さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

保田学園跡地へ

2012年12月31日 | 関東甲信越



大仏の前でコンビニで買ってきたおにぎり二つを食べ(便利だねェ)、保田方面へ
山を下りてゆきます。実はこちらのほうが日本寺の正面口なのですが、ほとんどの
人々は浜金谷方面からロープウェイで往復、すなわち裏口から入って裏口から
帰るので、こちらにはほとんど人が来ません^^;

池が見えています。むかしこの池に、水が真っ黒になるほどのおたまじゃくしが
泳いでいたのを覚えています。いまも季節になるといるのかしら?



石段をひたすら降りてゆく。膝の痛みには、石段の下りが一番つらいwww
なんでこんなときに限ってねェ…w



日本寺の門を出て、一般道です。保田学園から、ここまで自転車で何度も登って
きたことを思い出す。子供って、何度もやっているとみるみる楽に登ってこられる
ようになるんですよね。



さて国道に出る前に左へ曲がると、懐かしい保田学園です。

でも、なくなっておりました…^益^;

ぐぐったら閉鎖になったことは知っていたんです。区議会議事録が出てきて、
閉鎖に反対意見も出たけれど、結局金がかかるということで整理されたわけだ。

ご覧のように、門の跡だけが悲しく立っています。表札だけがそのままでした。



失礼して上がってみると、このように温室になっていました。

衛星画像を見てみたら、なにやら変な建物?になっているのがわかりました。
これだったのですなぁ…w



おやおや、です^^;



というわけで、17年前に撮った写真をご覧下さい。
大人になってから、一度来たのです。そんときゃここに何の関係もないお嬢さんが
いたし、ちょっと顔を出す、
なんて恥ずかしくてとても出来ず、この写真だけ撮って
去ったのでした。




ブランコに乗ってこの景色を眺め、涙をこらえていたのはもうずっと昔のこと^^

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日本一大きい大仏

2012年12月30日 | 関東甲信越



ここ日本寺にある大仏は、日本最大です。鋸山らしく、石仏です。
初めて見たときは「でっかいなあ」と驚いた覚えがありますねェ。



ここで大仏の写生をしました。へたくそでしたが、先生が「自分に似てる」と指摘
しました。確かに私に少し似ている出来でした。同級生の作品を見ると、なぜか
みんな書いた本人に少し似ていました。そうなるもんなんですかねー。



長い間、この大仏は痛みが激しかったそうですが、修復されてご覧のように
復活なされたそうです~。



保田学園にいたとき、就寝は10時前だったかしら。夜のテレビが8時までだった
のがつらかった。人気番組の「太陽にほえろ!」も見られなかったのですw

保母さんたちは0時頃に一度子供たちのベッドルームを見回っていたようです。
なので「2時くらいなら先生たちも寝てしまっているから、その頃に遊ぼうぜ」と
企んだことがありました。8人部屋だったので、ひとり10分ずつ確実に起きていて、
次を起こしてリレーすれば、2時になったらみんなで起きようというわけです。

確実にリレーできるはずの計画が、確実に失敗していました。絶対に寝ちゃう
やつが出ますからね^^;

それでもある日、ふと目覚めたやつがいたので、みんなを深夜2時に起こして
遊び回ったことがありました。全寮制を管理する人たちは大変だぁねェ^^;

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保田学園の思い出

2012年12月29日 | 関東甲信越



その子供預かり施設の名は、保田にあるので「保田学園」と言いました。
団体生活がとことん嫌いな私には牢獄のような気分でしたが、長い時を経て
思い出してみれば、のんびりとしたいい所だったのかもしれません。



この日本寺のすぐ近くにありますので、ここには何度か来た記憶があります。



夏休みと冬休みには家に帰ることが出来ました。そして学期の途中に、親が
会いに来る「面会日」というのがありました。あの単線の内房線で、または
バスに乗って、長い道のりを会いに来てくれました^^;

お母ちゃんは、はりきってお弁当を作ってくれてきたのを思い出します。一日が
終わり、両親が帰るときには悲しくなったのでしょうね。おそらく親のほうが泣けて
きていたかもしれません。



なにせ合宿生活のようなものだから、遊ぶものが限られている。少年たちは
野球(ゴムボールですが)をよくやっていました。また卓球台があったので、
それもよくやった。どちらもだいぶうまくなれましたねェ。



ここには3年生から6年生までの子供たちが来ていました。6年生は数が少なく、
数人しかいなかった。なので威張れるわけです。私はかなりのクソガキでしたので、
いま思い出すと深く反省しなければならないことばかりです。。。



お調子者で自分勝手なクソガキでしたけれど、ここに来た初日からイヤダイヤダで
帰りたかったわけです。先生方も手を焼いたことでしょう。。。

先生方も、ほとんどがここに住んでいました。おそらくは東京に住んでいて、名ばかり
だった校長がめずらしくやってきたとき、私は他の2~3人を巻き込んで「帰してくれ」
と直談判にいったことがあります。

たぶん一泊でのんびり出張だと思っていた天下り(?)定年後再雇用(?)の校長は
小学生が夜に部屋にやってきて驚いたことでしょう^^;

そこらにあった紙に、「自立心」だの「克己心」だの書かれて、それを「教えましたね」
とか言われて帰されたのを覚えています。こっちは「帰してくれという話なのに、
はぐらかされてばかり」とイライラしたのを覚えています。

はいよ、と年度の途中で帰れるわけないのにね(^益^)w



蛇やカエルをつかまえたり、ムカデが出てきてゾッとしたり、夏には海で泳いだり、
確かに自然を満喫してのびのび生活していたのかしら。いろいろと行事があった
のも記憶に残っています。



タイムスリップして戻れたら…? 戻ってみたいですね。
でも酒と煙草がダメだしなあ^^; もちろん旅行もダメかwww

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千五百羅漢

2012年12月28日 | 関東甲信越



さて地獄をのぞいたあとは、千五百羅漢像を見ながら大仏まで降りてゆきます。



いろんな顔があって、見ていて飽きません。



長い年月をかけて彫っていったのでしょうね。。。



たまに「こいつは偉いのかな^^」なんてのも立ってます。



でも私はこういう個性豊かなほうが好きかなぁ(^益^;



さて、私はここに詳しいのです。
それは小学校6年生のときのこと、私は一年間このすぐそばに住んでいたのです。

それは一種の養護学校? 東京下町にある私の区が、全寮制で喘息や虚弱体質、
肥満などの子供たちを一年間単位で預かっていたわけです。別に温暖という地でも
ありませんが、空気がきれいで海と山に囲まれたこの場所に、そんな学校が
あったのです。

たしかにそういった体が弱い少年少女たちもいました。しかし多くは母子家庭など、
子供を預かってほしい家庭の子が多かったようです。

私は健康そのものでした^^; なぜ来たかというと、まず学校が嫌いだった(^益^;
学校を離れてそんな地に行くというのもいいかと考えたわけです。私はちらほら
不登校のときもあったのですが、長期不登校のとある少年と仲が良く、そいつと
一緒に行こうかと画策したわけです。お母ちゃんの渋るのを強引に言い通し、
6年次はその学校に行くことになりました。

しかしそいつは出発の朝になってバスの前で「行きたくない」と言い出し、私は
ひとりで行くことにw(゜曲゜)w まあそれはそれで構わなかったのですが、もともと
学校が嫌いでひとりで家にいることが好きだった私が、朝から晩まで学校にいる
みたいな全寮制の環境が好きになれるわけがない^^;

もう初日からおもいっきり嫌になりました^^; なんて考えが浅かったの(^^;

そこでの生活は、またおいおいお話しませう。



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地獄のぞき

2012年12月26日 | 関東甲信越



「鋸山」(のこぎりやま)は江戸時代からの採石場です。良質の建築材「房州石」
と呼ばれ、長いあいだ採石されてきました。



というわけで、このように切り取られたあとがよくわかります。立派な石で大きな
御殿を作って住んでみたいものですなあ^^



石を切り取ったあとで、このような「百尺観音」が掘られました。東京湾の無事を
祈っているらしいです。



そのむこうにあるのが、「地獄のぞき」です。
みんなそこからのぞいて写真を撮っています。下は石だし、飛び下りれば確実に
あの世に行けるでしょう(^益^;

別に高い所に登らなくても、「地獄」はのぞけると思うのですが…^^;

ここは頂上付近、沢山のじじばばハイカーがおべんとを食べておりました。

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