そよかぜから-映画

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アメリカン・ガール/サマンサの休日

2006年11月30日 | 人間/社会派ドラマ

2004年 アメリカ 87分
■原題「Samantha:An American Girl Holiday」
■2006.11.25 wowow
■監督 ナディア・タス
■出演   
  アンナソフィア・ロブ(サマンサ・パーキントン)  
  ミア・ファロー(グランマリー・エドワーズ)  
  ジョーダン・ブリッジス(ガードナー(ガードおじさん)) 
  ケルシー・ルイス(ネリー)  
  レベッカ・メイダー(コーネリア)  
  オリヴィア・バランタイン(ジェニー)


《story》
アメリカン・ガールズコレクションの一つ。物語には詳細な設定がなされ関連商品が売り出されている。
この作品は、1904年、ニューヨークの静かな校外が舞台。サマンサは両親を亡くし、裕福な祖母の家で育てられていた。隣の家に、下働きとしてネリー3姉妹と父親がやってきた。同級生ということもあって、サマンサとネリーは仲良くなり、親友になっていった。
ある日、サマンサは、叔父の結婚後、叔父たちとともに街中の家に移ることになった。ネリーとは文通をしていたが、それがばったり止まった。ネリーの父親が亡くなり、三姉妹が施設に引き取られたことがわかった。さっそくサマンサは施設を訪問がするが、そこはひどい環境で、ネリーは姉妹とともに施設を出たがったいた。そこで、サマンサは彼女たちたちを施設から連れ出し、自分の家にかくまうのだった。しかし、ネリーの妹が病気になり、サマンサはどうすることもできなくなってしまった。

たぶんこんな時代なんだろう。こんなに貧富の差が激しいことに驚いた。そしてそれが当然のような時代なのだろうか。裕福な家庭は、何でもできる。貧しい家庭の子どもは学校も行けず、字を読むこともできない。同じ人間なのに、幸せになる権利に差があるなんておかしい。二極化というのはこういうことなんだろうか。今の日本も「勝ち組、負け組」とか平気で言っているけど、自分が勝ち組なりたいなら、人をけ落としてでもはい上がれ、と競争を煽り、そうさせているものを見えなくさせている。まるで差別の原理そのものだ。今日、食べるものがなくひもじい思いをしている人間がいる中で、仕事をせずに会社を人に任せ、自分は世界旅行だなんて、おかしいと思いませんか。

子どもを平気で働かせ搾取する時代が本当にあったのだと実感した。日本もそうだったのだ。学校どころではない。今でも世界のどこかにそういうところがある。学校に行けない子どもは世界で1億人以上いる。飢えで苦しんでいたり、生活に困って働かざる得ない子どももいる。昨日、北朝鮮の子どもの様子がテレビで放映されたが、がらんどうの部屋で横になっていて、何もする気力がないみたいだった。偉い人たちは満腹になるまで食べて贅沢しているんだろうな。

サマンサの身分にこだわることなくどんな人もきちんと人として考えていく姿勢には頭が下がる。スピーチで事実を述べ訴える気持ちは自然なこと。でも、それを言うことをよしとしない風潮ってなんだろう。正しいことをそれは理想だと片づけられ、現実はもっと厳しいよと蔑ろにされる。サマンサが別の内容のスピーチを始めたときのあの教師たちの「えーっ」という気持ちはわかる。でも、内容がいいかどうかで判断したいものだ。正しいこととまちがっていることをきちんと判断できるようにしていくことが教育の一つだろう。

公式サイト「アメリカン・ガール/サマンサの休日」