天使のエナジー

「すべてなるものの源」への、愛の告白

チャオチャオをほめる

2012-03-07 20:00:08 | 動物
久しぶりの登場のチャオチャオです(ほぼ8ヶ月ぶり)。

推定年齢はすでに17歳で、実はおじいちゃんなのですが、欲し
いモノ、みたいモノ目がけて突進するさまは、とてもそうは思え
ないほど元気です。

もともとは迷い猫だったチャオチャオ。
(私との出会いのいきさつはすでにブログに書きました。「動物」
のカテゴリーにあり。)

この子がうちに来てくれて、母と私の毎日がどんなに満ち足りた
ものになっていることか。

特に、私には子どもがいないので、チャオチャオがその代わり
をしていてくれるような感じがします。

ほめたり、しかったりという、子どもがいれば親として当たり前
に経験するはずのことを、チャオチャオは私にさせてくれてい
るのです。

なかでも、「かわいいね」「おりこうだね」といったほめ言葉は、
チャオチャオがいなければ、毎日口にするチャンスがありませ
ん。

そんなチャオチャオがいてくれるおかげで、以前は気づいてい
なかった意外なことがわかったのです。

それは……

もう20年以上も前に亡くなってしまった父親が、私にしてくれて
いたこと。

それは何かといえば、娘の私をほめることでした。

それも、毎日毎日、「かわいいね」「いいね」というような、思わ
ず歯が浮くような、口先ばかりに聞こえる言い方をするので、
こちらとしては「もういいよ」と言いたくなるほどだったのです。

あの頃はそうだったけれど、今、思い返してみると、そんなふう
に父にほめられたことは、私にとっては本当に大切な宝物にな
っているのだと、しみじみ感じます。

というのも、母の方からは、「かわいい」などとほめられた記憶
が、私にはほとんどないからです。

もちろん、それが母のスタイルなのであって、いい悪いを言うつ
もりはないのですが……

子どもにとって、口に出してほめられるというのは、かけがえが
ないほど大切なことだと思うのです。

自分には存在する価値がある、そう信じるための「基礎体力」
みたいなもの、その素になるから。

そんな、父が私にしてくれたことの意味に、私はずっと気がつ
かないまま過ごしてきたのですが……

チャオチャオがウチに来てくれたおかげで、それに気づくこと
ができたのです。

さらに、チャオチャオをほめることを通して、こんなこともわか
りました。

自分がチャオチャオをほめるときの言葉のかけ方は、父が自
分をほめてくれたときの言い方をそっくりまねているのだ、と。

人は、自分がしてもらっていないこと、経験していないことを、
他の人にしてあげることはできないのだ、と。

もし、父のほめ方を見ていなかったなら、私は自分の子どもを
ほめたくても、一体どうほめればいいのか、見当がつかなかっ
たにちがいありません。
(今生においては、そのために困ることはもうなさそうですが。)

そんな大事なことに気づかせてくれたチャオチャオ。

ウチに来てくれて、ほんとにほんとに、ありがとう。


今日の写真は、チャオチャオがいつもベッドにしている椅子の
上でくつろいでいるところを撮ってみました。

モデルになるのは、結構好きなようです。

今日、ブログに写真をアップするよと言ったら、しっぽを振って
くれました。

いいんだね。ホントに載せるよ。