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原発の「犠牲」を誰が決めるのか わが子からはじまるクレヨンハウス・ブックレット 006

2012年03月14日 | 読書日記など
『原発の「犠牲」を誰が決めるのか わが子からはじまるクレヨンハウス・ブックレット 006』
   高橋哲哉・著/落合恵子・聞き手/クレヨンハウス2012年

図書館の説明文。下「」引用。

「全体の利益のためには一部の人々の犠牲はやむをえないという考え方は、現代社会にもしぶとく生き残っている。「犠牲のシステム福島・沖縄」の著者・高橋哲哉に、落合恵子が原発問題の本質について鋭く迫る。」

都会にも、もちろん犠牲のシステムは存在しますね……。それも忘れてほしくないですね。



「被ばくと家族の崩壊に苦しむひとびと」 下「」引用。

「落合 学校の利用をめぐる放射線量の基準については、福島の方々をはじめとして多くの反対にあい、当時の文部科学大臣は、「1ミリシーベルト以下をめざす」と発言しました。しかし、計画的避難区域の20ミリシーベルトの基準は撤回されていません。
高橋 努力目標が1ミリシーベルトなら、20ミリシーベルトという基準は一体何なのかという疑問が残ります。
 おそらく厳しい基準をとった場合、いまは避難指示の対象になっていない福島市や郡山市などに暮らひとたちを、避難させて補償しなければならなくなります。そのコストを計算して基準を20ミリシーベルトに決めたと考えられます。だとすれば、福島の子どもたちが、経済優先のために被ばくさせられている、あるいは見捨てられていると言わざるを得ません。」

広島ドームの前でのスピーチ。下「」引用。

「落合 震災からちょうど3ヶ月たった6月11日、広島の原爆ドームの前で、うのさえこさんとおっしゃる福島の女性、4歳の娘さんの母親でもあるのですが、スピーチされました。「チェルノブイリ事故後、強制避難区域となった地域と同じレベルの汚染地域で、ひとびとが普通の暮らしをするように求められています」と(*6)。
 避難しているひとたちや、もろもろの事情で避難できないひとたち。どちらも、このうえなく苦しく、身を削られるような日々のなかに置かれています。子どもやおなかにいるあかちゃんのことを考えると、この国はこの国に暮らす者を非情にも見捨てているとしか思えません。」

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久間元大臣……。下「」引用。

「落合 長崎県選出の久間章生元防衛大臣は、「9割のために1割が死んでいくのは、『尊い犠牲』だ」というような発言をしていました。このような言い方が重なれば重なるほど、何に責任があるのか、犠牲をなくすためにはどうしたらよいかという人間の思考も希望も、根こそぎ収奪されていくように思われます。そのための方便として「犠牲論」が使われているとしたら、いたたまれません。」

正当化できない。下「」引用。

「1割のひとが犠牲になっても
9割が救われればいいのだという発想は、
必ず生き残る側にいるひとの発言だと思いますし、
決して正当化できません。--高橋」

鉢呂「原発推進にNOと言った政治家たち」 下「」引用。

「高橋 鉢呂さんは「いずれ原発をゼロに」と公表していました。
落合 それで足をひっぱられたのではないかという声がありますね、これも事実なら、言論統制と結びつきます。」

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