今日は、「父の命日」だから・・・・・
お世話様になった父の主治医に、会いに行った。
診療時間の最後の患者になれば・・・・・意外とゆっくりと話ができる。
時間としては締め切り前ぎりぎりに飛び込んで、受付をするのがベターである。
父の存命中は、週に二回は、点滴に通って・・・・・
数年にわたって、先生にはいろいろな相談にのってもらった。
救急車で運ばれた日の夜にも、悲惨な病院の対応を携帯電話で報告しながら、
本当に真摯に(私の思いと境遇を)受け容れてくれ、アドバイスをしてくれた人だ。
「学会に来ててね、すまなかったね。
電話するのが遅くなったよ。大丈夫?」
あの日は、先生の声を聞くなり、涙があふれ出て、とまらなかったのを覚えている。
そこは、理不尽で、不道徳で、不明瞭な経営をして、医師の質も最低の病院だった。
父の主治医には、よく会いに行く。
健康診断から、風邪など体調が悪い時や、ただ愚痴を聞いてもらいにいったり、
この時期は数年前に発病した花粉症水鼻対策の漢方をもらったりもしている。
私がいくと、いつも笑顔で迎えてくれて、「体調はどう?!」と聞いてくれる。
今日は、父の命日だから・・・
先生に会いたいと思って行ったが・・・私に対して、とても嬉しい感想をもらった。
「なんとなく変わったね。客観的に自分を見られるようになったというか・・・
そんな感じがする。少し前とは、全然違う印象になったよ」
時間は経過する。
実際、以前は「独り」という境遇や、「寂しさ」に、耐えられなくなる時があったりした。
しかし、今は、フリーであることの私自身を、一つの個性として理解し、甘受している。
「天涯孤独」と言っても、友だちはいるし、楽しいこともあるし、
落ち込むだけの寂しさを、自由という肯定的な意識に転換できているからだろう。
そうして、もっと、もっと、私自身の人生を楽しめるようになれると、次のグレードに
登っていけるのかもしれない。
・・・「今日は、父を偲ぶ一日にしよう」と思って、親戚や 父の姉や弟さんたちに
連絡をしたら、やっぱり「命日」のことを覚えてくれていた。
85歳になる伯母さんは、まだ元気でしっかりと働いている田舎のお元気おばあさんだ。
しかし、こういう日に、こういう話題になると、電話口の先からすすり泣きが聞こえ、
二人して思い出話がとまらない。
最期は、10人の兄弟の内で(現在生きている)3人が徳島から来て、看取ってくれた。
もしかしたら、他の姉など数名、父が慕っていた人たちが(あの世から)来てくれて、
道のわからない父を導いてくれて、迎えてくれたかもしれない。
とにかく、だから・・・父は、一人で逝ったのではない。
幸せな最期だったと思うし、今も忘れず覚えてくれている人々に、心から感謝したい。
※写真は故郷:吉野川(徳島)