サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

一部託半託全託して神の御宅に帰宅(上)

2015-12-29 00:00:39 | 日記
神を愛しなさい。
神を信じなさい。
神に全託しなさい。
あなたの人生のすべてを神に捧げ、あなたのすべての行動を、神への捧げ物として進めなさい。
あなたのすべての行動を、他の人の役に立つものにしなさい。
常に助けなさい。
決して傷つけてはなりません。
あなたは、自分が問題のない人生を送っていると言うことはできません。
次の瞬間に何があなたを待ち構えているか、誰も予測することはできません!25/12/02

ポニョ:先日の記事で一言、言いたかったのは、いくら神様に全てを捧げるって言っても明日のおかずを買うお金も無くなるくらい使い切ってしまうというのは、世帯主として行き過ぎやと思うけどな。

ヨシオ:ポニョもそう思うか?でも、世帯主と言っても子供たちはもう経済面では自立してるし、お袋も亡くなっているから俺たち夫婦だけなんやで。だから気楽なんや。俺が嫁さんにプロポーズした時は大学は出たけれど、まだ就職先も決まっていないし経済的な余裕なんて全く無かったんや。いつもデートは図書館で二人で並んで勉強するんや。嫁さんは薬剤師の大学に入学したばかりやし、俺は大学院に進むための勉強をしていたんや。ある日、二人で相談して結婚するんやったらお金がいるから、予備校の先生のバイトをしようって決めて二人で試験を受けに行ったんや。そして予備校に行き二人で机を並べて試験を受けていたんやけれど、俺は壁に貼ってあるポスターが気になって試験が終わってから予備校の人にそのポスターについて質問したんや。

ポニョ:何のポスターやったんや?

ヨシオ:それは英語のポスターで、たくさん白い機械が並んでいて丸い蓋のようなものが正面に付いているんや。予備校の人はこれは英語の教材としてアメリカから取り寄せたポスターで、ラウンドリーマット(コインランドリー)という自動洗濯機や乾燥機の店やって言ったんや。俺はこれやったら人手は要らないし、二人とも事業をしながら学業に専念出来るしええなと思い、早速いろいろ調べたんや。そして事業計画書を作成していろんな銀行に持って行き融資の相談をしたら、一つの銀行が面白そうやな。あんたに投資してあげましょか。と言ってくれたのでそれを元手に、早速店を一件開店したんや。すると、結構流行って瞬く間にたくさんのコインランドリー店のオーナーになったんや。

それまで嫁さんは、結婚しても貧しくてもいいよ。屋根があるところに住めたらそれで満足です。とか言っていたけれど、大きな家を買ったり、いろんな事業に手を染めたりして一端の事業家になったんや。その間俺は大学院にも合格したので毎日学究の日々を送っていたんや。以前にも記事にしたけれど強盗に入られたって言ってたやろ。その時、捕まった強盗の減刑活動を通じて知り合った、強盗が通っていた夜間高校の生徒会長を雇って、彼が全ての事業を取り仕切っていたんや。だから俺は自分のやりたい事に集中出来たんや。

ポニョ:今の日本では不景気やからそういう起業家なんてやっても成功するのは難しいやろな。

ヨシオ:俺は自分の周りを見回して何か地域に役に立つ仕事やら、人の為になるような仕事が無いかなと思って探していたんや。だからコインランドリーは独身の人たちに受け入れられたと思う。便利やろ。24時間開いているし。でも最初始めた時は誰も乾燥機何て見たことが無いから、汚れものと洗剤を一緒に乾燥機の中にいきなり入れて、100円玉を入れて乾燥機を回すので洗剤がガチガチに衣服にこびり付いて大変やったな。お袋が一日中付きっきりで店番してたな。それで、お袋ってああいう潔癖な性格やろ。乾燥機の中の服が乾いていなかったら、お客さんに分からない様に、自分のポケットから100円を出して乾くまで乾燥機を回すんや。だからお客さんの評判が良くて結構忙しかったな。お袋のおかげやな。事業が大きくなれたんは。

ポニョ:お袋さんらしいな。

ヨシオ:オーストラリアに引っ越してから、ババのお仕事をやってマスコミに俺がやっている事を取り上げられた時に、たくさんの人が俺の農場にやって来たんや。その時に俺の話を聞いにインド人もやって来たんやけれど、最初に日本ではどんな職業やったかを俺に聞いて来るんや。そんな時俺はわざとインドでは最下層のカーストと同じ洗濯屋をやってたと言うんや。するともう何も聞かずに帰って行くんや。面白いで。

ポニョ:職業を聞くことによって相手のカーストを調べてるんやろな。「なんやこいつは、最下層のカーストか?こいつの話なんて聞く価値が無いやんけ。」とか思って帰って行くんやろな。

ヨシオ:そういうわけで、俺や嫁さんは貧乏生活に慣れているから、事業をする前に戻っただけなんや。俺たちは、金持ちの生活を知っているし、別に戻りたいとも思わないし、何の欲も無いんや。ただ、ポニョと一緒で世界が平和になればええなと願っているだけなんや。

ポニョ:でも、おいらと一緒でどんな状況でもあんたの嫁さんはいつもニコニコしているもんな。

ヨシオ:そんなとこ本当にポニョと似てるよな。同じO型やし、あんたら多分、ニコニコする以外の顔が出来ないんやろな。

ポニョ:それって失礼と違いますか?

ヨシオ:そう言いもってまだ顔が笑っているやないか。ポニョもコメント欄に誰かに言ってたやないか。俺の嫁さんの目がマンガ目で思いっきり垂れているって。コメント欄は閉じてしまっているけれど、この話を嫁さんに知られたら俺が殺されるとこやったんやぞ。

ポニョ:とかなんとか言って、今記事にしているやないか。

ヨシオ:怒ったらどんな目になるかちょっと興味があるから、様子を見てみようと思っているんや。

私は皆さんすべてが出家して一切を放棄するように望んでいる訳ではありません。
私が望んでいることは、皆さんが自分の義務を果たし、神に全てを委ねて、万物の裏側には唯一の根本的な実体が潜んでいるということを悟ってもらいたいのです。
この悟りを得るならば、無執着はひとりでに培われることでしょう。
無執着は強制的に得らしめるものではありません。
神への愛が大きくなるに連れて、俗世の物事に対する関心は自然に消え失せて行くものなのです。10/9/96

ポニョ:そうやってあんたはいつも遊んでいるやろ。さっきの話に戻るけれど、嫁さんは金が無くなっても怒ったりしないんか?

ヨシオ:ポニョがさっき言ったように、自分のお金を二つのカテゴリーに分けて、これだけは神様に捧げる分で、こちらは自分が自分の為に使う分という風にしたら、たとえ神様に捧げるお金を使い切ってもまだ余裕があるよな。でもそういう生き方を神さんは好まれないんや。もちろんまだ小さい子供がいてる家庭とか、年老いた両親の面倒を見るために一定の金がいる場合は別やけれど、俺のようにもう全ての義務が終わっている神の帰依者は、全てを捧げるっていう意味は、全てなんや。自分の物なんて一つも無いんや。だから明日のおかずを買いに行くお金が無くなってババに相談すれば、ババは面倒を見てくれるんや。もし面倒を見てくれなかったら、君たちはもう生きていなくてもいいから餓死して死になさい。もう人生の上がりです。私のところに早く帰って来なさい。というサインやろな。

ポニョ:そんなアホな。それは無いぜよ。まあ、あんたの嫁さんはよく我慢してるぜよ。普通じゃ考えられないな。

それは神のもので、これは自分のものという思いを断ち切りなさい。
そのような思いを持っている者は半分、盲目と同じなのです。
それ故、神のもの、私のものというパートナーシップのような関係を神との間で築いてはなりません。
神と信者の関係は神聖な関係なのです。8/4/96


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