月一の勉強会に出席しました。
上田秋成は1734年に大坂で生まれました。
5歳で天然痘に罹り生死をさまよいます。
35歳で『雨月物語』を脱稿。
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57歳で左目失明。
65歳で一旦両目失明状態に。
*「神医」谷川兄弟に治療を受け左目が見えるようになる。
*谷川家は15代に及ぶ眼科医の一家
1798年(寛政10年)に秋成は谷川三兄弟に治療を受け
左目が見えるようになった。
秋成は谷川三兄弟を神の如く敬うようになります。
治療費が払えなかった秋成は「神医」への報謝として
数々の遺墨を送ります。
版本でもなく写本でもなく唯一の肉筆を谷川家に贈り続けます。
帯刀を許された谷川三兄弟
掛軸なども趣向を凝らして、報謝を続けたのです。
この掛軸は長さが150㎝あります。
京都の大井川~桂川を表現したもので、文字が書かれているけど
全体を見ますと、文字で川の流れを表しているそうです。
谷川家のためだけに作成した数々の品が谷川家に残されている。
谷川家も現在も谷川好一(よしかず)氏がおられるそうです。
1809年(文化6年)6月27日 76歳、秋成没。