磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ-「核」時代を考える-

2012年03月13日 | 読書日記など
『ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ-「核」時代を考える-』
   黒古一夫・編/林京子、他・著/勉誠出版2011年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「いま、「核」について考える。
権力を持たず、直接「核」に関わることのできない私たちが、各自の想像力と感性を総動員して「核」について考え、書くことにどのような意味があるのだろうか。」



「自国民は守らないアメリカ政府」 下「」引用。

「ここで一つの疑問が浮かび上がる。つまり、アメリカ政府が福島に住むアメリカ市民に対しては、その命と人権を考慮して、原発から八十キロ圏内に住む人たちに退去を勧告したのにもかかわらず、なぜ自国においては放射性物質が多量に放出されると分かった地域に住む自国民を避難させなかったのか、という疑問だ。ハンフォードだけではない。戦後一九五○年代から一九六○年代にかけて核実験場となつたネバダ州では、住民は核実験がある度に外に出て、きのこ雲を見物することを奨励された。その際、彼らが浴びた放射能の量を測るためのバッジを必ず胸につけるようにいわれ、そのバッジは後日、アメリカ原子力委員会(ACE)に渡された。放射能を浴びた住民の健康を心配して、といのではなく、放射能がどこまで影響するかのデータ収集のためだった。健康問題そっちのけで、データを集める。」

逮捕された肥田舜太郎。下「」引用。

「そういえば、『ヒバクシャ--世界の終りに』の中で、肥田先生が占領時代、被爆者の治療に使うための情報をアメリカ軍から得ようとして、四回も逮捕されたことをベイリー家の居間で語る場面がある。戦後に設置された日米合同の「原爆傷害調査委員会」(ABCC)が被爆者からデータを収集していたが、そのデータを被爆者の治療に使おうとする医者は、「軍事機密を盗もうとした犯罪者」にされてしまう。これを聞いたトム・ベイリーは驚きを隠せない様相だった。「被爆者を助けようとしていた、とずっと思いこまされていたのに、そうじゃなかっんだね。」と彼は、ぽつりと言った。」

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村上春樹の「反核・反原発」スピーチ(2011年6月9日、カタルーニャ国際賞の授賞式)批判。下「」引用。

「-略-我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
 我々は技術力を結集し、持てる叡知を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に変わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追及すきべだったのです。-略-
 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。-略-

 一見、これは非の打ち所のない「正しい」考えのように見える。しかし、この見解は、日本のこれまでの反核運動(原水禁運動)や被爆筆禍たちを中心に書き継がれて原爆文学(核文学)の歴史をよく知らない人たち、つまり外国人や「ヒロシマ・ナガサキ」及び一九五四年の「ビキニの被爆」(第五福竜丸事件)等の核被害についてまもとに考えてこなかった人々に通用するかもしれないが、まったく現実的でなく、歴史から何も学んでこなかった耳触りのいい「空理空論」でしかないということである。-略-」

さらに、村上批判。下「」引用。

「「原爆詩」・「空襲・空爆詩」などもほとんど読んだこともなく、そのような社会的なテーマを抱え込んだ詩文学が存在しているという認識さえ持ってないと思われたからです。さらに言うなら村上さんは三月三十一日以前には、核兵器や原発の問題を真剣に考えてこなかったのではありませんか。-略-」

アトムと核融合炉について書かれてあった。
『ガンダム』も核融合炉を搭載するという非科学的な設定。やはり『オガンダム』はすぐれた作品だったとしか思えない。

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酪農家の自殺と、鶴彬の句。

「原発と新自由主義」 下「」引用。

「原発は社会から異論や反対を排除し、それを許さないシステムである。社会の隅々まで、異論や反対之入る隙間なく、同意と同調を行き渡らせる。それゆえ異論や反対に偏執狂的なまでに恐れ、監視する。原発は落書きさを恐れ、監視し、許さない。原発は落書きのない町を日本中に現出させる。社会学の「我れ窓理論」などを都合よく援用してビラや落書きを犯罪視し駆逐しながら、この数十年、われわれは落書きのない世界=原発標語のある町を不思議とも感じないで受け入れてきた。
 原発標語のゲートは双葉町のみならず、日本中いたるところに掲げられているのだ。企業ブランドの広告とロゴに占領されたグローバル年東京の風景は、原発標語のメッキで覆われた双葉町の風景と表裏一体というべきだ。消費を煽る、一方的でせ偏ったメッセージを毎日強制的に読まされ、浴びせられる新自由主義の街頭の風景が、原発標語を毎日強制的に浴びせられる双葉町の街頭の風景と、どうして違うなどといえようか。原発は、新自由主義と同じく、詐欺的な標語と広告のロゴなしには成立不可能なシステムといってよい。日本列島に原発が五十四基も乱立するにいたったこの四十年おまりは、「企業」と「市場」と「資本主義」と「対テロ戦争」が、異論や反対を駆逐しながら一人勝ちを謳歌し、暴走していった時代にほかならなかった。原発と新自由主義は手と手を携え、支えあってきたのだ。」

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「岡本太郎と「原子力の平和利用」というスローガン」 下「」引用。

「岡本太郎は原水爆の絵は残したが、原発の絵は残していない。岡本太郎が「原発」をどう考えていたか、「原子力の平和利用」というスローガンをどう評価していたか、定かではない。岡本太郎が「太陽の塔」が展示した大阪万博が、当時運転を開始した敦賀原発と美浜原発による電力で運営された、「原子力の平和利用」の宣伝祭典でもあったことを考えるとき、「太陽の塔」と並行して制作された。「明日の神話」における「原子力」というテーマを、われわれはどう受け取り、解釈すればよいのか。「明日の神話」における「原子力」が「原子力の平和利用」と必ずしも矛盾するとはかぎらない、そのような解釈だって十分成り立つことを、Chim ↑Pomの「いたずら」は、逆説的にはあるが、浮かび上がらせたといえる。
 「明日の神話」とChim ↑Pomの「いたずら」のあいだには、いくら画調を似せてもテープの痕跡で付け足したことがばれてしまったのと同じ「ほころび」と「断絶」が存在している。「原水爆」と「原発事故」の接続を試みながら、二つが必ずしもスムーズにつながるとは限らない「核」をめぐる苦い戦後の矛盾と、そこから容易には抜け出せないもどかしい現在を、われわれ通行人の前にあらためて、鮮やかに、わかりやすく提示してくれたといってよい。」

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奇形……。下「」引用。

「このチェルノブイリ事故のとき、一年後に近郊の山羊などの家畜に頭や脚が多いとか、眼球が無いなどの奇形が続出、六十四頭も生まれた。次の年はさらに増えて七十頭の奇形が生れたという。原発事故前は奇形などなかったところだ。」

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吉田神社の吉田兼見が残した関西の大震災の記録。下「」引用。

「『兼見卿記(かねみきょうき)』という古文書がある。織田信長や豊臣秀吉らと同時代人の吉田兼見の日記で、資料的価値の高い文献として著名である。兼見は京都にある吉田神社の神主で、信長、光秀らとの親交も篤かったという。
 この古文書の中に、天正十三年(一五八五年)十一月に起きた日本海地震における大津波の記述がある(東京大学資料編纂所所蔵「大日本史総合データベース」大日本史料、十一編二十三冊、三三四頁)。地震は『東大寺執行日記』や『多聞院日記』などの古文書や、宣教師ルイス・フロイスによる『フロイス日本史』にも記録されており、後に「天正大地震」(別名「白山地震」)と呼称されるようになった。この大地震の発生は、二十九日の子の刻(深夜零時頃)だったようである。
「二十九日、乙丑、大地震、尋デ、秀吉、大阪ニ帰ル」の大見出し後、自身の住まいである吉田神社の被害について記述した後、「丹後若狭の海 津波に襲ハル」という小見出しを付け、続けてこう記している。-略-
 この後にも記述が続く野田が、北陸のみならず、近畿や東海方面まで広範囲に被害が拡がつている様子から、かなり規模の地震だつたことが伝わってくる(正確な震源地は諸説あっても定かではないのだが、規模はマグニチュード八程度と推測されている)。
 こういう危機的エリアに住んでいる福井の人々が、自県で作られた電力を使用することはない。それらはすべて関西方面に送電され、福井県民は隣県である石川の志賀原発で作られた電力(北陸電力)を使用するというグロテスクな現実がある。」


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