さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

自分の中に自分がいる人、いない人

2017年07月30日 | らくがき

テレビの国会中継で、修羅場が演じられていました。

質問者「~してませんね?」
政治家で一番偉いとされる人「~してません!」(堂々と)

質問者「~してませんね?」
官僚の偉い人「~してない、と思う…」(おどおどして)

答えた人は、どちらも明らかに嘘をついているように見えました(司法的には証拠が出ない限り「疑わしきは罰せず」ですが、ここは私の主観的印象です)。

前者は思考していない人に見えましたが、後者は嘘をつけない人に見えました。結果的にどちらも嘘をついたわけですが、前者はしばしば社会的競争に勝ち抜いて良心の呵責に苦しむことなどなく邁進し、後者は精神的葛藤に苦しんだりします。

ここで思い出したのがソクラテスの「自らの自己と対立しているくらいなら、世界の全体と対立しているほうがましだ」という言葉です。人間の中に白い天使と黒い悪魔がいて、ささやいてくるイメージを思い浮かべて下さい。理性と感情というか、良心と欲望というか、そのせめぎあい。まあそれが「思考する」ということで、先ほどの「~してない、と思う…」と答えた人は、思考を停止して「してません!」と言い切れなかったのですね。どうせ嘘をつくなら、堂々と相手の目を見つめて断言すればよかったのに、それができなかったと。

自分を裏切って、一時的な感情に流されて欲望の赴くままに短絡的な行動をとってしまうことがあります。そして後悔するわけだ。困ったことに「自分のなかの自分」は他人ではないので、ずっとつきまとってくるから始末が悪い。だからソクラテスは、「悪いことをやってバレないで済むより、やってもないことで罰せられるほうがましだ」と言ったのです。白い天使は自分の化身ですから消えることはなく、殺そうとしても死なない。そんなのを抱えて生きるのが何よりつらいだろうよ、というわけですね。私はたまに、自分が過去にひねりつぶした白い天使を見て、ワー!っと叫びたくなります。

     

ハンナ・アレントという人は、「孤独」と「孤立」とは違う、と言いました。思考するには孤独が必要です。あまりに忙しい日々を送っていると、自分の中の自分と対話する余裕が持てなくなります。孤独のなかで自分自身と良い関係でいられるのは幸せだ。たとえ牢獄に囚われていても、もうひとりの自分と良好な関係にあり、すなわち自分自身に苦悩を抱えることがなく、世の中に自分の無実を信じている人がいれば、それは「孤立」ではない。ひるがえって、強大な権力と多大な富を手にしても、精神的な孤立状態にある人は、どんな心境なのだろう?

テレビのなかでも実生活でも、思考しない、自分の中の自分と対話をしない人がいると、嫌悪感を覚えるし、対処には途方に暮れるしかない。アレントさんは、そういう人は「避けるしかないでしょ」と言うので、私は少し気が楽になりました。「~してない、と思う…」と見苦しい嘘をつかざるを得なかった人、もしかするとずっとそんな自分に苦しむかもしれませんね。でも苦しんでいる限りは「孤立」しませんよ。なぐさめにはならないけど。


旧玉ノ井をぶらついてみたが

2017年07月27日 | 関東甲信越



「とうきょうスカイツリー」から2つ目の駅、「東向島」へやってきました。
「業平橋」から「玉ノ井」といったほうがなじみがあるのだが。



よく見れば、小さく(旧玉ノ井)と表示されています。ちいせえ~!
「玉ノ井」という地名が、赤線地帯を連想させるから改名したと聞きました。
そんなんで由緒ある地名を変えますかねー。じゃあ「歌舞伎町」とか「目白」も
変えねーのかってか。



しばらく歩いてみましたが、さすがにバブルを通過した東京では、昔日の面影を
残す建物はほとんど発見できませんでした。

「玉ノ井カフェ」とありました。「カフェ」ってむかしの風俗店ですが、いまは
普通のカフェですよねえ。たしか永井荷風が、カフェにはいっていくらから払うと
「くわえてくれる」なんて書いてありましたね。

ここの2階の窓枠は、そういった建物の名残りなのかしら?



裏道に場末のスナック。こういう建物も、そういう店だったのかな?



スナック「プリンス」ですが、メニューの左がアルコール飲料、右にはおにぎりや
焼きそば、焼きうどん?

隣はスナック「せいこ」かー。その名の、白百合のような可憐な女性を知っています
が、商標登録しているわけでなし、いたしかたなしか~。



曳舟駅まで歩きました。おお、鉄道博物館なんてあったのか。しかしこの時点で
もう16時。16時半までとあったので、今回はやめておきました。この車両は
日光のローカル線ですか。



特急「けごん」って、「華厳の滝」を省略したものなのですな。あと「きぬ」って
ありましたけど、「鬼怒川」なのでしょうな。私が通学しているとき、たしか8:05の
電車に乗っていて、隣が8:00発の特急で、この車両によくガイコツ人が乗って
いましたね。その頃の海外からの旅行者は、ほとんど白人だったように思います。
浅草を見たあと、東照宮なんぞを見たんだろうなあ。



曳舟から2両編成のローカル線、亀戸線に乗って通学路をたどりました。むかし
通った高校の建物がちらりを見えましたが、もう合併されて名前も変わっています。
ちなみに私の卒業した小学校、中学校、高校、すべてなくなっています。そういえば
同窓会もないなあ。

さて錦糸町に移動して、「馬刺し居酒屋」にやってきました。なんか固有名詞らしくない
ベタな店名ですよねえ。熊本料理を出す店で、「一文字ぐるぐる」も食べました^^



下町方面に行くと、スカイツリーはどこからでも見えますねー。高いからなあ。


浅草の天丼

2017年07月24日 | 関東甲信越



浅草で天丼を食べたい、という友人につきあって、地元をお散歩。ベタな雷門で
待ち合わせたが、何やら修理中。例によってガイコツ人がうじゃうじゃ。暑い。
実に私はここを通過して通学していたのだ。

ひと昔前は、ここらは閑散としていたけどなー。人力車の客引きがすごい。以前に
「乗って~!」というので、「俺んちはすぐそこなんだけど」と答えたら、めげずに
「家まで乗って行ってー!」ときたもんだ。



俺が一番うまいと思う「まさる」は1時間以上並ぶので、クソ暑いだけに伝法院通りの
こちらへ。「天健」の入口を見たら「子供お断り」とか書いてやがるので、おっさん
だけど、ちょっとイヤな気分になるので反対側に。



向かいの角が「天藤」だ。ありっ?こっちも「子供お断り」だってよ。。。
しかたなくこちらにする。なんと週末の昼時だってのに、客は誰もいなかった。



オヤジは気難しいが、天麩羅は旨いぞ。



夜の酒まで時間があるので、お隣駅のスカイツリーへ。初めて行きました。今回は
登らなかったけれど。ちなみに俺が通学で浅草から電車に乗って、1回も降りたことの
ない隣駅は「業平橋」といいました。それが~なんだ~「とうきょうスカイツリー駅」
だって~~??? なんだか「川上伸一郎君」が「ショーン・マクアードル川上」って
名乗ってるみたいだなー。何いってんだよぉ~、なりひらばしぃ~(^益^)w

しかしどうも違和感がある。そりゃいままでなかったものが、突然できたんだから
気持ちがなじめないのだ。しかもやたらにでかいし。まるで家に190㎝の見知らぬ大男が
「家族だ」と言って入ってきたような?4月に変わった朝のアナウンサーと同じで、
しばらくすれば慣れるのかな。

パリのエッフェル塔は、万博のシンボルとして建てられたのですが、当時は「見苦しくて
景観を損なう」と大反対がありました。「エッフェル塔を見たくなければ、エッフェル塔
へ行け」という言葉が流行ったくらいです。

私の友人は、一緒にエッフェル塔に登ったとき、パリを見渡しながら「ついエッフェル塔は
どこだ、と探してしまったよ」と言っておりました^^; いまやエッフェル塔をなくせ
という声はありませんよねェ。

           

初代の通天閣です。「凱旋門の上にエッフェル塔」というコンセプトだそうです。
大阪人の○×さ加減がよく出ていて、私は大好きです。

     
「三丁目の夕日」の場面で出てくる東京タワーです。ここも高層ビルに埋もれつつあって、
いまや哀愁漂っていますよね。こちらはスカイツリーが出来てから、「こっちのほうが
愛着があっていい」ということで人気が上昇したとか。俺も登るならこっちかなー。


むかし話には人間の本性が現れる(3)

2017年07月19日 | らくがき

「桃太郎」

♪も~もたろさん、ももたろさん~
 
おこしにつけた、きびだんご~
 
ひとつ、わたしにくださいな~♪

この歌はもちろんご存じですね?しかしそのあとはあまり知られていないと思います。

♪そ~りゃ進め、そりゃ進め
 
一度に攻めて、攻め破り
 
つぶしてしまえ、鬼が島

♪お~もしろい、おもしろい
 
残らず鬼を、攻め伏せて
 
ぶんどりものを、エンヤラヤ

強盗殺人、いや「殺鬼」を面白いって?実に好戦的で、侵略思想丸出しですな。作家の池澤夏樹さんは『狩猟民の心』というエッセーで、この物語をそのように解釈し、「唖然とするでしょう」と語っています。そしてさらに、福沢諭吉が『ひゞのおしへ』というエッセーで、この物語を「たゞよくのためのしごとにて、ひれつせんばんなり」と批評していることを紹介しています。

しかしまあこれは、『北斗の拳』や『ドラゴンボール』で、次々に現れる化け物・悪者(つまり鬼)を主人公がやっつけるのと同じメンタリティでしょ。ビデオゲームで、次々にゾンビやエイリアンを撃破し、その過程で武装を充実させて(つまり犬・猿・雉)、スコアを上げてゆく(つまりお宝をエンヤラヤ)のと同じ構図なのではないでしょうか。♪お~もしろい、おもしろい♪

人間にはそういう「卑劣千番」な「願望」とか「欲」があるのよ。

むかし話や民話のエッセンスは、そういった人間の本性を描いているところにある。


それだけではない。その人間の本性に加えて、それが編集された時代の世相も反映されるのである。例として、芥川龍之介が書いた「桃太郎」をご紹介しましょう。

龍之介ヴァージョンでは、桃太郎の入っている桃は、どんぶらこ♪と川を流れてくるのではない。天地開闢の頃おい、伊弉諾の尊は黄最津平阪に八つの雷を却けるため、桃の実を礫に打ったという、その神代の桃の実なのであり、それを一羽の八咫鴉がついばんで落としたのである。

神話キター!ゆるぎない権威。オーソリチーなのである。思考停止に「正義」なのである。「日の出ずる処」の神がかった誕生なのであーる。

桃太郎は鬼が島の征伐に出かける。それはジジババのように山だの川だの畑だので地道に働くのが嫌だったからで、一方老人夫婦は愛想をつかしたこの腕白ものが出てゆくのでほっとしたのだった。

飢えた野良犬が桃太郎の持っている黍団子に目を付けた。桃太郎は得意そうに「これは日本一の黍団子だ」と自慢をする。日本一かどうか怪しいものであったが、とりあえず腹が減っているので「ひとつくれればお伴をしましょう」と歩み出た。桃太郎は「半分ならね」と足元を見た。しばらくもめるが、所詮持たぬものは持ったものに服従するしかない。(最低賃金保証などという法令はまだ施行されていなかったからね)

黍団子半分で犬猿雉を家来にするが、特に犬と猿は仲が悪くてうまくいかない。(犬猿の仲ですからね)桃太郎は鬼が島で手に入るはずの宝物で、とにかく家来たちを納得させる。(かなり怪しい出来高払いというわけだ)

鬼が島は絶海の孤島で、椰子がそびえて極楽鳥がさえずる美しい天然の楽土だった。鬼たちはもちろん平和を愛する種族だった。(こういうところは格好の餌食になるのだ)

桃太郎はこういう罪のない鬼たちに、建国以来の恐ろしさを与えた。「進め!進め!鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」(皆殺し作戦開始ですな)

犬も雉も恐ろしい牙や嘴で鬼たちを殺しまくった。猿は、我々人間と親類同士の間柄だけに、鬼の娘を絞め殺す前に、必ず凌辱をほしいままにした。(慰安婦がいればよかったのか?)

鬼が島には至る所に鬼の死骸が散らばっている。鬼の酋長は全面降伏した。桃太郎は生き残りの鬼たちに対して、命を赦してやる代わりに、すべての宝物と、子供の人質を要求した。

最後に、額を地べたにすりつけた鬼の酋長は、桃太郎に恐る恐る質問した。「鬼が島の鬼は、貴方様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明し下さるわけには参りますまいか?」桃太郎や悠然と頷いて答えた。「日本一の桃太郎は、犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」(素晴らしい答えだな!)

             

龍之介ヴァージョンは、南海の楽園のような孤島の設定といい、桃太郎の論法といい、前世紀の帝国主義の悪辣さを意識しているのは明らかですね。私が読んだ(つまり戦後の)桃太郎の話は、先に鬼が村を襲って略奪していったものを取り返すということになっていて、さらに桃太郎は鬼を殺したりはせず、ただ「反省せよ」と懲らしめるだけになっていました。

「悪者をやっつけてスカッとする」という原型も、このように時代背景によって大きく脚色が変わるものなのですね。

では、いまの時代のヴァージョンならどんな脚色にするかしら?


むかし話には人間の本性が現れる(2)

2017年07月16日 | らくがき

「わらしべ長者」

わらしべ長者の主人公は、さえない貧乏人です。ホームレスで無職という、どん底野郎です。そこで観音様にお祈りというわけだ(その神頼みというところがさえない人生の原因の気もしますが)。

すると「最初に触ったものを大事に持っていけ」というお告げを受けます。そして転んで最初に触ったのが一本の藁でした。寄ってきたアブをつかまえて藁の先に結びつけると、それを見た少年が欲しいとダダをこねました。子供の母親は困って、持っていた蜜柑と交換してほしいと願い出る。その蜜柑を、喉が渇いて死にそうだという商人に譲り、お返しに反物を受け取ります。倒れた馬の処分に困っていた侍と出会って反物は馬になり、水を飲ませると元気になった馬に乗って進んでいたら、どうしても馬が今すぐに必要だというお屋敷の御主人に馬を譲り、その留守にお屋敷を預かったが、とうとうそのご主人は帰ることなく、神頼みホームレス野郎は立派なお屋敷の御主人になったというわけだ。

大人になればわかりますが、この物語は流通経済の本質をついています。あるところでは価値のないものも、必要とされればその価値はいくらでも上がる。必要とされるところにモノを移動させれば差益が生じる。それが商売の基本。ふもとでは水はタダだったりしますが、山の上だとペットボトルが300円とか。さらに付加価値をつけたりで儲けを増やす。ついでに好奇心や所有欲を刺激すれば、ガラクタが金になる。そして人間の欲望の最終目的地は不動産というわけだ。富を手に入れたら、考えることは赤坂の一軒家、品川のタワーマンション最上階か?

ん~、何か抜けているような?

お嫁さんだよね?!静かな雪の降る夜に、戸を「トントン…」と叩くので開けてみれば、色白の美女が「お嫁さんにしてください♪」みたいな~(^益^)b
まあ今でいうと、覚えのない宅急便の荷物を開けてみたら萌え系のマネキン美少女が入っていて、それが「ご主人様♪」と話し出すとかさ、とにかくめんどくせー手続きを抜きにして、言いなりになるカワイコちゃんが手に入るっつーオチはねえんですかい?

あっ!赤坂の一軒家とか品川のタワーマンションに住んでいれば、いずれお嫁さんは手に入るだろうから省略?

いや、あくまで富を手に入れる純粋な幸運物語なので、嫁がくると不幸の始まりになっちまうってかな?

どうなんだ? (=゚益゚):;*.‘:;