サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

この世で一番強い力

2016-05-15 00:00:19 | 日記
心を神の愛の輝きで満たしなさい。
単なる書物の知識を手に入れるだけでは何の役にも立ちません。
皆さんが、今までに勉強して来たことは全体の知識のごく一部分に過ぎません。
にもかかわらず、皆さんはそれを得意に思っています。
皆さんの世俗的な教育は、神の英知に比べれば取るに足りないものでしかありません。
教育や力や富によっては、神に到達することはできません。
神は愛によってしか触れることができません。
神は、愛を育てたときに初めて体験できるのです。
帰依とは、神を心から愛することです。24/7/02

ポニョ:昨日は、神は愛によってのみ認識出来て体験出来る話をしました。

ヨシオ:以前、お母さんの愛を知らずに育った子供は、人に自分の愛を分け与えるのが難しい大人になるという少し論議を呼ぶような話をした事があるけれど、人って自分が誰かから愛をもらうと、愛の素晴らしさや暖かさ、その温もりが分かって、他の人にも分け与えたいなって思う気持ちが湧いてくるんや。

ポニョ:お母さんの愛をもらえなくて育った子供も、お母さんの代わりに誰か違う人から愛をもらって育てば同じような暖かい大人になれるのと違うか?

ヨシオ:この世にお母さんの愛より強くて無私で無条件に愛してくれる人なんて存在しないんや。お母さんの愛に匹敵する愛を持っているいる人なんてどこにいる?神さんぐらいやろ。その神さんは、お母さんを通じて子供を愛されるんや。神さんの愛を一番顕現できるのがお母さんを通じてなんや。

母親に対する名誉と尊厳を守って初めて、真の息子と呼ばれる資格を与えられます。
母親の愛を獲得できなかった人の人生は浪費にすぎません。
ですから、私たちはまず第一に、母の愛を得るに値するようにならなければなりません。母の愛を言葉で説明しつくせる人などいません。
母親の意志の強さがあってこそ、息子は人生で成功を収めます。
ですから、人は自分の母親を敬い、愛するべきなのです。
母親には最高の地位を与えなけれなければなりません。
それができる人だけが、真に国をリードしていくことができます。
神々は崇めても崇めなくてもかまいませんが、母は必ず神として崇めなければなりません。
決して自分の母親の愛を忘れてはなりません。
母の愛は最高です。
子どもの中にある神聖な思いは、唯一、母の愛によって発達します。
気高い性質を備えた母親のいるところには、必ず平和と繁栄がもたらされるでしょう。
自分の母親の愛を無視して人々の愛を切望するのは愚かなことです。
それゆえ、人は母を崇め、尊ぶべきです。経験によって母の愛を知ろうと努めるべきです。
母親を尊敬し、母親の愛を獲得して初めて、人は真の意味で人間と呼ばれることができます。
この世には母親より偉大な神はいません。
残念なことに、今、人々はこの真理を忘れ、さまざまな場所に神を探しに行っています。目に見えない神を切望する代わりに、自分の目の前にいる生きた神に礼拝し、奉仕すべきです。
これをしないで神の聖なるダルシャンを得ようと、苦行や聖地巡礼、礼拝や儀式といったさまざまな行いを始める人がいますがそれは無駄です。
まず自分の母親の愛を勝ち取らずして神の恩寵を勝ち取ることはできません。
 母の愛は底流としてすべての人の内に流れています。
偉大な人物の歴史を調べてみれば、母の愛という助けがあったからこそ人生で高い地位 に達することができたことは明らかです。
母親の気高い考えに従って人生を送るとき、あらゆる苦しみは取り除かれるでしょう。他の人のことは尊敬してもしなくてもかまいませんが、自分の母親のことは必ず尊敬しなければなりません。
人は自分の母親の愛を勝ち取るために一生を捧げるべきです。
母の愛にはつねに私心がありません。
私たちはそのような愛を育めるようにならなければなりません。
どこに行こうとも、何を見ようとも、母の愛という祝福があってこそ繁栄を得ることができます。
母の愛を勝ち取れないまま神の恩寵を勝ち取ることを望むことなどできますか?
そんなことは出来ません。
ですから、まず第一に、自分の母親の愛を勝ち取れるよう努力しなければなりません。
母親の気持ちを傷つけるような仕事を引き受けるべきではありません。
母の心は非常に傷つきやすいものです。
ですから、母親の気持ちを傷つけないようにしなければなりません。6/5/05

ポニョ:おいらのおっ母は肝っ玉母さんで、あまり細かいことをゴチャゴチャと言わないんや。いわゆる放任主義や。子供は飯をたらふく食わしていたら悪い事をしないって知っていたんやろな。

ヨシオ:ポニョの家族は全員O型やからお腹に何かが入っていたら満足するんやろうな。

ポニョ:おっ母は、毎日仕事が忙しくておいらに構ってくれなかったけれど、それでも毎日美味しい料理を作ってくれたりして愛をいっぱいもらったぜよ。でも愛ってまるでろうそくの明かりみたいやな。その灯りに触れたら誰でもそれを他の人とシェアしたくなって、どんどん明かりを増やす事ができるんや。そしてみんながその明かりを楽しむ事ができるんや。

神は愛の化身です。
神は、神の愛によって全人類を守護しています。
皆さんに愛がありさえすれば、それで十分です。
そうすれば、皆さん全員が一つに結ばれるでしょう。
言葉や行動によってお互いの間に距離を作るべきではありません。
すべての人を愛によって自分の近くに引き寄せなさい。
そうすれば、あなた方は皆、神のそばにいられるようになるでしょう。
あなたが愛を込めて他の人を見るなら、神も愛を込めてあなたを見ます。
どんな状況に置かれたとしても、決して怒りや嫉妬、偽善や虚栄を示してはなりません。他の人に怒りや憎しみをもって接してはなりません。
あなたの愛を感じることによって、他の人々の中の愛も増大します。
あなたが他の人に愛をもって接すれば、その人もあなたに愛を示すでしょう。これに対して、もし怒りを示すなら、その人もあなたに怒った態度をとるでしょう。27/1/07

ヨシオ:ポニョはこの自然界に存在する力って一体何かなって考えた事があるか?

ポニョ:この自然界に存在する力っていろいろあるぜよ。まずすぐ思い浮かべるのが、重力や引力や磁力。また電子や中性子をクルクル回しているのも力やぜよ。もちろん宇宙規模で言えば太陽の周りを惑星が公転したり自転したりするのも巨大な力やし、おいら達が属しているこの銀河系自体が動いているんやろ。そしてトーラスの周りを回ってブラックホールに吸い込まれ、またホワイトホールから放出されるんや。それってとてつもない力やぜよ。

ヨシオ:このようにたくさんの力はあるけれど、その力と言われるものは磁力のプラスとマイナスのようにお互いくっつきあったり、反発したりする力が名前と規模が違っているだけの話やろ。

ポニョ:自然界に存在する力って磁力のようにくっつきあったり、反発しあったりする力なんか。

ヨシオ:この宇宙を神様が創造される前は、もともと神様だけしかいなかったんや。もっと正確に言うと、神さんは創造した人たちが崇めるために作られたものだから、もともとは神さんも存在していなくて、たった一つの「私」しかいなかったんや。その「私」が自分自身を見ようと多数になったのがこの宇宙なんや。その時に多数になった者たちが見れるように神を作ったんや。だからこの宇宙に存在してる力って、たった一つのものが多数になったので、元の一つの「私」に戻る力が元々備わっているんや。それが自然界の力の元になっていて、全世界、全宇宙に遍満しているんや。その力の別の名前が愛っていうんや。

ポニョ:うーん。なんか壮大な物語を聞いているような気がしてきたぜよ。そうか。全ての自然界の力は愛が基本やったんや。という事は愛より強い力って存在しないことになるよな。

この世には、愛以上に素晴らしい美徳は存在しません。
愛は真理であり、愛は正義であり、愛は富であります。
この世は愛から生まれ、愛によって維持され、最後には愛に融合します。
すべての原子が愛から生まれました。
この世には、原子力、磁力等々、無数の力が存在していますが、愛の力はすべての力に勝っています。
信仰と愛のない人生は無意味であり、無益です。
この世に生きる人間にとって、愛こそが人生であり、愛がすべてです。
五元素は愛から生まれました。
すべての人の中にまぶしく輝いているものは、愛に他なりません。
しかし人間は、愛の意義を理解できずに、愛が肉体的関係によって生じるものと考えています。
子供に対する母親の愛は親愛であり、夫と妻の間の愛は愛着であり、友達や親戚との愛は執着であり物品に対する愛は欲望です。
そして神に向けられた全的な愛がバクティ帰依です。
 全世界を包括し、全世界に遍満しているものが愛です。
人間であれ、鳥獣であれ、昆虫であれ、いかなるものであっても、愛がなければただの一瞬も存在することができません。
この愛こそは、神の姿そのものです。
ところが人間は今日、この神聖な愛を、移りゆく世の中に向けることによって、無駄に使っています。
決して愛の力を過小評価してはなりません。
奥深い森の中に一人で住んでいた太古のリシ(聖者)たちは、野獣たちとさえも、調和して暮らすことができましたが、それは愛の力があったからに他なりません。
 この世には、愛によって達成できないことは何もありません。
それは最も固い岩をも溶かすことができます。
一人ひとりの人間の内にある愛の原理が一つに統合されたとき、それは宇宙的な愛(ヴィシュワ・プレマ)になります。
あなたが愛の渇きを癒したいのであれば、神の恩寵を切望し神を礼拝しなさい。
至福を体験するためには、もっともっと愛を培うことです。
愛を育てれば育てるほど、あなたはますます至福を体験するようになります。
至福(アーナンダ)は、愛がなければ得られません。
実際、至福という形をとっているのは、愛に他ならないのです。 28/7/99

ヨシオ:人は生まれるや否や自分の周りにあるものに関心を示し、それを愛し始めるやろ。最初はミルクを与えてくれて、面倒を見てくれるお母さんを愛し、その次にはおもちゃを愛し、どんどんその愛がこの世の物質的な物や人に向いて行って、真の自分であり愛そのものであるアートマから離れていくんや。

ポニョ:自らの内にこそ至福をもたらしてくれる愛そのものであるアートマがあるのに、人は幸せを求めて自分の外側にある物の中にそれを求めて探し始めるんやな。そしてそういうものに執着し、「自分が」とか、「自分のもの」というエゴや欲望を膨らませていくんや。

子供は愛と至福で溢れています。
成長すると、子供はおもちゃを愛し始めます。
それから遊ぶことを愛し、徐々に友達を愛するようになります。
青年になると人生の伴侶を愛し、次に自分の家族を愛し、次第に職業や地位や財産への愛を持つようになります。
このように愛は様々な方向に流れるに任され、その為に愛は薄められ、ついには執着へとなり下がってしまうのです。
神への愛は信愛であり、それはあなたが謙虚や従順といった徳を育むことを助け、あなたの生活を幸せに満ちたものにしてくれます。
神への愛は、あなたが解脱に至るのを助けてくれます。
今あなたに必要なことは、愛を拡げることです。STPSP262

ヨシオ:この世的な物に執着して得ようと思いも実は形を変えた愛やけれど、神への愛との違いは、この世への愛は、常にそれを得たいとか独占したいなどの思いがつきまとうけれど、神へ向かう愛はそれとは反対に、自分が得た物を他の人とシェアしたいとか、与えたいとか、自分の物を盗まれても、自分が傷つけられても許そうとかという思いが伴うんや。というのもその人は、この宇宙に存在する全てのものが神そのもので、この世にいる誰一人、その辺に転がっている小さな石ころでさえ、自分の物だって言う権利はないって悟っているからなんや。

あなたは自分が愛を持っていると思っていますが、それは執着に過ぎません。
愛と執着とでは大きな違いがあります。
自分の子供に向けられた愛は情愛ヴァートサリヤで、妻への愛は愛欲アヌラーガで、世俗への愛はただの所有欲ママカーラです。
友人への愛は友愛マイトゥリーです。
このように、愛は様々な方向に流れています。
愛という真の意味からすればこれらはどれも本当の愛ではありません。
これらはすべて、物質的で、世俗的で、常に変わっていく儚い愛です。
真の愛は不変です。
愛は無私で絶対的なものです。
愛は霊的で神聖です。
執着は奪い取ることばかりですが、愛は常に与え許します。
愛は神です。
神は愛です。
愛に生きなさい。
執着は苦痛へと導く束縛です。
執着は偏狭で、まったく利己的なものです。
あなたに必要なことは愛を拡げることです。
まず自分の家族を愛することから始め、次にあなたの親類に拡げ、それからゆっくりと、あなたの地域に、国に、最終的に全宇宙にまで拡げるのです。
愛によってそして愛によってのみあなたは神を認識し、体験することが出来ます。
愛は神が人に与えた自然な性質です。STPSp261


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