スヌスムムリクの生々流転日記

過ぎ行く日々の風景(2012.5.4~)ご訪問ありがとうございます。

穴八幡宮神事「高田馬場流鏑馬」

2012-10-08 23:15:00 | アート・文化

穴八幡宮から戸山公園へやってきました。

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こちらも旗が立っています。ここ戸山公園は御三家尾張藩下屋敷跡です。

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馬場と的が三つ用意されています

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去年は一番目の的の当たりにいましたが今年は三番目の的のあたりで観覧することにしました。ちなみに二番目の的は氏子の方たちの優先席となっています。開始1時間20分前ですが上の画像ではまだ誰もいないです。ところが三番目の的のあたりには大きなカメラをもった方たちで最前列は馬って、いえ、うまっていました。
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待ちに待つこと1時間20分、14時より流鏑馬が開始されました。如何せん、神事なのでお祓いを受けたり、近隣を一周してきたりと時間がかかるのです。人が増えtきて、混雑しはじめ足腰が痛くなってきます。それでは下手な腕でなんとか撮影した流鏑馬の様子をアップします。

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この馬は外国のサラブレット系の馬だそうで一番足が速く、失敗する確率が多い馬でした。

さあ~この走りではどうでしょう?矢を構えます。

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走る馬上から放たれた矢は的を捕えました。

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的中!!的中です~見事に的は真っ二つになりました~。

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矢を射る瞬間のアップ。

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今度は日本の馬です。足も胴も太めです。

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矢をつがい始めます。

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弓を弾きます。

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的を狙いにはいりました。

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的中です。お見事~。

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流鏑馬の流派といえば小笠原流や武田流が有名ですが今回は小笠原流の皆さんでした。去年秋の鶴岡八幡宮流鏑馬の時に小笠原流継承者の息子さんがいらっしゃいましたが今回もお見かけしました。


穴八幡宮 (東京都新宿区西早稲田)

2012-10-08 22:00:00 | まち歩き

穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、 東京都新宿区の市街地に鎮座している神社。蟲封じのほか、商売繁盛や 出世、開運に利益があるとされている。旧称は高田八幡宮。

歴史

流鏑馬像 社伝によれば、1062年(康平5年)源義家が奥州から の凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を 祀ったという。

1636年(寛永13年)ここに的場が造られ、この八幡 宮を守護神とした。

1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中か ら金銅の御神像が現れた。掘った人は「芽出度い」と 大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称するようになっ た。3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。

歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍 徳川吉 宗は、1728年(享保13年)に世嗣の 疱瘡平癒祈願の ため流鏑馬を奉納した。流鏑馬はその後も世嗣誕生の 際や厄除け祈願として奉納され、穴八幡宮に伝わる 「流鏑馬絵巻」には1738年(元文3年)に奉納された 竹千代(後の10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描 かれている。

江戸の庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有 名だった。1879年(明治12年)には皇太子(後の 大 正天皇)の御蟲封祈祷も行っている。

1945年(昭和20年)の東京大空襲で、建物の多くを焼 失。

1961年(昭和36年)御鎮座900年事業として本殿再建工 事を開始。

1989年(平成元年)引き続き幣殿、拝殿工事を行う。

1998年(平成10年)、隨神門を室町時代の様式で再建 す、なお境内全域を古書を基に未だ再建途中。

また冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる。お守 りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日 までであり、冬至の日は特別に午前5時から受け取る 事ができる。

なお、現在同神社は旧別当の放生寺と日本キリスト教 団早稲田教会と隣接しており、神道、仏教、キリスト 教が街の一角で共存している状態が続いている。

文化財

布袋像の水鉢 - 新宿区指定有形文化財(工芸品) 1649年(慶安2年)造立、区内最古の水鉢。 江戸城吹 上御苑に置かれていたが、徳川家光により奉納された という。 高田馬場流鏑馬 - 新宿区指定無形民俗文化財 8代将軍徳川吉宗が奉納したのがはじまり。明治維新 後、長く中断されていたが1934年(昭和9年)に皇太 子(今上天皇)誕生の際に再興。戦後は 1979年(昭和 54年)から毎年体育の日に都立戸山公園を会場として 行われている。 一帯は前方後円墳である。

東西線早稲田駅から少し歩くと鳥居が見えてきます。

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交番があり鳥居がありその間に流鏑馬の像があります。旗が建てられています。今日は年に一度、体育の日に行われる流鏑馬が行われる日です。まだ時間があるのでまずは穴八幡宮を参拝しました。

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階段を上がっていくと朱色の立派な門があります。

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門を抜け境内へ。今日は流鏑馬が行われる日なので関係者の方々が衣装を纏い大勢、いらっしゃいました。おや?手水舎にちょっと周りの方々と違う方がいらっしゃる・・・?

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説明に書きましたが「布袋像の水鉢」です。

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拝殿前で今日の流鏑馬の関係者の方たちが記念撮影されています。

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それにしてもまだ新しく立派で綺麗な拝殿です。

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神武天皇遙拝所の石碑があります。神武天皇は初代天皇ではないですか・・・なぜここに祭られているのでしょうか?鳥居こそ新しいですが狛犬はかなり風化している感があります。古くからあるのか戦争の爪痕でしょうか?

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それでは流鏑馬神事が行われる戸山公園へ向かいましょう。