堺北民主商工会

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苦悩の末、見えてきたもの

2007年08月24日 10時51分28秒 | 世間の話
 戦前を生きた靉光(あいこう)と言う画家が居る。愛光(=簡略)は広島の農村に生まれ、僅か6歳で養子に出され、苦悩の画家人生を送る。
 彼が1938年の時、描いた「眼のある風景」は良く知られているが、この絵はいくつもの眼が異様な眼光で何かを凝視している。
 この絵を観ているとある種の身震いさえ感じる。
 時代は少し遡り、1931年と言えば、満州事変が勃発した年で、日本の政治の雲行きが危うくなり始めた時である。
 この年、愛光は東京の池袋で絵画の活動をしていて、その時の作品に「キリスト」がある。
 この作品は全体が黒を基調としており、当時の時代背景とも関わって彼の苦悩と模索が良く表現されている。
 時恰も、ヨーロッパを中心に広まった「シュルレアリズム(Surrealisme)超現実主義」の画風が日本に入ってきた1937年、この作風の個展を観た愛光はライオンを解体して作品「シシ」を発表した。ライオンには似ても似つかない肉の塊のような絵。
 彼の葛藤ぶりが良く表れている絵である。

 更に、葛藤の末、遂に彼は作品「眼のある風景」を完成させる。
 愛光は非常に寡黙な男であったようだ。それが故に、絵に向き合う姿勢は怖い程、真剣そのものだったのだろう。
 そして、又、彼は社会の様相や時代の流れを敏感に察知する感覚も優れていた画家だった。
 1941年に発表した作品「静物(魚の頭)」は口を上に向けて開けた鰯の頭と果物を描いた絵であるが、戦争画である。鰯の頭は死の影に怯える人間の姿、そして、果物はジッとして何も出来ない人間の様子を表現しているように思える。
 そして、太平洋戦争も日本の敗戦の兆しが見え隠れする1943年、愛光は「生きている人間を描きたい」「きっと、この先には光明がある筈」との想いで、出征直前に3枚の自画像を描く。
 1枚目は苦しい顔をした自画像。
 2枚目は風を遮るように立った自画像。
 3枚目はどっしりと立って、真っ直ぐ先を見つめる自画像。
 この3枚の絵には彼の生き様が縮図として、描かれている。
 特に、3枚目の絵は苦悩の末に、彼が未来に向けて「ある種の確信」を見出し、それを見つめる素晴らしい自画像。

 そして、当然の事ながら、彼の元にも召集令状が届き、絵筆を銃に変えられる。
 1946年1月、愛光は38歳の若さで出征先で病死する。

 激動の時代を生きた1人の画家の生き様は私達に何かを訴えているように思える!