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父の「心」の記録

2011年06月04日 | 自分 -

2001年の日付けのついた感熱紙のFAX紙を、二枚見つけた。

かつて 私が、大事にとっておいた「父の手紙」だった。

この二枚は、日付けから推察すると・・・
父と同居する直前に送られてきたFAXで、内容はとても日常的。

感熱紙のため 色が薄くなってきていたので、私は、すぐに
コピーした。
これで、ずっと記録として保存することができる。


しかし、読んでみると、保存したくなるような文章で、
あのころの父と私の関係が、すぐに思い出せるものだった。
すでに「耳」と一緒に「目」が悪くなっていたせいだろうけれど、
筆ペンで大きな文字で書かれており、判読不能な部分が
少しだけあり、残念だ。
(FAXも斜めに送信され、文字が消えていて完全に読めない)



   ○ちゃんへ
     お父さんから

 二十三日 親戚へ手伝いに行き
 お墓参りをした
 夜二人で 月の世界 
 宇宙を飛びまわって
 あそびました
 ○○も早く帰って
 宇宙を三人飛びまわりませう

                ※○は、私の名前




もう一枚のFAXは、もっと現実的で、日常的なものだ。


  三月○日は 旧○日で
  薬師様のおごまきとう
  皆の幸福を一生懸命に
  お祈りいたします
  昨日は朝早くから無礼な言葉を
  お許しください
  心よりおわびいたします
  毎晩仏壇で祈ると
  二人のことが浮かびます
  
  身体はっぷ父母に受く あえてきしよう    
  せざるは 心 孝を始めなり
  身をたて 道を行いもって
  父母の名をあらはすは 孝の終わりなり
      3月6日父より


  ※「身體髮膚、受之父母、不敢毀傷、孝至始也。」
   「身体(しんたい)髪膚(はっぷ)これを父母(ふぼ)に
    受くあえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり 」
   《「孝経」から》
    人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、
    傷つけないようにするのが孝行の始めである。

  ※「立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。」
   「身を立て道を行い、名を後世(こうせい)に揚(あ)げ、
    もって父母を顕(あら)わすは、孝の終りなり」
    《「孝経」から》




独創的な父の世界――。
宇宙をとびまわる姿は、「銀河鉄道の夜」を想いだし、
すでに墓の中に入ってしまった母への気持ちが想像できる。
元気な頃は、花を手にして、毎日のように墓参りをしていた。

父が仏壇で祈っている姿は、この目に焼き付いて離れない。
信心深い人だったと思う。
母を見送った後に、二人で仏壇を選び、値段が高くて
しぶっていた私に、「わしもここに はいるけんなぁ」と
ガンとひかなかった“お気に入りの仏壇”。
実際、生前の父は、毎日(実家 仏壇の前で)おがんでいた。
般若心経から、知らないお経まで、大きな声で・・・
何度も となえていた。
まるで詩吟や唄のような風情があり、聴きごたえがあった。
それは、私と同居してからも一緒で( 仏壇は実家だったが)、
位牌と写真を見ながら、“大きな声”は 変わらずだった。


   


仲たがいをして、父から勘当された私が、
晩年は・・・こんなやり取りをしていたのか・・・と、
自分でも感慨深いものがある。

私には、そういう相手はいないが・・・
心安らかに逝けるように、“自分育てを怠らないようにしたい”と
思ってしまうような「父の手紙」だった。

振り返ると、過去には・・・父から文章をもらったためしはなく、
このFAXは貴重な思い出のような気がしてきた。

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