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【これこそが芸術!】アメリカ人画家の描いた被曝者 ベン・シャーン

2007年06月29日 | 読書日記など
NHK 2007年6月29日
迷宮美術館 アートエンターティンメント

アメリカ人画家の描いた被曝者
福竜丸・久保山愛吉


1954年3月1日、ビキニ環礁、水爆実験。
死の灰をあびた第五福竜丸の船員たち。

1960年、「ラッキードラゴン」を発表。
福竜丸事件を描いた連作。
久保山愛吉さんが死に至るまでを描く。

20世紀を代表するアメリカの画家べン・シャーン(1898-1969)。
常に民衆の側にたち、社会問題を取り扱った画家。

なぜ、アメリカ人の画家が日本の悲劇を描こうとしたのか?
「悲しみ」と「怒り」の名作。

1898年、リトアニアに生まれる。
当時のリトアニアは独裁主義で貧困。
8歳の時移住。
移住してまもなく、家事。
命がけで、家族をすくう。
父は腕と顔にひどい跡を残す。
父は大工として懸命に働くも、貧しく石版工房に13歳で働く。

パリへ。セザンヌに憧れる。
しかし、違和感をもつ。
「フランスの芸術至上主義の絵は似あわない。
私にとって絵とは現実や民衆と切り離せないものなのだ。」

そんな時、新聞のニュース。
罪のない移民が殺された。
1920年、靴工場で殺人、イタリア人二人が逮捕される。
二人は戦争反対を訴えイタリアからの移民ということから、反政府主義者と証拠もないのに罪となる。
世界で助命運動がおこるが、死刑にされた……。

戦争に反対したというだけで、殺されていく。
憤りから、一気に作品をかきあげる。
「サッコとヴァンゼッティの受難」1931-32年。
それは、殉教者をえがくようにかかれた。

1939年第二次世界大戦。
シャーンにとって、許せないことであり、えがく。


【1945年8月原爆投下】
・シャーンは深い絶望にうちのめされる……。
「まるで自分自身が罪を犯したときのような罪悪感を感じる」
自分と同じアメリカ人がおかした罪を感じる……。

【第五福竜丸事件】
・ある事件の挿し絵の仕事が申し込まれる……。
 --それが第五福竜丸事件。
・久保山愛吉さんは、妻や子を残してこの世を去る……。

シャーンは衝撃をうける……。
繰り返させる原水爆の被害。

シャーンは挿し絵、40点をえがく。
依頼された数よりずっと多い。

2年後、シャーンはカメラを手に日本を訪れる。
帰国後、シャーンは再び筆をとり描く。

タイトルは「ラッキードラゴン」シリーズ。
出港前の港のシーン(焼津)からはじまる。
そして、シリーズ・タイトルになった「ラッキードラゴン」。
ベッドにすわる久保山愛吉さん。

「その日から」
久保山愛吉さんと娘を描く。
そこに文章がそえられている。
「お父さんはなんでこんなに黒いの?」
これが久保山さんが家庭にもどっての会話だったという……。

シャーンは語る。
「被爆で死亡した無線長は、あなたや私と同じひとりの人間だった。
彼、個人を描くというよりも私たちみんなを描こうとした。
亡くなる前、幼い娘を抱き上げた久保山さんは、
我が子を抱き上げるすべての父親だ。」

我が子を救うため、火の海にとびこんだベン・シャーンの父の姿でもあったという……。








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