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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

サイケなR&B

2020年04月12日 | CCR and John Fogerty

CCRの本邦デビュー・アルバムは1969年に発売された Bayou Country。

1968年に出たアメリカ のデビュー・アルバム、Creedence Clear Water Rival(邦題、スージーQ)は日本ではBayou Countryの後に出たことになる。

確かに1枚目は暗くて地味なイメージ、新進バンドの本邦デビューとしては営業的に厳しいものが感じられたのではないかと...

Bayou CountryにはCCRの代表的なアップ・テンポで万人受けしそうなヒット・ソング、Proud Maryが収録されていたことから先に発売に踏み切ったのではないかと思われる。

ただ、オリジナルのジャケではバンドのイメージがわかない前衛的なものだったから、日本ではジャケ裏の写真を表に持って来ていかついおっさん4人組の奏でるニュー・ロックはいかが?てな発想のジャケ・デザインになったのではないか。

(US盤のジャケ)

さらに曲順を入れ替えてその印象を帰ることを試みる。即ち1曲目にアップ・テンポのR&B、Good Golly, Miss Mollyを持って来てノリノリにさせ、ブルージーなミディアム・テンポのPenthouse Pauperを挟んで3曲めにProud Maryを持って来て一気に畳み掛ける仕組み。

後は成り行きでお好きに聴いてくれって感じの編集ではなかったかと思うのだが。

しかしこのアルバムの本質は、Keep On Chooglin’に代表されるサイケ調の長尺物だと思う。

この曲の歌詞の内容は、Chooglin'、スラングで楽しくやろうぜ〜ってそれほど大した意味はない。

単調なリズムに乗せて、歌唱、ハープのソロそしてギター・ソロやカッティングが入れ替わり立ち替わりインプロヴィゼーションが続く。

サンフランシスコ出身の彼らは1960年代末のサイケデリック・ムーブメントの影響をモロに受け、アイアン・バタフライのような延々と続く単調なインプロを南部系のシンプル且つ泥臭いサウンドに被せたハイブリッドな構成が売りだったと思っている。

アメリカ西海岸ではサイケデリックとかフラワー・ムーブメントなどの解放的で少しばかりゆる〜く感じる社会的運動が当時蔓延していて、この手の長尺物はそこそこ受け入れられていたのかな?

とゆる〜い頭で妄想してみた。


いつかわかるさ

2020年03月14日 | CCR and John Fogerty

昨日サイモンとガーファンクルのシングル盤を探していたらこんなのも発見!

1972年5月に出たCCRの最後のシングル盤、Someday Never Comes。彼らの最後のアルバムであるMardi Grasからの2枚目にカットされたシングルでもある。

歌詞をちょろっと眺めてみると中々含蓄のある内容で….

作者のジョン・フォガティによると、かって幼い頃両親の離婚の記憶があり更に当時自身が築いた家庭も同じ道を辿り、更にバンドやレコード会社とのトラブルなんかの追い打ちが重なって出てきた重苦しさを歌にしたらしい…

Someday Never Comes

First thing I remember was askin' papa, "Why?"

For there were many things I didn't know.

And Daddy always smiled, took me by the hand,

Sayin', "Someday you'll understand"

俺が一番に思い出すのは、何で?って父親に聞いた事

沢山の事こと知らなかったからね

そうしたら、いつも笑いながら手をとって

いつかわかるって言うんだ

 

Well, I'm here to tell you, now each and every

mother's son

You better learn it fast, you better learn it young,

'Cause, "Someday Never Comes."

ところで、教えてあげるよ、今母さんっ子の俺がさ

早く学ばなきゃってね、 若いうちにね

だって、いつかなんて来やしないからさ

 

そっ、そっ、そうか!

Let It Beだ〜ってのんびり構えてちゃダメなんだ、だってSomeday Never Comesだから。

確かに今更ではあるが、もっと真面目に勉強しときゃ良かったなんて思う今日この頃。

反省の日々を送っている次第で…

レーベルは以前のリバーティーからファンタジーのデザインに変更

 

 

 

 


そんな時代もあったねと… その2

2020年03月06日 | CCR and John Fogerty

ジャケを飾るCCRのメンバーが扮するジャグバンド、ウイリーとプアーボーイズがディープ・サウスのとある鄙びた街角にあるグローサリー・ショップの前で演奏。

私の大好きなアルバム・ジャケで、中身の音楽と見事シンクロしていてなかなかの雰囲気を醸し出している。

1969年に出た彼らの通算4枚目のオリジナル・アルバム、Willy And The Poorboysは同年に出した3枚目のアルバムでもあり、なんとそれら3枚が全てマルチ・ミリオン・セラーで、アルバムからのシングルを次から次へとヒット・チャートに送り込み、1969年は彼らにとって人気絶頂期だったと言える。

(トム兄貴の笑顔がなんとも言えずよろし〜)

(邦題はクリーデンス・ロカビリー・リバイバルとバンド名を文字ったものが採用された。まあ、何と無くわからないでもない)

翌年さらに2枚のミリオン・セラーのアルバムを出すも、1972年駄作とも言えるアルバム、Mardi Grasを出した後まさかのしり切れとんぼのような解散するとは夢にも….

さらに追い打ちをかけるように、その後はメンバー間で訴訟合戦を繰り広げることに。

Willy And The Poorboysのジャケットにはまだ和気あいあいに見えるメンバーの姿が収まっている。

ジョン・フォガティーがもしこのジャケットを今眺めれば、何を思うだろうか...

まさか、そんな時代もあったねと〜♪なんて歌うのかな?

(懐かしのリバティー・レーベル)


懐かしのCCRのベスト

2020年01月21日 | CCR and John Fogerty

1969年にファースト・アルバム、Creedence Clearwater Revivalを出し、1972年に7枚目のアルバム、Mardi Grasを出して解散。 

4年という短い活動期間に数多くの大ヒット曲を出して風の如くサッと通り過ぎていった感があった。 

プラウド・メアリーとか雨を見たかいなどのヒット曲をラジオで時折聴く機会はあったものの、当時彼らの作品全てを聴き通す時間もまたLPを買うお金もなかった。 

解散した後直ぐにベスト・アルバム、Creedence Goldが発売され飛び付いた。

 

このベスト・アルバムは通常のそれとは異なり、たった8曲しか収録されていない。

CCRの場合シングル・ヒットの数が多くたった8曲だけでは不十分とは思えるが、11分にもわたるロング・バージョンのモータウンのカバー曲、I Heard It Through The Grapevineや初期の泥臭いR&BのBorn On The BayouやSuzie Qなど少しばかり長尺ではあるがCCRの魅力をLP一枚で伝えるには欠かせない選曲で仕方なかったのだったと思う。

そしてそれを補う形で残りのヒット曲、全14曲をぶち込んだ2枚目のベスト・アルバム、More Creedence Goldが後日発売されることに…

このあとCDでヒット曲を大量に収録したベスト盤が幾度か編集再発され、このアルバムもお役御免となったものの、今一度LPを取り出して聴けばこの8曲で完結した方がなんとなくCCRらしくシンプルでスッキリ感じるし、日本独自の制作のアルバム・ジャケットのイラストに温かみを感じさせてくれる。

日本独自のテキスチャー加工のゲートホールド・アルバムの内側のサイケなデザインはご愛嬌

アメリカ盤のオリジナル・デザインはメンバーの横顔の切り絵が施された特殊ジャケット (写真は東芝から日本ビクターに販売権が移行された後に出た、オリジナル・ジャケを模した再発日本盤のもの)


ランダムにレコード紹介、その23  シングル盤はいかが?

2018年12月06日 | CCR and John Fogerty

CDが世に出るまでは、FM放送かレコードをデッキでカセット・テープにダビングしたもの、もしくはレコードをステレオセットで聴いていた。

しかしながら、ラジオでは自分の思い想い通りの曲が聴けないし、カセット・テープでお目当ての曲を一曲だけ聴く場合その頭出しが結構面倒、だからもっぱらレコードを棚から引っ張り出して いた。

80年代後半CDの価格が安くなった頃には、なんかの儀式とも思える面倒なレコードの取り扱いがネックとなりCD一辺倒に。

しかしどう言う訳か、21世紀になるとレコード復活ってことで、またレコードを聴きだすように。

そんなレコード復活のブームにおいてもシングル盤はほとんど手に取ることがなくなった。

ただでさえ取扱いが面倒なのに、一曲聴くたびに儀式を執り行わねばならないからだ。

せっかく買ったのにそのままほったらかしにするのも勿体無い気もして、本日はシングル盤を久々に聴いてみる。

CCRが1969年に出したProud Maryのシングル盤、B面は渋〜いルーツ・ミュージックBorn On The Bayou。

(懐かしき東芝音工時代のシングル盤、400円也。あまり美しくないお顔立ちというか、ワイルドな方々だった様な...)


(懐かしのリバティー・レーベル。収録時間は3分7秒)

ステレオ録音の日本盤と10年ほど前に出たシングル・コレクション・ボックスからの一枚で、モノラル録音の米再発復刻盤を聴き比べる。

(復刻盤のスリーブ。当時アメリカでは、無地のスリーブに無造作にシングル盤が入れられていたので、結構レアなスリーブではないかと)


(米ファンタジー・レーベル。収録時間は3分11秒と日本盤より4秒長い。こちらの音源がステレオ盤と比べて何と無くスローに感じるのはこのためか?) 

個人的には、ステレオ盤がモノ盤比べるとなんとなくきらびやかに聴こえ、こちらの方が好み。

しかし当時多くのリスナーがAMラジオかポータブルの電蓄でこの音を楽しんでいたのかと思うと、素朴なモノ盤の音の方がなんとなくその時代にしっくりきていたのではないか….

そういえば中坊の頃、エレキを手にしたツッパリ・グループがプラウド・メアリーもびっくりの丸刈り頭に学ランのいでたちで、学校の文化祭でビートルズではなくCCRやっていたっけ。

多分複雑なコードを使ってなかったから、コピーし易かったのかもね。

先生方もダブル・ベース、ギターとドラムを持ち込むバンドを結成、ラブ・ユー東京を演奏したっけ。

中学校の文化祭で先生方がラブ・ユー東京を披露するのは、今思えばちょっと歌詞に問題があるような気もするが、昔はなんでもOKののんびりした良き時代であった。


Royaltyと Loyalty

2018年08月12日 | CCR and John Fogerty

2004年、ファンタジー・レコードがコンコード・レコードに買収された。

これを機に、ジョン・フォガティーのCCR時代に作った楽曲の著作権に関する旧所属レーベルとの30年にもわたる不平等な取り決めから解放された。

1985年のソロ・アルバムCenterfieldに収録された曲、The Old Man Down The Roadで、当時のファンタジーの経営陣に対して大きな不満を持っていたジョンは彼らを揶揄した。そうするとCCR時代に自身が作曲したRun Through The Jungleに似ているとのことで、なんと著作権侵害でファンタジーから提訴され裁判沙汰となった事があった。

そんな過去における負の遺産も気にする事も無くなり、新しい気持ちで出したのが2007年のソロ・アルバム、Revival(復活)である。


派手さはないがCCR時代を彷彿する様な曲が並んでいて、その中でもCreedence Songと言う曲にどうしても注目がいく。各歌詞の最後を締める一節にYou Can’t Go Wrong If You Play A Little Bit Of The Creedence Song とある。


You Can’t Go Wrong If You Play A Little Bit Of The Creedence Song が先に浮かんで、他は自身の話ではなく創作したものだとの事。

クリーデンスの歌をちょっと演奏しても、著作権の問題が解決されたので、もうおかしな事にはならないって意味かな….

歌にするにはちょっと皮肉っぽい感じもするけど、まあ精神的に吹っ切れて復活出来たのは良かった!

ところで著作権なる言葉、辞書によれば Royaltyと記す。通常は王位とか王権の意で使われるが、業界用語として著作権とか知的財産(商標)などの使用料などの意味でも使われることも。

カタカナに直すとロイヤルティもしくはロイヤリティとなる。

紛らわしいのは、カタカナ表記でロイヤルティ、但し英語ではLoyaltyと書いて忠義とか忠誠、また忠誠心を意味する言葉がある。

旧ファンタジーのマネジメントがジョンに対して適正なRoyaltyを設定しなかったため、彼はレーベルに対してLoyaltyを持つことが出来なかったというダジャレで話を締める。

やっぱり辞書は引いてみるもの、おかげで勉強になった。


3分間の至福を味わう

2018年06月07日 | CCR and John Fogerty

久々にシングル盤を出して聴いてみた。

CCRの1969年のスマッシュ・ヒット、 Proud Mary。



この歌しか浮かばない印象的なオープニングと間奏でのギター・リフ。

ミディアム・テンポの進行でシンプル且つ明るく覚え易いメロディー。

誰でも歌える サビの部分のコーラス。

これが約3分の長さに収められているので、ラジオ局も使い易い。

いいね〜

しかしながらこのシングル盤をレコード・プレーヤーで演奏するとなると、最初にクリーナーで軽く埃を落とし 、シングル盤用のスペーサーを使ってターン・テーブル上に設置。

回転スピードを45に設定後、プレーヤーの針を盤に慎重に落として、すぐさまリスニング・ポイントに移動し着席。

3分後リスニング・ポイントから立ち上がり、プレーヤーからレコード盤を回収しレコード袋に挿入。

レコード鑑賞している時間よりも確実に長くかかるこの一連の儀式は結構大変である。

CDもPCもない時代、私も含めた昔の人は3分間の至福の時を味わうため、この儀式を繰り返してきた。

だから、今よりも結構気合いを入れ大切に聴いていたと思う。

まあ、いつでも手軽に出来るってなると、やっぱり有難みは薄れてしまうからね。

それじゃ、今宵はガンバってシングル盤20枚連続で聴くってのはいかが?

いやぁ〜 それはちょいと時間がかかり過ぎになるので… (汗;)

やっぱりヘタレのおっさんでした。


7インチ・コンパクト盤、その2

2018年05月10日 | CCR and John Fogerty

札幌オリンピックのあった1972年の2月29日といえば、 CCRがブドーカンで公演を行った日に当たる。

兄貴のトムはすでにバンドから脱退していて、3名のメンバーで発売はされていないものの、すでに最終アルバムのMardi Grasの録音はすでに完了していた。

彼らは当時、ヨーロッパ、アメリカそしてオーストラリアなどをまわる世界ツアーの真っ最中で、オーストラリア公演の後に穂に上陸し、名古屋、大阪そして東京でコンサートを行った。

当然当時はガキだったのでコンサートには行けなかった。

そこで彼らの東京公演のセット・リストを調べて見ると、

1. Born On The Bayou
2. Green River
3. Suzie Q
4. It Came Out Of Sky
5. Door To Door
6. Travelin’ Band
7. Fortunate Son
8. Commotion
9. Lodi
10. Bad Moon Rising
11. Proud Mary
12. Up Around The Bend
アンコール演奏
13. Hey Tonight
14. Sweet Hitch Hiker
15. Keep On Chooglin’ - Pagan Baby - Keep On Chooglin’

ちなみに日本人好みのフォーク・ロック調で、ジョンの拳のきいた力強い歌唱が光る大ヒット曲、Have You Ever Seen The Rain(雨を見たかい)が演奏されなかった。

当時の公演を見に行った人にとってはチ〜ト残念だったのではないだろうか?

後日オフィシャルで発売されたライブ盤LPに収録された前年のヨーロッパ公演のセット・リストとあまり変わらない顔ぶれで、サクサクと曲を消化して、最後のアンコール曲 Keep On Chooglin’にアドリブを入れてどれぐらい引っ張るか次第だが、だいたい1時間弱でコンサート終了って感じで、非常に物足りないような....

ところで、彼らのライブの予習用と言う事なのか、急遽来日記念盤としてCCR ニュー・ベスト4なる33回転の仕様の4曲入りEPが発売された。


(ジャケ裏には歌詞が印刷されている。このコンパクト・ディスク、お値段600円也。)

収録曲は、Have You Ever Seen The Rain(雨を見たかい)、Travelin’ Band、Cotton Fields(当時まだ発売されていないアルバム、Mardi Grasからのカット)そしてDown On The Cornerだった。

(懐かしのリバティー・レーベル)

コンサートにはTravelin’ Bandのみが採用されたので予習用としては不適格かもしれないが、日本のファンのツボを抑えた選曲で中々よろし〜のではないか。

またCCRのシングル曲はだいたい3分程度の曲が多いので、レコード・プレイヤーの前にずっとへばり付いておく必要があるのだが、コンパクト盤には片面にそれぞれ2曲収録されているので、急にトイレに行きたくなっても余裕の再生時間があることを付け加えておきたい。


ニールの様に尖っちゃいないよ、ジョン・フォガティー(改)

2016年09月06日 | CCR and John Fogerty

ホスト:本日登場のゲスト紹介いたします。

元CCRのジョン・フォガティーさんです~

ジョン:どうも。どうも。

ホスト:お忙しいにもかかわらず、このようなむさ苦しい所においでいただき、有難うございます。

ところで、あなたの音楽志向と言えば、南部のルーツ・ミュージック、すなわちブルース、R&B、カントリー、フォークなどを取り込んだシンプルなロック・サウンドが売りになっていた思うのですが?

ポリティカルな歌も色々ありますね?

ジョン:ニール・ヤングのように直接的に攻撃するって感じではないけど、まあ、聴けばわかるって感じで歌を作ったよ。

ホスト:Fortunate Sonなんかそうですね。

Fortunate Son収録

ジョン:あれは、ニクソンが大統領だったときの話で、彼の娘が元大統領だったアイゼンハワーの息子と結婚なんていう話からインスピレーションが浮かんだのさ。

金持ちや権力者の家に生まれたものは、それを代々引継いで行きいつも特別な扱いを受けるってね。

金や権力があれば何だって出来る。金で兵役免除。

だから、一般人は、It Ain’t Me, I Ain’t No Senetor’s Son(俺じゃねぇ~、俺は上院議員の息子なんかじゃね~)、It Ain’t Me, I Ain’t No Fortunate Fon(幸運な息子じゃねぇ~)と揶揄ったのさ。

ホスト:それから、6枚目のアルバム、ペンデュラムの “Have You Ever Seen The Rain(雨を見たかい)”もポリティカル・ソングって感じですが。

I Want To Know, Have You Ever Seen The Rain, Coming Down On A Sunny Day. (君は晴れた日に降り注ぐ雨を見たことはあるかい?)と歌えばベトナム戦争に於いて、ジャングルに隠れているベトコンを炙り出す為、アメリカ軍が空中からジャングルに散布した、オレンジ・エージェント(枯れ葉剤)のことを比喩してるんじゃないかと?

ジョン:まあ、そう取られるかも知れないけど。

実際のところ、まったなしのCCRの解散についての歌だったといえるね。

その明るく、美しく晴れた日の空から同時に雨が降ってくるのは、思ってもみない晴天の霹靂。

すなわちバンドの解散。(兄のトムが脱退し、解散状態となるも後日残りの3人で最終アルバム、マルディ・グラを出す)

晴れた日にそうなるって時は、すべての事が正しくなくなっていくんじゃないかなんて当時は悩んだよ。

ホスト:それ以外にも、Run Through the Jungle やWho'll Stop the Rain などが有りますね。

Run Through the JungleとWho'll Stop the Rain収録

ジョン:ポリティカル・ソングを含めて、CCRの歌全体にも言えるんだけど、まあ、出来るだけ他のバンドのまねをしないと言う意識を持って、且つ自身の個性を反映して作ったものさ。

特に、ソロになって出したアルバム、センター・フィールドなんかは、その延長線上のもので、捜し求めていた心の声を具象化したものさ。


そう、俺が見聞きし思ったことをシンプルに歌にしてるのさ。

な~んて会話がなされたかは定かではない。

ところでアルバム、センターフィールドの中に、I Saw It On TVと言う歌がある。

ジョンのテレビを通しての幼少からの記憶を回想した様な内容となっている。

アイクことアイゼンハワーの大頭領就任式から、当時の数多くのテレビ漫画やエルビスなどなど、それにボストンからやってきたケネディーがダラスで暗殺されたことだどなど。

そしてビートルズのアメリカ上陸と自身のバンドの結成、さらに戦争屋は大もうけ。
毎晩6時のニュースでそれらを見た。

ずっとテレビの中の出来事と思っていたが、やつらに一人息子を奪われてしまったとき、その心は終わりなき世界に繋がれてしまった。

全部本当のことさ、だってテレビで見たから。

とCCR時代のヒット曲Lodiのようなこれまた親しみやすいカントリー・タッチで当時の世相を淡々と歌っている。

Lodi収録

“I Know It's True, Oh So True, Cause I Saw It On TV(全部本当のことさ、だってテレビで見たから。)”とリフレインで歌う歌詞はたぶん皮肉じゃないかと思うのだが。

しゃれっ気を出して韻を踏む多く歌詞の場合、その意味は特段重要では無いと言っている某有名シンガー・ソング・ライターもいるし、また60年代末期のことを歌った曲なので、今さら歌詞にポリティカルだからどうだこうだとこだわる必要はないのかも知れない。


John Fogerty "I Saw It On TV"


シンガポールの雨模様から、トイレ談義となり、トイレは右にあるで終わる

2016年06月17日 | CCR and John Fogerty

今日は昼ごろから雨が降り、夕方になっても未だ降り続いている。

いつもなら、小一時間程度降れば雨雲がさっと去っていくのであるが、今日は結構長い時間降り続いた。

雨降りのことをシャワーと言うのであるが、もしバスルームでシャワーを浴びるとすれば、今回の降雨は、高野豆腐が完全に戻ったぐらいのふやけた状態に体がなるのではないか、という長い時間であった。

おかげさまで雨に濡れることさえなければ降雨大歓迎で、気温も昼間で27度とここ最近では非常に快適に過ごせた。

と! ここでバスルームなる言葉が出てきたのであるが、通常のシンガポールのTWO BEDROOMSと呼ばれるアパートの間取りであれば、少なくとも2箇所それは存在する。

マスター・ベッドルームには、専用のものが付いており、洗面台、洋式トイレそしてシャワーつきのバスタブが付いてくる。それ以外にリビング・ルームに、同じような構成であるがバスタブではなくシャワーのみが多い。

バスタブのお湯は、ホテルのように常時に適温の温水が供給され続けるわけではなく、アパートの屋外に設置されたの個々の電気の温水ヒーターから供給されるため、その温水タンクの容量が小さければすぐにぬるま湯となり、日本人が好むお風呂に入って汗を流すと言うわけには行かない。

また、バスタブのお湯は、一回一回流してしまうので、次の人が連続で入るとすると、水風呂を覚悟しなければならない。

と言うわけで、シンガポールではバスタブを使う人は少なく、また熱帯の気候であるので、温水ヒーターからのぬるま湯でシャワーを浴びるのが常である。

しかしながら、2箇所のバスルームの設置は非常に有益で、日本のアパートでは朝の通勤・通学時にはしばしばトイレの取り合いとなるのだが、ここではたとえ誰かが既に使っていたとしても、待ち時間なしでナンバー2のバスルームにあるトイレを使うことが出来る。

不満と言えばウォシュレットがないことである。どのような理由かは正確にはわからないが、使い過ぎると粘膜を傷めるだとか、トイレとしては結構良い値段になるだとか、その他もろもろの理由により、あまり普及していないのが現状である。

シンガポールにもウォシュレットの販売と取り付けを請け負う業者はあるようだが、シンガポールのアパートの場合、普通のバスルームの設計では、日本では当たり前の洋式トイレの周りにウォシュレットを駆動させる電源と上水道の配管がないのである。

すなわち取り付けとなると、家主から許可を受けた上で追加の電気工事や配管工事を行なうと言う結構面倒な仕事となる。

と言うわけで普通2-3年程度の駐在となると、通常の賃貸契約では現状復帰での返還となるので、わざわざ大金をかけて工事をした上でウォシュレットを設置する人はほとんどいないということになる。

アメリカのメジャーで活躍中の上原投手は球団に掛け合って、クラブ・ハウスに設置して貰っただとか、日ハムの中田翔選手がアメリカでキャンプを行った際、“ここにはウォシュレットが無い!”と不満を漏らしたなどと散髪屋の待ち時間にスポーツ新聞でチラッと目にしたことがある。

一家に一台は普及しているウォシュレットなしでは、日本人はどうも生きていけないみたいである。

しかしながら、東南アジアでは昔から、用を足した後はトイレットペーパーを使うよりも最初に水で洗うと言う習慣があり、昔の一般家庭では金かくしの無い和式トイレ様な便器が良く見受けられた。

トイレの横に水道の蛇口があり、用を足すとその水でトイレ専用のプラスチック・カップに注ぎ、その水を使ってお尻を洗ったものだ。所謂ウォシュレットの原型みたいなもの。

少し高級バージョンとなると、蛇口にホースがつながりその先にスプレー・ノズルが付いてそれで洗浄する。但しスプレーノズルの開閉の加減や吹き付ける方向を誤ると、下半身がずぶぬれという悲惨な目にあうのである。

ところで、和式の場合は、金かくしが奥に存在するので扉に背を向けて座るのだが、金かくしが付いていないトイレの場合は、どちらの方向に向って座るのか良くわからなかったのだが、たぶん洋式が扉に面して座る配置なので、それと同じ向きに座るのが正解だと思っている。

しかしながら、鍵をかけ忘れてトイレにはいり、誰かが間違ってドアを開けたとき、お尻を見られるのが恥ずかしいのか、それとも顔をその場でお互い突き合わせるのがより恥ずかしいのかで座る方向を決定する人がいるかもしれない。

と得意のトイレ談義となると、いつもより話もスムーズ、ご飯もサクサク。

今日は、そのトイレの話に因んで、CCRのBAD MOON RISING はいかが?

1969年のスタジオ・アルバム、GREEN RIVER(全米1位)からカットされた大ヒット曲(全米2位、全英1位)。

これがトイレのどこと関わりあっているって言うの?

それはですね、最後のフレーズでジョンが, THERE'S A BAD MOON ON THE RISEって歌うとところがあるじゃないですか。

聴き手によっては、それがTHERE'S A BATHROOM ON THE RIGHTってあるコンサートで聴こえたみたいなのですね。それをジョンが聞いて、THERE'S A BATHROOM ON THE RIGHTとジョークのつもりでわざと間違えて別のコンサートで歌ったとか…

助手:オオー! さすがは博士。今度からトイレット博士と改名しましょうか?

博士:それはだめじゃ!

トイレット博士といえば、1970年から週間少年ジャンプに7年間掲載された、とりいかずよし先生の描く、偉大なギャグ漫画のことじゃ~ 
同じ名前を使うことはまかり成らぬ!

彼らが繰り出す恐怖の必殺技地獄ゴーリンの餌食となるぞ!

Creedence Clearwater Revival: Bad Moon Rising


CCR ストーリー、ジョンの証言、やっぱりソロ活動に限る。

2016年03月15日 | CCR and John Fogerty

Our finance department has processed your payment, unfortunately it has been declined. (当社の経理部門が御社に対する支払いの手続きを行っていたところ、残念ながら支払い停止となった。)

Please, double check the information provided in the invoice (attached to this mail) and confirm your details.( 当メイルに添付されている送り状に表記されている情報をもう一度調べた上で、御社の詳細を確認してください。)

Thank you for understanding.
(ご理解感謝します。)

と今日もまた英文でのジャンク・メイルが届く。会社に関するメイルだと早とちりして、添付のファイルを開ければコンピューター・ウイルスに感染しえらいことになる。

日本のジャンク・メイルもしばしば届くのであるが、大抵が架空のサイトの利用料未払いで、これ以上滞納すると裁判沙汰になると脅迫めいた内容である。心当たりのある人は、指定された番号にかければ、裁判を止めるための措置がなされるというお決まりの文言である。

もしくは銀行の名前を語り、架空のサイトに導きインターネット・バンキングのの暗証番号を抜き出す手口なんかのメイルもよく来る。

この手のジャンク・メイルにはもう騙されないのに、ご苦労様なことで、未だに懲りずに送り続けてくる。

1973年、ファンタジー・レーベルから突如発売されたのが、カントリーのカバーアルバムのTHE BULE RIDGE RANGERSだった。

プロデュースには、ジョン・フォガティーの名前が記され、また歌を聴いてもジョンのそれであった。

しかしジャケットを見ると、5名のカーボーイ・スタイルの人物が楽器を構えている。演奏者のクレジットの記載はなかった。

ジョンがメンバーを集めて新しいバンド、THE BULE RIDGE RANGERSをつくったのだろうか? 1972年にCCR名義で出したMARDI GRASはやっぱりCCRの最後のアルバムだったのか? 

しかし後で、THE BULE RIDGE RANGERSは架空のバンドで、ジョンのワンマン・バンドと判った。ジョンにはきっちり騙された。

ジョンはマルチ・プレーヤだったから、セッション・ミュージシャンを使ったとしても、最小限で済む。

やっぱり、CCRでのメンバーとのごたごたは懲りたみたいで、アルバムを出すなら、セッション・ミュージシャンを使ってでも、ソロで出した方が揉めなくていいと学んだのであった。

アルバムは、全米47位、シングルのジャンバラヤは16位とカントリーのカバーアルバムとしては大健闘した。

後日、アルバムのジャケットには、JOHN FORGERTY/THE BULUE RIDGE RANGERSと表記され、正式にジョンのソロ・アルバムとされた。


皆様、くれぐれもジャンク・メイルには騙されないように。

Fogerty - Jambalaya (On The Bayou).wmv


CCR ストーリー、ジョンの証言

2016年03月04日 | CCR and John Fogerty

クリーデンス・クリアーウォーター・リバイバルは60年代後期にデビューしたアメリカのルーツ・ミュージックを追求したカリフォルニア出身のバンドだ。

1967年セルフ・タイトルのアルバムでデビューし、大ヒット曲を連発し、一時はアメリカのビートルズと呼ばれるくらいの活躍をするも、1972年に7枚目のアルバムMARDI GRASを出して呆気なく解散してしまう。

バンド内で兄トム・フォガティと弟のジョン・フォガティの確執から、6枚目のアルバムPENDULUMを制作した後にトムが脱退したことが解散の引き金となり、もしそれがなければバンドは長く続いたのでは?

私も含めて当時はそのように単純に思っていた人も多かったみたいだが…

そのバンドの中心人物だったジョン・フォガティが、昨年自叙伝なる本、 FORTUNATE SON, MY LIFE, MY MUSICを出した。

短く抜粋されたものをネットで拾い読みしたところ、今まで聞いたことのある話や新しく出て来た話など興味深い内容だった。

CCRは、ジョン・フォガティのワンマン・バンドと呼ばれているように、楽曲の提供以外にもボーカル、そしてベースやドラムス以外の楽器などもこなし、さらにはアルバムのオーバー・ダブ、ミキシングそしてプロデュースとスタジオ・ワークまでこなしてしまう存在で、他のメンバーとの音楽の才能の差というものは誰が見ても圧倒的なものだった。

そのようなところから、ジョンと他のメンバーとのバンドな活動における確執が生まれたのだが、特に兄であったトムの場合、年下の弟ジョンがCCRの前身バンドから飛躍的に実力を伸ばし瞬く間にバンドの中心になってしまったことから、当然CCRの活動も今までの売れ筋であるジョン中心の方針に変更はなく、バンド内での自身の貢献とか存在感が無くなってしまったことに対して我慢出来なかったのかもしれない。

トムの脱退後、次作MARDI GRASのアルバムの制作で、他のメンバーから、ジョンのバック・バンドの様な存在ではなく、もっとバンド活動に貢献できるような役割をしたいとの要望を出され、ジョンはそれを受け入れた。

収録曲を3名から成るメンバーに平等に割り振り、それぞれ自作曲に各々がリード・ボーカルを担当する形式になったのであるが、ジョンの曲以外は見事にずっこけてしまったことから、遅かれ早かれジョンがバンドから脱退するかバンドの解散かという自体は避けられなかったようだ。

悲しきMARDI GRAS

また、CCRが大ヒット曲を量産し、予想外の大金がレコード会社、ファンタジー・レーベルに転がり込んできたことで、彼らはCCRから得られた利益を節税対策として一旦カリブ海に浮かぶ島国バハマのキャッスル信託銀行に預けいれた。その銀行に口座を作り資金をプールすることによって、会社側も将来CCRにとって良い条件の契約更改を提示し、利益を分配するという話であった。

ジョン曰く、何がファンタジーなもんか!

しかしながら、CIAやアメリカの大金持ちの御用達銀行であったキャッスル信託銀行は、彼らの多くの秘密資金を管理していたことから、脱税の調査としてアメリカの国税局が査察を行った。それが影響したのかどうか、結局1977年に銀行は倒産し、口座にプールされた利益はどこかに消えてしまったようだった。

その件に関してジョン達は訴訟を起こし、1978年から始まった裁判は1983年に結審し、ジョン達の勝訴となったものの、裁判所からの命令で被告側から受け取るべき金額は、ほとんどを取り戻すことが出来なかったようだった。

また、ジョンを除く他のメンバー達がファンタジー・レーベルの経営者SAUL ZAENTSと組んで、CCR名義で録音された音源のコピーライトを握り、ジョンがその音源を許可なく使えないこととなり、これまた訴訟となる。

訴訟続きのジョンもかなり頭にきていたみたいで、1985年発売のアルバムCENTERFIELDに納められた“MR.GREED”(ミスター守銭奴、多分ファンタジーの経営者、SAUL ZAENTSのこと)や“ZANZ KANT DANZ”(SAUL ZAENTSとキャッスル投資銀行のBURTON KANTERの名前をもじったタイトル)という曲で彼らを揶揄った。これも訴訟沙汰に発展したようだ。

CENTERFIELD、野球の中堅手

現在ユー・チューブで見られる1993年のHALL OF FAMEでCCRが受賞した時のスピーチーの映像が見られる。その映像では、ジョンとメンバーだった2人、そしてトムの息子の4名が受賞の喜びを壇上からスピーチしたのだが、その際、ジョンのスピーチは当たり障りの無いもので、他のメンバーといがみ合っているような雰囲気もなく大人の対応をみせていた。

ところが、CCRのヒット曲を演奏する際は、ジョンはブルース・スプリングスティーンとロビー・ロバートソンら共演し、またドラムとベースもセッション・ミュージシャンが担当するという奇妙な光景だった。

実はジョンが元メンバーとは絶対に共演しないと主催者に前もって要求していたためで、主催者は妥協案として、オリジナル・メンバーの代わりにブルースとロビーとの共演を提案したとのこと。

元メンバーだったダグ・クリフォード(ドラムス)とスチュ・クック(ベース)の2人は、1976年ジョンによく似た歌い方をするドン・ハリソンを見つけ、彼ら2人が加わった4人編成のドン・ハリソン・バンドを結成し、CCRの初期のようなうねりのあるR&Bサウンドを披露したのだが、ブレークには至らず2枚のアルバムを出した後、解散。

ドン・ハリソン・バンド、ファースト

ドン・ハリソン・バンド、セカンド

やっぱりジョンの楽曲がないとどうにもならないと悟り、1995年には、彼らは新たなCCRすなわちCREEDENCE CLEAREWATER REVISITEDなる懐メロバンドを結成し、ジョンが作曲した曲で各地を演奏して回り始めた。

ジョンとしては、懐メロバンドを結成するのであればCREEDENCEの名前を使用しないでほしいと申し入れたのだが、決着が付かずさらなる訴訟と発展した。一審はジョンの勝訴となったが二審では、ジョンの敗訴となる。

まあ、ジョンの立場から書かれた本なので、相手の言い分もありそれらも聞かなければ公平性を欠くことにはなるのだが、現時点で何らかの訴訟になっていないことから、この自伝が大体真実を描いているのではないかと … 

それよりも、よくこれだけ訴訟に明け暮れたにもかかわらず、ジョンはその間を縫って聴きごたえのあるソロ・アルバムを出し続けたものだと感心さえしてしまう。

BLUE MOON SWAMP、ジョンのソロ、いい味出ています

ゴタゴタ話だけではなく、当時のロック・シーンについての興味深い話も収録されていると思うので、是非日本語版で発刊して欲しいと思う。

確実に言えることは、バンド内で一人だけ飛び抜けた存在になるとどうしても周りとの軋轢も出てくるだろうし、同時に予想外の大ヒットの連発により大金が動いたことも、一連の訴訟騒動の原因であるだろう…

一般人の我々とすれば、そのようなシチュエーションに遭遇することはまず有り得ないのでまあ安心といえよう。

通りすがりの人:ジョンさん!CREEDENCE CLEAREWATER REVISITEDの件控訴しないのですか?

ジョン:しねーよ。時間の無駄。これからは、俺は彼らの存在自体について知らんぷりするのさ。

通りすがりの人:なるほど、なるほど。

ジョン:“なるほど” は一回で十分! 

それはともかく、CCRは弁護士を太らすために存在したバンドと言えるな~ 今のご時世、訴訟まみれのブラック、いつも正義が勝つとは限らね~

清らかな水が復活することは、もうねーな~

レコードの裏表合わせて収録時間が30分に満たない手抜きとも思われても仕方のないMARDI GRASは、ジョンにとってはCCRのカタログには入れてはいけない作品だったかも。ダグとスチュの作品を平等の名の下にアルバムに受け入れたのはジョンとしては大失敗だった。

2008年の40周年記念の再発CDではMARDI GRASを除く6枚のアルバムが、ボブ・ラドィックによる最新リマスターでボーナス・トラックがついた。MARDI GRASは発売されなかった。 翌年イギリスより出た40周年記念の紙ジャケ・ボックスにはMARDI GRASも付いてきたが、解説なし、ボートラなし、おまけに2008年リマスター音源ではないようだ。

2008年の40周年記念の再発CD、最新リマスター盤

イギリスより出た40周年記念の紙ジャケ・ボックス

悲しきMARDI GRAS、解説も曲の詳細の記載もブックレットにはない。


コスモの工場(倉庫)、CCR

2015年07月12日 | CCR and John Fogerty

長い間アポストロフィーと日本語の濁点を見逃していました。我ながら不覚でした。

1970年7月に発売されたCCRの5枚目のアルバムのタイトルをずっと“コスモス・ファクトリー”と思っていたのです。また70年代に同名の日本のプログレ・ロックバンドが存在し、彼らがCCRのアルバムのタイトルをバンド名に拝借したものだとずっとも思っていました。

調べてみると、CCRが当時練習場所として使っていた倉庫をファクトリーと呼び、ドラムのダグ・コスモ・クリフォードのミドルネーム(もしくはニックネームか?)を拝借して、このアルバムのタイトルをCOSMO’S FACTORYとしたみたいです。日本語に訳すと“コスモの工場(倉庫)”となり、なんとも間の抜けたタイトルになるので、発音をカタカナ表記にして邦題をコスモズ・ファクトリーとしたのでしょうね。

思い込みとは恐ろしいもので、A面の1曲目のRAMBLE TAMBLEはカントリー・ロック・タッチの曲であるが、突如プログレ風な結構長めの間奏があったり、B面の4曲めI HEARD IT THROUGH THE GRPEVINEは延々と続くギター・インプロビゼーションがあり、これがCCRの宇宙観(COSMOS)などと深読みしていました。

このアルバムは、CCRのベストと言ってもいいほどで、ロックンロール、カントリー・ロック、R&Bなどバラエティに富んだ内容となっており、英米でもチャートで1位を獲得しました。そして、アルバムからは贅沢にも両面Aサイドのシングル3枚が出され、それぞれ大ヒットしました。




因みに、オリコンでは10位で、次作のペンデュラム(オリコン2位)よりランクが下、これは多分次作に日本人が好む、哀愁に満ちたメロディーを持つ“雨を見たかい”が入っていたからじゃないかと思います。

とはいえ、“雨を見たかい”はベトナム戦争に於いて、ジャングルに隠れているベトコンを炙り出す為、アメリカ軍が空中からジャングルに散布 した、オレンジ・エージェント(枯れ葉剤)のことを歌っているのではと言われています。哀愁に満ちたメロディーからは想像のつかない内容ですね。

I WANT TO KNOW, HAVE YOU EVER SEEN THE RAIN, COMING DOWN ON A SUNNY DAY. 君は晴れた日に降り注ぐ雨を見たことはあるかい?

このアルバムにも、A面の6曲目にRUN THROUGH THE JUNGLEという曲がありベトナム戦争(アメリカ軍のプラトーンの行動)のことを歌ったのではないかと思います。
BETTER RUN THROUGH THE JUNGLE, DON’T LOOK BACK TO SEE. ジャングルの中は走り抜けたほうがいい、振り向いてはダメだ!

ベトナム戦争の時代は、中国は少なくとも盟友の関係でしたが、つい最近ベトナムの首相が対戦国であったアメリカを訪問し、中国の南シナ海進出を牽制するという、その当時では思いもよらなかったことが起こっています。

なんとも不思議な世の中。

Creedence Clearwater Revival: Run Through The Jungle


Creedence Clearwater Revival - Who'll Stop The Rain


CCR、ジョンフォガティーとそのなかまたち

2015年02月05日 | CCR and John Fogerty

今回は、CCRことクリーデンス・クリアーウォーター・リバイバルの3作目にあたるGREEN RIVERです。

69年の発売ですが、当時我が家は電蓄と歌謡曲シングルの時代であったので、CCRの存在すら知りませんでした。その後、ベスト盤のCREEDENCE GOLDというアルバムが出て初めてその存在を認識した時には、バンドはすでに解散していました。

GREEN RIVERは彼らにとってターニング・ポイントのアルバムだったと思います。前2作比べると、歌詞の内容は別として, カントリー・タッチの曲などが加わり全体的に軽く明るい感じのサウンドに変化したと思います。 その結果、彼らのシングルカットがその後次々とトップ・チャートに送られるようになります。

CASHBOX TOP 100

CCRについて特筆すべき点と言いますと、彼らの活動時期が68年から71年とたった4年間の短いにもかかわらず、45年経った今でも、過去のLPやCDが何度も再発される記憶に残るバンドと言えるのではないでしょうか。シンプル且つ親しみのあるメロディーを用いた曲作りはいつの時代でも受け入れられるのでしょう。

写真は、再発米盤FANTASY 8393です。 ところで、このジャケットのグループ写真ですが、ジョン・フォガティーとその他という感じで写っていますが、当時この写真をジャケット表に採用することに関して、他のメンバーは誰も文句言わなかったのでしょうかね?