さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

旅館と酒造店 北海道開拓の村 10

2014年12月30日 | 北海道シリーズ



堂々たる待合旅館という看板。いまやほとんど死語ですが、男女が密会する風俗店を
意味します。しかし政治家などが会合する、赤坂の料亭みたいな意味も含むので
ややこしい。まあでも芸者を呼んで遊ぶ場所でもあり、連れ込み宿なのです。



しかしラブホテルというには、ちと開放的すぎるかな?



水回りも木製で風情がありますねェ。



いろんなドラマがあったのか~し~ら。



こちらはかたぎの酒造店。酒を造るんだから立派な商売ですのお。



待合旅館よりも立派な造りだぞ。金回りもよかったのだろうて。



番頭さんが座るところがあり、後ろの階段をにぎやかに昇り降りしていたのでしょう。



こちらは酒を造るところ。100年前の酒はどんな味だったのかねェ。。。


医者だの蕎麦屋だの 北海道開拓の村 9

2014年12月27日 | 北海道シリーズ



こちらはお医者さん。玄関の上にあるベランダがしゃれた造りですね。



奥がずっと広い。「近藤医院」ですか。中学生の頃、近藤さんという女の子が
いました。少し病弱で、体育の先生に「無理するな」と言われていました。すると
男子が「こんどうむりするな^^」「コンドームりするな!」とはやしたてました。
中学生のクソガキ共って最低ですねェ(^益^;



そうそう、昔の医者ってこういうところから「近藤さ~ん」とか呼んだんですよね。



うへー。医者だ―。子供らが泣き叫ぶ恐ろしいところ…。でも今の近代的な、
すなわち非人間的な感じがする白い鉄筋の建物よりかはずっといいよね。



うへえ~~w 寝かされてなすがまま。お医者さんゴッコならいいんだけど
(゜曲゜)w



嫌いな医者で終わるのは嫌なので、好きな蕎麦屋^^



おうおう、すごい量のせいろ。出前もだいぶやってたのかしら。徳利があるという
ことは、ちゃんと酒も出したんだな^^ 酒を置かない蕎麦屋は許せん!
コンビニでも「お酒あります」って掲示を出したりするんだから、逆に置いてない
不届き者の蕎麦屋は、「酒おいてありません」という看板出せっ!


旧福士家住宅 北海道開拓の村 8

2014年12月25日 | 北海道シリーズ



次の豪邸は明治時代の福士家邸。水色に塗るのはちょっとどうかなあ。



ぐはっ。「勤倹」って勤勉で倹約?ブラブラ旅をしてダラダラ酒を飲むのが好きな
俺としてはヤな言葉だねーwww うるさい家長がいそう。



火をおこしてご飯を炊くのはよさそうだけど、大家族が前提だよなあ。俺なんて
ひとりのとき、「峠の釜めし」を食った後にとっておいたやつでご飯炊いてた
もんなあ^^;



古い柱時計が懐かしい。手でゼンマイ巻くんだよね。振子の音がして、正時になると
ボーン、ボーンと時を告げる。深夜も通して一日中ね。実家を出たあと、家に電話を
するとかあちゃんの声のうしろに振子の音がBGMになって聞こえてくる。いつの間
にかなくなっちゃったなあ。



小さな鏡台がカワイイ。どの家にもありましたねえ。いまでも古い旅館に泊まると
あったりします。



さすがにここまで古い型のミシンは時代を感じます。棚の上のかばんは、旅行に
出るときに使ったのかしら。旅好きの私としてはちと目がいきますが、いまや
バックパックが便利ですからね。そういえば中にはタブレットやデジカメを
入れたりして、持ち物も変わったものです。


旧松橋家住宅 北海道開拓の村 7

2014年12月23日 | 北海道シリーズ



こちらは旧松橋家住宅。一般家庭の家としては大きいです。明治30年頃だってさ。



おお、広い。本がたくさん置いてあるところを見ると、かなりのインテリ?



廊下がまた長いんだ。雑巾がけも大変そう。



風呂はカワイイ。でも家の中にあるというだけで金持ち?昭和生まれの俺の
家にはなくて銭湯だったもんなぁ。



床の間も立派だよ。囲碁をたしなんでいるやつだったのですなあ。ちなみに私の
祖母の家にもあんな立派な碁盤がありました。我が父が、若い頃競馬で儲けた金で
買ったそうです。

ちなみに子供の頃、父親に習って囲碁を覚えました。こちらは若いので、だんだん
強くなっていきました。学校でもまれたあと、久しぶりに父親と打ったら、あれっと
いう程に弱いと感じました。あまりにも大差になってしまいそうになり、申し訳
ありませんが、途中から緩めて打ちました。それに気づいたか気づかなかったか、
とにかくしょんぼりしてしまい、「もう勝てないよ」とつぶやいて、それが最後に
なってしまいました。




はじっこの部屋に行って驚き!洋室があるではないで~すかっ!
こんな家に住みたいねー。



入り口のすぐ横には女中部屋が。こういうところは、だいたい窓もないものです。
この頃は、食べさせてもらうだけで極少ない賃金の雇い人が一般家庭にもいたの
ですね。漱石の小説にはよく出てきます。いまや使用人なんてよほどの金持ち
じゃないと無理ですよね~。


旧北海中学校 北海道開拓の村 6

2014年12月20日 | 北海道シリーズ



こちらは旧北海中学校。明治時代の建物です。こういう団体生活を象徴する
学校というものは、入ったときからキライでね~。



この小刀、上のほうは今でも持っています。。。
そっくりそのまま。おそらく同じ工場で作られたものが全国に出荷されていた
のでしょう。

登校拒否仲間(^益^;Aが持っていて、売っている金物屋を教えてくれたので私も
買ったのです。悪さには使ってませんけどーw(゜曲゜)w



左の古典的な弁当箱はうちにあったなあ。幼稚園のときは、カワイイ絵のついた
も少しちいさいやつを使っていましたけれど。そのときのおかあちゃんの年より
年齢が上になっちゃったw



子供たちの絵が廊下にはってありました。見学の少年少女たちがちらほらいて、
なんだか臨場感あり^^ この木の床がワックスの臭いがして、嫌いな場所の
象徴になっているというトラウマw



一般の住宅です。なんだか積み木で作ったみたいだ。



しかし内部はなかなか立派だぞ。床の間や箪笥、火鉢などを見ると中流以上?



庭もあったりしたら、こりゃあ静かで広くて贅沢だ。