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CCR ストーリー、ジョンの証言

2016年03月04日 | CCR and John Fogerty

クリーデンス・クリアーウォーター・リバイバルは60年代後期にデビューしたアメリカのルーツ・ミュージックを追求したカリフォルニア出身のバンドだ。

1967年セルフ・タイトルのアルバムでデビューし、大ヒット曲を連発し、一時はアメリカのビートルズと呼ばれるくらいの活躍をするも、1972年に7枚目のアルバムMARDI GRASを出して呆気なく解散してしまう。

バンド内で兄トム・フォガティと弟のジョン・フォガティの確執から、6枚目のアルバムPENDULUMを制作した後にトムが脱退したことが解散の引き金となり、もしそれがなければバンドは長く続いたのでは?

私も含めて当時はそのように単純に思っていた人も多かったみたいだが…

そのバンドの中心人物だったジョン・フォガティが、昨年自叙伝なる本、 FORTUNATE SON, MY LIFE, MY MUSICを出した。

短く抜粋されたものをネットで拾い読みしたところ、今まで聞いたことのある話や新しく出て来た話など興味深い内容だった。

CCRは、ジョン・フォガティのワンマン・バンドと呼ばれているように、楽曲の提供以外にもボーカル、そしてベースやドラムス以外の楽器などもこなし、さらにはアルバムのオーバー・ダブ、ミキシングそしてプロデュースとスタジオ・ワークまでこなしてしまう存在で、他のメンバーとの音楽の才能の差というものは誰が見ても圧倒的なものだった。

そのようなところから、ジョンと他のメンバーとのバンドな活動における確執が生まれたのだが、特に兄であったトムの場合、年下の弟ジョンがCCRの前身バンドから飛躍的に実力を伸ばし瞬く間にバンドの中心になってしまったことから、当然CCRの活動も今までの売れ筋であるジョン中心の方針に変更はなく、バンド内での自身の貢献とか存在感が無くなってしまったことに対して我慢出来なかったのかもしれない。

トムの脱退後、次作MARDI GRASのアルバムの制作で、他のメンバーから、ジョンのバック・バンドの様な存在ではなく、もっとバンド活動に貢献できるような役割をしたいとの要望を出され、ジョンはそれを受け入れた。

収録曲を3名から成るメンバーに平等に割り振り、それぞれ自作曲に各々がリード・ボーカルを担当する形式になったのであるが、ジョンの曲以外は見事にずっこけてしまったことから、遅かれ早かれジョンがバンドから脱退するかバンドの解散かという自体は避けられなかったようだ。

悲しきMARDI GRAS

また、CCRが大ヒット曲を量産し、予想外の大金がレコード会社、ファンタジー・レーベルに転がり込んできたことで、彼らはCCRから得られた利益を節税対策として一旦カリブ海に浮かぶ島国バハマのキャッスル信託銀行に預けいれた。その銀行に口座を作り資金をプールすることによって、会社側も将来CCRにとって良い条件の契約更改を提示し、利益を分配するという話であった。

ジョン曰く、何がファンタジーなもんか!

しかしながら、CIAやアメリカの大金持ちの御用達銀行であったキャッスル信託銀行は、彼らの多くの秘密資金を管理していたことから、脱税の調査としてアメリカの国税局が査察を行った。それが影響したのかどうか、結局1977年に銀行は倒産し、口座にプールされた利益はどこかに消えてしまったようだった。

その件に関してジョン達は訴訟を起こし、1978年から始まった裁判は1983年に結審し、ジョン達の勝訴となったものの、裁判所からの命令で被告側から受け取るべき金額は、ほとんどを取り戻すことが出来なかったようだった。

また、ジョンを除く他のメンバー達がファンタジー・レーベルの経営者SAUL ZAENTSと組んで、CCR名義で録音された音源のコピーライトを握り、ジョンがその音源を許可なく使えないこととなり、これまた訴訟となる。

訴訟続きのジョンもかなり頭にきていたみたいで、1985年発売のアルバムCENTERFIELDに納められた“MR.GREED”(ミスター守銭奴、多分ファンタジーの経営者、SAUL ZAENTSのこと)や“ZANZ KANT DANZ”(SAUL ZAENTSとキャッスル投資銀行のBURTON KANTERの名前をもじったタイトル)という曲で彼らを揶揄った。これも訴訟沙汰に発展したようだ。

CENTERFIELD、野球の中堅手

現在ユー・チューブで見られる1993年のHALL OF FAMEでCCRが受賞した時のスピーチーの映像が見られる。その映像では、ジョンとメンバーだった2人、そしてトムの息子の4名が受賞の喜びを壇上からスピーチしたのだが、その際、ジョンのスピーチは当たり障りの無いもので、他のメンバーといがみ合っているような雰囲気もなく大人の対応をみせていた。

ところが、CCRのヒット曲を演奏する際は、ジョンはブルース・スプリングスティーンとロビー・ロバートソンら共演し、またドラムとベースもセッション・ミュージシャンが担当するという奇妙な光景だった。

実はジョンが元メンバーとは絶対に共演しないと主催者に前もって要求していたためで、主催者は妥協案として、オリジナル・メンバーの代わりにブルースとロビーとの共演を提案したとのこと。

元メンバーだったダグ・クリフォード(ドラムス)とスチュ・クック(ベース)の2人は、1976年ジョンによく似た歌い方をするドン・ハリソンを見つけ、彼ら2人が加わった4人編成のドン・ハリソン・バンドを結成し、CCRの初期のようなうねりのあるR&Bサウンドを披露したのだが、ブレークには至らず2枚のアルバムを出した後、解散。

ドン・ハリソン・バンド、ファースト

ドン・ハリソン・バンド、セカンド

やっぱりジョンの楽曲がないとどうにもならないと悟り、1995年には、彼らは新たなCCRすなわちCREEDENCE CLEAREWATER REVISITEDなる懐メロバンドを結成し、ジョンが作曲した曲で各地を演奏して回り始めた。

ジョンとしては、懐メロバンドを結成するのであればCREEDENCEの名前を使用しないでほしいと申し入れたのだが、決着が付かずさらなる訴訟と発展した。一審はジョンの勝訴となったが二審では、ジョンの敗訴となる。

まあ、ジョンの立場から書かれた本なので、相手の言い分もありそれらも聞かなければ公平性を欠くことにはなるのだが、現時点で何らかの訴訟になっていないことから、この自伝が大体真実を描いているのではないかと … 

それよりも、よくこれだけ訴訟に明け暮れたにもかかわらず、ジョンはその間を縫って聴きごたえのあるソロ・アルバムを出し続けたものだと感心さえしてしまう。

BLUE MOON SWAMP、ジョンのソロ、いい味出ています

ゴタゴタ話だけではなく、当時のロック・シーンについての興味深い話も収録されていると思うので、是非日本語版で発刊して欲しいと思う。

確実に言えることは、バンド内で一人だけ飛び抜けた存在になるとどうしても周りとの軋轢も出てくるだろうし、同時に予想外の大ヒットの連発により大金が動いたことも、一連の訴訟騒動の原因であるだろう…

一般人の我々とすれば、そのようなシチュエーションに遭遇することはまず有り得ないのでまあ安心といえよう。

通りすがりの人:ジョンさん!CREEDENCE CLEAREWATER REVISITEDの件控訴しないのですか?

ジョン:しねーよ。時間の無駄。これからは、俺は彼らの存在自体について知らんぷりするのさ。

通りすがりの人:なるほど、なるほど。

ジョン:“なるほど” は一回で十分! 

それはともかく、CCRは弁護士を太らすために存在したバンドと言えるな~ 今のご時世、訴訟まみれのブラック、いつも正義が勝つとは限らね~

清らかな水が復活することは、もうねーな~

レコードの裏表合わせて収録時間が30分に満たない手抜きとも思われても仕方のないMARDI GRASは、ジョンにとってはCCRのカタログには入れてはいけない作品だったかも。ダグとスチュの作品を平等の名の下にアルバムに受け入れたのはジョンとしては大失敗だった。

2008年の40周年記念の再発CDではMARDI GRASを除く6枚のアルバムが、ボブ・ラドィックによる最新リマスターでボーナス・トラックがついた。MARDI GRASは発売されなかった。 翌年イギリスより出た40周年記念の紙ジャケ・ボックスにはMARDI GRASも付いてきたが、解説なし、ボートラなし、おまけに2008年リマスター音源ではないようだ。

2008年の40周年記念の再発CD、最新リマスター盤

イギリスより出た40周年記念の紙ジャケ・ボックス

悲しきMARDI GRAS、解説も曲の詳細の記載もブックレットにはない。



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