サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

それからのラーマ【11】

2015-12-26 00:00:27 | 日記
多くの人々が、私が彼らに憑依していると他の人を惑わしています。
彼らは、身体を揺らしたり、震わしたりして色んなことを語り、私が彼らを通じて話をしているとかと言って、いろんな質問に答えたり物事を予言したりして金品を集めています。
また、ババが夢に現れてあなたにこうしろと言った、などと言う者がいますがすべてインチキです。29/3/65

ポニョ:前回のラーマの講話もとても迫力があったぜよ。前々回もそうやったけれど、ババやクリシュナ、ラーマといった神の化身が人々に講話される内容は、ハートにグサッと来るぜよ。ラーマは私の言葉の一言一言をを大事に守って生きて行く者が一番私にとって親しい者なのです。と言われたけれど、今、ババのメッセージを伝えている人達は、今のババのメッセージと生前のババのメッセージと矛盾がある場合、どちらを優先するのかなって疑問に思ったんや。もちろん、不幸の科学のグループみたいに、今のメッセージを重んじるんやろうけれど、それってババが言われたことを軽んじる事になるぜよ。無料の学校を設立して困窮者に役に立っているだけなら別に害は無いけれど、ババの教えと違う事やのに、これはババが新しく言われているなんて発信し始めるとそれは害になるぜよ。おいらは彼らが発信している、ババのメッセージを細かく分析して、どこがババの言われた事と矛盾しているか分析しようとしたんや。それにカレッジは無料といってもプッタパルティみたいに全てが無料ではなくて、寮費を徴収されるんや。

ある人を通じて私が話をするとか、その人を通じて私が質問に答えるなどという人がいます。
このような人々は、精神に異常をきたしているか、ヒステリー症か、あるいは亡霊に憑依されているか、またそうすることによって、何がしかのものを得ようと目論んでいるかのいずれかです。
彼らを通じて語っているのは私ではありません。
私には霊媒は必要ありません。
代理人も補助者も、代行者も必要ないのです。
私がそのような人に憑依したり、彼らを通じて話しをしたり、恩寵を授けると考えることは恥ずべきことです。
どうしてそのようなことを信じる人がいるのか不思議です。22/11/70

ヨシオ:またその話か?もうやめとけ。俺たちには関係無いやろ。サイの組織の仕事やろ。俺たちはババが肉体をとっておられる時に、その口から発せられたお言葉だけを大事に守って来てるんや。と言うのも、誰かを通じてのメッセージはどうしてもその人のエゴが入り込むんや。だから俺が編集したババの言葉の本には、一切、誰かの夢や瞑想中のメッセージ等は載せていないし、ましてや霊媒などが得たメッセージも載せていないんや。というのも神のメッセージは、神に選ばれた苦行を積んだ聖者だけが、受け取れるんや。その聖者達は、神とほとんど同じレベルの想念の波動を持ち、神のメッセージを受け取って天啓経典という素晴らしい教えを人類に残せるんや。

でも普通の霊媒などが受け取るメッセージは、ババが言っておられるように、悪霊がいる霊界が人間より一段階上の霊界にいるので、過去や未来を見通せる力や人の心を読んだり、その人の過去生を見たりする事が出来るので、自分を神と偽ったり、神のメッセンジャーになりきる事が出来るんや。でも、ほとんどの人はそれに騙されるんや。

ポニョ:ババはババの身の回りのお世話をされていたサティアジットさんの前で、ナラシンハさんが、マドゥスーダンの事を聞いた時に「お前には常識があるのか、無いのか? これほど私の近くにいたお前が、いつもここにいたお前が。私の前で長い年月を過ごして来ていながら、お前は、なぜ私の前で、 そのような類のことを持ち出すことが出来るのか? なぜ私が誰かの汚い体に入らなけれ ばならないのか? なぜ話をするために私が誰かの汚い体に入らなければならないのか? もし誰かと話さなければならないときは、私は直接本人に話す。
と言って叱られたぜよ。

あなたがそれを通じて見られるのは悪霊なのだ。
神はそういうところには簡単には出てこない。
神というのは徳性の化身であるから、そういう低いレベルのところに下りてきて話したりする事は決してない。
人間は7段階、神より低いレベルのところにいる。
悪霊と呼ばれているものたちは、6段階神より低いレベルのところにいる。
神のオーラはそのすべてのレベルに降り注いでいる。
それゆえ悪霊たちは人間より少しばかり多くの力を持っている。
それらの力を用いて、彼らは自らを神のような力があると見せかけて、振舞っているだけなのだ。p 294 ANDI

私は、あなたが私を見ることができるように直接行きます。
この場所に行けば私のメッセージを受け取れるとか、あそこに行けばスワミに会えるなどのような特別な場所にあなたを呼び出すことはありません。14/5/71


ヨシオ:頭を打って下さいの世界やな。

ポニョ:確かにあんたが言ったようにおいら達には関係無いぜよ。おいら達は、自分たちのやるべき事だけをやっておけばええもんな。と言っても、二年以上もやったから、もうそろそろこのブログも終わりに近づいたぜよ。話は元に戻るけれど、ラーマの講話の中で特に次の一節が良かったな。

人間として生まれるという事自体は、それまで何度もいろんな生き物として生まれ変わって来て、徳を積まないと得る事が出来ないくらい稀な機会なのです。神々でさえ、人になって生まれ変わりたいなぁと願っても、そう簡単に人になれるわけではありません。人間として誕生するという事は、解脱への扉を開く事が出来る機会を持てるという事なのです。人として生まれ変わる事は、数多くのいろんな種類の霊性修行が出来、そこから益を得ることが出来るという事を意味するのです。人の肉体は官能的な喜びを得る為に使われるべきではありません。また肉体を、天国に行く為の道具や天国での喜びを得る為の玩具や快楽を得る為に使うべきでもありません。これらの喜びを得たとしても、それはただ束の間の間だけの事なのです。それらは恒久的なものではなくて、再びあなたを誕生と死の苦しみの連鎖に連れ戻します。したがって、これらの喜びは結局のところ、悲しみをもたらすだけなのです。唯一愚か者のみが、これらの官能的な快楽の追求に明け暮れるのです。このような喜びは、人にとっては実は毒物なのです。

ヨシオ:ラーマの時代はトレタユガで、クリタユガの後やったやろ。だからクリタユガでの神々のお遊びについてラーマは言っておられるやろ。「また肉体を、天国に行く為の道具や天国での喜びを得る為の玩具や快楽を得る為に使うべきでもありません。」って。天国に行く為の道具は、天国から来た神々には関係ないけれど、天国での喜びを得る為の玩具や快楽を得る為に使うべきできではない、というところがその部分なんや。つまり神々はその頃獣や魚、鳥などのような他の生き物と人間を遺伝子工学を駆使して混ぜ合わせ、まるでギリシャ神話に出て来るような半獣半人間をたくさん生み出したカリユガの科学の名残の生き物が跋扈している体を神々が乗っ取って、お遊びの道具として使われたんや。その後、そういう半獣半人間から神々が抜け出た後、次は悪魔種族が乗っ取り、トレタユガで悪さをしていたので、世界の守護神言い換えればアパートの管理人のような世界を維持する役割のヴィシュヌ神の生まれ変わりであるラーマが、それらの種族を滅ぼしにやって来られたんや。

ポニョ:あのね、世界の守護神とアパートの管理人と一緒くたにせんとってくれますか?いっぺんにラーマのイメージが崩れたやないの。

ヨシオ:そうか?俺のお袋はアパートの管理人として働いていたけれど、アパートの管理維持するって宇宙や地球の面倒を見る神さんみたいな仕事やなと思っていたけどな。

ポニョ:そういやお袋さんは、大きなアパートの管理人をされていたよな。でも何で神々でさえ人間に生まれ変わることが難しんやろか?だって人が食するために生き物を殺すと、その生き物は人間になって生まれ変わって来るやろ?簡単に人間になれそうじゃんか?

ヨシオ:何が、そうじゃんかや。横浜の人間と違うやろ。神々のようなカルマもほとんど無く、波動の高い霊体を持っている魂が、それに見合った肉体を見つけるのは難しいんや。もちろんただ獣的な楽しみだけをする為に、肉体を取ろうと思えば出来るけれど、そうでは無くその高貴な魂に見合った行為を地上でしたいなと思ってたらそれなりの、波動を持った肉体を選ばないと、その魂に相応しい行為をするのが難しいし、カルマの法則も絡んでくるので神々に相応しい肉体を探すのは、俺たちが生まれ変わって来るより難しいしんや。

ポニョ:つまり神々ってそれほどカルマを持っていないし、霊的なレベルも高いので、自分のレベルに合った肉体を見つけるのが難しいって事なんか?ふーん面白いぜよ。というわけで、ラーマのお話には入りますね。


アヨーディアの街では、すべての家の横に庭があり花を栽培していました。住民たちは庭仕事を愛し、草花を注意深く育てていました。アヨーディアは四季を通じて草花や果樹が生い茂っていました。ミツバチの群れは、ブルームホバーとそのつぶやきは、草花の上を飛び回り、そのブーンという羽音はそこら中で聞くことが出来ました。肌に冷やっとするそよ風や香水のような花の香りは、そこを訪れる人たちを歓迎しました。と重い涼しい風は、一人一人に挨拶しました。街の子供たちは、たくさんの変わった鳥たちをペットとして飼っていました。鳥たちのさえずりやつぶやき、そしてチュンチュンと鳴く声が混じり合って耳に心地よく聞こえました。

ラーマの素晴らしいの治世の下での市民たちが得た富と繁栄を述べようとしても、ヴィシュヌ神が多頭大蛇のセシャ(がベッドとなって、その上で休まれた)の舌が千枚あっても、全てを語り尽くすことは難しいほどでした。これは、ラーマが育み守って来た正義(ダルマ)のおかげでした。ラーマは多くの馬祀祭 ( ばしさい という、馬を逃がして、その馬を最初に見つけた者が褒美をもらう儀式)をして犠牲を捧げました。何百万ものバラモンたちはそれによって捧げ物を受け取り満足しました。

またラーマは、ヴェーダや儀式の推し広め、ダルマの法の守り手(とは言ってもそれらの法や属性を全て超越されている)だけではなく、シーターを始め、ダルマの道を切望すべての人を助ける上で、すべての縁起の良い属性と、意思を十分に備えられて、人々がその有益な義務を果たすために助けて下さるお方なのです。
ラーマが国を支配されていた間は、肉体的な病い、精神的な不安や道徳的な堕落は、全く存在しませんでした。人々はお互い深い愛情や思いやりを持って接していました。一人一人が自分の属している社会や職業で、ヴェーダによって定められている義務と権利を喜びと共に履行していました。禁欲生活、慈善事業、犠牲、霊的な儀式や研究が衰え無いばかりか、国中の人々が熱心に取り組んでいました。罪深い思いは、夢の中でさえ人々の心に浮かぶ事はありませんでした。
女性を始め、男、高齢者や子供たちも含めて、ラーマへの思いで心がいっぱいでした。天災や何の自然災害も起こりませんでした。

ラーマの時代には、貧しい者や悲しみに打ちひさがれた人は一人も無く、身分が低い者や落胆した者も見れないばかりか、残酷で嫌われ者や醜くて不快な気持ちを起こさす者なども見かける事はありませんでした。全ての人々が魅力的な特徴を持っていました。誰も自分が誇りに思っている事を見せびらかしたりする為に、他人を傷つけたりする者はいませんでした。すべての人々はアートマに関する英知に精通していました。そして、すべての人々はダルマを実践し、保護する事を切望していました。全ての人々は思いやりがあって、お互いに助け合う事に熱心でした。人々はそれぞれ、お互いの長所を褒め讃え合って、心にエゴの一片もありませんでした。
地球上の海に囲まれた七つの大陸の全てがラーマが主権を握っていました。この地域全体にわたって、ラーマは唯一の文句なしの主でした。この帝国が支配する領土では、人々は、お互いに愛を持って助け合いました。争いやもめ事はなかったのです。

また、派閥争いや喧嘩なども見られませんでした。もちろん、ダンスや芸術面では競い合いはありました。
人を矯正する棒は、禁欲主義者と僧侶の手に握られていました。争いは苦行者たちが感覚の楽しみを求めた時にのみ見られました。執着心の事をラーガと言いますが、それは曲のチューンという意味でもありますが、音楽の世界だけで見られました。
誰もが敵を持っていない場合、どのように「やっつける」という行為が出来るのでしょうか。それは、その人が、自らの心の気まぐれを滅し、獣的な低いレベルの性質に勝利した時に「やっつける」という行為が存在するのです。
市街環境は素晴らしく、井戸や湖、そして貯水池などによって輝いていました。なんと純粋な水なのでしょうか!湖岸も何と美しいのでしょうか!
それらの崇高な魅力は、賢人と聖者から賞賛を得ました。彼らは、自分達がそれらの光景にとても魅了され過ぎたと言って、自分自身を律しなければならない程でした。湖や貯水池の水面には色とりどりの蓮の花が咲いていました。多くの鳥達は湖の堤で大きく育っている木々の枝でさえずっていました。オウム、クジャクなどは、枝に群れでとまり楽しそうでした。アヨーディアの市街地は、天国よりも素晴らしいので、人々はそのユニークさに心を奪われたのでした。