龍の声

龍の声は、天の声

「神風連の宇気比とは、」

2012-11-07 08:03:02 | 日本

「宇気比」(うけい)について三島由紀夫が著書「奔馬」の中に詳しく書いている。
以下、神風連が自らの決起を「宇気比」によって決める場面を引用する。



太田黒伴雄は浄衣を身に着けて、神前にひれ伏している。首筋も細く衰え、面色は病人のように蒼い。神に祈願をこめるたびごとに、七日・十日の癖殻・断食、五十日、百日の火の物断ちを常としているからである。

王政復古の詔が下った時には、先帝孝明天皇の攘夷の御志が活かされるかのごとき曙光が見えたのに、天日はたちまちに曇って、月毎に年毎に、開明の策が進められて今日に至った。希望は裏切られ、人心は荒み、清々しさのかわりに汚職が、高まんの代わりに卑俗が勝利を得てゆくのである。

太田黒は宇土の住吉神社に伝わる伊勢大神宮系統の「宇気比の秘伝」によって、まず桃の枝を選んでこれを正しく削り、美紙を切ってこれに対して御幣を作り、諾否如何の部分を空けた返りごとの祝詞を作った。
ついで、「死諌を当路に納れ、此政を改革せしむる事、可也」というのを一枚、「・・・せしむる事、不可也」というのを三枚書き、それぞれの紙を丸めて混ぜ、どれが可か不可かわからぬようにしたのを三宝に載せ、拝殿から階段を下りて、本殿へ階段を上がり、恭しく御扉を開いて、本殿の昼の闇へ膝行する。

太田黒はまず大祓詞を上げた。神殿は闇の奥に黒光りを放っている。その熱した闇の裡に神が在し、みそなわすのを太田黒は、頭のこめかみへ伝わる汗の、耳元を這う感覚の確かなように、確かに感じている。
目前の闇の一部に、見えざる清らかなもの、泉のようにすがすがしいものが、漲ってくる気配がしている。

太田黒が御幣をふりあげたとき、鳩の羽ばたきのような音が御所から起こった。はじめ三宝の上を左右左に打ち振って清め、次いで、心を安らかにして、三宝をゆっくりと静かに撫した。四つの紙宝のうち、二つが、引き上げられた御幣にかかって三宝を離れた。彼はこの二つを開いて見て、戸外の光にすかした。

ここでの「宇気比」は、共に「否」と出た。死諌も、また決起も共に否と出たのである。



ここでの記述で分かるように、宇気比とは単なる占いではない。精神を突き詰めた信仰者の神への問いかけであり、その信仰が真摯なものであればあるほど、実践行動を「神意」で判断しなければならないのである。現実の政治判断よりも信仰を上に置く、近代化される日本の現実を全面的に拒否し、神風連の内側にある信仰こそが、「日本」であるという決意に根差した行為なのである。

神風連の開祖、林櫻園(はやしおうえん)は遥かに穏やかな口調で表現しており、彼にとって「宇気比」とは、「神事は本也、現事は末也」、世を治め、ひとを政ごつもの、神事を本とし、現事を末とし、本と末とを一つにして、世を治め人を政つときは、天の下は治るに足らずと言う原則的な立場から選択されたものだった。

<了>



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