さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

円月島 16

2010年03月31日 | 関西シリーズ

岩にたまたまこんな穴が空いたもんだから、人間がワンサカ押し寄せてきて写真を撮る…。そういえば中国にもこんな岩があって、撮影用の台ができて観光客が沢山来ていたなぁ~(^益^;

ここに日が沈むときなどは、カメラをもった人々がひしめきあうのかな?(^益^;

 

熊楠の『十二支考』

以前中国に行ったとき、日本ではイノシシ年だったのにあちらではブタの人形が飾られており、中国人の友人に「イノシシじゃないのか?」と訪ねたら、不思議な顔をされて「ブタだよ」と言われ、中国から日本に「十二支」が輸入されたとき、何かの拍子に変化したのだなあ、と気がついた。

シンガポールのマクドナルドで、十二支のフィギュアのおまけが配られたとき、ブタを不浄なものとするイスラム教徒に配慮して、そこだけ「キューピーちゃん」にしたらしいが、この変更に対して中国人の抗議があり紛糾したらしい。私は今や世界中に繁殖しているMには入らないし、寅年なので関係ありませんが(^益^)

さて熊楠の著作にこの「十二支」を研究したものがあります。12の動物(?)について、世界中の伝説や民話を紹介し、人間と動物の関係を広く比較考察しようとする野心的な作品です。その引用たるや、英語、日本語、中国語、フランス語、ラテン語、イタリア語、ドイツ語、オランダ語、スペイン語など、すべて原典を読んだものです。どれほどの苦労が積み重ねられたのでしょうか。。。

わたしの干支、虎の章では、まず狼に育てられた人間の子供の話から入っている(虎なのに狼からくるわけです)。この考察によって人間の本能、属性と環境の影響が検証される。今で言えば人類学、心理学、生理学、言語学などの分野にまたがります。さらに人間と動物の交流・関係が比較考察され、虎と戦う人間の話が紹介される。そういえば虎ってなぜか「戦う相手」ですよねえ。

竜の章では、中国のみならずオーストラリア、アメリカ大陸、中東、アフリカ、ヨーロッパにまたがる伝説が引用され、この架空の生き物がどのように創作され、信仰されてきたのかを論証する。あまりにもスケールの大きい仕事でした。


南方記念館 15

2010年03月29日 | 関西シリーズ

白浜の北のほうに、南方記念館があります。熊楠の住んでいた田辺の家は見られませんでしたが、こちらは開いておりました~(^益^)b

熊楠ゆかりの品々がたくさん並んでおりました。

右のほうにいる係長の後ろにある顕微鏡で、熊楠の研究していた生きた粘菌を見ることができました。さらに図書コーナーでは熊楠の研究書が並んでおり、その中になんと知り合いが書いた本を発見w 絶版になっておりますが、帰ってからネットの古本屋を検索して早速注文し、読みました~(^益^;シラナカッタノ

屋上が展望台になっており、白浜と太平洋を一望することができました。

この景色を見るだけでも訪れる価値ありですぞ。。。

ちょっと感動ものだったのは、ご覧の神島(かしま)がよく見えたことです。ここには神社があり、合祀によってこの島の自然が破壊されそうになりましたが、熊楠の反対運動によって保護され、天然記念物保護区域に指定されたのです。神様の宿る島ですから長らく人間の手が入らず、ここにだけ生息する植物や菌類が沢山あったのです。

のちに米国農務省のスウィングル博士が熊楠を米国に招聘しようとして訪れたとき、案内したのがこの島であり、また天皇陛下が熊楠の話を聞きたいとやってきたときに「進講」をしたのもこの島なのである。

 

熊楠の粘菌研究

熊楠は曲芸団に加わってキューバ、ベネズエラ、ジャマイカなどを渡り歩き、植物や菌類の採集を行なった。その頃から熱心に研究したのが「粘菌」である。これが朽ち木などに生息する、ドロッとしたようなカビのような生物である。形もいろいろ、色もいろいろ。これが植物のようで動物のようで、アメーバのように動いて食物をとりこんで形を変える、原始生物なのである。

なぜこんなものに熊楠はとりつかれたかというと、生命の原初形態を探求することにつながるからだったようだ。さらにこの分野の研究はまだまだ未開拓であり、新たな発見をもたらすということも魅力だったに違いない。

「夢のお告げ」で那智の山の中で新種を発見することもあったとか。なんと自宅の庭の木からも新種を見つけ、それを大英博物館に送ると新種として鑑定され、正式名称として「ミナカテルラ」と名づけられた。また神社合祀反対運動を行なって投獄されたとき、刑務所のなかでも新しい粘菌の発見をしたそうである。

熊楠の長年に渡る忍耐強い調査のおかげで、世界で認定された粘菌発見の数は、イギリスとアメリカについで日本は3位になった。さてこの粘菌、南方記念館に顕微鏡が置いてあり、生きた本物を見ることができました。現物はものすごく小さいです。体液(?)が流れているのが見え、数秒ごとにそれが逆流しているのが面白い。

那智山中を歩けば、粘菌が見つかったりするのかなあ、などと思っていましたが、これは顕微鏡を携えながら、まつたけを探すよりはるかに集中力と職人技を必要とすることなんだなあ、とわかりました(^益^;


奇絶峡 14

2010年03月27日 | 関西シリーズ

ここは田辺にある熊楠の家からしばらく内陸の山間部に入ったところ、「奇絶峡」です。

時間もあり、「どこに行こうか」と地図を眺めていて、なんとなく来たところです(^益^;

ひと昔前は人里離れた寂しいところだったのでしょう。熊楠も粘菌採集に何日も野宿しながら歩いたところかもしれません。

那智の大滝を見たあとですからカワイイものでしたが、ジグザグに落ちてくる水がしゃれてました^^

それにしても、時間がありどこに行こうか「いきあたりばったりの旅」というのは贅沢なものですね。いま思い出して見るとそういう気がします。思えばすっかりおっさんになってしまった今、若い頃ってそれだけで素晴らしいなぁ、と思うのですが、若い頃は別に幸せ一杯だったわけじゃない。むしろいろいろ大変で、辛く苦しいことも沢山あったような。若者に「いま幸せかい」って聞いて、「はい」なんて答えるやつがどれくらいいるものか。

旅だって、むさくるしい係長(ゆるせ)と一緒に「ど~する~?」なんてやりあっている瞬間に、「ああいいなあ」なんて実感するわけでもありません。でもいま思い出してみると、こういう経験の積み重ねが人生を豊かにしていると思えたりするわけです。

英国の作家で、「人生なんて、ほとんどが機械的に食って出して、寝たりするようなどうでもいい時間ばかりで、特別な瞬間なんてほんのちょっぴりなんだ」と言った人がいます。

ほんとにそうかもしれませんね。でも圧倒的な量になる「どうでもいい時間」を豊かにする方法があります。それは我々の頭のなかに、生きた証となる思い出や経験、そして生きる支えとなるような夢や希望といったものを増やしてゆくことです。ささいなことでもいいんです。ちょっとした子供の笑顔や、いつか訪れたい見知らぬ土地への憧れなんかでも、けっこう「生きててよかった」とか思えたりするものです。。。


係長7番勝負を制する 13

2010年03月25日 | 関西シリーズ

みなさんスミマセン。話は前夜に戻ります。係長が戻せって言うから…(゜゜)w

係長との囲碁対決、今回の旅の7番勝負、予定通り(?)3-3のタイで迎えた最終決戦は、宴会場から追い出されたあとに行なわれました(=゜益゜):;*.':;

ワインはボルドー、ブルゴーニュに続いて南フランス・ローヌ地方の「ジゴンダス」です(^益^)b

このワインはグルナッシュというブドウが使われており、香りも豊かで繊細なまろやかさがあります。コルクを抜いた直後はちょっとクセが強い感じがしますが、30分もすると華やかに開いてくるところが特徴です。

実は私はこれが大好き^^ 「昨夜のブルゴーニュのほうがよかったな」などとほざく係長にはもったいねぇ!(^^;

ボディがしっかりしていて深いコクと強いタンニン、誰が見ても素晴らしい美人のボルドー。

しなやかで香り高く、ちょっと近づきにくいほどの繊細さと高貴さを持つブルゴーニュ。

まろやかで暖かく、おつきあいするうちにじわじわと相手をとりこにさせる不思議な魔力のローヌ。

さあ、みなさんどれが好きかなぁ?私は3人ともおつきあいしたいですぅ~(*´`*)…

さて、決戦は私が負けたんです。サービスです、ご愛嬌です、たかが親善試合なんです。私がたまたま調子悪かったんです。いやきっと係長がいんちきしたんです。ヽ(`益´)ノ くそー・・・(´;д;`)w

さて、気分直しに係長が撮った白浜の風景を載せましょう。その名の通り、白浜は美しく白い砂浜です。係長が撮ったのは恋人同士でしょうか。。。 私はこの頃、係長と二人で夕暮れの海岸を散歩するよりも、温泉に入ってじーさんたちが熱心に体を洗うところなんぞを見ておりました・・・(゜゜)


なんと休館日! 12

2010年03月24日 | 関西シリーズ

白浜から北にある、田辺という街の熊楠が住んでいた家に行きました。ここは記念館になっており、いろいろ見られるはずだったのに、週に一回の休館日の翌日に行ったのに…(゜゜)

閉まっているー!ヽヽ(゜益゜≡゜益゜)ノノ 2月の半ばの2週間は、長期休館なんだってさ…_|\O_

ひどいぢゃないかー(´;д;`)w

しかたなく係長と海辺へ行く。。。 この風景を、熊楠も何度も見たことでせう(^益^;

問題児熊楠

熊楠は小さい頃から本を読ませてもらうために遠くまで出かけ、読んで覚えて帰ってきてからそれを写したという。その数たるや百科事典を丸ごとのような量であり、幼い頃から広く和漢の知識をものにしていった。

学校はよくサボり、山の中に入って動植物の観察に没頭したという。東京に出て大学予備門に入っても、よくサボって上野図書館で読書に励み、成績は悪かった。同期の夏目漱石が優秀な成績を残しているのとは対照的な学生だった。

のちにキューバや南米に渡って菌類や昆虫採集に専念したり、大英博物館で長い年月を独学の研究に費やすことによって世界的水準の業績をあげることができた。それは子供の頃から培われた我が道を行くという習慣と信念によるものだったのであろう。

おそらく熊楠は、まわりの教育者が介入するにはあまりにも優秀で器が大きかったのであり、既存の教育システムに振り回されることのない強い自我があってこそ、あれだけの知の高みに到達することができたのではないだろうか。

そもそもまわりの教えに従順な子供は、優秀さがあればそれが逆にあだとなり、その枠の中に留まってしまう可能性が高い。独創性や創造性、ものごとの原理を一から問い直すような新しい試みは、型破りでヘソ曲がりで、ルールを破るのが平気で時流に乗ることをよしとせず、疑い深く変わり者で、富や名声などには執着しないという性質を必要とするのかもしれない。

そういうとだいぶ困った子ちゃんということになるのだが、熊楠は同時に実直で誠実、子供のような素直さと天然の明るさをも持ちあわせており、それが気持ちのよい多くの友人が集まってきたゆえんなのであろう。

しかし熊楠は、親の財産を食いつぶして学位を取るどころか生涯金を稼ぐことに努力することなく、喧嘩っぱやく、いつでもゲロを相手にぶっかけたそうである(^益^;