親父の時もそうだったけれど、認知症の初めは自分の記憶が不確かになる事が
自覚できるため、かえって不安になるようである。
薬を飲んだか飲まないか、おやつを食べたか食べないか分からなくなる。
そうはいっても、自分がずっと続いてきている事は分かるので、
今までとは何かが違ってきている事の自覚がある。
母親は、頭を指さして「壊れている。」と表現した。
「朝方になると、土方しょが床から出てきて、そこで作業着に着替えるのだよ。
うるさくて寝ていられない。」とも言っていた。
そんなことがあっても不思議とは思わないらしい。
それでも、自分が考えたようには周りが動いていないようなので、
「不思議な事が多い。」とも言っていた。
頭の中では、限られた情報から三段論法でいろいろと推理をする。
この働きはまだ正常のようであるが、スタートになる記憶が間違っているので、
結論は常に間違う。
夢と現実とが入り交じった不思議な世界に暮らしている。
頭という機能を持つ部分は、進化の最後の結果であるため、そこがそれなりでも
身体は食べたものを間違いなく消化して、大便まで仕上げる。
なるほど生命というものはそのようにできているのだと、再確認させられる。
母親の話を聞いていると不思議な創造性を感じる。
我々、常識でがちがちのいわゆる「頭の正常な人」の話より面白いのではないか?
自覚できるため、かえって不安になるようである。
薬を飲んだか飲まないか、おやつを食べたか食べないか分からなくなる。
そうはいっても、自分がずっと続いてきている事は分かるので、
今までとは何かが違ってきている事の自覚がある。
母親は、頭を指さして「壊れている。」と表現した。
「朝方になると、土方しょが床から出てきて、そこで作業着に着替えるのだよ。
うるさくて寝ていられない。」とも言っていた。
そんなことがあっても不思議とは思わないらしい。
それでも、自分が考えたようには周りが動いていないようなので、
「不思議な事が多い。」とも言っていた。
頭の中では、限られた情報から三段論法でいろいろと推理をする。
この働きはまだ正常のようであるが、スタートになる記憶が間違っているので、
結論は常に間違う。
夢と現実とが入り交じった不思議な世界に暮らしている。
頭という機能を持つ部分は、進化の最後の結果であるため、そこがそれなりでも
身体は食べたものを間違いなく消化して、大便まで仕上げる。
なるほど生命というものはそのようにできているのだと、再確認させられる。
母親の話を聞いていると不思議な創造性を感じる。
我々、常識でがちがちのいわゆる「頭の正常な人」の話より面白いのではないか?