磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

平和冊子No3  親と子のための平和教育

2007年12月21日 | 読書日記など
『平和冊子No3  親と子のための平和教育』
   庄司雅子・著/財団法人広島平和文化センター1981年

『親のみなさま!』というのが何度も出てきて、どうしてこう呼びかけるのか? 全体主義的な方なのだろうか? と思ってしまう……。でも、おだやかな文章と内容なのでそうではないとも思います……。




長田新編『原爆の子-広島の少年少女のうったえ-』(岩波書店 昭和26年)の作文がまたも載せられていました。ただ載せるだけでなく、何か注釈や解説も加えられてもいいような気がしました。

もくじ

1929年、アメリカから大恐慌の影響を日本も受ける。
生糸の輸出が減り、日本の農家も打撃。
経済的困難に、国内的に解決することも大変困難。
--この行き詰まりを打開するため「満州事変」が起こったと書かれてありました。

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これでストップしたら、意味がないような気がしますね。
しかし、このような方たちが多いような気もします。
--経済的に貧しければ戦争を起こすというのなら、満州の人たちや朝鮮の人たちは豊かだったのでしようか?


絵本の紹介がありました。
1 『友だちつれてよろしいですか』 渡辺茂男訳 冨山房
2 『しろいうさぎくろいうさぎ』 松岡房子訳 福音館
3 『ピーターのいす』 木島始訳 偕成社
4 『フランスのおともだち』松岡房子訳 好学社
5 『くまのピーディくん』松岡房子 好学社
6 『かもさんおとおり』渡辺茂男訳 福音館
7 『わたしとあそんで』与田準一訳 福音館
8 『スイミー』谷川俊太郎訳 好学社
9 『ブレーメンのおんがくたい』瀬田貞二訳 福音館
10 『マリーちゃんのクリスマス』与田準一訳 岩波書店
11 『からすたろう』八島太郎作 偕成社
12 『たろうのおともだち』村山佳子作 福音館






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目 次





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時事新書 広島の遺産〔上〕〔下〕

2007年12月21日 | 読書日記など
『時事新書 広島の遺産〔上〕』
   E・テラー、A・ブラウン(著)/木下秀夫(訳)/
     時事通信社1962年、1971年2刷

ある人たちは、このテラーのことをマッド・ドクターと書いています。
映画のモデルにもなった人物だという……。

真夏の暑い日であったと思うのだが……。下「」引用。

「木と紙でつくられた同市の住宅のほとんどすべで朝食の用意に使用されていた火のいっぱい入った「ヒバチ」が爆風でひっくり返ったため、何千もの火事が起こった。」

--真夏の広島。
多くは火鉢は使われていなかったとボクは思う。
七輪か、竃などではないだろうか?

東京に警告するべきだと書かれています。下「」引用。

「無警告で原爆を投下するというわれわれの決定の底には、あのような規模の奇襲が日本人を恐れさせ降伏させるだろうという希望があった。しかし、天皇裕仁と彼の閣員がよくみているところで、夜間東京の上空で原子力を爆発させたら、ちょうど広島と同じくらい恐ろしい思いをさせたであろう。そしてそれはしかるべき人々を恐れさせることになったであろう。」

当時、語っていたのだったら、当事者として意味あることだったと思う。

中間委員会のことについて書かれてありました。下「」引用。

「具体的警告なしに日本に原爆を使用する勧告は、一九四五年六月にトルーマン大統領に核政策について助言する任務を持った中間委員会によって下された。同委員会の委員長は陸軍長官ヘンリー・L・スチムソンであった。中間委員会に助言していた核物理学者は、オッペンハイマー、フェルミ、アーサー・H・コンプトン、アーネスト・O・ローレンスの諸博士であった。」

中間委員会は具体的警告なし投下することを選んだという。


20のパーティで勝利を祝ったという。下「」引用。

「対日戦の勝利はロスアラモスの約二十ばかりのパーティーで祝われた。それは勝利の最初の感激に酔った歓喜の乱舞であった。ロスアラモスではその晩誰も寝なかった。」

フックスのことも書かれてありました。

貧しい人々の利益のために……。よく云えたものですね。下「」引用。

「これよりさきに一九五七年に、原子力を世界平和の事業に、世界の貧しい人々の利益のために、はっきり実際に利用しようという提案が出た。これらの提案は、われわれが不安と偏見のため盲目となったため、まだ実現するにいたらない。」

どこが、貧しい人のために原発がなったのか?


『時事新書 広島の遺産〔下〕』
   E・テラー、A・ブラウン(著)/木下秀夫(訳)/
     時事通信社1962年、1971年2刷

第五福竜丸のことも書かれてありました。下「」引用。

「福竜丸が帰港するまでに、二十三人が発病した。一人は死亡した。しかし他の二十二人は健康を回復し、仕事に復帰した。一人の死亡は放射能爆発と無関係の肝炎が原因だという可能性もある。だが世界は、彼が放射性降下物のために死んだのだと仮定した。」

誰が、汚い水爆を開発したのでしようか? 無責任なテラー……。

偵察機によって、ソ連の原爆所持がわかったという。下「」引用。

「ソ連は一九七○年ごろにならないと原爆を製造できまいと信じこんだアメリカは、もしルイス・ストローズの先見の明がなかったならば、まっしぐらに無準備状態に向かって突き進んでいたことだろう。一九四九年にソ連がその最初の原爆を炸裂させた何カ月も前に、ストローズは政府を説き伏せて、大気のなかから放射性微粒子を拾い出す特別のフィルターを備えた偵察飛行機を、定期的に飛ばせることにした。-略-一九四九年九月に、明らかにアメリカの原爆実験から生じたものでない微粒子が拾いあげられた。われわれはそのときに、ソ連もついに原爆を所持するにいたったことを知ったのである。」

「われわれ」という文を羅列しているテラー。下「」引用。

「われわれ科学者教育を改善し、アメリカが今ままでは失うことが確実な科学上の指導権を取り戻すようにすべきである。」

いったい誰とわれわれなのだろうか?
--ロスアラモスでも嫌われていたと伝えられているのに……。






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原爆と差別

2007年12月21日 | 読書日記など


この本も図書館でお借りしました。
--本には紙がはさんでありました。



「お願い
 第1726回(昭和61年8月31日)の選定図書として速報掲載の、また、『選定図書総目録1987年版』P162に掲載の『原爆と差別』は、発行者による一部未修正の図書の内容において、人権尊重の立場から不適切な表現がございます。
 この図書を所蔵の図書館におかれましては、資料の利用等の取り扱いに際しては、充分なご配慮を下さいますようお願い申し上げます。
 なお、この件に関してご不明の点等がございましたら、日本図書館協会図書選定委員会宛に直接お問い合わせください。」



この本にも重松逸造のことを権威として取り上げておられます。


チェルノブイリから広島へ

環境汚染この国のかたち

このような数々の現実とあわないことを、定義づけてきた学者を非難することは、この著者にはなかった……。

むしろ、権威として扱っている。

著者は「遺伝に悪いものはない」などと書いている。
--遺伝子治療などを研究している科学者は無意味というのか?
あきれた論理の羅列であり、一部どころではないとボクは思う……。

記憶違いや訂正を入れたのでさえも、大きく非難する著者・中条一雄。しかし、重松には批判はしていない……。




『原爆と差別』
    中条一雄・著/朝日新聞社1986年



著者は平和運動を信じていないという……。
--彼の平和に対する概念を私は信じない……。
むしろ、戦争をすすめるものだと思う……。

戦争は究極の差別。
--差別を助長するものは、戦争をすすめるだろう。
「戦争は平和」という、人たちの概念にさえ近い思想をもっておられるようにボクは感じる……。

差別を語れもしない社会になれば、もっとひどい社会になるだろう……。

原爆は差別しないという著者。下「」引用。

「原爆は、とくに弱い立場の老人や女性、子どもを差別しない大量殺戮の兵器である。しかも朝のあわただしい市民生活の、警戒警報すら解除され、まったく無警戒の寝耳に水に、突然襲いかかってきたのだから、とくに被害が悲惨なのは当然のことだろう。」

原爆そのものが差別であるという人たちの意見をボクはとる……。
ドイツ人に対してのものではなく、最初から有色人種の日本に投下する計画をたてていたという(半藤一利)。


岩波新書275 ひとりひとりの戦争-広島』は朝日新聞の広島支局の労作だという。

そして、骨から油が落ちているという表現について。下「」引用。

「だが、前に紹介した原爆病院看護婦長の久保文子さんはこの本の中に登場する六人のうちの一人だが、彼女はこういう。
「あの本の標本は、処理の仕方が悪かっただけで、普通の人の骨でも処理が悪いとああいうふうになります。原爆だからああなるわけではありませんよ」

映画『夢千代』について。下「」引用。

「だが、脚本の中で被爆者に「人を好きになる資格がない」といわせるとは、なんと悲しいことか。このようなセリフをいわせ、悲しさを強調するために原爆が利用されているとすれば、「もう、いい加減にしてほしい」といわざるを得ない。」

しかし、それが現実だったのではないか?

差別を描くことを非難する文章が続く。

そして、一部が嘘なら、全部が嘘のように思わせたいのだろうか?
人間は間違うものだ。訂正をいれたりするのは、むしろまともなことではないのか?

--朝日新聞が続けてきた原発推進は、どうだったというのか?
これも、差別の上にしか進めることはできなかったということが事実だろう……。

長崎の「被爆者の店」を非難する著者。
甘いという……。原爆を売り物にしているという……。

--このような非難にも多くの人は書いている。
まず、売り物などにはならない……。
それが現実だろう。

「障害者の親の会」などでも売店にその名をつけている……。
しかし、それが売り物などにはならないし、そう名前をつけてどこが悪いのか?……。

いつものことで、虚言をはく大手マスコミのエリート記者などは、高給をとっているのに問題はないのか?

それほどの正義で清廉潔白な人(著者)が、このような大きな問題にはふれないのにはあきれる……。

それも、原発と原爆は無関係ではないことも多くの人たちが伝えるとおりだとボクは思う。

巨悪について無視して、生活するのも大変な人たちには、暴言をなげかける……。

これが差別でなくして、何を差別というのか?

人権に配慮されていないと言われても仕方がないだろう……。

バーバラ・レイノルズさんにしても、悪用されたくなかっただろうと思う……。誤解を与えかねない文章であったと思う……。

差別を訴える人を暗いという表現をとる著者……。

「いじめ」られっ子が悪いのではなく、「いじめ」っ子が悪いのだ。

そして、被爆者が醜いのではなく、投下した側が醜いのだ。
--それは、大田洋子が表現していたことが正しいと思う。

そして、暗いのは差別する著者・中条一雄であって、被爆者ではない!

明るい心で、平和を願っておられる人たちである!

こんな本にもめげずに努力されていますね!!!

語ることがカタルシスになるという中条。

それはセラピストの前だろう。

このように暴言を吐く人間もいるのだ……。

見ず知らずの人たちでは、とても、カタルシスなどにはならないとボクは思う……。

被爆動員学徒の生きた時代-広島の被爆者運動-



【この本の著者が書いた本】

'85夏&秋

私のヒロシマ原爆

原爆乙女 Hiroshima Maidens

原爆は本当に8時15分に落ちたのか







もくじ






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原爆は本当に8時15分に落ちたのか

2007年12月21日 | 読書日記など
『原爆は本当に8時15分に落ちたのか
   歴史をわずかに塗り替えるようとする力たち』
       中条一雄・著/三五館2001年

どうも論理的ではない文章で、ふりまわされる感じがして困惑します。
--結局著者はこういう結論なのだろうかと思います。下「」引用。

「ハーシーさんのいうように「何時何分に広島市民が黙祷を捧げようとあまり問題はない。大切なのはあの出来事を記憶にとどめておくこと」かもしれない。」



歴史をわずかに塗り替えようとする力たち
--これが、どこの誰の力かわかりませんでした。
はっきりしているのは、著者・中条一雄さんは確実にその一人でしょうね……。

薄い記憶によるという……。下「」引用。

「私の薄い記憶によれば
 ところで、私自身の「爆発時間」だが、先に述べたように、ずっと長い間「八時十五分」だと思っていた。正確には一九八三年三月に『私のヒロシマ原爆』という本を出版するまでだ。この本は、その前年八月に新聞に連載したものをまとめたものだが、私は新聞の書き出しに「一九四五年八月十五日午前八時十五分--広島に原爆が落ちた」と書いた。その根拠があったわけではない。先に述べたように多くの被爆者がそう言っているからそうなのだ、と思っていたにすぎない。」

1945年8月7日付けの朝日新聞では、7時50分だったという。

当時は時計は貴重品だったという。
ボクの子どもの時でも貴重品だった……。
何かのお祝いの時にもらう商品だった。

ハーシーに連絡する著者。最初は驚いたハーシー。下「」引用。

「ハーシーさんはしきりに「恐ろしいことだ」を連発した。データ第一主義でストーリーをまとめるノンフィクション作家としては、数字の間違いは、たとえそれがわずかなものでも致命的だ。とても黙殺できることではないだろう。
「とにくかキミの発想とテーマはきわめて興味深い。ぜひとも本当の時間を調べてほしい。どういう結果になるのか、ぜひ知らせてほしい」
 彼はこう言って電話を切った。」

止まった時計……。下「」引用。

「広島の場合、原爆で止まった時計がいくつかあり、たまたま八時十五分に止まった時計が、統計上何個かあったということだ。それが証拠とされるものになったにすぎない。」

薄い記憶の方が重要であるのだろうか?……。

--峠三吉が書き残したもの。下「」引用。

「被爆直後には「八時十分」「八時過ぎごろ」と書いていたのに、七年後に「八時十五分」と訂正したのはなぜか。彼もまた、どっと出版された一九五二年当時の「十五分説」に、右へならえしたのだろうか。」


著者は「嘘が本物になる恐さ」と書き続ける。下「」引用。

「-略-爆発時刻については、このほか午前八時十五分から十八分にわたるいくつかの記憶があるが、広島市は午前八時十五分を採用している。」

どこで嘘が本物になったのか?
正確な時間がわからないので、黙祷の時間などが決められないので一応そうしたという感じではないのか?

この本でも、正確な時間はわからなかった……。

著者のうすい記憶と同様に6分説の人もいるそうです……。

からさわぎの本といわれても仕方がないように思えました……。


原爆と差別

私のヒロシマ原爆

原爆乙女 Hiroshima Maidens




044 どっちが『Mr.ダウト』?

2007年12月21日 | ライト小説
あかねさんシリーズ002
男が女de女が男


二章、異次元はオカマさんワールド!




044 どっちが『Mr.ダウト』?


「まったく、この世界の男たちも少しは、この男のように男らしくしたほうがいいものを、まったく、この世界の男どもは考え違いをしている」

「しかし、ですね。オカネお嬢様。この森村拓也という男は、すごく女の子に人気があるのでござるよ」

「そうだろうとも、わたしの世界でも、このように男らしい男は人気があるに決まっているじゃないか。その点では、何も違いはない」

「おう! 頭がこんがらがります」

あんなに複雑なマシンをつくってしまうオカネスキーが頭を悩ますのだから、かなり複雑なことである。

いや、本当は単純なことであるが、あまりにも固定観念として、いすわり続けている男女のあり方というものが、オカネスキーの頭でさえ混乱させているのである。

何しろ、男が女で女は男、それだけのことで、複雑ではない。

今のところは……。

「どうだ! オカネスキー、わたしが、君のために、口紅を買ってあげるから、少しは男らしくしなさい。その方がきみのこれからの人生を明るくするっていうものだよ」

オカネスキーは頭をかかえた。

わたしの顔、まるでケンタッキーのフライド・チキンのケンタッキーおじさん、つまりカーネル・サンダースさんにそっくりなのに、口紅をつけて、アイシャドウをいれたら、きっと、ロビン・ウィリアムス主演の映画『Mr.ダウト』になってしまうじゃないかと、思った。

思わず、肩をすくめて、「うふッ♥」と笑ってしまった。

こちらの世界の茜なら、何よ、気持ち悪いたら、ありゃしないわなんて言うことだろうが、向こうの世界の茜は、それでいいのだと、にんまりしている。

「そういえば、オカネスキー、おまえの顔を見ていると、ロビン・ウィリアムスを思い出すよ」

「えっ、そちらの世界でも『Mr.ダウト』が上演されたのでござるか」

「ああ、こちらでもか?」

「そうでござる。わたしに似ているとこちらの世界のオカネお嬢様もいっておられたでござる」

「そうだろう。とても、その女装が笑える」

「この女装?」

驚くことはなかった、男女が反対だったということを、そろそろ、この明晰な頭脳にインプトしなけれは、オカネお嬢様さんに馬鹿にされるぞ! とオカネスキーは思った。








閑話休題

原爆をつくりだしたもの、

それは愛ではなく、

差別だという人もいる。

その原発製造にたずさわった

デュポンが口紅をつくっている……。

女性よ! 口紅をつけるのはいいが、

差別する、されることを

楽しいとは思わないでください。

一人の人間として考えてください。









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