『岩波ブックレットNo.74
チェルノブイリの放射能』赤木昭夫・著/岩波書店1986年
この本は、ずいぶん古い本です。
チェルノブイリ事故が起きた年に出版されたようです。
今回は僕の感想や考えをたくさん書かせてもらいます。
項目は下「」のようにあります。
「1 死の灰--原爆の五○○倍
2 半径三○キロの立ち退き地域
3 一二○○キロも離れた地点で
4 放射能雲の流れ--気象濃縮
5 放射線火傷と癌の増加
6 自然環境の放射能汚染と破壊
7 食品にたいする警戒
8 原子炉の暴走と爆発
9 石棺づめ--炉の後始末」
この時からさほど、この分野は進歩していないようです。
それに比べてソフト・エネルギーというのは、
ずいぶん進歩しているように僕には感じます。
しかし、日本政府は戦時とかわらぬ人たちが
運営していたので、相変わらず、この美しい
日本の国土を、チェルノブイリ周辺のようにしても
いいと思っている人たちが多いようですね。
あの戦争も威勢はいいが、無責任な人たちの
集団だったので、焦土となり、
多くの尊い人命が失われた。
彼らは威圧的で権威的だが、
けっきょくは当てにならない、
はりこの虎で、
国民に抑圧を与えることのできる人たち
でしかなかったのでは?
ほかの本ですが、原子力産業は、
ドイツではナチスからはじまり、
日本も同様という。
ドイツはナチスとの鎖をこのことでは
切ったけれど……。
スウェーデンのことが、詳しく書かれて有ります。
下「」引用。
「スウェーデン全土平均で一平方キロあたり○・二二キュリー降下蓄積したことがわかった。しかし、重視しなければならないのは、二か所のホットスポットである。ストックホルムから北へ一八○キロほど行った海辺の町、イエブレを中心とする地域には、一平方キロあたり三キュリー前後のセシウム一三七が降り積もっていた。局部的には一平方キロあたり五キュリーという高い値も記録された。-略-
一般人の年間許容線量は○・五レムであるから、もしイエブレ付近の放射能の高い所で一年間を通じて戸外にいるとすれば、許容規準の二倍の放射線をあびることになってしまう。ただし、建物の壁や屋根は外からの放射線をさえぎる働きをもっているから、家のなかにいれば、あびる量はその八分の一か一○分の一になる。したがって、避難を要するほどではないが、たとえば野外に多く出て働く農家の人たちは気をつけたほうがよい量になっている。」
ドイツのミュンヘン(チェルノブイリから1500キロ)
では、平均1平方キロあたり0.25キュリーの
セシウム137の蓄積が測定された。
イタリアの湖で有名な観光地コモ
(チェルノブイリから1800キロ)では、1平方キロあたり
1.4キュリーのセシウム137が降ったという。
遠方でも高い原因は、
「雨量とぴったり重なる放射線量」だという。
石棺のことについても書かれてあります。同。
「石棺の寿命は五○年とされる。内部の死の灰は何千年、いや何万年と放射線を出しつづけるから、果てしなく建物をつくりかえていかねばならない。それは既存の上につくられるから、どんどん大きくなっていく。
放射能が外に洩れていないか、常に監視していなけければならない。コンクリート壁にヒビが入れば、すぐそれを埋めねばならない。まったく気が遠くなるほど長く、石棺の監視と修復工事をつづけることなる。それはソ連社会全体にとって大きな重荷になるにちがいない。」
ロシアの技術が低いのではありませんね。
予測不可能だったことが起きているのです。
20年たっても中心部ではさほど放射線量も
減っていないといわれてもいます。
ソ連は総数50万人という人がチェルノブイリ事故処理に
参加したといわれています。
日本の東海村の事故ではどうだったでしょうか?
危険だからと近づく人はいませんでしたね。
もし、日本でチェルノブイリ事故と
同程度の大事故が起きたとしたら、
原爆投下された広島や長崎も参考になる
資料となるでしょうね……。
そこまで戻らずとも、阪神・淡路大震災が
教訓となるでしょうね。
あれは社会党政権というのは正確ではなく、
自民党との連立政権だったのです。
今でも変わりがないと思いますよ。
いや、広島以上の放射能というものが、
関わるから、もっとむごいかもしれない。
差別主義が蔓延し……。
「生き残る人たちの足をひっぱらないように」
ナチス・ドイツのヒトラーならいうでしょうね。
ソ連が基準を変更し、放射能症の患者を
統計学上からだけは減らしました。
日本政府も水俣病でしたように、
基準を変更することは、お手の物ですね。
しかし、チェルノブイリのときには、
経済度返しのゴルバチョフがいたので、
ヨーロッパは救われました。
日本では、ゴルバチョフほどの政治家はいないので、
アメリカもあわてることでしょうね。
目 次
チェルノブイリの放射能』赤木昭夫・著/岩波書店1986年
この本は、ずいぶん古い本です。
チェルノブイリ事故が起きた年に出版されたようです。
今回は僕の感想や考えをたくさん書かせてもらいます。
項目は下「」のようにあります。
「1 死の灰--原爆の五○○倍
2 半径三○キロの立ち退き地域
3 一二○○キロも離れた地点で
4 放射能雲の流れ--気象濃縮
5 放射線火傷と癌の増加
6 自然環境の放射能汚染と破壊
7 食品にたいする警戒
8 原子炉の暴走と爆発
9 石棺づめ--炉の後始末」
この時からさほど、この分野は進歩していないようです。
それに比べてソフト・エネルギーというのは、
ずいぶん進歩しているように僕には感じます。
しかし、日本政府は戦時とかわらぬ人たちが
運営していたので、相変わらず、この美しい
日本の国土を、チェルノブイリ周辺のようにしても
いいと思っている人たちが多いようですね。
あの戦争も威勢はいいが、無責任な人たちの
集団だったので、焦土となり、
多くの尊い人命が失われた。
彼らは威圧的で権威的だが、
けっきょくは当てにならない、
はりこの虎で、
国民に抑圧を与えることのできる人たち
でしかなかったのでは?
ほかの本ですが、原子力産業は、
ドイツではナチスからはじまり、
日本も同様という。
ドイツはナチスとの鎖をこのことでは
切ったけれど……。
スウェーデンのことが、詳しく書かれて有ります。
下「」引用。
「スウェーデン全土平均で一平方キロあたり○・二二キュリー降下蓄積したことがわかった。しかし、重視しなければならないのは、二か所のホットスポットである。ストックホルムから北へ一八○キロほど行った海辺の町、イエブレを中心とする地域には、一平方キロあたり三キュリー前後のセシウム一三七が降り積もっていた。局部的には一平方キロあたり五キュリーという高い値も記録された。-略-
一般人の年間許容線量は○・五レムであるから、もしイエブレ付近の放射能の高い所で一年間を通じて戸外にいるとすれば、許容規準の二倍の放射線をあびることになってしまう。ただし、建物の壁や屋根は外からの放射線をさえぎる働きをもっているから、家のなかにいれば、あびる量はその八分の一か一○分の一になる。したがって、避難を要するほどではないが、たとえば野外に多く出て働く農家の人たちは気をつけたほうがよい量になっている。」
ドイツのミュンヘン(チェルノブイリから1500キロ)
では、平均1平方キロあたり0.25キュリーの
セシウム137の蓄積が測定された。
イタリアの湖で有名な観光地コモ
(チェルノブイリから1800キロ)では、1平方キロあたり
1.4キュリーのセシウム137が降ったという。
遠方でも高い原因は、
「雨量とぴったり重なる放射線量」だという。
石棺のことについても書かれてあります。同。
「石棺の寿命は五○年とされる。内部の死の灰は何千年、いや何万年と放射線を出しつづけるから、果てしなく建物をつくりかえていかねばならない。それは既存の上につくられるから、どんどん大きくなっていく。
放射能が外に洩れていないか、常に監視していなけければならない。コンクリート壁にヒビが入れば、すぐそれを埋めねばならない。まったく気が遠くなるほど長く、石棺の監視と修復工事をつづけることなる。それはソ連社会全体にとって大きな重荷になるにちがいない。」
ロシアの技術が低いのではありませんね。
予測不可能だったことが起きているのです。
20年たっても中心部ではさほど放射線量も
減っていないといわれてもいます。
ソ連は総数50万人という人がチェルノブイリ事故処理に
参加したといわれています。
日本の東海村の事故ではどうだったでしょうか?
危険だからと近づく人はいませんでしたね。
もし、日本でチェルノブイリ事故と
同程度の大事故が起きたとしたら、
原爆投下された広島や長崎も参考になる
資料となるでしょうね……。
そこまで戻らずとも、阪神・淡路大震災が
教訓となるでしょうね。
あれは社会党政権というのは正確ではなく、
自民党との連立政権だったのです。
今でも変わりがないと思いますよ。
いや、広島以上の放射能というものが、
関わるから、もっとむごいかもしれない。
差別主義が蔓延し……。
「生き残る人たちの足をひっぱらないように」
ナチス・ドイツのヒトラーならいうでしょうね。
ソ連が基準を変更し、放射能症の患者を
統計学上からだけは減らしました。
日本政府も水俣病でしたように、
基準を変更することは、お手の物ですね。
しかし、チェルノブイリのときには、
経済度返しのゴルバチョフがいたので、
ヨーロッパは救われました。
日本では、ゴルバチョフほどの政治家はいないので、
アメリカもあわてることでしょうね。
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