疾風怒濤の80年代

日本中が熱い風に包まれていた1980年代
そのころの音楽・映画・テレビなどを語る30代のための
広場です!

世界でもっともクールだと思うCD 「NU YORICA」

2007年02月06日 01時14分08秒 | 洋楽
Nu Yorica Roots!: The Rise of Latin Music in New York City in the 1960`s



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2000年に発売になったこのCDを、渋谷のタワーレコードで試聴した時に、
一瞬何が起こったかと思うほど衝撃を受けました。
とにかくも~のすごくカッコイイアルバムです。

1960年代にラテンジャズはニューヨークに上陸してブーガールーというジャンルになりましたが、その時代の曲を集めたアルバムです。キューバの巨匠Tito Prunteなどの曲ががんがん収められていて、当時ニューヨークを席巻した熱いラテンのジャズがそのままに入っています。

とにかく一曲目の「Together」から、ラテンの息吹とカッコイイグルーブに打ちのめされます。
後は、どれもこれも濃厚なキューバンジャズが ニューヨークの風に吹かれて、すばらしくクールに仕上がった曲ばかりなのですが、特に
15曲目の「Oracle」なんかはもう、神がかったかっこよさ!

とにかくカッコイイ曲をお探しなら、ものすごくお勧めです。

絶対お勧め!間違いなし!
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私の人生を変えた一枚

2007年02月03日 16時18分20秒 | 洋楽
リオ
ポール・ウィンター, ルイス・ボンファ, ホベルト・メネスカル, ルイス・エサ・トリオ
ソニーミュージックエンタテインメント

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多分このCDは私の人生を変えた一枚といってもいいと思います。
このCDをはじめに手にしたのは、多分1991年ごろ、東京に出てきて
渋谷のタワーレコードなどで、試聴しながらCDを買うというのが楽しくて仕方が無いというときに、ワールドミュージックのコーナーではじめて聞きました。

この一曲目「Reza」のイントロを聴いた瞬間にバチンと電撃が走り、それから
私はブラジル音楽・ラテンミュージックに打ちのめされたのです。

このアルバムはジャズミュージシャンだったポール・ウィンターがブラジルのボサノバ作曲家たちと組んで1960年代終盤に作った名盤です。特にブラジルの
巨匠 ルイス・ボンファなどと軽やかに作った「zomba」などは名曲です。


それまでは「サザン」とかが好きな・・今でも嫌いじゃないですが、ニューミュージック好きだったのですが、それ以降狂ったようにワールドミュージック、特に
ボサノバを聞くようになりました。

私が後に選曲上手と少し言われるようになったとすると、それは大学時代に聞いた
このアルバムが原点でした。
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ボビー・コール 「a point of view」

2007年02月03日 16時09分26秒 | 洋楽
ア・ポイント・オブ・ヴュー
ボビー・コール, アーノルド・ワイズ, キャシー・ケリー, ラルフ・ロスト
ブルース・インターアクションズ

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最近僕は、本当にこのCDばかりを聞いています。
彼は1934年生まれのジャズピアニスト。1964年に発売されたこのアルバムには、当時ニューヨークを席巻しつつあったラテンジャズの影響が、シナトラやジュディーガーランドの
バックバンドを務めたという彼のピアノのセンスと混ざり合って、非常に高揚感のあるスタイリッシュなアルバムを作り出しています。

特にこの9曲目 「a perfect day」は本当に魂が高揚する名曲です。ピアノが同じフレーズを重ねながらも、どんどんエスカレートしていき、そこにちょっとしゃがれ声のボーカルが重なる様子が本当にセクシーでいいです。

私は1960年代後半の、ブーガルーなど、ラテンジャズがニューヨークに行ったところで生まれた音楽が大好きなのですが、これはニューヨーク側からの、ラテンジャズへの返答という感じがして、いいですね。

本当に超おすすめですよ。

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ポール・モーリア死去

2006年11月04日 23時42分56秒 | 洋楽
巨星墜つ。そんな言葉がしっくり来ます。

あのイージーリスニング界の巨匠 ポール・モーリアが
81歳の生涯を終えたそうです。

あの「恋はみずいろ」のヒットって1968年だそうですから、もう40年も前の話なんですね。私がまだ幼かった70年代にはFMから、ポールモーリアオーケストラの曲は、あたかもエンドレスで流れてくる物でした。

いまだにマジシャンは「オリーブの首飾り」をテーマソングにしているわけですし、70年代にJALの国内線に乗ると、オーディオサービスの4chは必ずポール・モーリア専門チャンネルでした。

フランシス・レイのように巨匠にもならず、バート・バカラックのように後にサブカル界に大きな影響を与えることもなかったですが、まさに大人のためのBGMとしてあり続けた、音楽の職人でした。

ご冥福をお祈りします。
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宇田川町 ORGAN BARへ行って来ました

2006年07月30日 11時28分39秒 | 洋楽
小西康陽や須永辰雄、コモエスタ八重樫やYou the Rockなど、大御所がDJをする
ことで有名な渋谷 宇田川町 ORGAN BARへ行って来ましたよ。

中は拍子抜けするほど小さな箱で、70人も入ればいっぱいといったかんじ、
三宿のWEBよりもちょっと小さい感じでした。
バーのお姉さんも肩の力が抜けた感じの非常に良い方で、私が入ったときは
栃木から来たという青年と話しをしてました。

1時ごろからクボタタケシ氏が回し始めます。すると、バニーマニロウの
「コパカパーナ」をスペイン語でカバーした曲や(この曲は英語で聞くと
アメリカ人のいい加減なラテン感が前面に出てダサダサですが、現地の人が
カバーするのは素敵ですね)、BOOMが謳うサンバ「風になりたい」を
アルゼンチン人が日本語でカバーしたバージョンなど、トンチの聞いた
選曲。
さらに布施彰が歌う「LOVE」がひとしきり流れたところで本家シナトラの
「LOVE」がかかる構成など、ツボを刺激されまくりの非常にいい選曲でした。

さすがさすがという感じです。
さらに須永氏はもうジャズジャズジャズ!

大人のクラブの選曲でした。ただ客層は20代後半のクラブキッズがほとんどで、
しかもナンパとかしそうにない、1人出来てじっくり曲を聴いてる人が多かったですね。

30代半ばのおじさんが一人で言っても、溶け込める雰囲気ではありました。
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ジョアン・ジルベルト 2003年東京公演

2006年06月02日 19時27分02秒 | 洋楽
そのジョアン・ジルベルトの東京公演は、本当に素敵な公演でした
5000人入る 東京フォーラムAホールの中心に、ギターを持ったジョアンが
一人座り、囁くように「イパネマの娘」「黒いオルフェ」なども名曲を
唄うのです。本当に素敵な空間でした。

ただ、コンサートはブラジル人らしいものでした。
なにしろ開演時間になっても全然始まらず、「アーティストは今、ホテルを出るところです」というアナウンスがあり、それから10分ごとに
「今どの辺です」
「今建物の下まで来ています」
「楽屋でみずを飲んでいます」みたいな実況が入り、
45分ほど遅れてスタートしました。

見ている我々も「まあブラジル人のおじいちゃんだから仕方ないか・・。」という
感じで、出てきたときの拍手といったら・・。そりゃすごかったですよ。

で、コンサートの終盤で、
いきなりギターに突っ伏して20分も動かなくなるんです。
はじめは感動して泣いているのかと思ったのですが、
20分微動だにしないから
「死んだ?」みたいなささやきが各所から聞こえてきました。

そのうちに袖からスタッフがやって来て、
彼を揺り起こし、またそれから30分ほどコンサートは続きました。

「あれはなんだったんだ?」と思っていたら、
アンコールの最後にジョアンが
「ボクはさっき、君たちの声をじっと聞いていたんだ。ありがとう東京」
と言って超名曲「イパネマの娘」を歌いだしたのです。
ちょっと不意を疲れて感動しました。

JOAO VOZ E VIOLAO
Joao Gilberto
Universal

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セルジオ・メンデス来日!!

2006年06月02日 19時12分12秒 | 洋楽
いやはや、「マシュ・ケ・ナダ」などでおなじみの、
ボサノバ界の巨匠 セルジオ・メンデスが来日ですよ!!

昨年、ヒップホップとコラボレートしたアルバムを発表して、
まだまだ健在なところを見せ付けたわけですが、こうして
日本まで来てくれるのはうれしいですネェ。

ボサノバでいえば、3年前には、絶対に来日しないといわれていた
ボサノバの神様 ジョアン・ジルベルトも来日したわけで
いやはや東京はいい街ですよ。

でも折角日本に来るのに、セルジオ・メンデスは1日しかコンサートを
しないみたいです・・・。がっくり。絶対その日は空けなきゃ!!




マシュ・ケ・ナーダ
セルジオ・メンデス&ブラジル’66
ユニバーサルインターナショナル

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デヴィッド・ボウイ 「Girls」

2006年05月31日 03時13分53秒 | 洋楽
1980年代後半は、日本のバブル経済の絶好調期と対照的に欧米諸国は、不況期のいわゆる失われた10年と重なります。
そこで日本マーケットを意識して、日本語を交えた曲を出すアーティストが
出てきました。
その中の代表的なのが「Mr Robot」(どもありがっと、ミスターロボット、ども!
ども!)とかカルチャークラブの「The war song」(戦争反対!戦争反対!)
などですが、先日珍品中の珍品を思い出しました。

それが1987年発売のデヴィッド・ボウイのLP「Never let me down」
日本版(東芝EMI)に収録されたA面6曲目「Girls」という曲です。

これはなんとあのデヴィッド・ボウイが前編日本語で唄っている曲なのです。

先日J-WAVEの小林克弥氏の番組で久々に聞いたのですが、たしかに
ぎこちないながらも、なんだか今の自意識過剰系ヴィジュアル系のボーカルみたいでなかなか良かったです。

確かにこの当時他にも バニー・マニロウが西城英樹とデュエットを出したり、
サザンの桑田氏がホール&オーツとユニットを結成したりいろいろありましたね。
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ライオネル・リッチー 「can't slow down」

2006年01月17日 03時07分36秒 | 洋楽
現在はパリス・ヒルトンの相棒のニッキー・リッチーの親父として良くも
悪くも語られることが多いライオネル・リッチーですが、80年代は
世界のスーパースターでしたし、
何かと奇行の多いKing of Pop マイケルジャクソン
よりも親子で安心して聞ける、まさにスーパースターでした。

もともとはコーラスグループ コモドアーズの一員だった彼は80年代初頭に
ソロに転向します。その2枚目のアルバムに当たるのがこの「Can't slow down」です。

このアルバムはまさに名曲ぞろい。
「All Night Long」
「Dancing with the night」
「Hello」

など80年代を代表する曲がずらりと入ってます。
また特に「Hello」はPVが傑作でした。
ドラマ仕立てになっていて、目の見えない、売れない若い彫刻家をやさしく
見守るライオネル。
「あなたの声を聞いて、ただ『こんにちは』と呼べる喜びを僕は感じたい」という
バラードに乗せて、その女性彫刻家はライオネルの庇護で作品を作り始めます。
曲も終わりにさしかかったある日、彼女はその作品をライオネルに見せます。
とたんにほころぶライオネルの笑顔。
目が見えないはずの彼女が視覚だけで彫った彫刻は、確かにライオネルそっくりの
顔をしていました・・・・。

彼はライブ・エイドでもただ一人ニューヨーク会場とロンドン会場をコンコルドで
移動して、掛け持ちしましたし、ロス五輪の閉幕式でのパフォーマンスも
非常に印象的でピープルズ・チャンプというにふさわしい、愛される
スーパースターでした。





Can`t Slow Down
Lionel Richie
Motown / Pgd

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エイジア「Don't Cry」

2006年01月17日 02時52分18秒 | 洋楽
1983年ごろ、時はニューロマ全盛時代。私は中学生で、マイケルジャクソンの
「スリラー」やカルチャークラブ・デュランデュランなどから洋楽を聴くようになりました。
そんな私が毎週欠かさず見ていたのは小林克弥の「ベストヒットUSA」でした。
そしてその頃、他に良く流れていたのがエイジアの「Don't Cry」でした。

♪ガ~ン・ガガガ・ガーガガガガァァァ~ン というイントロ(分かる人だけ笑ってください)は非常に印象的で、当時よくテレビ番組の挿入曲などにも使われて
いましたよね。

当時、「けっこうオジサンバンドだなぁ」ぐらいに思っていたのですが、
後から聞くと、イエスやらキング・クリムゾンやらELOのメンバーが結成した
スーパーバンドだったんですってね。


Alpha
Asia
Geffen Original Masters

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マイケルジャクソン「スリラー」

2006年01月13日 05時12分02秒 | 洋楽
1980年代といえば、やはりこのアルバムを避けて通れないですよね。
King of Popことマイケル=ジャクソンの「スリラー」
私はこのアルバムの発売時期が丁度中学一年生だったことを思い出します。
当時、「Beat it」や「Billy jean」などのPVのかっこよさに打ちのめされて、
それがきっかけで、夜中のベストヒットUSAを見るようになりました。
まさしく、「世界には色んな音楽があるんだ」と、普通の中学生に教えてくれた作品でもあります。

で、久々に聞いてみました。
感想としては、当時のマイケルよりも大人になってから聞くと、
「あの子は僕のもんだよ、なんといってもボクのもの」(Girl is Mine)
「どうしようもなくなって、うじうじしてるなよ!殴り倒せよ!さあ!」(Beat it)
「誰もがあの子に気をつけろっていうんだ、だけどビリージーンはボクの彼女じゃないよ。
彼女はただの子供じゃないか・・・」(Billy Jean)
なんだか、誰かの歌に似てませんか?
・・・・・・・・・・・そう!シブガキ隊ですよ!
優等生の男の子が背伸びして悪ぶっているような雰囲気が、
シブガキ隊やらマッチにそっくりな感じがしました。

大人になっちゃったなぁ・・・。

1982年 「Thriller」 Micheal Jackson
1 Wanna be starting something
2 Baby be Mine
3 The girl is Mine
4 Thriller
5 Beat it
6 Billy Jean
7 Human Nature
8 P.Y.T
9 The lady in my life



Thriller
Michael Jackson
Millennium Editions

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リック・スプリングフィールド

2005年09月02日 08時14分10秒 | 洋楽
なんと、リック・スプリングフィールドがこの8月に新作アルバム「Karma」を
リリースしたそうです。

懐かしいですね、リック・スプリングフィールド!
オーストラリア出身の、イケメンシンガーでしたね。
82~85ぐらいまで、結構「ベストヒットUSA]の常連で、
「Two Souls」とか「Living in OZ」などのクリップが
流れていたのを思い出します。

なんでも10年ぶりのアルバム発売だそうで、さらに89年にオートバイ事故をして少し休業していたそうです。

頑張ってほしいですね。
9月8日には、ベスト版も発売されるそうです。
「リック・スプリングフィールド アンソロジー」
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アート・ガーファンクル逮捕

2005年09月02日 08時05分10秒 | 洋楽
先日、サイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルがマリファナ所持で
逮捕されましたね。

サイモン&ガーファンクルの活動時期は基本的に70年代でしたが、
80年代には例の、ニューヨーク セントラルパークでの10万人ライブあ
ありましたね。

ポール・サイモンは彼らの解散後、映画俳優としても活躍して、一番有名なのは、
ウッディー・アレンの「アニー・ホール」で、ダイアン・キートンに
言い寄る嫌味な音楽プロデューサーを好演していました。

しかし元はアート・ガーファンクルが、単独で映画出演をしたことが、この
コンビに亀裂を入れた原因だったそうです。

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カジャ・グーグー

2005年05月05日 00時53分40秒 | 洋楽
私が洋楽を聴き始めた83年ごろは、まさにニューロマ全盛でした。
そんな中、もちろんデュラン・デュランもカルチャー・クラブも好きでしたが、
私はなんと、カジャ・グーグーも好きでした・・・・・・。

ふつう男の子はカジャ・グーグーを好きにはならないもんですよ。
だって結局 ボーカルのリマールを中心としたアイドルバンドで、
ティーンズの女の子の心にだけ響いて欲しいと言うバンドでしたから・・。
たとえるならその後に出てきた「夢工場」みたいなバンドでしたよ・・。
当時から友人に馬鹿にされたものです。

でも「Too shy」はいい曲ですよね!いやほんと、これはいい曲なんですって!
あとリマール脱退後の「Big apple」も懐かしい曲の一つです。

ちなみにリマールはその後「ネバーエンディングストーリーのテーマ」を歌いましたね。
そして日本では羽賀研二がカバーしたという、まあすべてがトホホな感じですね。


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カルチャークラブ

2005年05月03日 14時09分24秒 | 洋楽

1980年代の中盤は、ニューロマンティック全盛でした。
中でもカルチャークラブは、ボーイジョージの、アンドロギュネス(両性具有)な雰囲気と
相まって、非常に印象深いバンドでした。

今でも良くかかるのは2枚目のシングル「カーマはきまぐれ」です。これはかなりアイドル路線の
一曲なのですが、その前のデビュー作「Do U really want to hurt me」こそが、
当時の「イギリスの失われた10年」の大不況下に苦しむ若者の心情を映したような
ニューロマンティックの耽美的で、すこし退廃的な旋律で、当時は「地味な曲だなぁ」
と思っていたのですが、今大人になって聞くと「いい曲だなぁ」とグッと心に来るものがありますね。
私が1980年代を思い出すときにとても重要な一曲です。

そのあとの「The war song」では曲の最後に日本語で2回「戦争反対。戦争反対」と言っているとして、
なんだか中学生としては嬉しかったのを覚えています。

「Color by numbers」でしたっけ?レイコウ堂で借りてテープにダビングしましたよ。

ボーイジョージももう40歳近いんでしょうね?
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