龍の声

龍の声は、天の声

「正親町天皇と三輪三人衆」

2020-11-12 08:27:37 | 日本

NHK大河ドラマ「麒麟が来る」の今の時代の帝(天皇が、)正親町(おおぎまち)天皇である。
その時の出来事の歴史のことである。



◎三輪三人衆

戟国の世、正親町(おおぎまち)天皇の姫君が御病気になられ、いろいろと手を尽されましたが、なかなか治りませんでした。ところが風のたよりに、三輪という三人の祈祷師が大和にいることが天皇のお耳に入り、さっそく呼びよせられ祈祷をされたところ、たちまちに御全快になられました。天皇はとてもお喜びになり、1563年、三輪三人衆に多良・時(今の岐阜県大垣市上石津町)の地を賜わり、三輪佐度は樫原に、豊前は名及に、筑後は小山瀬に住まわれることとなられました。わが一族の先祖です。この三人は特に佛法を信仰し、上原に浄徳寺を建て、貧しい人々に衣食をほどこし、人々にしたわれていました。



◎正親町天皇

1517−1593年 戦国-織豊時代,第106代天皇 在位1557-86
『憂世(うきよ)とて誰れをかこたむ我れさへや心の儘にあらぬ身なれば」(正親町院御百首)

諱は方仁(みちひと)。永正十四年(1517)五月二十九日生まる。後奈良天皇の第二皇子、母は参議万里小路賢房の女贈皇太后栄子(吉徳門院)である。天文二年(1533)十二月親王宣下および元服の儀を挙げ、弘治三年(1557)十月二十七日に後奈良天皇崩御のあとを承けて践祚、ついで永禄三年(1560)正月二十七日即位礼を挙げられた。治世の初めは戦国時代の末期にあたって朝廷の窮乏もはなはだしく、その即位礼のごときも毛利元就らの献資にまたなければならなかった。しかし同十一年織田信長の入京を期としてようやく時代の転換を迎え、これより信長および豊臣秀吉による国内平定が進展したが、天皇は伝統的権威によってこれを助けるとともに、織豊二氏の推尊を受けられ、またその尽力により御料所の復旧・新設、皇居の修理、朝儀の復興、神宮の造替などが行われて朝廷の面目は一新し、公家社会もまた安定するに至った。かくて天正十三年(1585)、秀吉は関白に任ぜられ、国内もおおむね平定するに至ったが、翌十四年十一月七日天皇は皇孫和仁親王(後陽成天皇)に譲位された。譲位のことは朝廷の式微のため後土御門天皇以来行われなかったことであった。この後、文禄二年(1593正月五日御年七十七を以て崩御、ついで正親町院と追号した。その号は仙洞御所北面の町名にちなんだものという。陵は京都深草にあり、深草北陵と称する。天皇は御資性仁慈、京都大覚寺所蔵の宸筆『般若心経』は永禄四年辛酉の厄歳に際し、万民のために攘災与楽を祈念して書写されたものであり、また『時慶卿記』にもその御仁徳を偲んで「御情深慈悲ニ御座故惜歎限ナシ」と伝えている。なお御撰には後陽成天皇に進められた御教訓の書や朝儀に関する覚書の類があり、御製には『正親町院御百首』(『続群書類従』和歌部)が伝えられ、日記としては天正三年正月の宸筆御記が伝存する。→深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)