磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

フォト・ミュゼ 長崎〈11:02〉1945年8月9日

2007年12月10日 | 読書日記など
『フォト・ミュゼ
 長崎〈11:02〉1945年8月9日』
     東松照明・著/新潮社1995年

表紙の写真のタイトル。下「」引用。

「熱線とその後の火災で溶解変形した瓶 1961」



とっつきにくいけど、ヒューマンな写真集です。

一番印象に残ったのは、片山津代さんの神の御摂理です。下「」引用。

「被爆後、永井隆先生が浦上に原爆が落ちたのは神の摂理であると言われたことは、カトリック信者を誤らせたと言って、先生が死なれてから非難する方がおられます。私は1番苦しい時に原爆は神様の御摂理だと思ったから生きているこことができました。そうでも思わなければ苦しみと悲しみのために死んでいたと思います。人様はどうか知りませんが私はそうでした。でも、原爆は悪です、2度とあってはならないことです--。
 片岡さんは原爆の苦しみを思想にまで高めることができたのだと、私は思った。それは山口仙二さんについても言えることであろう。
 片岡さんの家からの帰りみち、東松さんは言った。「長崎に来て片岡さんに会うたびに僕はいつも教えられるなあ。生きようとする強い意志に」と。
      1995年3月」

永井隆博士も原爆が善とは言われたわけでないとボクは思います。

そして、こうも書かれています。下「」引用。

「長崎では、「受難」という言語表現がよく用いられる。ユダの裏切りによって磔の刑となったキリストに由来する宗教言語である。信仰をもたぬ私にとっては馴染みの薄い言語である。が、しばらく長崎にいると、なぜかこの地にふさわしい表現のように思えてくる。そして、被爆者と向き合う私は、祈るような気持でシャッターを切るようになる。被爆者は世紀末の神、つまり核時代のキリストなのかも知れない。
    1986年10月」

キリストも何もかも手放しで赦されたわけではありませんね……。

被爆者がキリストならば、ユダはキリスト教国のアメリカの支配者たちになるのでしょうか?


「美容室を手伝う山口 1962」という作品。
山口さんもいろいろな職種で働かれたようです。
以前の本では建築関係だったと思います。




福田須磨子詩碑の除幕式 1975」



英文付きの写真集です。






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昭和にんげん史3

2007年12月10日 | 読書日記など
『昭和にんげん史3』
   朝日新聞社・編/朝日新聞社1989年

六ケ所村で映画がとられて、海外の賞を受賞していたとは知りませんでした。



アガペー像というのがあるという。そのことが書かれてありました。下「」引用。

「その祈りは『愛』。しかも崇高な神の愛を意味する『アガペー』がいい」といったのは、元早大総長の村井資長だった。「像の正面に刻む漢字の『愛』は、巣鴨の教戒師、田島隆純さん、ギリシャ文字の『アガペー」は、(*東山)魁夷さんが私の母サトの手をとって書いたものです」

以上は横江嘉純が語ったと思われます……。

「回天」の特攻。
--7月25日、訓練中に亡くなられたという。

女の碑」というのが京都市・常寂光寺にあるという、それに関することが書かれてありました。

キューバのカストロを支援した山本満喜子のことが書かれてありました。

「第四種日本人」
--戦争は究極の差別。そんな人たちがつくりあげた社会は困ったものだとボクは思います。いくら「改革だ!」「美しい国だ!」とイメージだけ投げられても、現実は違うと思います……。下「」引用。

「「五十年間、『第四種日本人』とされてきた台湾人は、祖国大陸から来た同邦たちを大喜びで迎えた。だが、この事件で、期待は失望に変わった。今度は『第三種中国人』になってしまった」
 歳徳によると、第一種が大陸の中国人。第二種が大陸を追われて台湾を支配した中国人。第三種が以前から台湾にいる中国人だ。」

そして、あいかわずいつものことの日本社会。

「草の根なれば」というタイトルで六ケ所村のことが書かれてありました。下「」引用。

「六ケ所村に計画中の使用済み核燃料再処理工場の事業許可申請を、日本原燃サービス(本社・東京、豊田正敏社長)が宮崎科学技術庁長官に提出したのは先月末だった。専門家などが「再処理技術の未熟さ」を指摘し、青森県内の農業、市民団体からも、強い反対の火の手が上がっているさなかの申請だった。」

チッソ関連会社に勤務していた寺下力三郎。下「」引用。

「昭和十四年二月、寺下は海を渡って、朝鮮窒素の科学実験工になった。戦争対策のために、ゴム、絹、石油などの合成生産が急がされていた、合成ゴム研究室の実験作業に加わった。ネバネバした黒色の合成ゴムが出きるようになり、大量生産技術に、技師たちが取り組んでいた。」

窒素と足尾銅山は変わりがないと寺下。下「」引用。

「養蚕農民に聞くと、「や、先生が知らないの! あれが足尾銅山の鉱毒で、田中正造という代議士が一生をかけて、農民の救済が訴えたんだ」と話してくれた。現地民を無視した大企業のやり方は、朝鮮窒素と変わりがなかった。」

有力者が税金滞納。下「」引用。

「寺西力三郎は昭和三十五年、村議会の満場一致の推薦で六ケ所村の助役になった。-略-原因を調べて驚いた。村の約二割の高額納税者(有力者たち)が滞納していて、村税の三割しか徴収されていなかった。一方で、生活扶助すれすれの低所得総は黙って納税し、学区負担の均等割りでの苦しみ、村の借入金の金利まで負担されている。」

まったく、日本の社会の偉い人たちは無責任だ……。

反対の中開発は進む……。

映画も作られたようだ。下「」引用。

「「六ケ所人間記」という記録映画がある。寺下たちが「水先案内人」になって四年前、三年がかりで完成した映画は、西独のマインハイム国際映画祭で特別賞を受けた。「強力な証言力をもった環境批判の映画」と評価された。」










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岩波新書440 原発事故を問う -----チェルノブイリから、もんじゅへ-----

2007年12月10日 | 読書日記など
『岩波新書440 原発事故を問う
   -チェルノブイリから、もんじゅへ-』
      七沢潔・著/岩波書店1996年

どうも、やはりよくわかりません……。やはりアメリカ主導でより巧妙な隠蔽でわからなくなったといっていいような気がボクにはします……。IAEAといっても、アメリカ主導のように感じます……。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「原発事故を問う--チェルノブイリから、もんじゅへ
事故の影響も原因究明も--チェルノブイリは終わっていない。原発作業員からゴルバチョフまで多数の証言と、膨大な内部資料をもとに、新事実を発掘。さらに、ソ連一国を越える「真相を隠す側」の巨大な構図を追究。ソ連の原発政策と情報操作の結末と、スウェーデンやドイツの試行錯誤を前に、「もんじゅ」の国がえらびとるべき道を問う。」

日本の神話崩壊の年、1995年。下「」引用。
「戦後五十年という区切りの一九九五年、皮肉にも日本人は、堅固に築き上げたと思っていた自分たちの世界に対する確信が、脆(もろ)くも崩れてゆく瞬間に何度も立ちあった。」

1 阪神大震災での高速道路崩壊、耐震設計が自慢だったビルやマンション、通信運輸医療などの都市機能が一瞬で壊滅。
2 大量殺戮兵器によるテロ。
3 大蔵省官僚たちの相次ぐスキャンダル。
4 もんじゅのナトリウム漏洩(ろうえい)事故。


しかし、政治家のなかには、いまだに「神の国」という人たちがおられる……。
--科学を大切にしていただきたいものです。
もちろん、人を騙すための神の国ではなく、日本の伝統や歴史も大切なものであることは書くまでもないと思います。


「情報隠し」もいつものことですね。下「」引用。

「もんじゅの事故では、なによりもこの「情報隠し」と「連絡の遅れ」が世論の痛烈な批判を浴びている。」

--誰も罰せられない。
知らぬふりをしていたら、出世できるシステム。
……内部告発をした者を出世させるシステムに変更してもらいたいくらいだ。

アメリカは「ヒーロー」をつくって、行政に都合の悪いことをめでたい物語に変更する。

ソ連では、「敵役」をつくり、ソ連の首脳は正義とする。

--日本でも年金問題ではこの手法がとられ、舛添さんがこの役目をしたけれど、このシステムを変えないためのイメージづくりにしかすぎなかったと思います。問題はむしろ、ソ連でも日本でも首脳たちだろうに……。


ジャトロフは減刑され、「名誉回復」を訴えているという。下「」引用。

「ジャトロフは判決で五年の刑を受けたが、実際は三年ほど強制労働収容所で服役して、一九○九年に釈放されている。かつての水爆の父でその後の反核・平和活動によってノーベル平和賞を受賞したアンドレイ・サハロフらの減刑嘆願運動が成果をおさめたのだ。」

「カミカゼ」作戦と呼ばれたという。下「」引用。

「「カミカゼ」と呼ばれたのは、八六年九月からの一般兵士による黒鉛除去作戦のことではなく、その1ヵ月前、人海戦術による除去作戦の計画を命じられたドミトロフら専門家が、初めて三号炉の屋上に上り、予備調査を行った時のことであった。」

どうして、こう日本政府とソ連は似ているのだろうか?
いつものことが原因なのだろうか……。

いや、今ではソ連はなくなりロシアとなった……。

日本よりアメリカに似てきたロシア……。





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恐怖の80日 水爆搭載機墜落事件

2007年12月10日 | 読書日記など
『恐怖の80日 水爆搭載機墜落事件』
     C・モリス(著)/南井慶二(訳)/
        鹿島研究所出版会1967年

1966年1月17日、スペイン南部の小村パロマレス。
アメリカ空軍のB52爆撃機と油槽機との衝突・爆発・炎上。
墜落したB52には、4発の「水爆」が積んであった。



表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「最近八年間に、アメリカ空軍の核兵器事故がいま分かっているだけで十三件も起っているのだということを忘れてはならない。きっとまた新しい惨事が起るだろう。あの巨大な爆撃機が世界各地の戦略空軍司令部の基地から基地へと離着陸している限り、またまだ事故は起るのにきまっている。
      著者」

著者は1938年生れの英国人記者。
スペイン在住の外国通信記者。

パロマレスの野菜は、「放射能にやられている」という噂で、売れず。
漁業もまた同様であったという。

政治も影響されたという。下「」引用。

「他方、墜落事件による政治的「死の灰」は世界中の全地域に雨と降り注いだ。
 フィリピンでは、外相が、核爆撃機および核動力艦艇が同国の基地を使用する権利をアメリカに与えている協定の改定を要求した。
 ボンでは、西ドイツ議会が科学問題相ゲルハルト・シュトルテンバーグから、スペインからの食料輸入は厳密な放射能検査をするという確約を取りつけた。
 オランダでは、平和主義者A・J・ブルッゲマンが核爆弾搭載機の同国上空飛行を禁止せよと要求した。」

三発目が放射性物質をまきちらかしていた。下「」引用。

「三つめの爆弾は基地のうしろの丘の間に落ちていたのだ。しかも私はそれが落ちた場所を発見した時、そのTNT火薬もまた衝突のために爆発していたのに気がついたのである。だからこそ、実際の墜落以来こんなに何週間もの長い間、あんなにたくさん掘り続けてきたのだ!プルトニウムが広大な地域にわたって飛び散ってしまったことは明白である。」

行方不明の四発目めはどうなったのか? 下「」引用。

「スペインの新聞が「アギラスの漁師某の網に不思議な黒い箱が一つかかった」とすっぱ抜いたからである。」

CURVという水中ロボットで水爆を探したという。

汚染物質。下「」引用。

「三月二十四日の木曜日には、パロマレスの汚染土を詰めた正確なところ四八一○本の樽の残り全部を貨物船ボイス豪に積みこみ終って、この船はその日の夕方に出航、チャールストンへの旅路についた。」

しかし、こんなことも書かれてありました。下「」引用。

「あの砂あらしの地方一帯に未知の量のプルトニウム239とウラニウム235がまき散らされ、検出を逃れたということだけは、議論の余地のない事実である。」





水爆が消えた〈核積載米機墜落事件〉


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ながさきのうた1 釜墓地悲歌

2007年12月10日 | 読書日記など
『ながさきのうた1 釜墓地悲歌』
    高田とくゑ・作/葦書房1984年

釜墓地(かまぼち)についての説明と詩が書かれてありました。フィリピンからの返還遺体名簿確認連絡先にもなっておられるようです。



如己堂についての詩が書かれてありました。下「」引用。

「如己堂(にょこどう)
永井隆先生
命の限り
叫びつづけ
詩いつづけてこられた
その尊い魂が
今もなお
長崎の街を大きく包み
日本はあれから確実に
平和を手に入れました
戦争を知らない
原爆を知らない
私たちは
-略-
この平和な日々が
先生初め幾多の人々の
苦しみの中から
生まれて来たことを
知らされてはいたものの
知らそうとしていない
自分がここに在りました
お許し下さい」

釜墓地のあるお寺のことも書かれてありました。下「」引用。

「檀家さえなき日本一貧しい寺である。八十二歳の住職は、朝、昼、夕に鐘樓の鐘を打ち鳴らし、朝夕の読経の中、大東亜戦争犠牲者、原爆犠牲者の霊に、ひたすら祈りを捧げ、悲しき英霊たちに、「一日も早く」「一人でも多くの」肉親の迎えが来ることを願っている。その姿には、雄大な父を思わずにはいられない。」









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