磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

物理学史と原子爆弾------核廃絶への基礎知識

2007年12月25日 | 読書日記など
『物理学史と原子爆弾--核廃絶への基礎知識』
    斉藤三夫・著/新風舎2004年

高校の物理学の先生が書かれた本です。物理が苦手なボクなのですが、数式などはわからなくても、最後まで読めました。




帯に書かれてあります。下「」引用。

「人類最良の知識をもつ科学者が、人類最悪の原子爆弾による災禍をもたらしてしまったのはなぜか?
巨大な矛盾を解くための第一歩として物理学史入門」

「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「このとりくみのきっかけは私が属していた高校の1997年度修学旅行である。目的地が長崎ということで事前学習として「平和学習」に組織的に取り組んだが、並行してわたしの専門が物理であることから、原爆開発までの物理学史、研究者を開発に駆り立てたもの、社会的背景、科学者の社会的責任といったことが頭に浮んだ。その辺をまとめて資料とし、物理教育と平和教育を同時に行うプログラムを7年間試みた。
 本書はその資料を元に、大学生、理工系一般社会人、理工系の教育者や研究者、および核問題に関心のある方々を念頭にまとめ直したものである。その際、高校生や物理をあまり得意としない方々のために、物理法則による計算部分を飛ばし読みしても十分流れがつかめるよう腐心したつもりである。」

歴史があって、このようなことも起きたのですね。

それを学んで、おきないように考えることは大切なことだと思います。

物理学のいろいろな発展自体は悪いものではないと思いますが、それを悪用する人たちが支配者であることが、今も昔も恐ろしい世の中にしていると思います。

1911年、原子核発見(ラザフォード)
1919年、陽子の発見(ラザフォード)
1932年、中性子発見(チャドウィック)

このように歴史のことが書かれてあります。
物理学の勉強にも当然なると思います。

そして、原爆の問題をも理解できて、平和の勉強にもなりますね。

1950年2月12日、アインシュタインはTV出演。
長文の平和声明を発表。
武器による安全保障は幻想であることなどを訴えられたという。

核兵器の非人道性。
1. 「大規模殺傷破壊」--核兵器は、「本質的に民間人奇襲兵器」
2. 攻撃したときだけでなく、被爆者を殺傷しつづける。「本質的に平和時殺戮兵器」
3. 気象の極変や大規模な放射能汚染、毒性物質の生成などで、多くの生物や自然環境までも大きく破壊するからだ。「本質的に巨大なる内部矛盾」である。


物理学も社会と関係なしに存在しているわけではありませんね。

科学者になる方たちこそ、このようなことを学んでいただきたいと思います。








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証言-----ヒロシマ・ナガサキの声(創刊号)

2007年12月25日 | 読書日記など
『証言-ヒロシマ・ナガサキの声(創刊号)』
    長崎の証言の会(代表・鎌田定夫)/
       長崎の証言の会1987年

このような会の雑誌も、いろいろ時代の変化に対応していかないと、運動そのものにも影響していくものかもしれないと思いました……。



中曽根元総理はとても、被爆国の国民の代表とは思えません……。下「」引用。

「今年六月上旬に開かれた西側先進国首脳のベネチア・サミットでは、「平和を維持するにあたり核抑止が引き続き重要であることを再確認」するという。「政治声明」が発表された。しかもこの声明発表にあたって米欧間のまとめ役をしたという中曽根首相が、レーガン大統領に、ソ連の中距離核弾頭弾百発に対抗してアメリカの中距離核弾頭百発をアラスカに配備せよ、と提案したことが後日判明した。」

「長崎原爆と私-長崎工業学校生の証言-」細田喜輔
この文章で永井隆博士に治療してもらったことを書かれてありました。
--8月12日、著者は若杉宅で。
巡回救護がくるという。
--夜8時に、永井博士たちはやって来たという。
永井博士は、側頭部に包帯をぐるぐるまきにしていたという。
--治療は身体に刺さったガラス片をピンセットで抜き取りながら、ヨーチンを塗布。
全身で計110か所も傷口があったという。


従軍看護婦になり、白衣の天使じゃなく「モンペの天使」と言われていた看護婦(現・看護師)さんは書かれています。
--8月1日の空襲で、大学に直撃弾が落ちて三名死亡。そのあと片づけをやっとすませたときに被爆。

永井博士の下で働いた看護師・松本チトエさん。下「」引用。

「当時は空襲がはげしくなり、永井隆先生の指揮で、屋上で担架を運ぶ救護訓練が行われ、友達を乗せて裏山の穴弘法さんまで運ばされたこともありしまた。」

この雑誌の形式になっても、朝鮮の方の文章もいくつかありました。
「運命を狂わせた戦争と原爆-原爆病院のベッドの上に十六年-」(語り)下今順(ペンクンスン)
--16年間も……。いくら、医療費無料でもうれしくありませんね……。

長崎大学医学部附属病院の「生命の水瓶」



「「長崎平和の母子像」建立運動のあゆみ-女たち、母たちは歩きつづける-」鎌田信子

「燃えろ、ナガサキの誓いの火-灯火台建設運動のあゆみ-」宮澤喜代志
--本にはありませんでしたが、あなたの平和の思いをピースプレートにしませんか!というサイトもあります。修学旅行の想い出にいいかもしれない……。
--しかし、もう行くことはボクにはないですね。

「チェルノブイリから一年」上薗恒太郎、「カナダにおける反核運動」ミホ・シボ・新間という文章もありました。










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偏見と差別 ヒロシマそして被爆朝鮮人

2007年12月25日 | 読書日記など
『偏見と差別 ヒロシマそして被爆朝鮮人』
   平岡敬・著/未来社1972年

論理が跳躍する感じがしました。それゆえ、結論はボクには納得できるものではないことが多々ありました……。



統計にみる被爆者の窮状……。下「」引用。

「その一つは被爆した男性の就職率は全国平均より低く、被爆女性の就業率は全国平均より高いということだ。とくに老人や女性の就業率の高さが、被爆者の生活の困難さを示している。
 また被爆女性の有配偶率は全国平均より低く、未婚率、離婚率は高いことが冷たい数字となって現われている。
 さらに、就職、結婚にさして「不利な差別を受けたことがある」と答えた被爆者が、それぞれ二・二%、二・六%(男二・八%、女二・四%)もあったという事実が、鋭い痛みを伴って私たちの胸に突き刺さる。
 このような数字の背後には、死への不安、“原爆症”と貧困の悪循環、家庭の崩壊、被爆者の疎外感、政治不信といった重大な問題が渦巻いているのだ。」

この数字にしても、文化的背景によってかなり意味合いもかわるが、そのことにはふれていなかったと思う。

「ムダ飯を食う」という表現が差別の問題ではよくある……。下「」引用。

「被爆したときは二十歳、。国民学校の女教師だった。大火傷に苦しみながら、翌年一月に男児を生む。夫の実家は農家。被爆後、彼女は歓迎されない嫁となった。手の甲のひきつりでクワも握れず「ムダ飯を食う」からだ。整形手術のため広島赤十字病院に入院中、仲人がやってきて離縁話を持ち出した。」

ムダ飯よりもひどいことをしている人たちが、世の中を動かしているのが、この国である。
それはいつものことですね。

「対話の会」が作られたという。下「」引用。

「昨年十一月広島に生まれたのが「平和について市民の対話をすすめる会」(略称「対話の会」)である。」

無意識のうちにしたというが、多くは意識的に正義と思ってされたとボクは思う。下「」引用。

「国家が権力者のものである限り、国家は民衆と敵対する存在である。だからこそ、国家の栄光は自分のしあわせと重なり合うはずだと信じてきた多くの民衆は、無意識のうちに国家の犯罪に手を貸すことになった。南京大虐殺に参加した日本兵士も、アウシュビッツのガス室の扉をしめたナチ党員も、原爆を積んだエノラ・ゲイ号でボタンを押した米軍士官も、まさしくそのような存在であった。」

ただ、ナチス・ドイツや日本は敗戦。
アメリカは戦勝国……。
東京に住むアメリカ人のタレントは「戦勝国が敗戦国に損害賠償をしたなんて聞いたことがない」などという……。

コロンビア大学の映画についても書かれてありました。下「」引用。

「ことし(昭和四十五年)三月十八日夜、TBS系テレビの電波に乗った米国コロンビア大学マスコミ・センター制作の記録映画『ヒロシマ・ナガサキ--一九四五年八月』は、映像の持つ意味と、なぜ国家権力がこの映像が民衆の目から隠そうとしてきたか、ということを改めて私たちの目の前に突きつけてみせた。このわずか十六分の映画には、敗戦直後、日本映画社が制作したものの翌年五月に米占領軍に没収されてしまった『原子力爆弾の効果・広島と長崎」(二時間四十五分)の人体場面が豊富に使われている。」

重要なのは、没収されたものがどうしてコロンビア大学で使用できたかでしょうね。

このころには、もうソ連が原爆を持っていた……。
平和のためなどではなく、他の意味で作られた映画だろうと書く人もいる……。

天皇と佐藤首相の来広について。下「」引用。

「二十四年前の天皇広島訪問を取材した老新聞記者は「前回の時は警官が天皇の方を向いていたが、こんどは市民の方を向いて立っていた」という言い方で、政治の姿勢の変化を語った。」

その当時はもう法的にも天皇は象徴であって、君臨すれど統治せずですね……。

そもそも天皇と核兵器保持を計画した佐藤栄作とは別人である。

そして、政治の姿勢だけではなく、佐藤の時には学生運動が盛んであった……。


三菱造船所で働いていた朝鮮の人のことが書かれてありました。下「」引用。

「金再根さん(一九二六年生まれ、日本名=富田孝太郎)である。金さんは軍属として徴用工七百人と共に広島の三菱造船所で働いていた。彼らは十六分隊に編成され、金さんは第一分隊長だった。原爆で左脚に大きな火傷を負ったが「祖国の建設のために働かねばならない」という決意を抱いて、その年の秋、七十人の徴用工と一緒に帰国した。」

挺身隊で働かれていた人のことも書かれてありました。下「」引用。

「孫さんの帰国後の消息を知ろうと手を尽している最中に、顔なじみの釜山の厳粉連合さんとソウルの林福順さんが広島にやって来た。彼女らは十二月八日に京都で催された第二次大戦韓国人犠牲者慰霊祭に列席する代表の一員に選ばれて来日したのである。
 二人は広島駅に着くなり「ぜひ原爆病院で治療を受けたい。それが日本へ来た最大の目的です」と話した。「わたしたちは“お国のために”挺身隊や勤労動員で働き被爆したのだから、日本人と同じように原爆手帳はもらえるでしょうね」と言うのだった。“お国のため”という彼女らの論理は一○○%肯定できないにしても、日本に来てそう言わざるをえないほど彼女らは原爆病院での治療を熱望していた。」


無援の海峡 ●ヒロシマの声 被爆朝鮮人の声







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1950年8月6日朝鮮戦争下の広島

2007年12月25日 | 読書日記など
『1950年8月6日朝鮮戦争下の広島』
   深川宗俊・著/原水爆禁止広島市協議会1970年

薄い冊子です。モノクロの写真がわりとたくさんありました。



死者数不明。下「」引用。

「原子爆弾による広島市の死亡者の数は、二五年もたっているのにその実数が不明のままです。広島の死亡者は七万八千一五○人(県警四五・一一・三○)。八万(米医学協会四六・七・四)、二一万~二四万(浜井市長四九・八・二三)二○数万(広島市五三・六・一八)と、さまざまですが、日本政府は故意に広島・長崎の実態を調査しないで、さけています。」

政府は故意に、調査していない。
--それは水俣病も同様です……。


「大田洋子が野宿した猿猴川の川原」



原爆症救護病院が開設されたという。下「」引用。

「四五年九月一二日、軍医学校と東京第一陸軍病院のメンバーを中心とした一四四名の医師、看護婦らは原爆症救護病院(宇品町旧大和紡績寄宿舎)を開設したのですが、そこでの貴重な病理解剖の資料の大半が占領軍(リボー中佐)に押収され、一○月一四日には、米軍(メイソン大佐)によって病院引渡しと、それまでの調査結果の提示が要求され、すべての研究資料が戦利品として没収されたのです。」

大田洋子をそしる当時の文化人は多いが、一般の人の残されている文集では貴重な存在であることがよく書かれています。下「」引用。

「大田洋子・都築正男ら多く広島の廃墟に存在した人間宣言こそ、私たちがうけつぎ、発展させなくてはならない真の〈ヒロシマの原点〉ではないでしょうか。」

峠三吉の詩。下「」引用。

「一九五○年の八月六日
        峠三吉
走りよってくる
走りよってくる
あちらからも こちらからも
腰の拳銃を押さえた
警官が 駈けよってくる

一九五○年の八月六日
平和式典が禁止され
夜の町角
暁の橋畔に
立哨の警官がうごめいて
今日を迎えた広島の
街の真中 八丁交叉点
Fデパートのそのかげ

-略-」

上の詩の全文があるサイト


峠の詩を想い出して下の写真を見てほしい。
この子の母を奪う権利など誰にもない!
いや、誰の母でも父でも……。




その数年後?









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人類に対する挑戦-----原水爆被害写真集-----

2007年12月25日 | 読書日記など
『人類に対する挑戦-原水爆被害写真集-』
   田辺貞夫・編/駿台社・年不明

写真集といっても冊子のように薄いものです。出版された年が書かれてありません。写真の説明もきちんとないのが残念でした。



第五福竜丸の乗組員写真だと思われるものがありました。下「」引用。

「魚影を追つて幾十日、苦しい航海の疲れを一ぺんにふきとばしてくれる大漁の喜びも空しく、“死の灰”は日本人漁夫の上にふつてきた。
 白いサンゴ礁の砂には、人の体を破壊するほどの恐ろしい放射能が附着していた。いまその被害者たちは、日本科学陣の総力をあげての治療もむなしく、容態は刻々と悪化している。」

このキャプションの上に、写真がある。しかし、その写真の説明かどうかも一見してわからない。

アインシュタイン博士の言葉もありました。下「」引用。

「アインシュタイン博士は「もし水爆の爆発がつづけられれば、地球上の空気は放射能で汚染され、生きとし生けるものは亡びるであろう」と警告した。」

--魚屋さんのデモ。
最初から共産主義者だけの運動ではなかった……。
安全な食物を食べさせたい主婦の運動からはじまったと書く人もいる。
魚屋さんも主婦と同じだろうなあー。
いや、ボクもいっしょですね……。



平和はきれいごとではない。生きること、生き延びること……。
そして、殺さないこと、傷つけないこと……。人間らしさを求めること……。
この写真はそう教えてくれないだろうか?

--魚屋さんのデモの写真の右横のスターリンの言葉。
しかし、国連の常任理事国は、すべて核兵器を保持。
そして、常任理事国の国民が死の商人となり、常任理事国は世界を恐怖と暴力で支配し殺戮を繰り返している……。
--それが現実ですね。

田無町議会、ボクの今住んでいるところのことも書かれありました。下「」引用。

「日本や十にまきおこった原子兵器禁止の声
-略-地方議会も、東京都議会、武蔵野市議会、三崎町議会、世田谷区議会、渋谷区議会、田無町議会等々が、それぞれ原爆問題についての決議を行つている。」

世界の声。下「」引用。

「アメリカは四月中旬またも水爆実験をやるといつている。日本、イギリス、オーストリアの良識ある人々は水爆に強く反対している。私は水爆を戦争に使うことを反対するだけでなく、水爆実験に反対である。(ネール首相)」

定価は30円。






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