さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

ハムレット王子のクロンボー城へ

2013年06月25日 | 海外もろもろ



コペンハーゲンといえば、デンマークの王子、悩める青年ハムレットでしょう。
というわけで、こ
の話の舞台になった、クロンボー城を見てきました。



さすがに観光地。夏場だし混んでおりましたw



このとき持っていたのは安物のカメラでしたから、レンズの性能もこんなもん(^益^;

           

こんなシェイクスピアの碑が飾られていました。「おかげさまで」有名になりました
もんねえ^^

 ドイツに留学していた王子ハムレットは、王である父が急死したとの知らせを受け、帰国します。するとかあちゃんはおじさんと再婚してるしw(゜゜)w!!! 「葬式の肉料理が冷めて、それが婚礼の料理に使われて節約だぁ」ときたもんだw

 問題はそれからだった。死んだ王様のオバケが出るっていうんだよ。ハムレットが夜中に見にいくと、やっぱりでたあ~~!!!


  息子よ・・・ おれは弟、お前のおじさんに毒を盛られて殺されたんだよ・・・

  
し・か・え・し・を・し・て・く・れ・えぇぇぇ・・・


 
ぎへー!別に王様になりたいとも思わんし、復讐なんてしたくないんですけどぉ。。。 まず本当かどうか確かめてみなくてはならぬワイ。


 というわけである日宴会で、首尾よく王様になっちまったおじさんの前で、「毒を盛って王様になってやろう」という悪者の劇をやってみます。これを見て動揺すれば、オバケの言ったことは本当だろう!

 こんな広間でその宴会があったのでせうかw





城の裏手に出ると、バルト海につながる海峡が見えました。北欧だなぁ、と実感^^;

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コペンハーゲン逍遥

2013年06月13日 | 海外もろもろ



しばらくは仕事に忙しいさきち・ですw(゜゜)w

9月にはヨーロッパへ行くチケットをとっておりますので、旅の記録の更新はしばらく
お待ち下さい。。。って、待ってる人なんているのか(^益^;

さてひっぱり出してきたのがむかしデンマークはコペンハーゲンに行ったときの写真。
デジカメが普及する前は、安物のカメラを持ってはいましたがほとんど撮影は
しなかったのです。海外旅行に持っていかなかったことも^^;



コペンハーゲンには、英国で別行動を取っていた友人と同じ飛行機で合流することに
なっていました。しかしそいつがいきなり空港に来ないで乗り遅れ!一緒に予約した
ホテルのクーポンを預けておいただけでなく、俺がそのホテルの名前を覚えていな
かったwww 大ぴーんち!

しかたなく、飛行機を予約した日本の旅行会社にTEL。営業時間中で助かった。。。

すったもんだのあげく、なんとかホテルにチェックイン。そいつは夜になって後便で
到着しました。

大迷惑!

そいつは「スミマセン、一杯おごりますから」と言うので飲みに行ったわけですが、
払いになったら「あっ、金がない」ときたもんだ。外国旅行中に金がないって・・・w(゜゜)w





北欧はとても落ちついた雰囲気です。人々もフレンドリーな感じで、旅行のリピーターも
多いと聞きました。

 

街中にあるローゼンボー公園では、日光浴を楽しむ人が沢山いました。北欧では
日照時間が少ないため、人々は夏にはたっぷりと太陽を浴びようとするのです。
というわけで、芝生の上では上半身裸になった北欧美女がチラホラ・・・
(*´`*)

その話を遅刻野郎にしたら、「よおし!明日の予定は変更して、そこに行きます!」
ときたもんだ。

カメラ小僧のそいつは、自慢の一眼レフ with 望遠レンズを持って午前中から
いそいそと出かけて行きました。しかし「見つからなかった…」としょげて帰ってきました。
残念ながら、昼過ぎには帰国する飛行機に乗らなければならなかったのです。
 (=゜益゜):;*.':; 午前中から公園で胸だすかーw

しかし、もし見つかっていたら、その写真をもらってみなさんにお見せできたかも
しれませんねェw



こんなトラムに乗って、のんびりと旅行するのもいいでしょうね~^^

            

さて、とあるバーに入ると、そこのバーテンダーが日本人でした。脱サラして、こちらでバーテンダーをして暮らしているそうです。コペンハーゲンは、深夜に女性がひとりで歩いても大丈夫なくらい治安が良いそうです。この街がとても気に入っているそうで、そんな人生もあるものだなぁ、と少しうらやましくなる^^;

さて、写真はコペンハーゲンの特産である「チェリー・ヒーリング」。さくらんぼのリキュールです。深いルビー色をしていて、味も大変奥行きが深い。食前(後)酒にいいですが、私はたまに深夜に一杯飲みます。

静かなバーで、0時をまわったときにも選ぶ酒です^^ 旅をすると、ひとつずつ酒を覚えてゆきますね。そしてそれを一緒に飲んだ人の想い出も刻まれてゆきます T T

深夜に想い出すあの人も、この酒を飲んだときに俺のことを想い出すだろうか?

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ソウル下町の駄菓子屋で ~韓国の旅その5

2011年12月05日 | 海外もろもろ

 わたしの顔は、フツーの日本人の顔である。特に目がぱっちりということもなく、彫りが深いわけでもない。広く東アジアで通用する二枚目というところかな(^益^)v したがって韓国で歩いていても、ひと目では外国人とわからずに、韓国語で話しかけられることもしばしばであった。

 街を歩いていると、「ここは戦争中日本軍に破壊されたところである」とか、「ここは○×年、江戸幕府徳川○×に襲撃されて焼かれたところである」といった看板を見かける。広島には原爆ドームが保存されているし、真珠湾にだって記念碑があるだろう。俺がやったわけではないが、身内が残した傷跡を目の前にしては、罪悪感に少しばかり気まずい心持ちになるものだ。

 さて散歩をしながら下町の狭い路地裏へ入っていった。どこもひどく軒が低くて、瓦の崩れかかっている汚い長屋が続いている。生活排水と食べ物の匂いがほんのりただようところだ。俺の生まれ育った下町の空気が甦り、一瞬タイムスリップをした錯覚を持ってしまう。ところ狭しと子供たちが走り回って遊んでいる。

 するとあるある^^ 東京にはほぼ消滅してしまった駄菓子屋があるではないか。むかし5円10円で買ったような、あやしい駄菓子が並んでいる。いくつか選んで店の旦那に差し出すと、やはり韓国語で話しかけてきた。そしてこちらが日本人だとわかったとき、その老人は大変感銘を受けた様子になり、なんと日本語で話しかけてきたのである。それにはこちらも驚いた。

 なつかしいです。わたし日本語を習いました。
  学校では日本語を教え
られたのです。
 手紙には、「~にてそうろう」と書くのですよね。

 
「今はもうそういう言葉は使わないのですよ」と答えながら、背中にのしかかる十字架の重みをズシリと感じる。国を失ない、言葉さえも変えられようとした過去がここに生きていたのだ。その怒りと悲しみ、屈辱の思い出を、微笑をたたえながら老人は語った。思いもよらず少年期の記憶が甦り、なつかしさが勝ったのだろう。その口調は、「敵国人」に対するものではなかった。このような「生きた歴史」も、いずれ時の流れとともに消え去ってゆくだろう。そして記述される歴史には、人々の感情が刻まれることはない…。

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韓国人に囲まれる ~韓国の旅その4

2011年12月04日 | 海外もろもろ

 韓国の店は、透きとおったガラスを使っていないところが多かった。つまり中が見えない。ハングル文字で書かれていては、何の店だかわからない。焼肉を食べようと思ってドアを開けてみると、洋服屋だったり床屋だったりする始末だ。繁華街を歩きながら、ドアが開いたりしないかな、とスキをうかがう。あやしい動きだ

 ある店のドアが開いたとき、それを逃さず覗くと、食ってる食ってる。さっそく入る。座ってメニューを見るが、文字だけだとさっぱりわからない。「カルビ!」だの「プルコギ!」だの言ってみる。おばさんにはわからない。亭主を呼びに行く。旦那が出てきてもわからない。他の店員も寄ってくる。しかたなくガイドブックを取り出し、焼肉メニューの文字を指さす。字が小さくて読めないようだ。また奥に戻り、眼鏡をとってくる。他の客までやってきて、また人が増える。俺ひとりのテーブルに、10人あまりが集まってくる。

 眼鏡をかけた亭主に、最後にわかる。身振り手振りでない、と言っているのがわかる。そこで客のひとりのおばさんから日本語が飛び出した。

          うどんせんもん!

 たしかにまわりを見ると、みんなどんぶりから麺をすすっていたw(゜゜)w 結局うどんを食ったが、周りの人々は「うまいか?」と笑顔を送ってくれるのであった。間抜けな日本人に、とても親切な人々だったのである。


 
地図を見ながら街を歩いていた。地下鉄の駅へ行くには、大きな病院をつっきらねばならないとわかったときのこと。病院の前には軍隊が並んでいた。誰ぞ偉い人でも中にいたのかもしれない。ずらりと並んでいる兵隊が、一斉にこちらを見ている。何か入りにくい。それでも勇気を出して歩き出す。案の定、2,3人がこちらへやってきて職務質問だ。

 こちら韓国語はまるっきりわからない。日本語が通じるわけもないので、英語で話す。兵隊はどうやら20歳前後の若者ばかりだ。英語は学校で習っているはずなのに、ほとんど通じない。地図を見せて、ここを通り抜け、地下鉄の駅へ行きたいだけだと説明するが、わかってもらえない。並んでいた奴らが次々にやってきて、沢山の兵隊に囲まれる。うどん屋とは比べものにならない威圧感だ。

 そのうち上等兵が呼ばれてきた。軍服が立派な中年の上官である。そいつは英語を話した。すると丁寧に「ここを通り抜ければ駅ですよ」と指をさしてくれた。そうなんだよーw(TT)w 最後は沢山の兵士たちに、「バイバイ~」と笑顔で見送られたのであった…。おびえた日本人にも、じつは親切な軍隊だったのである。

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どぼろぼするべか? ~韓国の旅その3

2011年12月03日 | 海外もろもろ

 こちらが3人部屋(6人になっちゃうよ)だというのに驚いた暗黒街の女帝は「それなら女の子の部屋に行きなさい」という。どこに連れて行かれるか、わかったものじゃないだろう。いま自分たちがどこにいるのかもわからないのだ。3人で相談しようにも、相手は日本語がわかり、英語も通じてしまうようだ。聞かれたくない都合の悪いところは、お互い韓国語で話している。絶体絶命のピ~ンチ!

 そこでしかたなく、こちらは窮余の策に出た。

 
どぼろぼするべか?(わたしの発した言葉です)

 
えっ何言ってるの?(チョゴリたちは、突然意味のわからない言葉が出たのに驚いた)

 
なんでもナイナイ ^^;(こちらも苦笑いだ)

 
とぅをにくわく、どぅわっしゅつするふぉうふぉうをきゃんがえにぇば。
 ぬわにいわりぇても、きゃえちてってゆーちきゃにゃいだろべっちゃ。

苦しい会話が交わされているとき、変装メガネのおやじが隣の女性にささやいているのを、わたしは聞き逃さなかった。

 
トイレで部屋番号を教えるから…

 
あやつはまもなくトイレに立ち、隣の女性もさりげなく後を追った。しかし人のことを気にしている場合ではない。こちらはなんとか脱出せねば、と対抗した。しつこく迫る怒涛の攻撃も、必死のディフェンスに力尽きたか、恐るべき宴会はついにお開きを迎えることになったのである。雰囲気はガラリと変わった。にこやかだった女性たちも、「チップをください」というときの顔つきは、本性が丸出しになっていた。友人のひとりは、サイフから札をむしられそうになっていた。

 外では送迎用のワゴン車が待っていた。旅行会社の女性に「こんなところだったら先に言っておいて下さいよ」と文句を言うと、すまなそうに「言えなかったんですよ」と詫びていた。この若い案内のお嬢さんも気の毒である。

 4人が乗り込むと、宴会場でおやじの隣に座っていた女性が、普段着に着替えて乗り込んできた。せっかく我々に隠そうとしていたんだから、別にタクシーでも乗ればいいのにねえ。来るときのおやじの能弁はどこへやら、ホテルに到着するまで、車内で長く気まずい沈黙が流れたのであった。

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