電化と言えば、私ならすぐに思いつくのが旧国鉄の郊外へ向う路線。
私の自宅は郊外の私鉄沿線に在するのだが、そこから5キロほど離れて並行に走る旧国鉄の路線がある。
その昔、都市圏の外れにくると、その路線はある地域を境に複線の電化区間から単線の非電化区間に切り替わった。
その区間では、本数の少ないディーゼル気動車が客車を引く。
たった一駅違うだけで非電化区間に住めば本当に不便であった。
今現在、非電化区間だった路線の奥の地域での大規模宅地開発によって、沿線は電化され複線での営業となり利用者にとって大変便利になった。
さてジャズの世界で電化と言えば、やっぱりこの人、マイルス・デイビスである。
1968年頃から彼は電化計画をスタートさせ、1970年作ビッチェズ・ブリュ-で完成形となる。

マイルスの場合は時代時代で、彼がリーダーのバンドを結成するのだが、それはいつも超一流のミュージシャンで固められ、各々がソロでリーダー・アルバムを充分作成できる技量と個性を持っていた。
70年代に、2-3のロック・バンドからそれぞれメンバーが集まってスーパー・バンド結成なんて話がよくあったけど、あの手の中途半端なものではなく、本当のスーパー・バンドと言えば彼らのことだったと思う。
ビッチェズ・ブリュ-の制作時のメンバーと言えば、有名どころでギターにジョン・マクラフリン、キーボードにチック・コリアにジョー・ザヴィヌル、サックスのウェイン・ショーターにパーカッションのアイアート・モレイラなどなど。
その前のアルバム制作時にはハービー・ハンコックなども在籍。
電化マイルス・バンドの各メンバーは、マイルスの影響を受け、脱退後フュージョンと言われる新しいジャンルで各々がアルバムを発表し大活躍を遂げる。
1971年、ジョー・ザヴィヌルが結成したウェザー・レポート

1972年には、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエバー

同年のジョン・マクラフリンのバーズ・オブ・ファイヤー

さらに、1973年にはハービー・ハンコックもヘッド・ハンターを出す。

60年代末期にはロック・バンドもジャズとの融合を図ろうと言う取り組みで、シカゴなどが登場となったが、マイルス御大によれば、“やつらのは俺のパクリじゃよ”と言った様な、言わなかった様な…
ジャンルは違うが、シンフォニック・プログレの雄、イエスも1975年リレーヤーと言うアルバムの中の、サウンド・チェーサーと言う曲で、フュージョン・サウンドを展開したのには当時非常に驚かされた。

まあ、マイルスの電化プロジェクトはジャズだけで無くロックの発展にも多大に寄与し、先見性を持ったものだったのは間違いないと思う。
じゃあ、鉄道の電化が地域の活性化に多大な効果をもたらしたように、マイルスの電化もすべてのリスナーに対して何らかの感動を与えたかと言うと、これには色々と意見が有ると思う。
個人的には、マイルスは電化による単なるジャズ、ロックやファンクなどの融合よりもはるか彼方を見据えていて、その後のさらなる彼の先進性に次第にリスナーがついていけなくなったのではないかと…
特に1975年日本でライブ録音された2種のダブル・アルバム、アゲルタやパンゲヤを通しで数回聴いて感想文を書けなんて言われると中々厳しいモノが有る。
アゲルタ

とパンゲア

と言うことで、マイルスはこれを境にいったんお休み。その後かなりポップなサウンドで復活。電化マイルスは彼方に消えさった。
ハービー・ハンコックも、もともと60年代に出したアルバム“処女航海”でのプレイように普通にジャズ・ピアノを弾いていたのだが、マイルス・バンドに在籍した影響なのか、70年代は、シンセやエレピなどでピ~ヒャラやりだした。
1965年の処女航海

以前のようにピアノを弾くことは出来なくなったのではないかと陰口を言われだしたのが原因なのか、平行してVSOPというバンドでジャズピアノを弾いた。
イエスにしても、フュージョン・サウンドをさらに開拓していくのではと当時思ったのだが、次作の“究極”ではあっさりと方向転換。フュージョン・サウンドは消え去り、代わりにサザーン・ロックを思わすドライブの効いたスライド・ギターがのっけから登場してこれまた驚いた。

今日の結論、
電化も良いけど、たまにはディーゼル気動車の出すノスタルジックなエンジン音も必要って事なのか…
私の自宅は郊外の私鉄沿線に在するのだが、そこから5キロほど離れて並行に走る旧国鉄の路線がある。
その昔、都市圏の外れにくると、その路線はある地域を境に複線の電化区間から単線の非電化区間に切り替わった。
その区間では、本数の少ないディーゼル気動車が客車を引く。
たった一駅違うだけで非電化区間に住めば本当に不便であった。
今現在、非電化区間だった路線の奥の地域での大規模宅地開発によって、沿線は電化され複線での営業となり利用者にとって大変便利になった。
さてジャズの世界で電化と言えば、やっぱりこの人、マイルス・デイビスである。
1968年頃から彼は電化計画をスタートさせ、1970年作ビッチェズ・ブリュ-で完成形となる。

マイルスの場合は時代時代で、彼がリーダーのバンドを結成するのだが、それはいつも超一流のミュージシャンで固められ、各々がソロでリーダー・アルバムを充分作成できる技量と個性を持っていた。
70年代に、2-3のロック・バンドからそれぞれメンバーが集まってスーパー・バンド結成なんて話がよくあったけど、あの手の中途半端なものではなく、本当のスーパー・バンドと言えば彼らのことだったと思う。
ビッチェズ・ブリュ-の制作時のメンバーと言えば、有名どころでギターにジョン・マクラフリン、キーボードにチック・コリアにジョー・ザヴィヌル、サックスのウェイン・ショーターにパーカッションのアイアート・モレイラなどなど。
その前のアルバム制作時にはハービー・ハンコックなども在籍。
電化マイルス・バンドの各メンバーは、マイルスの影響を受け、脱退後フュージョンと言われる新しいジャンルで各々がアルバムを発表し大活躍を遂げる。
1971年、ジョー・ザヴィヌルが結成したウェザー・レポート

1972年には、チック・コリアのリターン・トゥ・フォーエバー

同年のジョン・マクラフリンのバーズ・オブ・ファイヤー

さらに、1973年にはハービー・ハンコックもヘッド・ハンターを出す。

60年代末期にはロック・バンドもジャズとの融合を図ろうと言う取り組みで、シカゴなどが登場となったが、マイルス御大によれば、“やつらのは俺のパクリじゃよ”と言った様な、言わなかった様な…
ジャンルは違うが、シンフォニック・プログレの雄、イエスも1975年リレーヤーと言うアルバムの中の、サウンド・チェーサーと言う曲で、フュージョン・サウンドを展開したのには当時非常に驚かされた。

まあ、マイルスの電化プロジェクトはジャズだけで無くロックの発展にも多大に寄与し、先見性を持ったものだったのは間違いないと思う。
じゃあ、鉄道の電化が地域の活性化に多大な効果をもたらしたように、マイルスの電化もすべてのリスナーに対して何らかの感動を与えたかと言うと、これには色々と意見が有ると思う。
個人的には、マイルスは電化による単なるジャズ、ロックやファンクなどの融合よりもはるか彼方を見据えていて、その後のさらなる彼の先進性に次第にリスナーがついていけなくなったのではないかと…
特に1975年日本でライブ録音された2種のダブル・アルバム、アゲルタやパンゲヤを通しで数回聴いて感想文を書けなんて言われると中々厳しいモノが有る。
アゲルタ

とパンゲア

と言うことで、マイルスはこれを境にいったんお休み。その後かなりポップなサウンドで復活。電化マイルスは彼方に消えさった。
ハービー・ハンコックも、もともと60年代に出したアルバム“処女航海”でのプレイように普通にジャズ・ピアノを弾いていたのだが、マイルス・バンドに在籍した影響なのか、70年代は、シンセやエレピなどでピ~ヒャラやりだした。
1965年の処女航海

以前のようにピアノを弾くことは出来なくなったのではないかと陰口を言われだしたのが原因なのか、平行してVSOPというバンドでジャズピアノを弾いた。
イエスにしても、フュージョン・サウンドをさらに開拓していくのではと当時思ったのだが、次作の“究極”ではあっさりと方向転換。フュージョン・サウンドは消え去り、代わりにサザーン・ロックを思わすドライブの効いたスライド・ギターがのっけから登場してこれまた驚いた。

今日の結論、
電化も良いけど、たまにはディーゼル気動車の出すノスタルジックなエンジン音も必要って事なのか…