サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

雨よ、降れ!

2017-12-20 16:00:51 | 日記
ヴァイラギア<一切の執着を捨て去る。>は家庭を捨て、森へ入ることを意味することではありません。
それは神さながらの思いをつちかい、世俗の感情を捨てるという意味です。
中庸な生活をうまく保って実践するならば、自然力をコントロールする事が出来ます。
自然力をコントロールすれば,人の心の力は強化されます。4/10/92

ポニョ:クリスマスや正月が近付くと、昔はよく映画を見に行ったぜよ。ゴジラなどの怪獣映画やもちろん若大将シリーズや寅さんシリーズが良かったな。
でもおいらが一番好きな映画はハリウッドではなく、もちろんボリウッドでもなく、イランの映画なんや。
一番最初に「運動靴と赤い金魚」やったかな。そんなタイトルの映画を見たときに、ほのぼのとして見終わってからも席を立ちたくない気分で、そのイランの片田舎の生活の中にしばらく浸っておきたいなと思ったな。
https://m.youtube.com/watch?v=V1UDOdQOX_E

ヨシオ:暴力シーンとかアクション活劇シーンとか無いんか?

ポニョ:お兄ちゃんと妹の二人兄妹が一足の運動靴をシェアして学校に通うんや。というのもイランの学校は午前と午後の二部制やから。でも靴がある事件で失くなってしまい、お兄ちゃんはマラソン大会の賞品である運動靴を獲得しようと頑張って走るストーリーなんや。

ヨシオ:それと金魚と何の関係があるんや?分かった。一等賞の賞品を取れなかった代わりに、金魚をもらったんや。

ポニョ:違うっちゅうに。また良かったら見て下さい。とても素朴な田舎の子供達から学ぶところがあるぜよ。
その映画を見たのは二十年以上前やけれど、最近見た映画も良かったな。バシューという映画で、やはり子供が主人公なんや。
イランイラク戦争で村が爆撃で破壊され、近くを通っていた運送屋のトラックに乗ってバシューという色が黒いアラブ人の子供が、全然行ったことがない村に逃げ込むんや。その村人たちの善意に守られてそこで大きくなって行く話なんや。これは英語が字幕やけれど、あまり会話が無いので面白く見れたな。もし良ければどうぞ。
https://m.youtube.com/watch?v=5v2Z33tW1fU
ヨシオ:俺は映画を見ないけれど、イラン映画やったら見てもええかなという気分になって来たな。

ポニョ:サイババさんも映画を見られないよな。でもある日、友達の家族に無理やり連れられて映画を見に行ったら、突然停電になって中止になったんや。小一時間、みんなで夜風に吹かれながら待っていたので、何人か風邪を引いたエピソードがあったよな。

ヨシオ:結局、見れなくて、鼻水を流しながら家路に着いたんやったな。神の意志に反した事をすれば、このような結果が待っているんや。

ポニョ:サイババさんが若かりし頃の話をしたらキリが無いほど面白いエピソードが次から次へと出て来るよな。
おいらが印象に残っているエピソードは、サイババさんがわかかりし頃、粗末な藁葺き小屋を建てて一人で住んでおられた時期があったやろ。
その時にヒンドゥー教の慣習を破り、タブーを犯したという事で村人から恨まれて村八分のようになったんや。そして心ない人たちがサイババさんを殺そうと、食べ物に毒を盛ったり、丘の上から岩を投げつけたり、藁葺き小屋に火を付けたりされて、サイババさんは大変な目に遭っておられたよな。その頃の話しを読んだり聞いたりする度に、おいらは胸が締め付けられそうな気がするんや。

ヨシオ:でも藁葺き小屋に火を付けられた時に、サイババさんが天を指差して「雨よ降れ!」と命令した途端に火が付けられて燃え上がっている小屋とその周りだけ大雨が降ってあっという間に火が消えたんやったな。

ポニョ:それって格好ええな。一度おいらもやってみたいぜよ。「雨よ降れ!」って。

ヨシオ:ポニョが言えば雨の代わりにpm2.5が降って来そうやな。

ポニョ:もしもし、おいらは大気汚染神ですか?

ヨシオ:サイカレッジの教授が昔、ダルシャン会場に屋根が無かった頃の雨にまつわる奇跡の話しをしてくれたんや。
その頃ダルシャンで雨が降り出すと、帰依者たちは屋根の付いたガゼボのような壁の無い屋根だけの建物の中に入るか、雨に打たれたままそのまま座っているかしか選択がなかったんやけれど、学生たちは、礼拝堂マンディールのベランダにぎゅうぎゅう詰めになって座っていたんや。
そして本格的な大雨になって来る前に、サイババさんがダルシャンを終えてマンディールに戻って来られたんや。
サイババさんが礼拝堂に来られた途端、バケツをひっくり返したような雨が降り出して来たんや。それでもサイババさんはベランダにぎゅうぎゅう詰めに座っている学生達を気遣って、ベランダの雨が降ってその雨風が吹き込んでいるたった30センチの幅を自分は濡れながら歩き始められたんや。
それを見て学生達は、サイババさんが自分達学生を雨から守る為に、サイババさんが自ら犠牲になって、濡れてしまわれるのではないかと心配していたんや。
するとサイババさんはそういう学生の心配事を見抜かれて、突然立ち止まり「雨よ止め!」と小さな声で言われたんや。すると不思議な事にその言葉を発せられた瞬間に雨が完全に止んだんや。

ポニョ:それってとても不思議やぜよ。だって雨は雲から降って来るから、いくら雨よ止めと言っても、もう既に雲から離れて空中に落ちて来ている雨粒まで止められないぜよ。

ヨシオ:ところが雲から降り出して地上に到着する前の、空中にあった全ての雨粒も完全に消えて無くなったんや。つまりサイババさんが「雨よ止め!」と言われた瞬間に、全ての雨が止まったんや。
その様子を目の前で見ていた教授はそれが不思議で「これって普通では考えられないな。さすが神の化身や」と思って感心してたんや。そして学生達へのダルシャンが終わると、サイババさんは再び天に向かって「雨よ降れ!」と独り言のように小さな声で言われたんや。
するとその瞬間にまた大雨が降り出したんや。

ポニョ:さすがに教授だけあって観察力が鋭いぜよ。普通の人やったら「あれ!雨が止んじゃった。」とか「また雨が降り出したぜよ。奇跡じゃ奇跡じゃ面白い。この目で見ちゃったぜよ。」とか言って喜ぶだけやもんな。
そして「雨よ降れ!」と言われた途端に、またいきなり雨が降り出すってすごいぜよ。一瞬のうちに空中に雨粒を無数に作られたんやろな。まあ、神様やから何でも出来るもんな。

ヨシオ:ケララ州でサイババさんが講話をされた時に、「この会場に来ている人の中で天候をコントロール出来る男が一人いる」と言われた事があるんや。誰でも霊性修行して神のレベルに近づけば、こういう芸当が出来るようになるんやろな。

ポニョ:ひょっとしてひょっとすると、おいらもそのうちの一人かもしれないぜよ。だっておいらがどこに行く時も雨が降り出すから、日本一の雨男と呼ばれてるんや。

ヨシオ:何が日本一の雨男や。その降らせた雨は自分の意思で降らせたわけじゃないやろ。ただの偶然やないか。ポニョがアルジュナのようにインドラ神の息子やったら信じるけどな。ポニョはインドラ神ではなくオクラ神の息子やろ。

ポニョ:オクラ神って八百万の神の一人ですか?

ヨシオ:そんな事は知らんっちゅうに。

ポニョ:オクラ神か。そうか、おいらの守護神さんはオクラだったのだ。おいらにも昔グルと呼ばれる人はいたけど。まだサイババさんを知らない頃やったな。
それで、そのグルから瞑想を習っていて、グルが「さあ、ポニョくん。君の瞑想は心が迷走しているのでマントラを授けよう。今から君に授けるマントラは君だけのマントラで、君の霊的な波動に合った音を選んだマントラだから誰にも口外しないように。」と固く約束させられて、おいら専用の三文字のマントラをくれたんや。
この前も言ったけれど、確かオシムか、オシリか、オシメか、オクラか忘れたけれど、唱えていて思わず笑っちゃうマントラやったんや。
それが可笑しくて他の生徒と話していていたら思わず口が滑り、絶対口外してはいけない自分だけのマントラをその人に言ってしまったんや。するとその人もおいらと同じマントラをもらっていたので、もうそのグルを信用出来なくなり、その生徒と一緒にそのグルから離れちゃったな。
そのマントラをもらう時に、当時の金で三万円ほど請求されたんやで。それに果物を一つ持って行ってグルに捧げたり、なんだかんだと儀式のような事までしたのに拍子抜けしちゃったぜよ。

ヨシオ:グルからマントラをもらうというしきたりは、インドのブラミンカーストの人がよくやるんや。個人個人のマントラだけではなく、家族だけのマントラとかいろいろあって、自分のグルにわざわざもらいに行くんや。
ポニョのグルもそうやったかも知れないけれど、インドではそれを金儲けの手段にしているグルもたくさんいるんや。ブラミンカーストに属しているサイババさんの帰依者達は、サイババさんからマントラをもらおうとするんやけれど、サイババさんはいつも「Love All Serve All 」「Help Ever Hurt Never」がマントラだとか言って個々の帰依者にマントラを授けられないんや。

ポニョ:「全てを愛し、全てに奉仕する」「決して他の人や生き物を傷つけず、助ける事だけをする」ってヴェーダンタの真髄やぜよ。
これを守って生きて行く事が大事であって、その教え自体がマントラなんや。そのように生きて行ける人はマントラを体現した人なんや。それにもうサイババさんは最高のマントラであるガヤトリマントラを自分達に下さっているぜよ。

ヨシオ:でもそう言われても満足しない帰依者がいて、サイババさんから、自分や家族の為だけにマントラをもらおうと必死になる人もいるんやで。

ポニョ:確かカスツーリさんもそのうちの一人やったぜよ。サイババさんから自分だけにマントラをもらおうと期待していたら、全然くれないのでとても落ち込まれたんや。
そして、サイババさんが「どうしてそんなにマントラを欲しいんだい」と聞かれたら、カスツーリさんは「マントラを唱えることによって少しでも神に近づきたいんです」と答えるとサイババさんは、何も言わずにカスツーリさんに近づき、両手でカスツーリさんを抱きしめられたんや。
そして「君は、一体どれくらい神に近付きたいんだい」と聞かれたんや。

ヨシオ:そのエピソードは感動的やったよな。それで、そこまで落ち込む人に特別にサイババさんはマントラを授けることもあるんやで。
次に紹介するマントラもそのうちの一つで、確か「ラヴ、ラヴ、ラヴ」やったんや。もちろん発音は正確じゃないけれど。

ポニョ:「ラヴ、ラヴ、ラヴ」って英語やおませんか?

ヨシオ:これは英語とヒンドゥー語かサンスクリット語か知らないけれど混ぜ合わせた言葉で、「今の瞬間、愛、笑顔」という意味なんや。
つまり過去の出来事を思い返して後悔したり悲しんだり、未来に起こることを心配したりする事なく、今現在を、今この生きているこの瞬間を、いつも愛を振りまきながらポニョのように笑顔で生きて行きなさいという意味なんや。
サイババさんは未来の地図を何人かの人達に物質化されたけれど、それらの人たちに会ったら、それらの人たは星やんのように霊的レベルが高い人ばかりで、未来にそういう事が起こっても当たり前やから、それらを心配する事無くハッピーで受け入れる人ばっかりやったな。

ポニョ:おいらもそのうちの一人やぜよ。だってこの世に何のしがらみも無いし、もう欲望も何も無くて何があっても受け入れるし、いつもハッピーで生きているつもりやぜよ。

ヨシオ:ポニョは欲望を持っていない?…食べたいものは山ほどあるやないか。
でもポニョのように淡白人間には簡単やろな。グローバルエリートがやっている悪行にムカついて頭に来ても、次の瞬間にはもうすっかり忘れてしまって、何か違うことに一生懸命になれるもんな。
俺はその点、巳年でさそり座やから執念深いというか、昔の怨念物語に出て来るお岩さんみたいに一度何かあったら、いつまでも経っても覚えているし、いろんな出来事が一度心に刻まれると、なかなかそれを払拭出来ないんや。そういう点でポニョの方が俺より神さんに近いかもしれんな。

ポニョ:お岩さんですか?怖かったな、あの映画は。
真夜中に井戸のほとりに立ちながら、リンクの貞子のような長〜い髪の毛を前に垂らして、お岩さんが血を流しながら恨めしそうな顔をしてお皿の数を数え始めるんや。
「お皿が一枚。お皿が二枚、お皿が三枚…」という風に。
そして全部数え終えたら、「お皿がおし枚」って言うんや。本当に怖かったぜよ。

ヨシオ:あのね…。「お皿がお終い」ってどこが怨念物語なんや。喜劇やないか。

マントラは単なる言葉の寄せ集めではありません。
マントラは多大な意味を含んだ一連の言葉です。
マントラは人間の内なる力から生じます。
力に満ちたマントラは、正確に発音されると、人間の内にある神聖な力を呼び起こします。マントラを唱えることで作り出されるバイブレーションは、宇宙のナーダ(原初の音)と結合して、普遍意識と一つになります。
この宇宙のバイブレーションが、ヴェーダという姿をまとったのです。1/10/84




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