Rolling 55

「転がる石は苔生さず」いつまでも、いつまでも転がり続け・・・
お池にハマって、さぁ大変!  by belage

東京探訪記:日本橋三越本店

2011年09月02日 16時41分32秒 | 東京探訪記

現在、東京にあるデパートでやはり一番格式が高いのはこちら。
日本橋三越本店。ボクの小さな頃は、両親もボクも「他所行き着」
(よそいきぎ)というのを着て、家族で「お参り」(笑)に行ったもの
でした。

今、「他所行き」なんて言葉は完全に死語じゃないかと思いますけど。
現代なら「勝負服」「勝負下着」なんかなぁ。ちょっとニュアンスが
違うなぁ。

「他所行き」ってやはり「晴れ(ハレ)」という意味があったような。

因みにこの日のボクのいで立ちは短パンとTシャツ(笑)このビルに
入るにはやはり度胸がちょっと要りましたが(汗)

設計は帝国劇場・日本工業倶楽部・交詢社等素晴らしい設計を
手掛けた横河民輔。竣工は1914年。日本で最初のデパートと
位置付けられています。エレベーター、エスカレーターは何れも
日本初。

有名な入口を護るライオンさん。ライオンさんって餌を見る時以外は
意外とのんびりした顔をしているのよね。ケニアのマサイマラでも
沢山のライオンさんを見ていますが、大体日長一日寝てばかり。特に
オスがいけません。まるでボクみたい(苦笑)

この暖簾はやはり越後屋呉服店の名残なんでしょうね。どうもいまだに
風呂屋に入るような感じがして(笑)

おおっ、ボクと同様に短パン姿の方も!ちょっと安心(爆)

 

この1階ロビーは素晴らしい。ただでさえ高い階高の5階分をぶち抜いた
吹き抜け。そこには創立50周年を記念した「まごころ」という名の天女像
が1960年から置かれています。佐藤玄々氏作。

 

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横浜散歩[8]: 三渓園③

2011年09月02日 12時17分21秒 | 横浜散歩

「天授院」。そもそもは鎌倉建長寺そばの心平寺の地蔵堂です。1651年(慶安4年)
の建築物。落ち着いたまさに心休まる佇まいです。この前面に植えられているモミジが
いいですね。秋には又訪れてみたいです。

三渓はこの建物を原家の持仏堂として使っていました。

山間にぽつりと配されたこの建物。窓の白がなんとも素敵。一瞬、銀閣寺かと
見まごうような雰囲気。

「聴秋閣」。1623年(元和9年)の建築。江戸時代の佐久間将監(しょうげん)の作とも
伝えられて。佐久間将監と言えば小堀遠州とも並び称される作庭の巨匠。

まぁ、見事な作品です。ほれぼれとしちゃいます。この三渓園で一番好きな建物かな。

「春草廬」。これがなんと織田有楽斎(うらくさい)の作品だそうです。歴史で戦国史を
辿れば必ずぶつかる人物。日本の文化(特に茶道)で千利休と並び称される巨人。
信長の実弟。建設時期は不明。

東京の有楽町は彼の名前から採ったもの。残念ながら有楽斎が有楽町のあの地に
住んだ形跡はなさそうです。因みに大阪には昔「有楽町(うらくまち)」というのが
実在したんですってね。こちらは実際に有楽斎が住んでいたそうですが、残念ながら
区画整理で元の町名はなくなっているそうです。

「聴秋閣」「春草廬」ともに貸出施設となっているため、外観だけの見学となりました。
中も観てみたいですね。

 

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鷺草(さぎそう)

2011年09月02日 08時20分17秒 | はな・花・華

ほんとに白鷺が飛んでいるような。素敵な花です。
ラン科の花。

この花、世田谷区の区花。
その昔、室町時代から応仁の乱にかけて現豪徳寺の辺りに奥州の吉良氏の居城が
ありました。現在は微かにその遺構が認められるだけですが。

戦国時代に世田谷城の姫君が助けを求める手紙を白鷺に託して放つも、敵の矢に
射られて白鷺は堕ち、その後にこの花が咲いたという言い伝えがあるそうです。

因みに吉良さんの源流は源氏で、足利義氏の四男義次が祖。播州の赤穂浪士で
敵役を演じた吉良さんは遠い姻戚関係にあります。

 

この花のもっと素敵な表情はhohshiさんちでご覧戴けますよ。

 

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