サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

この世界は完璧な愛の世界ですよ

2015-12-01 00:00:48 | 日記
人は生まれてから死ぬまで、明け方から夜まで、人は自然を収奪し、略奪し、その神聖さを汚すことによって束の間の喜びを追い求めます。
そして、自然は創造主である神の財産であり、それに対してなされる如何なる損害も厳罰に値するほどの神への冒涜であるという真理を無視しています。PD12

ポニョ:以前、神への感謝の気持ちが神への愛を育むという話をしたけれど、自分の周りを見渡しても中々神様を感じて生きていくって簡単じゃないぜよ。だって目に見えないし、ババの元へ行って直接何かをもらったり、言葉をかけてもらったりしてくれる様なわけではないから。

ヨシオ:俺も、子育てをしている時に子供達からそういう質問を受けたことがあるな。子供達はババはインドにいてるって思っているからな。でも毎朝目を閉じて、心の中にババのイメージを浮かべ、そのババのイメージと話せるようになるとババがインドではなく自分の心の中にいるっていうのが分かるようになって来るんや。

ポニョ:やっぱり前世からの霊性修行の積み重ねが大きく影響して来るんやろな。誰でもそんな事が出来ないぜよ。おいらはそういう心の中でイメージを作るなんて出来ないな。

ヨシオ:ポニョの場合は映画とかテレビを見過ぎや。常に一方通行の情報を入れ過ぎているので、もう心が反応する事をギブアップして映像とかが目に入って来ると、それに対して疑問を持つとか、質問をするとか、感情を表して一緒に驚いたり喜んだりしなくなるんや。だからシュタイナースクールでは、テレビや映画、コンピューターゲームを禁止してるんや。その代わり本をたくさん読ますと、子供って自分の頭の中にいろんなストーリーをイメージ化しながら話を進めていくので、とても情感豊かな創造性がある子供が育っていくんや。だから神様の姿を心に浮かべなさいと言えばすぐにそういう事が難なく出来るんや。

ポニョ:おいらは昔からテレビっ子で、好きな番組が始まるとテレビの前から離れなかったな。

ヨシオ:しかも、なんか食いもって見るんやろ。想像出来るよな。ポニョがムシャムシャとせんべいをかじりながらテレビを見ている姿が。そうすると自分が食べている物と自分が見ている物のイメージが一緒に自分の霊体の中に取り込んでしまうから、テレビの影響を何倍も受けてしまうんや。だから、そのテレビのイメージが長くその人の想念の中に残ってしまうんや。

ポニョ:そういや、昔ボクシングのカシアス クレイ、名前を変えてモハメドアリが大好きで食事をしながらボクシングの試合にかじりついて見てたんやけれど、その後学校に行っても家に帰っても、夜寝ても夢の中にカシアスクレイのボクシング姿が見えて、長い間ボクシングのイメージが頭から離れなかったぜよ。

ヨシオ:そうやろ。そういう事が起こるんや。だからさっきの話に戻るけれど、前世からの影響もあるけれど、子供の時からそういう霊的な影響についてしっかりした教育を受けさせば、どんな子供でも心の中に神様のイメージを持つことが出来るようになるんや。そうすれば、自分の外側だけに神さんを追い求めるのではなく、自分の心の中に神さんを探すようになるから、子供達が自己探求をして行ける人生を歩み始める事が出来るんや。子供がそういう道を歩み始めると、もう親としては安心なんや。だって子供達は自分の周りにあるいろんな物質的な誘惑よりも、もっと自分の心の中にイメージを創って、そこから喜びを得る方が楽しいって分かるから、物質的な物に価値を見出さなくなるんや。

ポニョ:シュタイナースクールに見学に行った時に、親が乗っている車を見ても古ぼけて個性が強い車が多かったな。車体にペンキで色々と落書きがしてある車も何台か見かけたぜよ。着ている服もコットン製で体を締め付けるような服ではなく、パジャマの延長みたいな服を着てフワフワと歩いていたな。

ヨシオ:パジャマで思い出したけれど、俺の次女が大学に通っている時に、毎日パジャマのまま学校に行ってたで。化粧もせず寝起きのスッピンの顔のままやったな。あいつは周りの目を全然気にしないんや。俺は面白くて笑ってしまったけどな。また、長女は弁護士をしてるんやけれど、事務所に着て行く服が全然弁護士らしくなくて、裁判官に注意されたって笑っていたな。そういう既成の価値観に縛られない子供がシュタイナースクールから輩出して来るって面白いよな。

ポニョ:テレビが支配層の洗脳装置であると気付いた時に、おいらはテレビを見るのは辞めたけれど、しかし心の中に神さんをイメージするのは難しいな。どうやって目に見えない神さんに感謝するのかそれが問題や。

ヨシオ:このブログの一つのテーマである、全てに神を見るというのがあるけれど、神様は自分を「多」にして自分自身を自分で見ておられるんや。だからポニョの目で見ている物や人や自然は全て神さんなんやけれど、ポニョはそれを神さんと見れないんや。それを霊的な盲目と言うんや。

ポニョ:自分が見ている物や人、周りにある自然を神さんと見れないのを霊的な盲目というか?真の神の姿をその物質的な姿で隠しているんやな。

自然は神の衣です。
不死なる存在が死の衣をまとっているのです。
新生児の中にも老齢は潜んでいます。
暗闇は光の母胎の中に眠っており、光は夜の中に隠れています。
真実が基盤です。
それは認識されていない基盤であり、一切の現象の魅惑ときらびやかさの基盤です。18/7/70

ヨシオ:実はその物質的な姿そのものも神の姿なんや。ポニョが森や林に行って木を観察したことがあるやろ。木って一本一本全て違う姿をしてるやろ。その森に何千本の木があってもどれ一つ同じ木って無いやろ。枝が生えて来るところが違うし、葉のつき方も違う。幹の曲がり方も違うし木の高さも違う。でも、一本一本の木はそれでパーフェクトなんや。最初地面から生えて来た時は、どんな木の苗も棒のように真っ直ぐな苗って無いやろ。少しだけ歪んでいる。でもそのまま歪んで育つと、片方にだけ重くなって木が倒れてしまうので、バランスを保つ為に歪んだ方向と逆の方向に枝が伸びて来るんや。また幹が太陽の向きによって少し曲がり始めると、それを調整する為に反対側に枝を伸ばしてバランスよく木が倒れないように育っていくんや。また風が一方からいつも吹いているところで育った木は、その風に負けないように重心上手くを取りながら育っていくし、山の斜面や軟弱な土地では大きく根を張って木を支えているやろ。このように全ての木は姿かたちは違うけれど、どんな木も全て太陽に向かって育って行くんや。まるで俺たち人間が神様に向かって人生を歩むように。

人は自然を分析し理解して学ばねばならない。
それはまるで、お母さんの膝の上で生き方を学ぶ子供のようなものである。
自然はまた、人にどのようにして平安を得ることが出来るのかをも教えてくれます。
もしあなたが自然の掟を破ると、彼女はあなたを平手打ちにし、彼女の命令に従って警告に耳を貸す様にあなたを導き、あなたが不滅の遺産を継ぐに値する様に導くでしょう。
それ故に神をあなたの導き手、守り手とし、ダルマの法に従いなさい、と言われ続けているのです。SSSvol2p164

ポニョ:なるヘソ。そういう例えを聞くと分かりやすいぜよ。一本一本の木が違った姿かたちをしているけれど、太陽に向かって育っている。それと同じように、それぞれの人間はあんたのように馬面やおいらのように狸のお腹のような個性的な姿かたちをしているけれど、全ての人間は神の方に向かって歩んでいるんやな。

ヨシオ:馬面は余計なお世話や。だから、外側の姿かたちだけ見てもこの世界にあるものは全て神様って分かるんや。人は他人を見て色々とあの人は失礼な人やとか野蛮な人やとか言って判断するけれど、そういう野蛮な人も獣的なものをまだ持っていて野蛮にしか行動出来ないという条件を持って生まれて来ているんや。また、精神的身体的に障害を持っていたり、先天的、後天的な病を持っていても、それはそれでカルマの法則によってその様になっているから全てパーフェクトなんや。この世界にあるものは全て神の意志によって動かされているし、それに無駄なものなんて一切無いんや。生き物だって無駄な物って付いていないやろ。ポニョの背中にオマケみたいに鼻が付いていないやろ。

神は、生物・無生物の別なく、万物の内に存在しています。
大宇宙から小宇宙に到るまで、神は全宇宙に満ち満ちています。
この宇宙は、神の姿です。
朝から晩まで、私たちはこのような神の姿を体験していますが、この事実に気付くことができないでいます。
皆さんの眼で見ているもののすべてが神の姿なのです。
皆さんが聞くすべての音にも神が遍満しています。
皆さんの心にある思いさえも、神の姿です。
心から放射される至福もまた神なのです。
見えるもの、聞こえるもの、体験されるもの、喜ばれるもののすべてが神であるとき、それ以外の場所に神を探そうとするのは、何と愚かなことでしょう。
皆さんは、世界という姿の神をした神を、毎瞬毎瞬見ています。
皆さんは、神聖な感情が欠けているために、世界を神として見るのではなく、神を世界として見ているのです。
いったん皆さんが宇宙はヴィシュヌ神の姿であるということを理解しさえすれば、必ず世界を神として見ることができるようになります。
『感じる通りの結果が生まれる』のです。
神は、全宇宙に遍満しています。
神がある特定の場所にいて、他の所にはいないという感じ方をしてはなりません。
神はいたるところにいます。
あなたが神を見つけようと思えば、どこを探しても、そこに神がいます。
まず皆さんは世俗的な思いを手放して、自分の視点を神聖な感情で満たさなければなりません。
そうして初めて、皆さんは、『全宇宙に神が遍満している』というヴェーダの教えを理解し、体験することができるのです。
神を特定の名前や姿に限定してはなりません。
神は、真我の原理として、すべての存在とすべての姿に内在しています。
実際皆さんは、神の力によって、見聞きし、話し、体験し、喜ぶことができるのです。
そうであれば、困難や、心配や、不幸もまた神であるのかという疑問が生じるかもしれません。
実は本当にそうなのです!それらもまた神の姿なのです。 23/11/99

ポニョ:あのね、今の例えはグロやぜよ。なんでおいらの背中にオマケのように鼻が付いているんや?そこまで言うんやったら、牛のようにいくつも胃袋をくれますか?そうすれば一日中美味しい物を食べ続けれるぜよ。

ヨシオ:また食べもんの話か。最初の話題は何やったか忘れたやろ。あゝそうや。神様に感謝するにはどうするんやという話やったな。それが何で背中に鼻が付いてる話になったんや。めちゃ飛んでるやないか。

ポニョ:あんたが言い出したんやないか。

ヨシオ:俺は子供達に、お父さんの中に神さんを見なさい。お母さんの中に、そしておばあちゃんの中に、先生の中にお友達の中にも。と言って教えて来たんや。俺たち親は、子供の事を家にいる時しか知らないやろ。学校でどんな楽しい時を過ごしているかとか、テストで苦しんでいるかとか、友達と喧嘩したとか、先生に褒められたとか、叱られたとか家にいる両親は全然知らない。逆に先生も自分のクラスの子供達が家でどんな生活をしているのか知らない。両親は共働きか、失業中か、家庭内暴力で子供が傷ついているのか、あったかい家庭で育っているのか知らない。でも神様だけが両方の世界を知っている。親よりも先生よりも知っている。そして一人ひとりの子供を森の木が太陽に向かって伸びていくように面倒見ておられるように、親や先生の知らないところで、子供達の面倒を見ておられる。神様ってこのように見ると、親や先生よりも子供の事をよく知って愛してくれているんや。世界中の誰よりも自分の事を愛してくれているお方。それが神さんなんや。だから神さんに感謝しましょうという心が大切ですよ。と言いたいんや。

ポニョ:森の木が太陽に向かって育って行くように、おいら達も神様に向かって歩んで行かなければいけないんやな。そうすれば森の木が実を付けて小鳥や動物、昆虫やいろんな森の仲間を養っているように、子供達も大きくなって社会や地域社会に貢献出来る人になって行くんやな。

肉体と自然界に繋がっている行為と、人間の内面に繋がっている感情、神に繋がっている悦び、この三つが一つになるとき人間と自然と神が一つに出会うのです。
この世界、自然は行為をする場所だと言っていいでしょう。
自然は人間に、行為を聖なるものにすることによって最高の目標に達する機会を与えてくれます。
~数え切れないほどよいことをしていれば深い悦び、つきることの無い幸せな感情を、一度か二度味わうことが出来ます。
そして数え切れないほどの良い感情を味わうことによって、はじめてアートマの永遠の悦びに達することが出来るのです。
ですから良いことを沢山しなさい。
皆さんは良いことをするという目的のためにこの身体を授かったのです。
~どんな見返りも期待せず様々な行為をする、奉仕の道、結果に捕らわれずに仕事をする道を歩むのです。SGc31

ヨシオ:人って朝日が昇り、雨が降り、涼しい風が頬を撫で、木が木陰を作り、小鳥が鳴き、秋になると虫達が鳴き、四季それぞれに花が咲き、夜になれば空一面に星々が輝く。そういう素晴らしい神御自身である自然に囲まれて育っている事に先ず感謝しなければいけないんや。

人は、神から戴いて消費し楽しんでいる、全ての贈り物に対して感謝の気持ちも持たず創造主を無視し、また知性と識別力を使わず宝の持ち腐れにしてはなりません。
自然は、「これは、私のものだ。あれもそうだ。それも私の身内のものだ。」などと言いながら自然を喰い物にする者共を罰します。自然は、自然界の掟を破るものたちを厳しく罰します。GVc12

ポニョ:そういう環境が生まれた時からあるから、それが当たり前だと思って、別に感謝なんてしないもんな。人は感謝するのではなく、逆に自然から収奪出来るものは何でも奪い、しかもその為には人の命を奪い環境を破壊し、金の為なら何でもしている。それってひどいよな。

ヨシオ:そういう意味で人はこの地球で大きなカルマを作っているよな。そろそろそのカルマを支払う時が来たけどな。この世界は完璧な神様が創造された愛の世界なんや。でも、人はそれをおのれの欲望で破壊しようとしてる。これは全ての人類の連帯責任や。森に火がついたんや。森林火災や。誰一人としてそのカルマから逃げれないやろな。

ポニョ:でも、そういう人類が頭を打ってカルマを支払う事自体も、既に神様の創造の計画の中に含まれているんやろ。喜んで森林火災の火に包まれましょか。森林火災の後には、素晴らしい世界を用意されているみたいやしな。

最近、自然が災害という形で反旗を翻しているのをよく目にします。それは人が自然の資源を強奪する際に、あらゆる限度を無視しているからです。豪雨、干ばつ、地震、洪水は人間の貪欲に対する反作用です。科学の進歩を理由に、科学者たちは世界の幸福を考慮する事なく、ますます利己的になっています。科学者たちは、自然を報復へと駆り立てているのです。 25/5/95
多くの自然災害は人為的なものなのです。地震、火山の噴火、戦争、洪水、飢饉や他の災害は厳重な自然の乱れの結果です。それらの乱れは人の行為の帰結なのです。人は、未だに人と自然の関係を完全に理解していないのです。SSvol25chap37