疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

Noda map「ロープ」を見ました

2007年01月10日 23時53分54秒 | 演劇
今日 noda-mapの「ロープ」を見ました。
この作品は野田秀樹がプロレスを題材にした作品を作ったということで、
プロレスファン暦25年の私はかなり期待して見に行きました。

以降ネタばれ注意
内容は、プロレスが八百長だと知ってひきこもりになったプロレスラーが、
その「虚構の暴力」を演じているうちに、視聴率競争に巻き込まれ、
暴力がエスカレートして行き、その究極の行き着く先は戦争だった。
さらに、暴力を見たがる人がいて、それを演じているうちに、生身の演者は
傷ついていく。というような概要でした。

感想として、演劇の表現として、感心するところはいくつもありました。特に暴力が高まり行く中で、
舞台に張り巡らされる鉄条網のようなものが、空間を切り裂いて、非常に暴力を視覚的に見せていくところなどは本当に感心しました。

しかし、率直に言って脚本も、演出も、配役も、プロレスへの理解も
全ての面で大事なものが一つずつ抜け落ちた作品だと思いました。

まず脚本は、プロレスをメタファーとして使いながら「消費される暴力」と、「実際の痛み」の乖離を描きながら、いつしかベトナム戦争の狂気へと向かいます。
しかし、いまここにメディアと暴力の題材はもっと身近にあるじゃないですか?
でもそういうものに触れずに歴史へと向かうことへ、大きな違和感を感じました。

さらに宮沢りえが、自分を「コロポックル」と称するのですが、【コロポックル】に当然付随する【森・自然とアニミズムの思想】みたいなところは
ぜんぜん生かされず、単純に「不思議ちゃん」としてしか扱われないのが腑に落ちません。

配役は、とにかく藤原達也の身体にまったくプロレスラーらしいところがありません。いくらなんでもミスキャストです。

一番大きいのが、プロレスファンの私の目から見ると、
彼は実際にプロレスを見たことがないのが良く分かりました。
まあ、単純にメタファーとしてモチーフを借りるだけだから見る必要もないと思ったんでしょう。
プロレスとは、この物語で描かれている「八百長」「虚構の茶番」「だれかメディアに操られた操り人形」ではありません。

プロレスとは4面が観客で覆われた舞台の上で、大きな終着点(つまりどちらが勝つのか)だけ決めておいて、
ほかは2人の演者が肉体の動きのみで表現していく、インプロビジェイション演劇なのです。
しかもレスラーたちが織り成す暴力に、観客たちが興奮し罵声や完成を浴びせ、アドレナリンを放出することで、場の熱が高まり、観客も共犯関係に巻き込みながら、本人たちをはじめ誰も予想していない方向へと暴走するハプニング演劇なのです。
だから現在日本でもっとも優れたレスラーである武藤敬司は試合のことを
「作品」と表現しているのです。

だからファンなら『虚構の暴力』の先に見えているはずの
プロレスの本当の姿を一つも描いてないので、
「目に見えない何かに、暴力を強いられていく」というメタファーとしては
まったく効かなかったですね。

野田秀樹氏はプロレスが大嫌いだと聞きます。だったらどうしてこんなアウェーの題材を選んだんでしょうね?

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