サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

地の要素を持ってる私です

2017-01-10 23:00:03 | 日記
あなたの思いはすべて、あなた自身の反映です。
それは 神とは何の関係もありません。
ですから、自分の考えは外界の反作用、反映、反響 にすぎないと知るべきです。神は、反作用を超えており、反映を超えており、反響を超えています。
神は唯一なる神聖な響きを有しています。
それは真理です。
神は 不変なる真理です。
しかしそれを理解する者はいません。
それは道徳と誠実さという正義の道を歩んで、初めて理解することができるのです。17/7/97

ポニョ:以前、自分の心の反映が外の世界に映し出されるっていう話をした事があるけれど、そういう風に見れば、確かにそうやなって思い当たる事が多々あるぜよ。どうしてこういう大事な事を学校で教えないんやろうか?このような事を知って生きるのとそうでないのとでは、人の生き方が全く違って来るやろ。だって星やんも言ってたけれど、この世界で生きていくのに一番辛い事は人間関係やって。でも自分がこの人は癖があって嫌やな、とか、あの人はいつもおいらの事を目の敵のように毛嫌いするから、付き合いにくいな、とか思っても自分の嫌なところがその人に反映しているだけで、その人の良いところだけを見たり、その人の気持ちになって優しい言葉をかけたりすれば、いつの間にか、自分の周りの嫌だと思っていた人が、一人ひとりいなくなって行くもんな。そして心に平安が持たされるぜよ。

ヨシオ:とか何とか言ってるけれど、ポニョには元々敵なんていないやないか。のんびりしてあまりくよくよしないし、大らかで人が良いし。商売繁盛の神さんみたいにいつもニコニコしているから、えべっさんやと思って、みんながポニョに笹を持って来てくれるかもしれんな。

ポニョ:そういや、今日は十日えびすやぜよ。商売繁盛で笹持って来い。おいらに笹を持って来てもらっても笹迷惑やぜよ。でも、商売繁盛と笹と何の関係があるんやろうか。

ヨシオ:多分、笹っていつまで経っても枯れずに青々としているから、商売繁盛が長く続くようにと思って笹を祀るんやろうな。

ポニョ:へえ〜そうやったんや。それでおいらはその戎さんですか?そういや顔もちょっと似てるかも。昔、学生の頃にエビスビールをよく飲んだな。そのせいでニコニコ顔になったんかな?

ヨシオ:そんなわけがないやろ。それじゃキリンビールを飲めば首が長くなるんか?

ポニョ:あのね、キリンビールのキリンって想像上の動物で、アフリカにいてる首の長いキリンさんではないんでオマス。知ってる?ビール瓶のラベルに描いてあるキリンの絵の中に、小さな字でキリンって書いてあるんやで。

ヨシオ:そんな事どっちでもええやないか。ポニョは外の世界の事にはめっぽう詳しいからな。もっとポニョの内側を探求しないと、いつまで経っても同じ霊的レベルに留まって、上のレベルに上がれないで。いくら物質世界を探求したり、何千冊も霊的な本を読んでもアートマを認識する事なんて出来ないんや。

神の自覚は外部から得られるものではありません。
神の自覚(ブラフマニャーナ)は、各人の内にあります。
人を包む分離感という迷いが去れば、燦然たる光輝を放つ神の自覚が現れます。
その他の知識は全て外界と関わるものであり、内なる存在を反映するものでしかありません。
物質(プラクリティ)の探求によって内なる絶対実在に関する知識を得られると想像するのは完全な間違いです。
現象世界を理解することによって遍満する太霊を認識することはできません。
人はパラマートマ(遍満する太霊)から生まれました。
この真理を理解しなさい。
一切の知識の源泉はあなたの中にあります。
賢者は偉大な書物による知識の持ち主でもなく、物質世界の知識の持ち主でもありません。
真の英知者とは、自らの内なる神霊を自覚しそれにふさわしく生きる人のことを言います。
大勢の人が神の栄光を能弁に講釈します。
しかし、彼らは神ながらの生き方をしていません。
経典の知識が何の役に立つでしょう?
自分の教えることを自分自身実践しない教師は、他の人に教える権利はあるのでしょうか?
イエスは群集から石を投げられる女を見て「心の中でも罪を犯したことの無い者のみが、その人に石をなげさせなさい。」と説きました。2/3/92

ポニョ:外の世界からでも人はいろんな喜びを見出されるぜよ。おいらはカヌーで川下りをしている時が一番幸せやな。川岸にやって来る水鳥を見たり、色んな野生の花や自然が織りなす風景を見たりしながら川下りをすると、自分が自然と一体になったような気がして幸せ感に包まれるんやぜよ。カヌーに座ると体重の重みでカヌーが少し沈むやろ。その為においらの目の高さが水鳥の目の高さぐらいになるんや。だから川の流れに乗って下って行くと、まるで自分が水鳥になったように感じれるんやぜよ。

ヨシオ:それって楽しそうやな。でも、そういう幸せな気持ちも川下りが終わったら終わりで永続しないやろ。俺が言ってるのは、永続する完全な至福の事を言ってるんや。この世界から得られる幸せ感は全て一時的なもので、昔、ポニョがエビスビールや大吟醸を飲んだりした後に酔っ払ってウキウキした気分になるのと同じなんや。

悲嘆と歓喜は心の波立ちでしかありません。
心は身体と感覚に関わり合う時にのみ、影響され、波立ち、変化します。
酒に酔えば痛みは感じないと言われていますが、その時、心は身体から離れているので、身体の感じる苦痛や不快を気に留めないからです。
それと同じく、覚者の心はアートマンにどっぷり浸っています。
彼は心を訓練して心の平安と静寂とを確立することが出来るのです。
覚者は自分自身のアートマンから完全な至福を得ます。
彼は、彼以外のいずこからも至福を求めることはありません。
実際、彼は外界のいかなるものの中にも歓喜を見出そうと望んだり、外部に歓喜を見つけようと計画することすらありません。
彼は自分の手に入れた内なる歓喜に満足しています。JV

ポニョ:でも人にポニョさんはお酒を飲んでも飲まなくてもいつもウキウキしているように見えますねと良く言われたな。

ヨシオ:ポニョらしいやないか。すぐに分かるわ。普通、人は酒を飲めば人は理性を失って獣性を増して理性を失うけれどな。

ポニョ:確かに酒を飲めば理性を失って獣性を増すっていうのは当たっているよな。おいらの大学時代の友達は酒を飲めば、人が百八十度変わってしまうんや。普段はおとなしいんやけれど、一旦酒を飲めば目が座り、誰かと目が合えば、誰であろうが喧嘩を売るのは良いけれど、元々喧嘩が弱いので逆にいつもボコボコにされるんや。それでその事を後で何にも覚えていないんや。

人が飲む水は生命の供給源です。
水はシヴァ神の頭から流れています。
水は神聖です。
そうした健全な飲み物の代わりに酒を飲むことは誤りです。
酒は人に自分の本性を忘れさせます。
飲酒により人は不快な気分になり、酒飲みを堕落させます。
酒は神を忘れさせます。
酒飲みは自分が言うことも行うことも意識にのぼっていません。
そのような人を見ると嫌気が催してきます。
飲酒の弊害によりおびただしい数の家庭が崩壊しました。
酒飲みはお金をすべて酒につぎ込んで、妻や子どもたちに貧苦を負わせています。
そのような無責任な男がどうして社会の役に立つでしょう?
 酒に加えて、多くの人がタバコの喫煙にふけっています。
今日では、タバコを吸うことが、喘息や肺癌、好酸球増多症や心臓病など、多くの病気の原因となっています。
喫煙の害は容易に示すことができます。
白いハンカチにタバコの煙を吹きかけると、吹きかけた部分は赤く変色します。
タバコの煙が一枚の布切れにそのような害を生じさせ得るのであれば、その煙が血流に入ったときにはどれほどの害をもたらすことでしょう? 
タバコの煙は健康を損ない、寿命を縮めます。
ですから、真の帰依者になりたいと願う者は、肉・酒・煙草を断たなければなりません。
 アルコール依存症は数々の悪の原因です。
けれども、どの政府もそれを止めることができません。
それは個人のレベルで起こらなければなりません。
個人の変化は、他人に説教された結果としてではなく、その人の精神的な変容を通してのみ起こることができます。
一人ひとりが以上の真理に気づき、自分自身を改善しなければなりません。 23/11/94

ヨシオ:俺の知り合いも毎日のようにビールを飲んでいてすぐ人に絡むし、飲めば同じ話しかしないし兄弟家族から嫌われていたな。

ポニョ:人を獣のレベルに落とすのは簡単やな。酒を飲まなくても下品な話をしたり、ネットの不道徳なサイトを見たりしたら、いっぺんに自分の霊的な波動が下がって来るぜよ。

ヨシオ:人の体は五大元素から出来ているやろ。一番波動が荒くて、肉体の大きな部分を構成しているのが地の要素なんや。この地の要素は、動物たちの持っている獣的なレベルと一緒やから、肉体の欲望や酒の力によって、人の霊体を低いレベルに押し下げて行こうとする傾向があるんや。だから人は、自分よりもっと高い波動を持った人と親しくしたり、霊的なレベルを上げる書物を読んだり、霊的波動が高い寺院や神殿に巡礼に行ったりして、自らが持っている五大元素の中の地以外の要素を増やしていかないといけないんや。

ポニョ:食べ物もその人の霊的波動に大きく影響するぜよ。おいらはあまり感じないけれど。

ヨシオ:ポニョにも実は大きく影響しているけれど、それを感じないぐらいポニョの霊体は、まだ地の要素が支配してるって事なんやろな。特に肉を食べれば動物の霊体がそのまま食べた人の霊体の中に入って来るから、すぐに興奮して怒ったり、感情をコントロール出来なくなったり、性的な欲望が湧いて来たりするんや。またインスタントラーメンのような加工食品ばかり食べていると、カロリーは充分摂れるかもしれないけれど、霊力は全然入っていないからその人の霊体にとって良くないんや。そういう人は、すぐに風邪をひいたり病気がちになるし、低い低級な欲望にすぐ影響を受けたりして、自分の霊的波動を下げてしまうんや。

ポニョ:それにインスタントラーメンのような加工食品には、植物油と表示したパーム油がめちゃ入っているから、毒を食べているのと同じやぜよ。おいらが学生の頃に一緒に下宿していた友達は、そういう事に全く無頓着やったからインスタントラーメンばかり食べ過ぎて十二指腸潰瘍になり、お腹が潰瘍と言って手で胃をかきむしっていたぜよ。

ヨシオ:お腹が潰瘍って、痒いようって言いたいんか?そのダジャレはちょっと苦しかったな。でも80点あげよう。

人間において大半を占める地の要素は、常に人を下方にひき下ろします。
世俗のレベルからより高く上昇するためには、人は自らの地の要素を少なくし、その代わりに水・火・風・空の4要素を増さねばなりません。
増大させねばならぬ火の要素は英知の火です。
それと同様に人は自らのうちのアパーナヴァーユを減らしサマーナヴァーユを増やさねばなりません。
それが人の命の本性と機能をつちかうことです。
プラグニャーナの存在によって、生命力は体を動かすことができるのです。
体は不活性なものの象徴です。
生命力は体内で振動として働きます。
この振動がプラグニャーナから力を運び、それは放射となって放出されます。
このようにして、体と生命力とプラグニャーナはすべての人間に内在しているのです。全宇宙はミニチュアとなって人間に内在しています。
この三つの構成物質のおかげで、私たちには宇宙を見ること、他のさまざまなことを体験することが可能なのです。
私たちにはあらゆる力が内在しています。
外界は内にあるものの反映です。
これは要するに、真のマーナヴァートワム(人間性)はダイヴァットワム(神性)そのものであるということです。
それゆえヴェーダは、「神は人間の姿をとって現れる」と宣言したのです。
人は誰もが本来、神なのですが、体への執着のせいで人は自分をただの人間だと思っているのです。
人体はいかにして生命力によって動かされているのでしょう?
生命力はどこから生じるのでしょう?
生命力はアートマ シャクティ(真我の力)から生じます。
真我の力を使うことで、生命力はあらゆる活動を行うことができるのです。23/8/95
https://m.youtube.com/watch?v=Ml-k64_2zDM



















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