失敗の処理

2009年11月12日 | 自分 -

「これぐらいなら、私にだってできるだろう」と、期待に近い予想を持ちながら、
「イザ!」ことにのぞんでみたら、“それ”が・・・できなかった時・・・・

   かなり落胆する。
   哀しくなる。
     場合によっては“自責の念”に、かられることもあるだろう。

   今後は、脳の後退を意識するかもしれない。
   しばらくしたら、“老い”を、思い知ることにもなる。




正直に言うと・・・・・
自分が自分に可能性を見出し、(密かにポジティブに)期待していたのに、
その「可能性」や「希望」を、自分自身が壊してしまうから、落ち込むのだ。
芽を摘んでしまったような気分になってしまう。

自分以外に、他の誰にも原因はなく、「可能性」を阻む要因が何もない場合・・・
言い訳もできないし、理由を何かに転嫁することもできない。

社会的な立場がある場合は、「ぐぐっ!」とこらえて、人前では前向きに対処し、
心の中では“ぐちゃぐちゃになった気持ちを整理すること”に 必死になる。


こういうことは、「これまでにも、何度かあったなぁ~」と思いながらも、
自分の心を解放してみると、みるみる涙腺が条件反射して、涙があふれてくる。
その理由として、まず一番最初に感じることは、「こんなこともできないのか!」
という“自己否定”に近い「落胆の気持ち」である。
これが、くせものだ!
こやつが、はばをきかせてくると、思考回路や性格まで変わってしまう・・・。
すっきりと「けり」をつけてあげないと、「後悔」という最悪の事態に苛まれ、
(まるでトラウマのように)ずっと心の奥底に、巣創ることになってしまう。



「時間は解決してくれない!」
「もちろん、他人はしらんぷりだ!」
だから、自分が解決するかのように、対応していくしかない。

実は・・・私には、私なりの「やり方」があって、この20年間の長きにわたり、
同じ対処方法で、やりこめている。
しかし、すべての事案(出来事)が、完全に片付くわけではない。
納得できず、しばらく“ひきずるものがある”のは事実である。
それは認めざるをえないが、“やらないよりは、やったほうがマシである”―
という結論には、随分前に達している。

私なりの「やり方」とは・・・
  ○まずは、思い切り気持ちを解放し、心穏やかにすること
  ○解放した状態で、襲ってくる感情のまま、現実を受け容れること
   泣きたくなったら、我慢せずに、気がすむまで号泣すること
  ○起こった出来事を、前向きに、現実だけを受けとめること
  ○「これは自分にとってベストの結果だった」と納得すること
これが、わたしの「やり方」である。
ポイントは、最後の“自分にとってベターではなく、ベストだった”と思うこと!
これに尽きるかもしれない。
実際、失敗した場合でも、相反する良い出来事が、後に待っていたりもする。

「現実の流れのままに、基本的には逆らうことなく・・・
 ・・・・・しかし・・・ただ 単に “決して流されているだけではない”!」
「自分の意思において、人生の荒波を(流れのままに)わたっていく!」という
気持ち(イメージ)でいるのが、私にとっては、快適な考え方のような印象だ。



人は、性別・年齢に関係なく、
生きている限り、人と接している限り、何かを成し遂げようとする限り・・・
(まれに)何らかのトラブルや事件を抱え込むこともある。
でも、その処理能力がまずは大切で、あとは自分の理解度の質感が問題である。
私は、決して自己否定しないで、愛しい自分自身を“抱きしめてあげる”ように
したいと思っている。

何よりも、大切なのは、我が「心」・・・・・
だから、私の心の赴くまま、今夜は自由に遊ばせてあげよう。

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