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CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

いつも日本を見ているおっさん

2016年09月07日 | JAPANESE
海外で働いていると“日本人はいつも日本の方を向いている”なんて良く言われます。

お客さんを訪問した際、急いでいるのですぐに注文を出したいのだが、価格をこの額にあわせてくれって言われたとき悩みます。

その商品の仕入れ価格がインプットされているので、ある程度の値引であれば仕入れ価格から逆算して利益が出るのであれば、その場でオーケーって言えるのですが…

そう言った場合、大概提示される先方の価格が、利益が出るか出ないかの微妙~なレベルなんですね。そうなると、出先の人間の一存では判断できないのです。

となると、決まり文句は、“日本サイドに確認を取ってから、返事をします。”

これが週の初めならば、翌日に日本から確認を取った上で返事が出来るのですが、金曜日の午後にそのような事態になると、返事は次の週ってことになり、お客さんから上述のように皮肉られるわけです。

私も苦い経験があり、すぐに決断してくれって言われたので、過去の販売実績の価格を照らし合わせて、受注すれば何とかギリギリで利益が出ると言う判断で、注文を飲み込んでしまいました。

すぐに結論を出さねば、他社に注文を持っていかれると言う状況を説明し、受注した旨日本に連絡すると、価格が改定されその価格では安すぎて受け入れられないと返事が来て大変な事となりました。

その後、お客さんに状況を説明し、受注価格を少し上げてもらったのと同時に日本サイドもメーカー側から何とか特別に値引きする事が出来、事なきを得ました

もちろん、後日社長さんにはこっぴどくしかられた記憶があります。

今のように、携帯端末やインターネットが使えればその場で日本と連絡がとれるのですが、何しろ二昔以上前の頃の話なので、当時の通信手段は、事務所まで戻ってテレックスか固定電話を使用する以外ありませんでした。

だから、重要なお客さんから、今すぐ結論を出せと言われれば、腹をくくってエイ、ヤーの気合と共に返事するしかなかったのです。

そして今でも、“あんたはいつも日本の方を向いている”なんて言われそうです。

何故なら当ブログの記事は日本に向けて発信されているからです。

日本にいた時はそうでもなかったのに、いざ外に出ると、毎朝インターネットで他愛のない日本のニュースを拾い読みしたり、プロ野球の結果を見て”また負けてる“なんて、東京都民でもないのに都知事選に妙に関心を持ったり、ホント!結構気になりますね。

若かった頃は、海外に出れば何でも見てやろうとか体験してやろうって、日本のことは忘れて結構前向きだったのに、歳をとるとそうでも無くなるって言うか…

やっぱり生まれ育ったところ一番なのかも。

生まれた街で
荒井由実

いつものあいさつなら どうぞしないで
言葉にしたくないよ 今朝の天気は

街角に立ち止まり
風を見送ったとき
季節が わかったよ

生まれた街の匂いやっと気づいた
もう遠いところへと ひかれはしない

小さなバイクを止め
風を見送ったとき
季節が わかったよ

街角に立ち止まり
風を見送ったとき
季節が わかったよ


夢は丘の上の赤い屋根の家

2016年01月17日 | JAPANESE
助手:博士、押入れにこんなの見つかりましたが…

博士:おおー、これは赤い鳥のシングル盤“赤い屋根の家”じゃないか! いつ買ったのじゃろうか? 

助手: 1972年発売に彼らの8枚目のシングルとして発売されたようですが… 作詞は、山上路夫(“世界は二人のために”とか赤い鳥関連では、“翼をください”と当時の売れっ子作詞家だった)作曲は村井邦彦(アルファーレコードの創設者で売れる前の荒井由実と契約した、作曲ではグループサウンズから歌謡曲まで幅広く活動し、ヒットを飛ばしたこれまた売れっ子作曲家)ですね。

博士:おおー、思い出したぞ。徹夜の試験勉強の時に、ラジオの深夜放送でこの曲をやっていて、その数日後発作的にダイエーが入っていた近所のショッピング・センターのレコード屋で買った記憶があるのう。

当時は、自作自演ではなく専門の作詞家や作曲家を起用するのが普通じで、作曲では、村井邦彦以外に、すぎやまこういちや筒美京平などが売れっ子じゃった。

関係がないが、そのダイエーが入ったビルも取り壊しとなり、今では食料品だけを扱うグルメ・シティーになっとるのう。時はあっという間に過ぎるものじゃ。

助手:歌詞を見ると、

赤い屋根の家を建てたい
丘の上に二人

旅を続ける二人の夢は
いつも同じ夢
いつか旅路が終わるところに家を建てたい
愛の家

幼稚だと誰もが笑うけれど
それでも構わない
楽しい夢だから

なんともメルヘンチックじゃありませんか。
博士にはあまり似合ってないみたいですが…

博士: ワシもその当時は、ヤングしていて、真っ赤なスリム・ジーンズにロー・カットのバッシュを愛用していたぞ。しかもジーンズはウエストが29インチじゃった。

もし、今そのジーンズを履く事が出来たとしたら、ジッパーが吹っ飛ぶのは間違いない。

助手:60年代後半から、日本にもフォーク・ミュージックが出てきて、70年代には結構流行しましたね。

博士:当時は、テレビやラジオ向けの一般的な歌詞で歌っていた 人気グループも一部いたが、ほとんどはコンサートをメインに活動していたのじゃ。無論、放送禁止歌になるような政治あるいは社会的なメッセージを含む歌を歌っていた連中は、テレビやラジオではオン・エヤー出来ない時代じゃった。今なら言論の自由となるのだろうが…

助手:“赤い鳥”は“竹田の子守唄”みたいな和風のフォークも演奏するが、基本的にはほとんど政治や社会的なメッセージを含まないアメリカのポップ・サウンドが主体で、仲間内では彼らの実力は非常に高く評価されてましたね。

博士:2番の歌詞のサビの部分を今読むと、アメリカ・ポップ・サウンドのイメージとは正反対のなんと消極的な表現なんじゃ! とても若者を代弁したものとは思えないのじゃが…

穏やかな人生
送りたいの
小さめの幸せ
それだけあればいい

なんとか戦後の荒廃した日本を再生しようと60年代をモーレツに生きてきて、64年の東京オリンピックや70年の大阪万博を成功させた後、それまでの価値観に変化が起こったのかも知れんが…

助手:そう言えば、当時モーレツからビューティフルなんて云う標語も当時ありましたね。

ところで、今からでも赤い屋根の家を丘の上に立てるのはいかがですか?

博士:今のワシとしては、建てるなら同じ赤でも備中高梁のベンガラ色の屋根になるのかのう… しかしそれ以前に、もしそうなったなら、買い物や医者に行くために、毎日繁華街まで丘を降りていきまた登って戻って来なければならない。丘の上に建てるのは体力的に無理じゃ。

助手:なんと現実的な!

博士:やっぱり、70年代の楽しい夢の中の話じゃろうなぁ~

といつものワン・パターンで、グダグダながら昔を思い出す博士である。

そう言えば、テレビで“年をとると結構昔のことはよく覚えていて執着心もあるが、最近の事となると無頓着で印象も薄いみたいな…”なんて言っていた。

全く本当と実感する今日この頃であった。

私のアイドルはシャワー・トイレット

2016年01月08日 | JAPANESE
ギー、バタン (ドアの開閉する音)

助手:おや、博士ですか? お勤めご苦労様でした。

博士:そういう言い方をされると、何か年末に怪しからん事でもして、正月の間、さる所にお世話になってやっと帰宅を許されたように聞こえるのじゃが。

助手:気のせいですよ。それにしても正月休みだったのに仕事で出張とは大変でしたね。

博士:今年は元日が金曜日で、土曜日を挟んで3連休じゃったが、海外の場合は、普通一日だけが休みでHAPPY NEW YEARと言ってもそっけないものじゃ。今回は長い間トラブっていた件を一日でも早く解決するため、双方とも休みだったのじゃが、無理して予定を組んだのじゃ。

しかし、たまに海外に赴くと不便を感じるのう。特に、海外ではシャワー・トイレットが普及していないのが問題じゃよ。シャワー機能が付いてないと、なんとなくお尻がモゾモゾする感じなのじゃよ。

助手:そうですね。水道水に硬水を使っているところは、水に含まれるミネラルが結晶化され、ノズルを詰まらせる問題があるとか、またシャワーに使う水質が悪く、ヒーターで温水にしてタンクに長時間置いておくと細菌が発生する可能性があるなど色々あるみたいで、先進国と言われている国でも、日系のホテル以外ではあまり見かけませんね。

博士:まあ、それらの問題を解決するために、メーカーの改良は適宜加えられているようじゃが…

しかし、日本の場合トイレに供給されている水は塩素消毒された飲料可能な水道水じゃから衛生面での問題はないと思うが、この辺りのインフラが成熟していないと、海外での普及は中々難しいかもしれんのう。

助手:海外の場合は、水道の水はそのまま飲めない場合もありますし、蛇口のところに飲料可と書いてあっても、一度沸騰させてからでないとやっぱり躊躇しますね。

博士:だから、帰国する日だけは、大の方は自宅まで取っておいて、いつも自宅で気持ち良く爆撃というように心がけておるのじゃ。

助手:何もそこまでしなくとも?

博士:それが習慣となっておるのじゃよ。しかしながら、なんと今回、飛行場での食事が悪かったのか、飛行機の中でトイレに2回も行く羽目になったのじゃ。おまけに、使用中に例の“ただいま気流の悪い所を通過…”というアナウンスが聞こえ、機体が急にガタガタしだし大変じゃった…

もし、機体が急降下しその反動でどこかに頭をぶつけトイレ内で気絶し、お尻丸出しで救助でもされるような事でもあれば、目も当てられんわい。

モゾモゾ感を持ったまま日本の空港に到着し、本日3度目のトイレ。

シャワー・トイレットですっきり爽やか! この快感、ああー、日本に生まれてよかったわい…

助手:次回から、ポータブルのもの持っていけばどうですか?

博士:それは、名案じゃ! しかし、それに詰めておく水はどうするかのう? まさかエビアンで洗うわけにもいくまい…

とトイレ談義が延々と続く中、今回、”日本に生まれてよかったー”ということで、和製ビートルズもしくはマッカートニーと呼ばれた“チューリップ”はいかが?

1974年作、4枚目のオリジナル“ぼくがつくった愛のうた”
1973年、シングル“心の旅”がヒットしたためバンド活動も安定し、ついに憧れの、ロンドンはアビー・ロード・スタジオなどでレコーディングを敢行。
当時チューリップはアイドルグループみたいな存在で、コンサートをやれば女の子の黄色い声援が多く、少し距離を置いていましたが、いま改めて聴いてみると、中々良いではありませんか。

“ぼくがつくった愛のうた”に収録されている”私のアイドル”(ビートルズのBACK IN THE USSRのように、ビーチー・ボーイズ風のコーラスを取り入れた軽快なナンバー)


博士:しかし、長い時間洗いすぎたり、あまり水圧を強めて洗うのはかえって体に良くないから気をつけることじゃ!

助手:つまり、付かず離れずの距離感を保つことが、アイドルとの存在と同様に長年付き合っていくことが出来るってわけですね。



今日、ちょっと思ったこと、その2

2015年08月13日 | JAPANESE
GODIEGOといえば、ボーカルのタケカワ・ユキヒデ、キーボードのミッキー吉野、ギターの浅野孝巳、ベースのスティーブ・フォックスそしてドラムスのトミー・スナイダーと日米混成のロック・バンドである。しかも、タケカワ・ユキヒデは外国大卒でミッキーは、ゴールデン・カップス脱退後アメリカのバークリー音楽院に入学、と個々の経歴から見ると洋楽バンドと言えるだろう。

シングル・カットを除けば、全編英語の歌詞で歌われる曲がメインとなる。バンド内に英語のネーティブ・スピーカーが二人いて、彼らが特に違和感を感じない限り、楽曲の英詞やタケカワ・ユキヒデの歌唱の際の発音は全く問題がないと言える。

しかし、彼らに比べて英語を使う能力が非常に劣っている私が言うのもなんだが、GODIEGOの場合、英詞はシリアスというか真面目な内容で、また歌唱においても非常に丁寧にクリアーな発音で歌っているように感じる。歌い方や歌詞がもっとラフな感じの英米のロック・バンドの連中とは全く違ったイメージとなる。

英米のロック・リスナーに、 全編英語で歌われているGODIEGOの歌は一体どのようなイメージで聴こえるのか、一度聞いてみたいものである。

ところで、GODIEGOが1978年、英国のワーナー系から出した“THE WATER MARGIN”というタイトルのレコードがある。これは1976年に出した彼らのファースト・アルバム、"新創世記"と同じ楽曲で構成されているが、一つ異なる点は、彼らのヒット曲である"僕のサラダ・ガール"が、アルバム・タイトルの曲“THE WATER MARGIN” に差し替えられているのである。

当時日本のテレビドラマ"THE WATER MARGIN”(水滸伝)が英BBCで放送されるため、そのタイトル曲(作曲:佐藤勝)に英詞をつけるためにGODIEGOチームが起用されたようだ。もちろん水滸伝という昔の中国の物語だったから、 仕方がなかったのかもしれないが、そのサウンドはチャイニーズ・カンフー・ファンクのような、いかにも西洋人がイメージする東洋的なものであった。尚"THE WATER MARGIN”は、英国の歌手とGODIEGOの二つのバージョンが制作され、GODIEGOのバージョンは、連続ドラマの2期目のテーマソングに採用されたとのこと。

反対に、英語で歌われているロックを無理に日本語に直して歌うと、非常に間抜けに聴こえる事がある。例えばシカゴのピート・セテラがLIVE IN JAPAN のアルバムで日本語にて歌ったLOWDOWNである。オリジナル曲のイメージが損なわれいて、もしこの超訳の歌詞の意味を前もって聞かされたなら、大阪公演で大阪弁でオオキニーと言わされたピートも怒ったのではないだろうか。


OH MY、生まれてから
いいことなんかありゃしない
OH MY、愛していた
恋人にも裏切られ

LOWDOWN
どうしようか?
俺は一人泣くだけさ
LOWDOWN
誰でもいい
俺の気持ちわかるかい
YEAH YEAH YEAH YEAH

とオリジナルのシリアスな社会を表現した内容の詩が上記の陳腐な失恋の歌に超訳された。

イメージって重要なことだと思った。

今日、ちょっと思ったこと

2015年08月12日 | JAPANESE
先月の株式暴落による強引な株の売り買い停止が出されたかと思いきや、昨日から元安に導くため為替相場にペグを打ち込み、この一両日で約3.5%と大幅な安値相場が形成された。なんでもありの中国とはいえ、なりふり構わずにこれらの操作が行われるのは、裏でまずい事が起こっているのではと勘ぐりたくなる。

と思っていたところ、8月10日に120曲の歌が“内容が公序良俗に反する”という事で、中国で販売、放送そして配信を禁止する事を布告したようで、それを守らぬものは厳しく罰せられるとか、なんてニュースが飛び込んできた。

1972年ポールが出したシングル、“アイルランドに平和を”は当時のイギリス政府の北アイルランド地方に対する政策を歌で批判したわけだが、これでも放送禁止歌に指定されただけで、誰でも自由にこのシングルを購入する事ができ、普通政治的な内容を含むと売り上げに響くわけだが、それでも全英チャートで16位まで上り詰めた。あまり政治的なことに首を突っ込まないポールにしては、かなりストレートな表現用いたのが印象的だった。

行き過ぎた自由も問題になることが多いが、強引な統制それに反する圧力が溜まり過ぎるとどこかで暴発する。何事もほどほどにバランス良く対応するのが理想。もちろん“言うは易し、行うは難し”ではあるが。

こんな話を書いてると思い出すのが、GODIEGOが1980年に中国は天津で行った初のロック・コンサートである。GODIEGOとしては、マジック・カプセルに続く2枚目のライブアルバムで、演奏自体も力強くなかなかいい出来であると思う。


一億人がロックに包まれたと帯には書かれている。一億は少し大げさだと思うが、ライブの模様をテレビ中継していたらしく、中国人に取って初物であるロックは結構注目されていたのでは? 

ライブの初め頃は観客の反応も、恐る恐るのようだったのだが、ボーカルのタケカワ・ユキヒデらが中国語で話しかけたり、例のビューティフル・ネームのコーラス部分を中国語で合唱したりする演出などもあり、少しリラックスしたのか、最後には結構盛り上がったのではないだろうか? 人民服軍団に対して、GODIEGOは大健闘したと思う。

それから、35年経った今、ポールの曲のように放送禁止だけの扱いではなく、120曲の歌が完全に彼の地から排除される自体に。

確かに誰かにとって耳の痛い内容や不謹慎に思える内容の歌があるのかもしれないが、音楽はそれぞれの時代を表現するために自然と湧き出てくるものであるから、世間一般が時代に即したものと捉えれば、それらの需要は出てくるだろうし後に残っていく、そうでなければ自然淘汰され消滅するわけである。時代に逆行しあまり厳しくやりすぎると、 却っていらぬ不満が溜まるようになるのでは?

35年前に、好きか嫌いかは別として、生まれて初めてロックに遭遇し、本当にピュアー気持ちで聴いた人たちは、今回の件について果たしてどのように思うだろうか?

Godiego セレブレーション (中国公演)

こんなの見つかりました! その3、RYUICHI SAKAMOTO & THE KAKUTOUGI SESSION

2015年07月03日 | JAPANESE
テクノでサマーとくれば、アニメ好きの人なら、細田守監督の2009年作アニメ映画、サマー・ウォーズを思い起こされるのですが、音楽やプロレス・マニアの方ならば、やっぱり1979年発売の安心のサマー・ナーバスでしょう。ほんまかいな?

坂本龍一が1978年発売したデビュー・アルバム、千のナイフに続いて、今回は気の置けない仲間たちとバンド編成でアルバムを製作しました。

前回のアルバムは、実験的な楽曲が含まれていましたが、今回はテクノ風味溢れるフュージョン、レゲエ, ソウル、ディスコや国籍不明サウンドが織り交ざった親しみやすいアルバムとなっています。

プロレス・マニアの人がこのバンドを思い起こすのでは?と前段で触れたのは、カクトウギのテーマが全日本のプロレス中継のエンディングに使用されたことや、 渡辺香津美が、レコード会社の契約の関係でそうなったのだと推測しますが、アブドゥー・ザ・ブッシャーという実在したプロレスラーの名をパロった変名で登場し、ギターを数曲弾きまくっているからです。

このアルバムに収録された全8曲中6曲が歌物で、その中の1曲を除けば歌物は英語にて歌われています 。坂本龍一の本職は、キーボード演者なので、正直なところ、何か自信なさげなボーカルに聴こえます。そのためかどうかは判らないのですが、数曲のボーカルにはボコーダーをかぶせて、楽器の音としてサウンドに溶けこましているような感じがします。

当時離婚したばかりの矢野顕子(坂本龍一と再婚するのであるが)がこのアルバムにゲストで参加しており、あの独特な声で堂々と臆することなく英詞で歌っています。やはり、餅屋は餅屋か。

助手:アブドゥー・ザ・ブッチャーといえば、地獄突きですね。それと対戦の最中いつも額上部が破れて流血していましたが、あれって本当ですかね?

博士:毎週のことなので、血袋でも隠し持っているのでは?と疑う人もいたが、ワシはあれをガチと思いたいのじゃ。皮膚が薄く切れやすい体質じゃないのかのう?

しかし、まあワシとしては欧米のロックの研究が専門なので、プロレスも同様に洋物じゃのう。特に、ビンス・マクマホン率いるワールド・レスリング・フェデレーション(WWF)をよく見たのう。現在は、WWFの本家でもある野生動物保護団体からのクレームのため、 ワールド・レスリング・エンターテイメント(WWE)と名乗っておるようじゃが。

ワシは、ヒールに転向したスコット・ホールやケビン・ナッシュらを、彼らがレイザー・ラモーンやディーゼルと名乗って正義の軍団として戦っていた頃から知っとるよ。関西の芸人がレイザー・ラモーンと芸名をつけていたのは、スコット・ホールの昔のリング・ネームのパクリじゃ。

それ以外に、レックス・ルーガー(いつもリングに大きな鏡を持ち込み自身の鍛え抜かれた肉体を誇示する芸風)、アンダー・テイカー(棺桶を持って登場し、KOした相手を棺桶に放り込む 芸風)、ストーン・コールド・スティーブ・オースティン(スキンヘッドの強面のおっさん、正義の味方とヒール役を行き来する)、カートアングル(もとオリンピックのレスリングのチャンピオン、技のキレがすごい)などがおったのう。

日本人では巡礼するお坊さんの出で立ちでリングに登場しアクロバティックな空手殺法を得意とした新崎人生こと白使(はくし)じゃ。

懐かしいのう。

今なら、映画スターのドゥエイン・ジョンソンがザ・ロックとしてリング狭しと暴れまわったことを知っている人も少ないのでは。まあ最近ゲストみたいな感じでカム・バックしたとかも聞いておるのじゃが。

助手:アメリカのプロレスってショーの要素が大きいと思うのですが。

博士:もちろん作られたストーリーに従ってレスラーたちがアドリブも交えて戦っていると思うし、お客さんもそのことを重々承知しており、各レスラーが編み出した芸風をリングで観れることを楽しみにしておるのじゃ。100%ガチでないにしても、あれだけの大男達が技を出し合えば危険で、もしタイミングが狂うと間違いなしに病院送りじゃ。彼らは見えないところで大きな怪我をしないよう常に体を鍛えておるのじゃ。

そうでなければただの大男じゃからのう。

とプロレスの話になると、ロックミュージックの評論よりも熱の入る博士でした。


ジャケ裏、コルセットが首に巻かれている。ネック・ブリーカーもしくはフライング・ラリアットでも喉に食らったのだろうか? お大事に。

カクトウギのテーマどうぞ

こんなの見つかりました! その2、千のナイフ 坂本龍一

2015年07月01日 | JAPANESE
再び、レコード棚をガサゴソ。

ありました、坂本龍一が1978年発売したデビュー・アルバム、千のナイフです。

坂本龍一といえば、世界で活躍するミュージシャンでよく“教授”と呼ばれることがあります。

このデビュー・アルバムの写真からは、 松武秀樹がこのアルバムのコンピューターやシンセサイザーのプログラムを担当していたことから、まるで架空の大学にある冨田勲研究室の松武秀樹と同期の院生のような存在を妄想してしまいます。

このアルバムは、テクノ、クラッシック、効果音そしてその他諸々の音が混じりあった、YMO誕生前夜のようなサウンドとなっています。そして、数曲で渡辺香津美が超高速でギターを弾きまくっていて、それらはこのアルバムの聴きどころの一つとなっています。

今、同じような音を作るとなると、もちろん坂本龍一や渡辺香津美のようなピアノやギターの演奏に熟練した人たちが必要ですが、シンセサイザーの音や効果音そしてそれらのミキシングなどは、現在の技術力をもってすれば比較的簡単に出来るものと思います。

冨田勲が、それよりさらに前の時期にシンセでクラッシック・アルバムを作成したのと同様に、このアルバムでも制作に膨大な時間が費やされ、また多くの機材の投入があってやっと完成されたました。

現在、PCを使っていとも簡単に制作されている電子音楽は、70年代におけるこれらの実験的なサウンド制作の取り組みがあって進化してきたのであって、彼らの当時の地道な作業は高く評価されるべきものと思います。

いつもであれば、是非一度聴いてみてくださいとなるのですが、やはり実験性が高い作品で万人受けはしないと思いますので、今回は興味のある方だけYOU-TUBEで千のナイフの音源検索してみてください。

かく言う私も、37年前にレコードを買って数回聴いたのみです。そのため、今回そのレコードを改めて聴いてみたのですが、なんとスクラッチ音がほとんどない新品のレコードのように聴こえました。

助手:千のナイフの千ってどう言う意味ですかね?

博士:よく判らんのう。千という数字で思い起こすのは、千昌夫とかジブリの千と千尋の神隠しなんかが浮かぶのじゃが、ワシとしては、かなり昔のMIND YOUR LANGUAGEという英国のテレビ番組で、日本でオンエアーされたかは判らんのじゃが、英語学校が舞台でいろいろな国から来たステレオ・タイプの生徒と英語の教師が繰り広げるおばかコメディーだった。

そこで、インド人の生徒が何か失敗をやらかした時の、キメ台詞にA THOUSAND APOLOGIES(大変申し訳ない)とインド人特有のアクセントであやまるのじゃ。これが面白くてのう~

助手:謝る数が、百や万ではなく、千なのですか?

博士:そうじゃ。どうゆう訳か英語では千なのじゃ。千の風に~、千の風になぁーって~♪♪

助手:風じゃなくって、ナイフですよ!

博士:オ~ これはしまった。 A THOUSAND APOLOGIES!

記憶に残る音楽、SIMON & GARFUNKEL-HERBIE MANN

2015年05月27日 | JAPANESE
それにしても今日も暑いですね。今の季節で太平洋側の地域が軒並み30度以上を超えるなんて今までになかったような気がするのですが。

72年に我が家にステレオ・セットがやってきたという話は以前に書いたのですが、当時の記憶を思い出そうとレコード棚をゴソゴソとかき回していると、SIMON & GARFUNKEL-HERBIE MANNというレコードが出てきました。

このレコードが購入された経緯ははっきりとは記憶に残っていないのですが、取り敢えず有名どころの洋楽のLPを幾らか揃えて聴いてみようということで、 定番であったビートルズやカーペンターズなどを購入していったと記憶しています。その際、SIMON & GARFUNKEL-HERBIE MANNのタイトルがついたこのレコードをサイモンとガーファンクルのオリジナル・アルバムと勘違いして購入したのだったと思うのですが。そしてレコード・ショップに戻りオリジナル・アルバムと交換するのも面倒くさいので、そのまま引き取ることになったような記憶が。 

さてこのレコードを聴いてみると、歌物ではなく、フルートの奏者がリーダーの小編成のグループでサイモンとガーファンクルの楽曲を演奏する、いわゆるイージー・リスニング系ジャズの企画物でした。これが中々新鮮なアレンジで当時何回も聴いたような覚えがあります。今聴いても、この曲のアレンジはこうだったと思い出すことができるぐらい印象に残っています。 

アルバムのジャケットにはDAVE CHALLENGER ORCHESTRAと記載され、またライナーにはその楽団について解説がほとんどありませんでした。また当時ハービー・マンが誰なのかもよく知らなかったので、DAVE CHALLENGER ORCHESTRAとはハービ・マンがリーダーのジャズ・バンドだろうという認識でした。

それから7年後アメリカに住んでいた 友人に会うため、ロス・アンジェルスに行った時のことで、 友人の知人と一緒にタクシーに乗った時、その彼が目ざとく運転席のコンソールにあったハービー・マンのカセットを見つけ、タクシーの運転手にカーステでかけてくれとリクエストしました。英語が満足にしゃべれなかった私は、その時の会話がウヒャーかっこいいと思い、これがあのハービー・マンかとまた思いだしたのです。

それから月日があっと言う間に数十年過ぎ、最近このレコードをレコード棚から改めて取り出した時に、ネットでハービー・マンを検索してみました。しかしこのアルバムに関して何もヒットしなかったので、DAVE CHALLENGER ORCHESTRAで再検索してみると、なんと横田年昭さんというその道で著名なフルート奏者である方がハービー・マン風に演奏した企画盤だったと言うことが判りました。

演奏のどの辺りがそうなのかと言われるとハービー・マンをそれほど聴き込んでいないため答えることは出来ません。それどころか、オリジナルの曲を演奏しないのであれば、ロック系のジェスロ・タルのイアン・アンダーソンやフォーカスのティス・ヴァン・レールらが吹くフルートの音色でさえも区別がつきません。

ちなみに、このレコードの中古がヤフオクで数ヶ月前に6,270円と言う高額で落札されていたことです。普通このジャンルのレコードは100円以下かもしくは大量取り引きでの値がつかないジャンク物となる場合が多いです。和物ジャズの企画盤のためプレス数が少なかったのと、CDでの再発がなかったことが、結果的に中古市場の価格はマニアの間では高く設定されているのかも知れませんが、 本家であるハービー・マンのオリジナル・アルバムの中古価格をかなり上回っているのは驚きです。

まあ、未だにこのレコードを聴けばフルートで吹かれる主旋律が頭の中に蘇ってくるということは、私の中では間違いなく名演の一つであると思えます。

と言う他愛のない話でした。

皆様、暑いですのでお体にはくれぐれも注意してください。


後日に、サイモンとガーファンクルに関しては、ALL ABOUT, SIMON & GARFUNKELと言う2枚組のベスト物を購入しました。


本家

シンガプーラ~ シンガプーラ~♪♪

2015年04月27日 | JAPANESE
いつも当ブログご覧いただきありがとうございます。

修行の旅ということで、シンガポールに行ってまいりました。(本当は、仕事の関係で行ったわけですが。)

そこで、今回はシンガポールのCD事情について書いてみます。

シンガポールに行かれたことのある方はよくご存知と思いますが、オーチャード・ロードという3キロ弱の長さの、5車線一方通行の大通りがあります。両脇にはショッピング・モール、百貨店、ホテルが延々と連なり、また大統領官邸の入り口もこの大通りに面しているという、シンガポールのアイコンの一つとなっている通りです。

この通りの界隈に、1990年代にタワー・レコードとHMVのメガストアが進出、そして有力地元資本の小規模なCDショップも数多く点在していたのですが、今回オーチャード・ロードを訪問してみると、CDショップが全く見当たりませんでした。なんでもタワー・レコードは2006年アメリカの親会社の廃業で閉店、HMVも2013年のイギリス本国の経営難により、シンガポールでの経営権は香港資本に買い取られ、現在は別のエリアに1店舗残すのみ、また地元資本のCDショップもここ数年でほとんどが廃業してしまいました。

これは、CDの売り上げが近年極端に落ちてきたのと、通販業者との低価格競争で、家賃の高い繁華街での店舗出店は不採算となったわけです。また、シンガポールはスマホの普及率が高く、電車に乗っている人を見ると日本と同じかそれ以上に、ほとんどの人が車内でスマホを何かしら操作しています。そのため、若い年代の人は、わざわざCDを買ってPCからスマホにダウンロードするような面倒なことはしなくなり、必要な曲だけネット経由のダウンロードで購入、もしくは無料のユーチューブやストリーミングでの視聴を楽しんでいるということでしょう。

そのため、最近、日本のHMVが渋谷に旗艦店を復活させるというトレンドを逆行するようなニュースは、少し驚かされました。もちろんその道の経営のプロが勝算有りとしての決断とは思いますが、一般人からすれば大丈夫かな~って感じはします。

まあ、日本の場合、BLUE SPEC CD、SHM-CD、SASD-SHM-CD、PLATINUM SHM-CD、5.1CH再生のBLUE-RAY/DVDや紙ジャケCDなど所有感を満たすような、他国ではマニア以外手を出さない分野の商品も数多くあるので、一概に他国の現状と比較はできませんが、今後どのように展開していくのか興味深いです。

シンガポールは、古くは、マレーシア語でシンガプーラ(ライオンの町)と呼ばれ、イギリス植民地時代に現在と同じ発音になりました。ちなみに中国語では新加坡と書かれます。今日は1976年にサディスティック・ミカ・バンドが解散した後に出された、加藤和彦の1976年のアルバム“それから先のことは” からシンガプーラを取り上げたいと思います。

この曲は70年代の末期頃、たしかシンガポールの観光庁か飛行機会社のコマーシャルに使われていたような記憶があるのですが? オリジナルの加藤和彦バージョンは今聴くと非常に緩く感じるのですが、これはこれで70年代当時のシンガポールの雰囲気にマッチしています。

80年代になりますと、シンガポールでは強力な政府主導の都市開発もしくは再開発のスピードが加速し、現地に住んでいる人でさえも、久しぶりに中心部を訪れてみると昔の覚えていた景色の様変わりに驚くことになります。と言うことで、今回は2003年に杏子(EX-バービーボーイズ)によってカバーされた現代版バージョンで聴いてください。オリジナルの緩さがかなり取れたアレンジとなっていて、トロピカルなサウンドがとても心地いいです。

まあ、不必要なほど早く街並みが変遷していくのも考えものですが、道路の道幅を拡張するための用地買収に失敗し、数十年放ったらかしにされ、結局計画が中止に追い込まれるという日本の現状も結構問題です。

杏子 シンガプーラ

ジャーマン・ロード~ アウト・バーン~

2015年04月17日 | JAPANESE
日本のロック・バンド、IPPU-DOを紹介します。

1979年4人組でデビューしました。ボーカルとギター担当の土屋昌巳とキーボード担当の見岳章らが中心メンバーで、テクノ・サウンド系のロックがメインでした。1980年から1981年にかけて3枚にスタジオ・アルバムを発表しています。

今回紹介するアルバムは、1982年の“LUNARTIC MENU”というアルバムで、過去の3枚のアルバムからの選曲にシングルでヒットした“すみれ SEPTEMBER LOVE”を加えたベストコンピ・アルバムです。この当時は、ベース・プレイヤーが脱退して3名となり、バンドは1984年に解散に至ります。

土屋昌巳はその後ソロ活動に専念、見岳章は作曲や編曲の仕事につき、幾つかのヒット曲を色々な歌手に提供しヒットさせます。ちなみに美空ひばりが歌った“川の流れのように”は彼の作品です。

それでは、このアルバムから、“すみれ SEPTEMBER LOVE” と “ジャーマン・ロード”2曲聴いてみて下さい。高速道路を走る時は “ジャーマン・ロード” をいまだに車の中でかけています。

彼らの音楽のセンスいいですよ~

すみれ September Love 一風堂


German Road 一風堂

陽水と書いて“あきみ”と読む

2015年04月14日 | JAPANESE
先日ハードオフに行って何か掘り出し物のレコードはないかと店内をうろつくと、レコードの陳列棚ではなく、レジの近くの全く目立たない場所に20枚程度のLPが四角いプラスチックのバケツの中にひっそりと置かれていました。そのバケツに入っていたLPを取り出してみると、なんと井上陽水のライブ盤、もどり道がありました。 値段はたったの100円プラス消費税の108円。

早速購入して、家で中性洗剤を使って丸洗い、乾燥後ナガオカの帯電防止兼潤滑作用のあるスプレー、スタッド・バン・562をさっとかけて、ベルベットのクリナーで軽く一拭き。曲の合間に陽水が観客に向かって静かに語りかけるところで、若干チリノイズが入るのですが、演奏中は全く問題なく、中古としては良品の部類でした。

もどり道は、1973年4月に発売された、シングルの“夢の中へ”のヒットをうけて、同年7月にライブ盤として発売されたものです。そのアルバムにはアンコールで演奏されたアコースチック・バージョンの“夢の中へ”が収録されていました。

当時は、英米ロックにどっぷり漬かっていて、邦楽のフォークなんてなんと軟弱な、と思っていました。当時陽水ファンだった学生時代の友人に薦められ、そのライブ盤の“夢の中へ”のみ聴いた記憶があります。
というわけで、新ためてこのアルバムの全容を知るために、LPに針を下ろしたところ、ギター演奏だけの曲ばかりでなく、バンド編成で歌っていた曲(感謝知らずの女など)もあり、結構ロックしていて、なかなかいい感じでした。先入観だけで判断し、食わず嫌いになるのは良くないと新ためて思いました。

楽しかった学生時代から、数十年が過ぎ、どういう縁か7年前にその友人が住んでいた近くに越してきました。記憶を辿って、その友人の家まで行ったのですが、残念ながら、かなり以前にそこから引っ越したみたいで会うことは出来ませんでした。そのため、今回ハードオフで“もどり道”を偶然にも発見した時は、何か不思議な感じがしました。こんなこともあるのですね。

たったの108円で、若かった頃の思い出が買えるなんて、本当に得した気分になりました。

ちなみに、陽水は、アンドレ・カンドレという芸名で歌手デビューしたものの、ヒットすることはありませんでした。心機一転してレコード会社を変えて再出発するため、レコード会社の担当者が新しい芸名を考えていたところ、本名の“いのうえ・ゆきみ”を漢字で書くと井上陽水ということが判りました。そこで 芸名は本名を使用するが、読み方はインパクトのある“ようすい”となったとのことです。 また、アルバム内のMCで、陽水は実家の歯科医院を継ぐため、歯学部を受けたが、結局ヤクザな仕事に就くことになったと言って観客を笑わせていました。ウィキでは、受験に三回失敗したため、歯科医になることを断念したと記されています。

ボンバー? それともボマー? 

2015年03月06日 | JAPANESE

BOMBERとは日本語で爆撃機、そして爆弾テロリストなんて怖い意味もありますが、カタカナで書くとどうしていつもボンバー。
英語の発音では、Bの音が消えてボマーとなります。同じような例として、CLIMBER(登山する人)はクライマーと書き、クライムバーとはなりません。
どうして、BOMBERという単語がボンバーと日本で使われるようになったのでしょうか?

60年代の終わり頃、ローラーゲームというテレビ番組がありよく見た記憶があります。オーバルのローラースケートリンクで、2チームが周回し相手のデイフェンス・ラインをかいくぐれば、ポイントになるというスピード感あふれるローラースケートとプロレスのようなデフェンスラインでの攻防が合わさったようなゲームでした。当初は、アメリカのチーム同士のゲームだけで、白のユニフォームのロサンジェルス・サンダーバードと黒のフォームのデトロイト・デビルス(プロレスでいうヒールの役)の対戦をよく見ました、その後日本のチームも加えるということで、東京ボンバーズなるチームが誕生しました。

そのため、個人的にはBOMBERはボンバーというその時の印象が強く残っています。後に、英語でこの単語を勉強した時、あれ!これって和製の発音だったのかと。

ちなみにドイツ語ではボンバーと発音すると聞いたことがあります。もしそうであれば、元ブンデスリーガー高原直泰が現地でスシ・ボンバーと呼ばれていたのは間違いではありません。もちろん、ドイツ語は勉強したことがないので、その真偽は定かではありませんが。

さてボンバーといえば、もうこの人しかないないですね。
1978年末発売の、山下達朗のスタジオ3枚目のアルバムGO AHEAD に入っているファンク調のノリノリの楽曲です。

山下達朗のことはそれまで知らなかったのですが、ちょうどその頃アメリカで留学していた先輩を訪ねた時、ある日本人留学生がレコードからダビングしたカセットテープ持ってたんですね。 その時聞いたのがこれとゴダイゴのモンキー・マジックだったのです。それらは、彼の地で英語の歌と一緒に聞いても違和感はありませんでした。もちろんモンキーマジックは全編英語なので違和感はないといえばそうなのですが。70年代始めのロックの日本語論争なんてどこに行ったのでしょうかねー 

中身の音だけではなくレコードのジャケットは全て英語表記で、名前もTATSU YAMASHITA だったので相当アメリカを意識して制作していたのだと思います。この時代にアカペラ、ロックバラード、ファンク、ディスコ、そしてスペクターサウンドなどアメリカンテイストをぶち込んだこのアルバムを日本人だけで作ってしまうなんて全くすごいの一言です。
もしかしてひそかにJ-ROCKのアメリカ進出を企てていたのでは? TATSU YAMASHITA、アメリカ本土をJ-ROCKで猛爆なんて感じで。

山下達朗のGO AHEAD、機会があればぜひ聴いてください。力作ですよー

ところで、日本人が好んで使うカナ表記のボンバーの本当の由来教えて~


ジャケ裏の英語表記。アルファベット見えますでしょうか?