疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

エンドレスナイト

2005年05月26日 08時19分21秒 | 演芸
1984年ごろ、東京では土曜日深夜といえば『オールナイトフジ』だったことでしょう。
私も見たかったですが、大阪では別の番組をやっていました。
それが関西テレビ 「エンドレスナイト」です。
これはたしか12時半とか1時ぐらいから4時ぐらいまでの放送で、パーソナリティーは
ばんばひろふみと兵藤ゆき・関テレ杉山アナ(おすぎさん)。
更に、10人ほどのエンドレスギャルとよばれるセミプロの若い女性達がアシスタントをつとめていました。エンギャル・・・・覚えている人もいるんじゃないですか?
当時追っかけも出て、深夜の関テレ前で出待ちをした人もいたそうですね。
番組としてはエンギャルが関西一円のデートスポットを紹介して、その途中にお夜食クッキングが
あったり、深夜の体操があったり、で最後は似顔絵コーナー(BGMは「イチゴ白書をもう一度」)
というぬるい構成でしたが、とにかく中学生だった私はエンギャルにはまりましたね。
ああいう手の届く範囲のキレイどころというのに私は弱いんでしょうね。

初代エンギャルにはハイヒールのモモコがいたことが有名ですが、私がはまったのは2代目エンギャルの女の子でした。名前は忘れてしまったのですが、今から思えば河合その子似の彼女は
そのごしばらく三田スケートリンクのCMに出ていました。

関テレ梅田アナをみたのもそのときが初めてで、彼は毎年元旦の中継でどこかの神社からレポートをして、必ず最後は人並みに流されてパニックになりながら消えてしまうというのをネタにしてましたね。

いちど、ボクシングのバンダム級チャンピオンに挑戦するという六車卓也の特集をしたことがあって、その時彼を応援する歌が作られましたね。たしかそれも番組の視聴者のセミプロ音楽家が
作詞作曲をしたんじゃ無かったですかね?

♪ 風をよべよ 六車 エンドレスファイター 六車 
  風をよべよ 六車 よべよぉぉぉ!♪  ってな感じの歌詞でしたね。
エンギャルのレコーディング風景を良く覚えています たしか第3期だったんじゃないですかね?

東京では「オールナイトフジ」やら「六本木チャンネル」(所ジョージ・シャワータイムが有名)やら「グッドモーニング」(オナッターズですね!)などのお色気大戦争が起きていた訳ですが、
関西は非常に牧歌的でしたね。
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つっぱり大貴族

2005年05月26日 08時05分01秒 | 演芸
関西地方の土曜日昼間と言えば、まあ普通は吉本興業の「吉本新喜劇中継」を見るのが関西の
常識と言ったところでしょうか?
ところが1982年、ワンクールだけライバル会社の松竹芸能が、看板の藤山寛美さんではなく、
若手でコントの公開中継をした番組がありました。
それが「つっぱり大貴族」という番組で、そこには当時漫才ブームだった春やすこ・けいこや、
タレントになりたての北野誠などが出演していました。

今から思えばそんなに面白かった記憶も無いのですが、なにしろ関西では松竹芸能というだけで
「マイナー」「お笑い通」「人と違っている」という感じになるので、ほぼ毎週見ていました。

「つっつっつっつっ つっぱり、つ~ぱりさ!俺たちゃつっぱり だ~い貴族」
というテーマソングを覚えている方いますか?

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秋元康の作詞教室

2005年05月26日 07時56分59秒 | 歌謡曲
バブル絶頂の頃、こんな通信教育があったのを覚えていますか?
で、OLさんとかが結構申し込んでいたんですよ。だってあの頃
作詞家というのは最高に格好良くて、しかも儲かりそうな仕事でしたからね。
秋元さんの事務所「Sold Out」の名前は良くテレビのエンドクレジットで見たものです。

かく言う私はさすがに通信教育はやりませんでしたが、それに先行して出された
『秋元康の作詞塾』という本は持ってました。
それは、「作詞は状況が目に見えるように書くのがコツだ」ということが書かれたほかは、
ほんの8割が原稿用紙になっているという、まあ人を食ったような本でした。

でも馬鹿正直にそれの升目に書いてましたよ。ええ、アイドルっぽい歌詞をね!
で秋元さんのところの送りましたよ。馬鹿高校生でしたねえ。
先日、そのころ秋元さんの事務所の一番下っ端ぐらいだった放送作家さんに
お話を聞く機会があって、話していたら大笑いされました。
やっぱり彼らが添削要員にされたそうですが、9割5分が
青春時代の交換日記ポエムみたいなものだったらしいですね。
私もナニを夢見ていたんでしょうねぇ。
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職業作詞家の時代

2005年05月21日 15時16分37秒 | 歌謡曲
80年代の歌謡界で顕著なのは、職業作詞家がプロデューサー的な立場に立って前面にどんどん
出てきたことでした。
その前、60年代まではいずみたく・浜口蔵之介・猪俣公章・中村八大などの職業作曲家の時代。
70年代はフォークの個人作家か、もしくは百恵・郷ひろみを育てたCBSソニーの酒井さんと言った
レコード会社の社員プロデューサーの個性が際立った時代でしたが、80年代は、それまで
阿久悠ぐらいしかいなかった、作詞家がアーティストをプロデュースすることがはやった時代でした。
 もちろんその筆頭に上げられるのが、秋元康ですが、他にもチェッカーズのプロデューサーだった売野雅勇、オメガトライブなどを仕掛けた林哲司、マッチの全盛期に力を持っていた伊達歩こと伊集院静、シブガキ隊のコンセプトを作り上げた森雪之丞、そして松田聖子の世界観を作り上げた
松本隆と言った人々が競い合っていた時代でした。
 彼らの出自はさまざまで、永六輔氏のように放送作家から行った秋元氏、バンドマンからの松本氏などがいますが、この時代で顕著なのは、売野氏、林氏、伊達氏といった広告代理店のクリエイティブスタッフ上がりの人が非常に多くいたと言う点です。
 これは現在ではChemistryを手がけたタグボートの方(名前失念)などに引き継がれていますが、
それまでは、広告マンと言えばサントリーの広告マンだった山口瞳や開高健などと言った、作家に
なるパターンこそあれ、音楽界のメインストリームに入ってきたと言うのは、いかにも
バブルの80年代っぽいですね。
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新日本プロレスの東京ドーム大会

2005年05月20日 01時52分44秒 | プロレス
新日本プロレスの東京ドームでの大会がはじめて行われたのが、1989年のことでした。
当時私は浪人中で、実際に見に行くことは出来なかったので、ターザン山本が20万部も売り上げていた
頃の「週刊プロレス 別冊」でわくわくしながら結果を見たものです。
 よく1990年には晴れて東京に一人暮らしをはじめて、東京ドームの広さとお祭り騒ぎにワクワクしながら
試合を観戦したものでした。当時はまだ闘魂三銃士が出始めの頃で、晩年を迎えつつあった猪木や、
藤波を見に行ったものです。
 さて、それから16年目の今年の東京ドーム大会は非常にさびしい客入りで、プロレスと言うジャンル自体の
衰退を如実に物語っている感じですね。
 バブルの頃の高揚感のあった、ドーム大会を知っているものとしてはさびしい限りですし、
蝶野がイベントで「新日本制圧」とか行っている記事を見るにつけても、「あんた本当は
取締役で、とっくに新日本を制圧しているじゃない?」とそのヒールとしての資質にも疑問を持ってしまいます。

どうしてこんなことになっちゃったんでしょう?
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スローモーション

2005年05月05日 01時39分48秒 | 歌謡曲
アイドル全盛期として知られる1982年。この年にデビューした
女性アイドル達のデビューや、2曲目というのは基本的に職業作家達が
男の子達に擬似恋愛をさせるべく、努めてアイドル調の曲にさせることが
多かったわけです。
例えば、小泉今日子の一曲目は「私の16歳」(♪ いつもあなた通る道で 今日も挨拶するだけなの)
2曲目は林寛子のカバー「素敵なラブリーボーイ」(♪ この胸も この指もあなたになら任せられる)
早見優は「急いで初恋!」と「Love Light」(この曲はマイナー調で名曲ですが売れなかったです)と「夏色のナンシー」
松本伊代はもちろん「センチメンタル・ジャーニー」
堀ちえみは「待ちぼうけ」(2曲目)

ですが、この中森明菜はいきなりデビュー曲に来生たかお作曲・来生えつこ作詞の名曲
「スローモーション」を持ってきました。
 
♪ 砂の上 刻むステップ ほんのひとり遊び 
振り向くと遠く人影 渚を駆けて来る
ふいに背すじを抜けて 恋の予感甘く走った

出逢いは スローモーション 軽いめまい 誘うほどに
出逢いは スローモーション 瞳の中 映るひと

ストライド 長い脚先 ゆっくりよぎってく 
そのあとを駆けるシェパード 口笛吹くあなた
夏の恋人候補 現われたのこんなに早くに

出逢いは スローモーション 心だけが 先走りね
あなたの ラブモーション 交わす言葉に 感じるわ

出逢いは スローモーション 恋の景色 ゆるやかだわ
出逢いは スローモーション 恋の速度 ゆるやかに
砂の上 刻むステップ 今あなたと共に
   作詞 来生えつこ 作曲 来生たかお  1982
 
中学一年生だった私は、あんまりこの曲の良さを分からなかったのですが、
中3ぐらいになってくると、この特に2番の歌詞がグッと来るようになるんですよね。
歌詞から考えると、春先から初夏をイメージした歌なのですが、賞レースが始まる頃に聞いた
せいでしょうか、なんだかいつも秋の砂浜が浮かんでくるのです。

私は今でも仲がいい友人とのカラオケになるとこの歌を歌いたくなります。
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カジャ・グーグー

2005年05月05日 00時53分40秒 | 洋楽
私が洋楽を聴き始めた83年ごろは、まさにニューロマ全盛でした。
そんな中、もちろんデュラン・デュランもカルチャー・クラブも好きでしたが、
私はなんと、カジャ・グーグーも好きでした・・・・・・。

ふつう男の子はカジャ・グーグーを好きにはならないもんですよ。
だって結局 ボーカルのリマールを中心としたアイドルバンドで、
ティーンズの女の子の心にだけ響いて欲しいと言うバンドでしたから・・。
たとえるならその後に出てきた「夢工場」みたいなバンドでしたよ・・。
当時から友人に馬鹿にされたものです。

でも「Too shy」はいい曲ですよね!いやほんと、これはいい曲なんですって!
あとリマール脱退後の「Big apple」も懐かしい曲の一つです。

ちなみにリマールはその後「ネバーエンディングストーリーのテーマ」を歌いましたね。
そして日本では羽賀研二がカバーしたという、まあすべてがトホホな感じですね。


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万理沙ひとみさん その後

2005年05月03日 14時25分17秒 | 管理人の身辺雑記
 先日、あの列車事故で両足に重傷を負ったタカラジェンヌ 万理沙ひとみさんが
私の高校の1年先輩だったと書きましたが、その後フジテレビのニュースで彼女が
両足の手術を受けて、とりあえず成功だったと聞きました。

こういう怪我はもちろんその後のリハビリなどで状況は全然違いますが、
とりあえずホッとしました。

まさに救われた命です。これから辛いことも多いとは思いますが、
頑張ってくださいね、応援しています 先輩。
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カルチャークラブ

2005年05月03日 14時09分24秒 | 洋楽

1980年代の中盤は、ニューロマンティック全盛でした。
中でもカルチャークラブは、ボーイジョージの、アンドロギュネス(両性具有)な雰囲気と
相まって、非常に印象深いバンドでした。

今でも良くかかるのは2枚目のシングル「カーマはきまぐれ」です。これはかなりアイドル路線の
一曲なのですが、その前のデビュー作「Do U really want to hurt me」こそが、
当時の「イギリスの失われた10年」の大不況下に苦しむ若者の心情を映したような
ニューロマンティックの耽美的で、すこし退廃的な旋律で、当時は「地味な曲だなぁ」
と思っていたのですが、今大人になって聞くと「いい曲だなぁ」とグッと心に来るものがありますね。
私が1980年代を思い出すときにとても重要な一曲です。

そのあとの「The war song」では曲の最後に日本語で2回「戦争反対。戦争反対」と言っているとして、
なんだか中学生としては嬉しかったのを覚えています。

「Color by numbers」でしたっけ?レイコウ堂で借りてテープにダビングしましたよ。

ボーイジョージももう40歳近いんでしょうね?
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今日の堂本兄弟

2005年05月02日 00時30分38秒 | 歌謡曲
なんか今日の堂本兄弟の200回ライブスペシャルは、30分のなかで24曲
ノンストップメドレーと言う趣旨だったみたいですが、これがどう考えても
そこで客入れされるKINKI KIDSのファンであろう、20代前半の女の子たちを
置き去りにした80年代のメドレーですよ!

だって
覚えている範囲ですが
ギザギザハートの子守歌(チェッカーズ)
フレンズ(レベッカ)
今すぐKISS ME(リンドバーグ)
世界で一番暑い夏(プリンセス・プリンセス)
(PRESONZの歌)
ツゥイギー・ツゥイギー(ピチカートファイブ)
大迷惑(ユニコーン)
15の夜(尾崎豊)
六本木心中(アン・ルイス)
限界LOVERS(ショウヤ)
アンダルシアにあこがれて(近藤真彦)
Romantic がとまらない(CCB)
6番目のユ・ウ・ウ・ツ(沢田研二)
紅(X)
タイムマシンにおねがい(サディスティック・ミカ・バンド)
ロックンロール・ウィドウ(山口百恵)
つっぱりHigh school rock'n roll(横浜銀蠅)
完全無欠のロックンローラー(アラジン)
勝手にシンドバット(サザンオールスターズ)
雨上がりの夜空に(RCサクセション)

ですよ!
おじさん、大満足っす!きくち伸プロデューサーありがとう!
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