『広島・閃光の日・30年 戦争を知らない世代へ11広島編』
創価学会青年部反戦出版委員会・編/第三文明社1975年
一つの都市が破壊されたこと……。
--やはり、いろいろなドラマがあったとボクには思えます……。
この表現はどうかと思います。下「」引用。
「発刊に寄せて
閃光の日から三十年--今では原爆ドーム以外に、広島のどこを捜してもあの日の爪痕とじかに接することはできなくなった。」
本当に捜されたのでしょうか?
ハービー・ハンコックの名がありました。下「」引用。
「ジャズ・ピアニストのハービー・ハンコック氏。彼が「平和の街のために」と題した曲を作って広島市へ寄贈し、話題を呼んだのはつい先日のことである。」
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ひどいケガ……。下「」引用。
「母は、目の中へ柱が入り両目がつぶれていた。顔・胸に大きな傷、ものも見えないし耳も聞こえなかった。そのままの状態で治療も何もなく数日間過ごした。」
畑どろぼうをしていたという。下「」引用。
「毎日新庄まで、もちろん裸足で焼跡を通って、トマト、きゅうり、ぶどうなど野菜どろぼうに行った。それが日課のようになっていた。」
祖母が、たまたま……。下「」引用。
「私は妊娠十ヵ月。大きなおなかをかかえ、おふろの掃除をしていた時のほんの一瞬の出来事だった。気がついてみるとあちこちで火の手があがり、ケガをした人がたくさんやってくる。どこで何が起きたのか全くわからない。それでもこのままそこにいることもできないので皆と一緒に田舎へ向って逃げた。あとから来た人が自分を追い越して先に行く。気ばかりがあせって体が思うように動いてくれず途中で何度も休みながら。祖母もちょうど原爆の投下された日、たままた折り悪く田舎から米野菜等を持って来ていた。来なかったらあわずにすんだのに、運命とは皮肉なものである。」
蚊に刺されただけでも……。下「」引用。
「蚊に喰われただけでも、そこが膿んできて、足にはいくつもの包帯をまき、紫茶色の顔ははれあがり、僅かの労働も三日は寝込むようにになりました。」
疎開していた子供の面会に……。下「」引用。
「私は、八月五日、広島市仁保街より佐伯郡玖島村に、集団疎開中の宏郎(ひろお)(次男・小学校三年)の所に面会に行きました。その日は高原寺という、お寺に一泊して、そこより子供を学校に送り、家に帰る仕度をしている時でした。B29が飛んで来て警戒警報が発令され、まもなくして警報解除のサイレンがなりました。それからまもなく、“ピカッ”と光り“ドカーン”と大きな音がしました。これは大変だ! 近くに大きな爆弾が落ちたのだと思い、子供はどうだろうと心配してると、宏郎が必死で走って帰って来ました。爆弾はどこに落ちたのだろうか? 皆、口々に言っています。
「広島駅だあー」
「いや、己斐(こい)だあー」
「宇品だぞう!」
皆な、どうしようかと迷っています。そうすると、空から灰と焼け残りの紙が飛んで来るのです。」
「素足でとけたアスファルトの中へ」というタイトルの文章もありました。下「」引用。
「素足です。足が痛くてたまりません。空を見上げて飛行機の姿を探しては走り続けました。やがてアスファルトの本道路に出ました。こんどはアスファルトが足にやきつきます。草の上で足の熱さを癒しまた走り続けます。」
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創価学会青年部反戦出版委員会・編/第三文明社1975年
一つの都市が破壊されたこと……。
--やはり、いろいろなドラマがあったとボクには思えます……。
この表現はどうかと思います。下「」引用。
「発刊に寄せて
閃光の日から三十年--今では原爆ドーム以外に、広島のどこを捜してもあの日の爪痕とじかに接することはできなくなった。」
本当に捜されたのでしょうか?
ハービー・ハンコックの名がありました。下「」引用。
「ジャズ・ピアニストのハービー・ハンコック氏。彼が「平和の街のために」と題した曲を作って広島市へ寄贈し、話題を呼んだのはつい先日のことである。」
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ひどいケガ……。下「」引用。
「母は、目の中へ柱が入り両目がつぶれていた。顔・胸に大きな傷、ものも見えないし耳も聞こえなかった。そのままの状態で治療も何もなく数日間過ごした。」
畑どろぼうをしていたという。下「」引用。
「毎日新庄まで、もちろん裸足で焼跡を通って、トマト、きゅうり、ぶどうなど野菜どろぼうに行った。それが日課のようになっていた。」
祖母が、たまたま……。下「」引用。
「私は妊娠十ヵ月。大きなおなかをかかえ、おふろの掃除をしていた時のほんの一瞬の出来事だった。気がついてみるとあちこちで火の手があがり、ケガをした人がたくさんやってくる。どこで何が起きたのか全くわからない。それでもこのままそこにいることもできないので皆と一緒に田舎へ向って逃げた。あとから来た人が自分を追い越して先に行く。気ばかりがあせって体が思うように動いてくれず途中で何度も休みながら。祖母もちょうど原爆の投下された日、たままた折り悪く田舎から米野菜等を持って来ていた。来なかったらあわずにすんだのに、運命とは皮肉なものである。」
蚊に刺されただけでも……。下「」引用。
「蚊に喰われただけでも、そこが膿んできて、足にはいくつもの包帯をまき、紫茶色の顔ははれあがり、僅かの労働も三日は寝込むようにになりました。」
疎開していた子供の面会に……。下「」引用。
「私は、八月五日、広島市仁保街より佐伯郡玖島村に、集団疎開中の宏郎(ひろお)(次男・小学校三年)の所に面会に行きました。その日は高原寺という、お寺に一泊して、そこより子供を学校に送り、家に帰る仕度をしている時でした。B29が飛んで来て警戒警報が発令され、まもなくして警報解除のサイレンがなりました。それからまもなく、“ピカッ”と光り“ドカーン”と大きな音がしました。これは大変だ! 近くに大きな爆弾が落ちたのだと思い、子供はどうだろうと心配してると、宏郎が必死で走って帰って来ました。爆弾はどこに落ちたのだろうか? 皆、口々に言っています。
「広島駅だあー」
「いや、己斐(こい)だあー」
「宇品だぞう!」
皆な、どうしようかと迷っています。そうすると、空から灰と焼け残りの紙が飛んで来るのです。」
「素足でとけたアスファルトの中へ」というタイトルの文章もありました。下「」引用。
「素足です。足が痛くてたまりません。空を見上げて飛行機の姿を探しては走り続けました。やがてアスファルトの本道路に出ました。こんどはアスファルトが足にやきつきます。草の上で足の熱さを癒しまた走り続けます。」
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