磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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被爆動員学徒の生きた時代-広島の被爆者運動-

2008年07月06日 | 読書日記など
『被爆動員学徒の生きた時代-広島の被爆者運動-』
      小畑弘道・著/たけしま出版2007年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「「被爆者救援」と「核廃絶」を求めて
8月6日、建物疎開作業に出た中学1・2年生八千余人、うち6,295人が原爆により犠牲になった。偶然に生き残った動員学徒の一人が歩んだ戦後の歴史を辿りながら、「被爆者救援」と「核廃絶」を求めたひばくしゃたちの運動とヒロシマの思想を考察する。」




被爆後の広島には、「悲劇の中学一年生」のことが語り継がれたという。
希望をもって進学、生徒しらい時間もなく、勤労学徒で短い命を散らせたという。

平山郁夫も勤労学徒の一人であったという。下「」引用。

「当時の修道中学三年生に平山郁夫(一九三○年生れ・豊田郡瀬戸田町生口島出身)がいる。彼はいくつかの手記を残してる。」

当時から病弱、広島陸軍兵器補給廠材木集積所で被爆。
その年の10月、生死をさまよう。
平安を求めたいと、風俗画から仏教へ画材をかえたという。

ABCCは「死骸にむらがるハゲタカ」を思わせたという。
被爆者が亡くなると、遺体を解剖させてくれと……。

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昭和48年秋、原田東岷の呼びかけで、「土曜会」医師10人程の会。
広島の医師の原爆症治療の研究。
この会は15年続く。
・段原町の中山広美医師は独自の「原爆健康手帳」を考案。
・翠町の於保源作医師は被爆者の発ガンに関する研究をした。

加害責任で頭をなやませた語り部がおられたようです。下「」引用。

「八九年八月の『毎日新聞』「記者の目」蘭に「語り部を問いつめないで」という記事が載った。内容は、前年の秋、広島県内のある中学生グループが平和公園周辺を歩いて「平和学習」をし、語り部の女性被爆者、A子さん(57)の被爆体験を聞いた。そのとき彼女は、韓国人原爆犠牲者慰霊碑前での説明で、碑とそれに関する日本の加害者責任、民族差別については特に言及しなかった。その後、A子さん宅に、生徒からA子さんの“不勉強”を問う手紙が数多く来た。A子さんはそのことに強いショックを受け、それ以来、語り部活動をほとんどしていないというものである。」

きびしいものですね……。

しかし、こんなことを書く被爆者もいるそうです。

原爆と差別


1989年、シンガポールを訪れた「ヒロシマを語る会」の沼田鈴子、吉野誠。
帰国報告会で、証言活動でも日本の加害責任の勉強が必要ではないかと提起。

『一億総ざんげ』は責任をあいまいにするだけであるという。

そのようにボクも思います。

米国の過ち 原爆神話 一億総懺悔








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