4ヵ月あまりになる北海道滞在も終わりを迎えました。振り返れば冬から春。
我が部屋の窓から見た景色の変化を並べてみましょう。最初の画像は3月末。
まだまだ雪深い季節でした。
3月30日は吹雪になりました。この頃はもう積もらずに、翌日には雪は融けています。
4月になると、青空と太陽が雪を融かします。この頃東京では毎日のように桜が
開花したとか、お花見スポットをテレビで映す。こっちはまだまだだよ。
4月15日。天狗山のてっぺんだけが見えていました。
その数時間後、今度は麓だけが見えています。線路わきの雪もなくなりました。
4月17日。天狗山の雪はまだ残っていますけれど、街の道路からは雪がなくなる。
融雪剤の小石や砂が道路わきに溜まっているから、車が通るたびに砂埃が舞う。
雪が融けたらすぐに片付けてほしいなあー。
4月23日。まだまだ山に雪は残っている。街は春を迎えているけれど、山から風が
吹くとまだまだ空気は冷たいんですよ。
4月25日の朝。連休直前。
4月26日。
5月4日。桜が咲き始めました。それでも山には雪がまだ残っています。
5月6日。連休が終わり、桜も満開。新緑が映えるようになりました。
天狗山に傘がかかっています。
日が長くなりました。ちょっと西側の山に日が沈む瞬間。
5月12日。ついに天狗山の雪がほぼなくなり、線路わきも緑に。
アップにすると、雪が最後の少しに。
5月15日。ついに雪は完全消滅。
16日。最後の撮影でした。最初の画像と比べてみて下さい(^益^)w
4ヵ月も函館、小樽に滞在していると東京から客人がやってくる。小樽に来ると
この祝津や余市に遠足だ。毎度同じところに行くことになるのだが、この鰊御殿は
しばらく工事中だったので、久しぶりに見ることに。
原発の泊村から移築したものだそうです。
労働者たちの雑魚寝の部屋、使用人の部屋、ご主人様の部屋といろいろです。
2階からは素晴らしい景色が見られます。
ニシン漁の労働者たちがぎっしり雑魚寝をした場合、生臭かったり大変だろうなー
と話していたら、客人のひとりが「〇×さんなら大丈夫だなー」と言われ、
「それって何よw」と不愉快そうな顔をし、「ホメてるんですよ」ととりなされて
いました。確かに「同じ臭いヲジサン族」なのか「強靭な精神力」なのか、取りよう
ですね。
すぐ後ろには日和山灯台。
石狩湾の向こう側には先日訪れた増毛、留萌方面。
断崖絶壁です。去年ここをボートで通過し青の洞窟を見物しました。
下には先ほどの鰊御殿。
ここの柱状節理は迫力です。
青塚食堂で鰊焼きを食べました。ハングル文字の書かれた観光バスが到着して
韓国人団体旅行客がきたーw
そして夜はジンギスカン。基本ひとり旅だから、こんなときでもないと食べません。
実に小樽に来て初めて食べましたー。なかなか美味かったですよ(^益^)b
夕張川を遡ってシュ―パロ湖にやってきました。かつては秘境です。
あちらには夕張岳。この向こう側に行けば富良野です。
立派な橋が架かっているけれど、地図を見てみたら山奥で道路は終わっているようで、
富良野方面に突き抜けられるわけではないようです。何のためにこんなのを建設
したのだろう?
こんな景色を窓から見られる別荘があったら素敵でしょうけれどね。。。
日も傾いてきたので家路につきましょう。
連休でも高速道路はスイスイ。
小樽が近づいてきたら日没でした。
助手席でドライブに連れて行ってもらうのは楽だな^^; 自家用車での移動は
公共交通機関の時間調整、待ち時間がないから効率よく移動して見て回れます。
今回の日帰り遠足も何本もの記事になりました。なんだか旅が凝縮されたような
気分です。たまにはこんなのもいいかーw
ここは夕張川。こいつを堰き止めて清水沢ダムを造りました。よおく見ると、
右側が堰き止めて出来たダム湖。左側の水位がずっと下がってますよね。
では橋を渡って両側を見てみましょう。
こっちが堰き止められて出来たダム湖。清流だったのに淀んで汚い色になって
しまいましたw
すごい迫力で水が流れているー。いまは雪解けで水量が多いのでしょう。
大きな音と共に、水煙が立ち上っています。
魚とか、生態系もあったもんじゃないな、こりゃw
向こう側には旧北炭清水沢火力発電所が見えています。これでも4分の3は取り
壊されているとか。夕張炭鉱を支えた巨大発電所です。炭鉱の閉鎖と共に役割を
終えました。
予約をすれば内部を見物できるのですが、それは5月末からなのです。
発電所もなくなったし、このダムもなくしちまえば以前の夕張川の清流が元に戻るの
ですが、まあやらないでしょう。たしかに川の氾濫が防げますからね。でも川は時折
氾濫するからきれいになるんですよ。
人っ気のない町を車で走っていると、廃線になった線路の跡を発見。前後に車も
走っていないから、止めてUターン、戻って見物することに。まだ雪が残って
いますねェ。
道路と交差するところを切ってしまったのですね。
建設するときは大変だったろうに。廃線になったのは2019年。乗っておけばよかった
なあ~。そのときはあの巨大なホテルも営業していたかー。
そりゃ入りゃしませんが、横がガラ空きですな。。。
反対側。
エネルギーについては石炭が石油に代わって炭鉱がなくなり、移動手段については
列車が自家用車に代わって鉄道が廃止になったと。いま若い人たち、50年経ったら
また何かが変わって風景ががらりと変わったりするのでしょうね。