龍の声

龍の声は、天の声

「天人五衰」

2015-10-15 08:04:40 | 日本

三島由紀夫の豊穣の海 第4巻 天人五衰(てんにんのごすい)の本を読んでいる。

そのはじめに、静岡県の美保の松原、羽衣天女、天人五衰の話がでてくる。
そう言えば、本多が出てくる美保の松原では、「秘技 天女」という輪廻転生の場面があったが、長い長い時間の流れの中で、繰り返し繰り返し、男になったり女になったりして、この世に生をうける。
輪廻転生、将に、このこと事態が、懐かしくもあり、愛らしくもあり、自身のDNAの命の源にすり込まれているのでは?と、妙妙不可思議さを感じる。

「天に舞う 霞つつみし 羽衣は 夢か天女か 美保の松原」



◎天人五衰とは、

天人五衰とは、仏教用語で、六道最高位の天界にいる天人が、長寿の末に迎える死の直前に現れる5つの兆しのことである。

大般涅槃経19においては、以下のものが「天人五衰」とされる、大の五衰と呼ばれるもの。これは仏典によって異なる。

<大の五衰>

衣裳垢膩(えしょうこうじ):衣服が垢で油染みる
頭上華萎(ずじょうかい):頭上の華鬘が萎える
身体臭穢(しんたいしゅうわい):身体が汚れて臭い出す
腋下汗出(えきげかんしゅつ):腋の下から汗が流れ出る
不楽本座(ふらくほんざ):自分の席に戻るのを嫌がる


<小の五衰>

小の五衰は善い行いをすると助かる。

1、楽しい声が出ない。
2、身体の輝きが急になくなってしまう。
3、沐浴した時に水が身体に付着してしまう。
4、見るもの何にでも執着してしまう。
5、マバタキをさかんにする。

なお、『正法念経』23には、この天人の五衰の時の苦悩に比べると、地獄で受ける苦悩もその16分の1に満たないと説いている。『往生要集』では、『六波羅蜜経』の説に依り、人間より遥かに楽欲を受ける天人でも最後はこの五衰の苦悩を免れないと説いて、速やかに六道輪廻から解脱すべきと力説している。

神様の住む世界を天界という。天界は大きく三つに分けられる。
一般的には、神様の世界で、色界と欲界に住む神様を、天人とか天衆てんしゅという。

色界や欲界に住む天人は身体を持つ。そして、欲界には人間の世界と同じように性別があり、ここに住む女性の天人を天女という。

天女の範囲は意外と広く、
・弁天様や吉祥天など神様の御妃=女神、
・天界に生まれた女性=神様の娘、
・空に住んでいて時々地上に降りてくる妖精、
などを指す。


◎飛天(ひてん)

空を飛ぶ天人のこと飛天という。羽衣をヒラヒラさせ、空を舞う天女の姿を創造するが、このイメージは、中国に伝わってからのもので、飛天が女性とは限らない。だが、飛天は女性像が多いので、飛天=天女になっている。

飛天は、仏様のはたらきを喜んで、天の音楽を演奏し、天の華を降らせ、天の香を振りまいて浄土を飛び回る。また、日本では天人に限らず、菩薩でも空を飛ぶものは飛天と呼ぶ。


◎「謡曲 羽衣(はごろも)」

春の朝、三保の松原に住む漁師・白龍は、仲間と釣りに出た折に、松の枝に掛かった美しい衣を見つけた。家宝にするため持ち帰ろうとした白龍に、天女が現れて声をかけ、その羽衣を返して欲しいと頼む。白龍(はくりょう)は、はじめ聞き入れず返そうとしなかったが、「それがないと、天に帰れない。」と悲しむ天女の姿に心を動かされ、天女の舞を見せてもらう代わりに、衣を返すことにした。

羽衣を着た天女は、月宮の様子を表す舞いなどを見せ、さらには春の三保の松原を賛美しながら舞い続け、やがて彼方の富士山へ舞い上がり、霞にまぎれて消えていった。

昔話でもおなじみの、羽衣伝説をもとにした能である。昔話では、天女は羽衣を隠されてしまい、泣く泣く人間の妻になるのだが、能では、人のいい漁師・白龍は、すぐに返す。

羽衣を返したら、舞を舞わずに帰ってしまうだろう、と言う白龍に、天女は、「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と返す。正直者の白龍は、そんな天女の言葉に感動し、衣を返す。

天女の舞はこの能の眼目で、後に東遊(あずまあそび)の駿河舞として受け継がれたという、いわれがある。世阿弥は、伝書の中で、天女の舞を特別なものと考えていたようで、後の時代には舞の基本とされたが、今では大きく様式が変わっている。

穏やかな春の海、白砂青松、美しい天女の舞い、そして遠く臨む富士山。演者も観客も、幸せな気分にしてくれる能といえる。


◎三島由紀夫と「豊饒の海」

三島は繁栄を謳歌する昭和四十五年に、栄華の中に腐臭を感じ、体制の根幹に白刃を擬して「天人五衰」を書いたのである。

「豊饒の海」とは月の海の名であると三島は「春の雪」の後註に記している。月はこの小説の転生輪廻する円環の上にあって、直円錐状に、意識の隅々を照らしている。

見事な「様式」の完成であって、鴎外の「雁」以外に、これ程完璧な「様式」美を成した日本の作家を私は知らない。転生する夢の物語は、「浜松中納言物語」を典拠とすると註されているのは国文学者を悩ませてやろうという三島の策で、大古典の権威をもちだして転生輪廻する松枝清顕の話を現実化することに成功している。清顕は綾倉聡子と恋をして子を宿させるが聡子は宮家へ輿入れの話が進行する。やむなく聡子は月修寺で尼になるというプロットは浜松中納言の王朝の夢を再生して、川端康成に「古今を貫く名作、比類を絶する傑作」といわしめている。清顕は死ぬ が、その友本多繁邦は、三輪神社の剣道試合で飯沼勲を見出し、滝に打たれる飯沼少年に三つの小さな黒子があるので松枝の生まれかわりだと確信する。勲は奔馬の如く切腹して死ぬ が、暁の寺で、シャムの王女月光姫に再生する。ジン・ジャンの左乳首の左に、三つの黒子があるのを、本多は覗き見る。「浜松」では中納言と大姫の契りは、大姫が式部卿宮に嫁することになったので破れ、大姫は尼となり、中納言は、亡き父宮が唐の第三皇子に生まれ変わっているという、夢のお告げによって渡唐する。

三島の転生は「男―男―女」というように性を変えながら、それを思慕する本多(三島的人物)によって画かれてゆく。三島の転生は浜松の作者とされる菅原孝標女の夢よりも更に壮大である。私はここらに三島の間性をみるのであるが、年老いた本多は月修寺をたずねて、門跡となった聡子に逢う。八十三才の老尼は、「松江清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。そんなお方は、もともとあらしやらなかつたのと違ひますか」と言う。「それなら勲もゐなかつたことになる。ジン・ジャンもゐなかつたことになる。……その上、ひよつとしたら、この私ですらも」と本多は、自己の存在も無とみる。門跡の目ははじめてやや強く本多を見据え、「それも心々ですさかい」という。
 この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。  庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。          

「豊饒の月」完 昭和四十五年十一月二十五日  と、こう三島は書いて「決死」の行動を起こしたのである。











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