龍の声

龍の声は、天の声

「天業恢弘東幸の詔」

2015-03-01 06:51:45 | 日本

・「天業恢弘」(てんぎょう かいこう)とは、高天原の理想を実現することを意味する。

・神武天皇が橿原の宮で即位される7年前、この時はまだ九州の日向地方にいたようだ。
この詔は「これから大和地方へ行くぞ」と述べた詔である。

・前半では、この豊葦原瑞穂国がニニギノミコトに授けられたこと。天孫降臨したこと。しかしその時は世の中が未開で愚かだったことが述べられている。しかし「ただしきみちを養ひて」というように、1つ1つを教えながら示す。つまり徳を持ってこの地を統治したと書かれている。

・とはいったものの、遠くの土地では「みうつくしび(=水たまりに水が低いところから満たされるよう)にうるおはず」というように皇威が及んでいないと書かれている。それぞれの支配者が相争っていたようだ。

・後半では、海路をよく知っている鹽土老翁が「東に良い土地があり、そこでは高天原の人が天磐船というものに乗ってやってきた」と言ったということが書かれている。

・神武天皇はこれを聞いて、こここそが高天原の理想を実現(=天業恢弘)する地にふさわしい。東西南北上下の中心だと言い、ここに都を作ろうではないかと東幸を決意したと書いてある。


「天業恢弘東幸の詔」(神武天皇即位前紀甲寅)

昔,わが天神(あまつかみ),高皇産霊尊・大日孁尊(おおひるめむちのみこと),この豊葦原瑞穂国を挙(のたまひあ)げて,わが天祖(あまつみおや),彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)に授けたまへり.ここにおいて火瓊瓊杵尊,天關(あまのいはくら)を闢(ひきひら)き雲路を披(おしわ)け,仙蹕(みさきはらひ)駈(お)ひて戻止(いた)ります.

是の時に,運(よ), 鴻荒(あらき)に属(あ)ひ,時,草昧(くらき)に鍾(あた)れり.故,蒙(くら)くして,正(ただしきみち)を養ひて,此の西の偏(ほとり)を治(しら)す.

皇祖皇考(みおや),乃神乃聖(かみひじり)にして,慶(よろこび)を積み暉(ひかり)を重ねて,多(さわ)に年所(とし)を歴(へ)たり.天祖の降跡(あまくだ)りましてより以逮(このかた),今に一百七十九万二千四百七十余歳(ももあまりななそあまりここのよろずとせふたちとせよももななそとせあまり).

而るを,遼邈(とほくはるか)なる地(くに),猶未だ王澤(みうつくしび)に霑(うるほ)はず.遂に邑(むら)に君有り,村(ふれ)に長(ひとごのかみ)有りて,各自(おのおの)彊(さかひ)を分ちて,用て相凌(あいしの)ぎ躒(きしろ)はしむ.

抑又(はたまた),鹽土老翁(しをつちのをぢ)に聞きき.曰ひしく,「東(ひむがしのかた)に美(うま)き地(くに)有り.青山四周(よもにめぐ)れり.其の中に亦,天磐船(あめのいわふね)に乗りて飛び降る者有り」といひき.

余(われ)謂(おも)ふに,彼(そ)の地は,必ず以て天業(あまつひつぎ)を恢(ひらき)弘(の)べて,天下に光宅(みちを)るに足りぬべし.蓋し六合(くに)の中心(もなか)か.

厥の飛び降るといふ者は,是れ饒速日歟(にぎはやひ)と謂ふか. 何ぞ就(ゆ)きて都つくらざらむ.
















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