚させられる。結婚生活では、長いつきあいのお妾さんやらその子供やらと大所帯
だったとか。新聞に匿名で「贅沢な生活と不幸な人生」について連載する。
そんなときに雑誌の編集者、7歳年下の宮崎龍介と知り合い、恋に落ちて駆け落ち
騒ぎ、すなわち有名な「白蓮事件」となるわけです。
さて、ここ小天と白蓮さんがどうつながるかというと、白蓮さんが駆け落ちした
運命の男、宮崎龍介は、草枕のヒロイン、那美さんのモデルになった豪傑才女、
前田卓(ツナ)さんの妹、槌(ツチ)さんの長男なんだからですぅ~(=゜益゜):;*.’:;
さて前田家別邸の、漱石が滞在しているときに利用したという部屋です。落ち着いた
和室ですねえ。一番低い位置にある風呂場から、ぐるりと上がって行った、一番高い
場所にある立派な部屋です。
さて、このあと「草枕記念館」に行って聞いたのですが、ここはジブリの
「風立ちぬ」のシーンにも使われたとか。
記念館の職員さんに、「私は熊本市内、中坪井の漱石旧居で、そこの建物が
「風立ちぬ」に使われたと、そこに置いてあった本で読みましたけれど」と
言うと、どうやらそれは違うということらしい。
ううむ、たしかに二面ある縁側の様子といい、中坪井旧居よりは、こちらのほう?
ま、アニメを作成する際のイメージとして利用しただけなんですから、別にどこが
オリジナルの場所か、というのはあまり意味ないんですけどね^^;
でもたまたま続けて見学して、まるで研究調査のフィールドワークをやって小さな
発見をしたような気分になったわけです(^益^)b
宮崎駿監督は漱石が好きで、なかでも特に「草枕」が好きで、ここも訪れたのだ
そうです。
「志保田の御隠居」のモデルとなった前田案山子
「那美さん」のモデルとなった前田卓さん
今は半分しか残っておりませんが、当時の別邸。ここが自由民権運動の、ひとつの
拠点となっていたとはなあ。
熊本から西へ有明海までバスで1時間ほどの小天温泉(おあまおんせん)にやって
きました。ここは漱石が熊本時代に訪れた温泉地で、その後英国留学を経て、帰国
してから小説「草枕」の舞台として描いたところです。
利用者も少ないローカルバスを降りてしばらく歩くと、「前田家別邸」があります。
ここは熊本の名士、前田案山子(まえだかがし)が、来客をもてなすために建てた
という、なかなか立派なお屋敷です。
彼は小天村の豪族の出で、槍の名手だったことから、肥後藩士となり、細川家の
剣術指南を務めていました。
この別荘には、中江兆民や植木枝盛といった自由民権運動の活動家を招いたそう
です。案山子は明治23年、第一回衆議院議員総選挙において、熊本1区で当選。
国民自由党を結成するという大物だったのです。
それが漱石の「草枕」では、「志保田の隠居」という人物として登場しているの
ですねェ。
またここには中国の辛亥革命を起こし、初代中華民国臨時大統領となった孫文も来て
いるのです。孫文は、「中国国民党は日本の志士なのだ」とまで言っているそう
ですね。
なんでそんな中国人が熊本の田舎にやってきたのかというと…。自由民権運動は、
明治の時代になって、憲法を制定して議会を開設し、言論の自由や政治活動の自由を
国民に保証し、西洋にならった近代国家を作っていこうと考えたのです。
そういう国を改革してゆこうという運動は海外にも知れ渡り、中国から多くの若者たち
もそれを学びに来たし、また日本の運動家たちのなかには、自分の国だけでなく、
中国をはじめとする東アジア全体にも「自由民権」を広めてゆこうとするスケールの
大きな人たちがいたのです。(結局東アジアは植民地にしてしまえ、という野蛮な
考え方がまさってしまいましたが)
ここ小天は、そんな東アジア全体に影響を及ぼす運動の、ひとつの拠点となって
いたのです。
*中国から来た孫文はロンドンに亡命中、当時そこに住んでいた南方熊楠と親交を
温め、のちに和歌山に来たときに熊楠を訪ねました。あちこちつながりますねえ。。。
(熊楠については、左のメニューから「南紀の旅」をご覧下さい^^)
さて「草枕」に出てくる有名な入浴シーンの舞台になった温泉です。
これです。感動(=゜益゜):;*.’:;
当時としては大変ハイカラなコンクリート(人造石)を使っていました。
当時はポンプがないので、広い敷地のなかでも一番低い位置にこの風呂場はあり
ます。手前が男風呂で、湯口はそこにしかありません。湯は男風呂を通過して、
それから向こう側の女風呂へと流れていきます。(時代だねェ…)
主人公の画工が深夜に入浴しているとき、ヒロインの那美さんが、男風呂のほうに
裸で入ってきてしまうという有名な場面があります。女風呂は湯がぬるくて、
遅い時間だから誰もいないと思って入ってしまったのです。暗いし湯気で見えな
かったのですが、人がいるとわかって「ホホホホホ・・・」と飛び出していったのです。
画工は最初、声をかけたもんだかわからずにオドオドしていたのですが^^
十代の頃に読んだけれど、ここだけはよく覚えているなあ。その後何度も温泉に
入ったけれど、そんなこと一度もないなあー。
これは漱石が、前田案山子の次女、前田卓(ツナ)さんと本当にあったエピソード
だったそうです。小説に書いて、そんなことが日本中で有名になってしまうなんて、
思いもよらずにご本人は、たいそう迷惑だったそうな。。。
右のほうが保存されている温泉のある建物。崩れかかっている左はよそのお家^^;
このツナさん、豪傑な父親の影響を受けて、女性でも幼いころから武術の名手で、
のちには自由民権運動にも加わって、孫文の中国革命も支援したという大変活動的な
女性だったのです。男女同権論も主張し、結婚しても1年で離婚したというところは
「草枕」の那美さんと似ているようですね。
そういう時代をはるかに先取りした、強い、カッコイイ、才女で、しっかりしてて、
大変魅力的な女性だから、堅物の文士である漱石も心惹かれたのでしょう。さらに
そんな素敵な人が、なんと全裸で風呂に入ってこようものならば、そりゃあ忘れ
られない思い出になったでしょう~。(*´Д`)…