60年代末のサイケデリック・ムーブメントを継承し、実験的かつ抽象的でちょっと難解に感じた曲作りを行なってきた彼らではあったが、このままのスタイルでわかる人にわかってもらう路線を継続していくよりは大衆迎合とまではいかなくとも、当の本人たちにはそれほど意識はしなかったかもしれないが、レコード会社としてはある程度一般リスナーにも浸透していくコマーシャルな制作志向を持ってそろそろ世界的に売れて欲しいと思っていた頃ではなかったかと…
その回答が、1970年のピンク・フロイドの5枚目のアルバム、原子心母(Atom Heart Mother)だったと思う。
おかげでイギリスではチャート一位に輝きアメリカでもその存在をかなり認知され、のちのお化けアルバム、狂気(Dark Side Of The Moon)が生み出される下地は整った。
それにしてもジャケに使用された乳牛の写真、当時ビートルズのLet It Beと並んでレコード・ショップのディスプレー棚ではかなりインパクトあったね。